上 下
348 / 539

第346話 スパイ大作戦(3) at 1995/11/22

しおりを挟む
「こ、古ノ森リーダー!!」

「――!? は――っ」


 僕は、見た目以上に断固としてチカラ強い五十嵐君の右手が引き戻すまで、自分が立ち上がっていたことにも気づいていなかった。それほどまでに僕の怒りは頂点にまで達していたのだ。


「どうか――どうか落ち着いてください。今乗り込んでいけば、すべての目論見もくろみが水の泡です」

「ロコがあんな風に言われて――! うっ! 放せ! 放してく――!」

「落ち着いてっ! くださいっ!!」


 空気を振るわすほどの一喝。その一瞬で、僕のココロに虚が生じた。それを逃さず五十嵐君は、僕の腕を握る手にこれでもかとチカラを込めて、なんとか僕を引き戻してくれた。


「ふっ――ふぅううう……」


 ぺたん、とさっきまで腰を下ろしていた丸椅子の上にチカラなく座り込む。ぐぐっ、とこらえていた息が漏れ出る。僕は五十嵐君の鋭いまなざしを睨み返した。相当ひどい顔つきだろう。


「あ――ありがとう、ハカセ」


 それでも、僕の口はこう言った。


「自分でも嫌な顔をしてるってしってる。でも、それはハカセに対してじゃない。どうか――」

「わかっています。大丈夫です」

「……ごめん。こんな短気な単細胞で」

「いいえ。それも理解できているつもりですから――」


 しかし五十嵐君は、いつものアルカイックスマイルではなく、困ったような曖昧な笑みを浮かべていた。つまり――相当まずい状況なのだと言えるのだろう。外れかけたイヤホンを慎重に耳孔じこうへとし入れ、しばらく難しい表情で考え込んでから、やがて首を左右に振ってみせた。


「ですが……少し困ったことになったようです。さっきの揉み合いでコードを引っ張ってしまったようで、音声がうまく拾えなくなってしまいました。コードの長さ、ギリギリでしたから」

「えっ!?」


 僕も慌ててイヤホンを探す。さっきのやりとりですっ飛んで行ってしまったらしい。細いコードをたぐり寄せて、急いで耳孔にねじり込むと――聞こえはするものの、音がかなり小さい。


「元の位置に戻さなければ、残りの会話の大部分は、推測混じりになってしまいますね……」


 そう言って、五十嵐君はさっきから書きつけている大量のメモを僕に見せる。

 が、文字としてまともに読めない。
 芸能人のサインのような殴り書きにしか見えないのだが。


「もしかして、ハカセ……? それ、なのか?」

「よくわかりましたね。小さい頃から、文字の読み書きと並行して、父に叩き込まれています」


 となると、ロコたちの会話を一言一句漏らさず記録として残したいのなら。

 僕は迷うことなく立ち上がり、なるべく音を立てないように慎重に天蓋へ続くドアを開けた。


「……なら、僕がマイクの位置を直してくるしかない」


 ドアをゆっくりと開け、眼下に見える舞台の様子をうかがう――よし、誰の姿も見えない。


「そもそも、こうなったのは僕のせいだから。ただ、もしも……万が一僕が見つかったら……」

「脱出ルートは確保しています。で、ですが――!」

「合理的で論理的な考え方をするのがハカセだろ? その情報を持ち帰るのを最優先してくれ」

「………………御武運を」


 かろうじて五十嵐君の祈りのセリフが聴こえたところで僕は後ろ手にドアを閉めた。とたん、いきなり視界が闇に包まれる。足元から照らす舞台からの弱光が、むしろ僕の視界の確保をいっそう困難なものにしている。僕ひとり、誰もいない影絵の世界に放り出されたかのようだ。


(あのあとの会話が気になる……急がないと……!)


 たるんだコードを手にした僕の影が、一歩ずつハシゴのシルエットを昇っていく――。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

昔義妹だった女の子が通い妻になって矯正してくる件

マサタカ
青春
 俺には昔、義妹がいた。仲が良くて、目に入れても痛くないくらいのかわいい女の子だった。 あれから数年経って大学生になった俺は友人・先輩と楽しく過ごし、それなりに充実した日々を送ってる。   そんなある日、偶然元義妹と再会してしまう。 「久しぶりですね、兄さん」 義妹は見た目や性格、何より俺への態度。全てが変わってしまっていた。そして、俺の生活が爛れてるって言って押しかけて来るようになってしまい・・・・・・。  ただでさえ再会したことと変わってしまったこと、そして過去にあったことで接し方に困っているのに成長した元義妹にドギマギさせられてるのに。 「矯正します」 「それがなにか関係あります? 今のあなたと」  冷たい視線は俺の過去を思い出させて、罪悪感を募らせていく。それでも、義妹とまた会えて嬉しくて。    今の俺たちの関係って義兄弟? それとも元家族? 赤の他人? ノベルアッププラスでも公開。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

婚約者が、私より従妹のことを信用しきっていたので、婚約破棄して譲ることにしました。どうですか?ハズレだったでしょう?

珠宮さくら
恋愛
婚約者が、従妹の言葉を信用しきっていて、婚約破棄することになった。 だが、彼は身をもって知ることとになる。自分が選んだ女の方が、とんでもないハズレだったことを。 全2話。

王太子殿下に婚約者がいるのはご存知ですか?

通木遼平
恋愛
フォルトマジア王国の王立学院で卒業を祝う夜会に、マレクは卒業する姉のエスコートのため参加をしていた。そこに来賓であるはずの王太子が平民の卒業生をエスコートして現れた。 王太子には婚約者がいるにも関わらず、彼の在学時から二人の関係は噂されていた。 周囲のざわめきをよそに何事もなく夜会をはじめようとする王太子の前に数名の令嬢たちが進み出て――。 ※以前他のサイトで掲載していた作品です

サブキャラは主人公!

林道二日
青春
 誰しも自分のことを主人公と思っている。いやそうだと確信している!だって俺がそうだったからっ!この物語はサブキャラと主人公のお話。

あなたのために死ぬ

ごろごろみかん。
恋愛
リーズリー公爵家の娘、リズレイン・リーズリーは結婚式を目前に控えたある日、婚約者のヴェートルに殺害された。どうやらリズは『悪魔の儀式』の生贄にされるらしい。 ──信じていたのに。愛していたのに。 最愛の婚約者に裏切られ、絶望を抱えたリズは、気がつくと自分が殺される一年前に戻っていた。 (今度こそあんな悲壮な死は迎えたくない) 大好きだった婚約者に裏切られ、殺され。苦しさの中、彼女は考えた。 なぜ、彼は自分を殺したのだろう、と。 リズは巻き戻った人生で、真実を探すことにした。 彼と、決別するために。 *完結まで書き終え済

今、姉が婚約破棄されています

毒島醜女
恋愛
「セレスティーナ!君との婚約を破棄させてもらう!」 今、お姉様が婚約破棄を受けています。全く持って無実の罪で。 「自分の妹を虐待するなんて、君は悪魔だ!!」 は、はい? 私がいつ、お姉様に虐待されたって……? しかも私に抱きついてきた!いやっ!やめて! この人、おかしくない? 自分の家族を馬鹿にするような男に嫁ぎたいと思う人なんているわけないでしょ!?

僕と俺だけの特権 〜僕たち3〜

知人さん
青春
想介が翔と空太と別れてから 数十年が経ち、幸せの家庭を築いて 子宝にも恵まれていたが、 子供の人格が同じ運命を辿る。

処理中です...