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第291話 追い詰められたキリンは獅子をも殺す、かもしれない at 1995/10/25
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「ううう、どうしてこうなった……」
その日の夜、僕はなんの因果か『三溝優子』という一風変わった少女とともに、トタン作りの風通しの良い自転車置き場の陰で息を潜めつつ、ぶつぶつとひとり嘆いていた。
「――? 古ノ森君、なんか言いました?」
「なーんにもイッテマセンヨー」
肩が触れそうな距離にしゃがんでいる三溝さんから聞き返された僕は、ぎこちないカタコトで返事をした。聴こえたところでまともな答えは得られないし、そもそも本人に悪気がない――なお、タツヒコへの殺意はマシマシなようだが――ので、伝えたところで無駄なのである。
現在の時刻は、夜の八:〇〇。
ちなみに、この自転車置き場のある場所は、木曽根団地のホー18号棟の脇だ。
「そろそろ来るはず、なんですけど」
「う――。なにも起こりませんように……」
どうしてこんな場所に、ついこの前知り合ったばかりの女の子といるのかというと。
それは言うまでもなく、この虫も殺さぬ草食系の少女が立案し、見切り発車直後に僕にカミング・アウトしてきた、極めて無謀かつ無茶な『タツヒコ偽装殺人計画』のせいなのであった、
『えと……古ノ森君って、ホー18号棟の前にある、駐車場の脇の急な坂、知ってますかね?』
『まあ、知ってるけど……。少年サッカー場に続くアレでしょ? それが?』
『タツヒコは、毎週水曜日にあの坂を、ギリギリまでブレーキかけずに無灯火で下りるんです』
『ふーん……って、どうしてそんなこと知ってるの!?』
『実はあたしの家、ホー18号棟なんですよね。で――』
三溝さんは、毎週決まって同じ時間に、夜の静寂を引き裂く自転車のブレーキ音が鳴り響く現象に辟易していたのだそうだ。ときおり、それに加えて『危ねえじゃねえか、馬鹿野郎ッ!』という怒号も響き渡り、とてもとても恐ろしく、いい気持ちがしない。
ちょうどこの時間は三溝さんが入浴する時間だったようで、通りに面した浴室の小さな内倒し窓から忍び込むその音は、カノジョのリラックス・タイムをまるごと台無しにしてかき乱す、悪しき物の象徴だったのだ。
『絶っ対に犯人をつきとめてやる』
ある時、三溝さんはどうしても同じ人物の発している音としか思えないブレーキ音の主を明らかにするべく、僕らが今息を殺して潜んでいる自転車置き場で張り込みをしていた。
『あ……あれって――』
そこに自転車に乗って現れたのが――あの『無敵の悪』、赤川龍彦だったのだ。
遠く坂の上の方で煌々とグラウンドを照らしていたライトが、ふっ、と消えた。つまり、この上にある『西町田少年サッカー場』で行われていた練習が終わった、ということを示す。
「にしても……タツヒコがサッカー部だったなんて知らなかったな」
「サッカー部、じゃないですよ、古ノ森君? あそこは少年サッカークラブで使ってるんです」
「え……!? ま、まさか、それって『町田SSSサッカークラブ』のこと?」
「ちょっと違う気がしますけど。まあ、どれも似たようなものじゃないです?」
あいにく三溝さんは、サッカーにはまるで興味がないらしい。町田っ子とはいえ、女子には女子の好みってのがあるようだ。
と、三溝さんのくりりとした真ん丸目が、珍しく鋭くなった。
「降りてきましたね。アイツは最後にくるはずです」
そのセリフどおり、網に入れたボールをリフティングしながら坂を下りてくる何人かの少年の姿が見えた。だが、誰も自転車には乗っておらず、人数も驚くほど少ない。どうしてだ?
「団地の子でクラブに所属している子は少ないみたいです。梅田センセイが教えてくれました」
「ふーん、そうなんだ……でも、どうしてなんだろう?」
「それは、入団テストがあるらしくって――」
あらかたサッカー小僧たちがおのおのの家へと帰っていってしまったその時だった。
「来ましたよ! アイツ、アイツです! もうその下品な音も、今夜で最後になるんだから!」
その日の夜、僕はなんの因果か『三溝優子』という一風変わった少女とともに、トタン作りの風通しの良い自転車置き場の陰で息を潜めつつ、ぶつぶつとひとり嘆いていた。
「――? 古ノ森君、なんか言いました?」
「なーんにもイッテマセンヨー」
肩が触れそうな距離にしゃがんでいる三溝さんから聞き返された僕は、ぎこちないカタコトで返事をした。聴こえたところでまともな答えは得られないし、そもそも本人に悪気がない――なお、タツヒコへの殺意はマシマシなようだが――ので、伝えたところで無駄なのである。
現在の時刻は、夜の八:〇〇。
ちなみに、この自転車置き場のある場所は、木曽根団地のホー18号棟の脇だ。
「そろそろ来るはず、なんですけど」
「う――。なにも起こりませんように……」
どうしてこんな場所に、ついこの前知り合ったばかりの女の子といるのかというと。
それは言うまでもなく、この虫も殺さぬ草食系の少女が立案し、見切り発車直後に僕にカミング・アウトしてきた、極めて無謀かつ無茶な『タツヒコ偽装殺人計画』のせいなのであった、
『えと……古ノ森君って、ホー18号棟の前にある、駐車場の脇の急な坂、知ってますかね?』
『まあ、知ってるけど……。少年サッカー場に続くアレでしょ? それが?』
『タツヒコは、毎週水曜日にあの坂を、ギリギリまでブレーキかけずに無灯火で下りるんです』
『ふーん……って、どうしてそんなこと知ってるの!?』
『実はあたしの家、ホー18号棟なんですよね。で――』
三溝さんは、毎週決まって同じ時間に、夜の静寂を引き裂く自転車のブレーキ音が鳴り響く現象に辟易していたのだそうだ。ときおり、それに加えて『危ねえじゃねえか、馬鹿野郎ッ!』という怒号も響き渡り、とてもとても恐ろしく、いい気持ちがしない。
ちょうどこの時間は三溝さんが入浴する時間だったようで、通りに面した浴室の小さな内倒し窓から忍び込むその音は、カノジョのリラックス・タイムをまるごと台無しにしてかき乱す、悪しき物の象徴だったのだ。
『絶っ対に犯人をつきとめてやる』
ある時、三溝さんはどうしても同じ人物の発している音としか思えないブレーキ音の主を明らかにするべく、僕らが今息を殺して潜んでいる自転車置き場で張り込みをしていた。
『あ……あれって――』
そこに自転車に乗って現れたのが――あの『無敵の悪』、赤川龍彦だったのだ。
遠く坂の上の方で煌々とグラウンドを照らしていたライトが、ふっ、と消えた。つまり、この上にある『西町田少年サッカー場』で行われていた練習が終わった、ということを示す。
「にしても……タツヒコがサッカー部だったなんて知らなかったな」
「サッカー部、じゃないですよ、古ノ森君? あそこは少年サッカークラブで使ってるんです」
「え……!? ま、まさか、それって『町田SSSサッカークラブ』のこと?」
「ちょっと違う気がしますけど。まあ、どれも似たようなものじゃないです?」
あいにく三溝さんは、サッカーにはまるで興味がないらしい。町田っ子とはいえ、女子には女子の好みってのがあるようだ。
と、三溝さんのくりりとした真ん丸目が、珍しく鋭くなった。
「降りてきましたね。アイツは最後にくるはずです」
そのセリフどおり、網に入れたボールをリフティングしながら坂を下りてくる何人かの少年の姿が見えた。だが、誰も自転車には乗っておらず、人数も驚くほど少ない。どうしてだ?
「団地の子でクラブに所属している子は少ないみたいです。梅田センセイが教えてくれました」
「ふーん、そうなんだ……でも、どうしてなんだろう?」
「それは、入団テストがあるらしくって――」
あらかたサッカー小僧たちがおのおのの家へと帰っていってしまったその時だった。
「来ましたよ! アイツ、アイツです! もうその下品な音も、今夜で最後になるんだから!」
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