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第346話 スパイ大作戦(3) at 1995/11/22
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「こ、古ノ森リーダー!!」
「――!? は――っ」
僕は、見た目以上に断固としてチカラ強い五十嵐君の右手が引き戻すまで、自分が立ち上がっていたことにも気づいていなかった。それほどまでに僕の怒りは頂点にまで達していたのだ。
「どうか――どうか落ち着いてください。今乗り込んでいけば、すべての目論見が水の泡です」
「ロコがあんな風に言われて――! うっ! 放せ! 放してく――!」
「落ち着いてっ! くださいっ!!」
空気を振るわすほどの一喝。その一瞬で、僕のココロに虚が生じた。それを逃さず五十嵐君は、僕の腕を握る手にこれでもかとチカラを込めて、なんとか僕を引き戻してくれた。
「ふっ――ふぅううう……」
ぺたん、とさっきまで腰を下ろしていた丸椅子の上にチカラなく座り込む。ぐぐっ、とこらえていた息が漏れ出る。僕は五十嵐君の鋭いまなざしを睨み返した。相当ひどい顔つきだろう。
「あ――ありがとう、ハカセ」
それでも、僕の口はこう言った。
「自分でも嫌な顔をしてるってしってる。でも、それはハカセに対してじゃない。どうか――」
「わかっています。大丈夫です」
「……ごめん。こんな短気な単細胞で」
「いいえ。それも理解できているつもりですから――」
しかし五十嵐君は、いつものアルカイックスマイルではなく、困ったような曖昧な笑みを浮かべていた。つまり――相当まずい状況なのだと言えるのだろう。外れかけたイヤホンを慎重に耳孔へと挿し入れ、しばらく難しい表情で考え込んでから、やがて首を左右に振ってみせた。
「ですが……少し困ったことになったようです。さっきの揉み合いでコードを引っ張ってしまったようで、音声がうまく拾えなくなってしまいました。コードの長さ、ギリギリでしたから」
「えっ!?」
僕も慌ててイヤホンを探す。さっきのやりとりですっ飛んで行ってしまったらしい。細いコードをたぐり寄せて、急いで耳孔にねじり込むと――聞こえはするものの、音がかなり小さい。
「元の位置に戻さなければ、残りの会話の大部分は、推測混じりになってしまいますね……」
そう言って、五十嵐君はさっきから書きつけている大量のメモを僕に見せる。
が、文字としてまともに読めない。
芸能人のサインのような殴り書きにしか見えないのだが。
「もしかして、ハカセ……? それ、速記術なのか?」
「よくわかりましたね。小さい頃から、文字の読み書きと並行して、父に叩き込まれています」
となると、ロコたちの会話を一言一句漏らさず記録として残したいのなら。
僕は迷うことなく立ち上がり、なるべく音を立てないように慎重に天蓋へ続くドアを開けた。
「……なら、僕がマイクの位置を直してくるしかない」
ドアをゆっくりと開け、眼下に見える舞台の様子をうかがう――よし、誰の姿も見えない。
「そもそも、こうなったのは僕のせいだから。ただ、もしも……万が一僕が見つかったら……」
「脱出ルートは確保しています。で、ですが――!」
「合理的で論理的な考え方をするのがハカセだろ? その情報を持ち帰るのを最優先してくれ」
「………………御武運を」
かろうじて五十嵐君の祈りのセリフが聴こえたところで僕は後ろ手にドアを閉めた。とたん、いきなり視界が闇に包まれる。足元から照らす舞台からの弱光が、むしろ僕の視界の確保をいっそう困難なものにしている。僕ひとり、誰もいない影絵の世界に放り出されたかのようだ。
(あのあとの会話が気になる……急がないと……!)
たるんだコードを手にした僕の影が、一歩ずつハシゴのシルエットを昇っていく――。
「――!? は――っ」
僕は、見た目以上に断固としてチカラ強い五十嵐君の右手が引き戻すまで、自分が立ち上がっていたことにも気づいていなかった。それほどまでに僕の怒りは頂点にまで達していたのだ。
「どうか――どうか落ち着いてください。今乗り込んでいけば、すべての目論見が水の泡です」
「ロコがあんな風に言われて――! うっ! 放せ! 放してく――!」
「落ち着いてっ! くださいっ!!」
空気を振るわすほどの一喝。その一瞬で、僕のココロに虚が生じた。それを逃さず五十嵐君は、僕の腕を握る手にこれでもかとチカラを込めて、なんとか僕を引き戻してくれた。
「ふっ――ふぅううう……」
ぺたん、とさっきまで腰を下ろしていた丸椅子の上にチカラなく座り込む。ぐぐっ、とこらえていた息が漏れ出る。僕は五十嵐君の鋭いまなざしを睨み返した。相当ひどい顔つきだろう。
「あ――ありがとう、ハカセ」
それでも、僕の口はこう言った。
「自分でも嫌な顔をしてるってしってる。でも、それはハカセに対してじゃない。どうか――」
「わかっています。大丈夫です」
「……ごめん。こんな短気な単細胞で」
「いいえ。それも理解できているつもりですから――」
しかし五十嵐君は、いつものアルカイックスマイルではなく、困ったような曖昧な笑みを浮かべていた。つまり――相当まずい状況なのだと言えるのだろう。外れかけたイヤホンを慎重に耳孔へと挿し入れ、しばらく難しい表情で考え込んでから、やがて首を左右に振ってみせた。
「ですが……少し困ったことになったようです。さっきの揉み合いでコードを引っ張ってしまったようで、音声がうまく拾えなくなってしまいました。コードの長さ、ギリギリでしたから」
「えっ!?」
僕も慌ててイヤホンを探す。さっきのやりとりですっ飛んで行ってしまったらしい。細いコードをたぐり寄せて、急いで耳孔にねじり込むと――聞こえはするものの、音がかなり小さい。
「元の位置に戻さなければ、残りの会話の大部分は、推測混じりになってしまいますね……」
そう言って、五十嵐君はさっきから書きつけている大量のメモを僕に見せる。
が、文字としてまともに読めない。
芸能人のサインのような殴り書きにしか見えないのだが。
「もしかして、ハカセ……? それ、速記術なのか?」
「よくわかりましたね。小さい頃から、文字の読み書きと並行して、父に叩き込まれています」
となると、ロコたちの会話を一言一句漏らさず記録として残したいのなら。
僕は迷うことなく立ち上がり、なるべく音を立てないように慎重に天蓋へ続くドアを開けた。
「……なら、僕がマイクの位置を直してくるしかない」
ドアをゆっくりと開け、眼下に見える舞台の様子をうかがう――よし、誰の姿も見えない。
「そもそも、こうなったのは僕のせいだから。ただ、もしも……万が一僕が見つかったら……」
「脱出ルートは確保しています。で、ですが――!」
「合理的で論理的な考え方をするのがハカセだろ? その情報を持ち帰るのを最優先してくれ」
「………………御武運を」
かろうじて五十嵐君の祈りのセリフが聴こえたところで僕は後ろ手にドアを閉めた。とたん、いきなり視界が闇に包まれる。足元から照らす舞台からの弱光が、むしろ僕の視界の確保をいっそう困難なものにしている。僕ひとり、誰もいない影絵の世界に放り出されたかのようだ。
(あのあとの会話が気になる……急がないと……!)
たるんだコードを手にした僕の影が、一歩ずつハシゴのシルエットを昇っていく――。
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