上 下
60 / 64

第六十話 勇者、そして父リヒト・ゴットフラム

しおりを挟む
「ええと……一応、お尋ねしたいのだが、貴女あなたが世界を混沌に陥れようとする黒龍なのか?」
「いいえ――どうしてそう思われたのです?」

 リヒトの目の前に現れた女はそうこたえ、さもおかしそうにくすくすと笑ったのだった。

 美しい女性だ。髪は青白い銀糸のような輝きで、すらりとした身体に沿ってゆるゆると腰あたりまで伸びていた。だが、人間ではないことにすぐに気づく。彼女の耳のあたりから龍のヒレのようなものが生え、穏やかな心中を表すかのように吸って吐くよう静かにはためいている。

「あ――し、失礼!」

 突き出していた大剣を引っ込めて鞘に納めると、リヒトはばつが悪い思いを誤魔化そうと、兜を脱ぎ去りはにかんだような笑みを浮かべた素顔をさらした。そして礼儀正しく会釈する。

「とんだ人違いをしてしまった。無礼な真似をしてしまって、本当に申し訳ない……」
「よいのですよ、
「………………なぜ私が勇者だと?」
「このような場所までひとりで訪ね来る人間なぞ、そうはおりませんもの。あの凍てつく山脈を越えて、はるばるここまで来たのでしょう? 驚かれたのでは? 今度は蒸し焼きか、って」
「ははっ! たしかに」

 前人未到の最北の地まで辿り着いたリヒトは、天に渦巻く暗雲と、草木も生えない不毛の荒野を見て、この世の終わりもかくやと思ったものだ。山々は火を噴き、雷鳴と轟音が耳をろうするこの世の地獄のごとき場所には、人間はおろか、当の魔族すらいる訳がないと思いさえした。

 あまりの暑さに疲弊しきったリヒトが、ひとときの涼を得んとやってきたのがこの洞窟だった。

「さすがにもう限界だ。見苦しいところを見せてしまうが、鎧を脱いでも構わないだろうか」
「……後ろを向いていましょうか? ふふふ――」
「か、からかうのはよしてくれ!」

 急いで背を向けたものの、彼女の視線を感じて、思わず耳が熱くなる。上半身に着けていた鎧をすっかり脱いでしまい、ふう、とようやく安堵の息を漏らした頃には気持ちもいくぶん落ち着きを取り戻していた。

「……凄い傷ね?」

 と、彼女の声が耳元近くでそっと囁いた――ように感じた。ふと、背筋を、つつ、と撫でられて、くすぐったさに身悶えしそうになるのをこらえる。

「ん? あ――ああ。元々不器用なもので、思いどおりに剣を扱えるようになったのもついこの間なのさ。この傷は、腕前の上達のあかしなんだ。い、いや、しかし……なんだか恥ずかしいな」
「恥じることはありませんよ。むしろ、誇るべきです」

 ……ではなくて。
 彼女の視線は、もはや比喩抜きで熱く感じられるほどだった。

「い、いや、そうではなく……そうしげしげと見つめられると――」
「あら、まあ! ……ふふっ、そちらも誇ってもいいと思いますよ」
「あ、ありがとう。一応、礼は言っておくよ、ご婦人フラウ
「……ご婦人だなんて呼ばれるほど歳ではありません」

 突然、彼女の短く強い鼻息が首筋にかかった。どうやら怒らせてしまったらしい。
 弱り切ったリヒトは、しどろもどろになりながらこう尋ねた。

「しっ! 失礼! ……では、なんと?」
「エリナリーゼ、そう呼んでくださる?」

 良い名前だ。そして甘い香りと響きだった。
 リヒトは微笑みを浮かべ、振り返ってこう名乗った――。

「良い名前だ! 僕はリヒト、リヒト・ゴットフラム!」



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「くくくっ……! あの方も、さぞや驚かれただろうな! まさかドラゴン族が、人の姿をすことができようとは思っていなかったに違いない! しかも、振り返ったらドラゴン、だ!」

 ネェロは柄にもなく、くすくすと忍び笑いを溢し、身を折るようにして笑っている。そうしてひとしきり笑いたてたあと、ふ、と溜息をついて再び話しはじめた。

「エリナリーゼはその後、勇者リヒトにこう願った――すべての龍を縛りつける者、ドラゴンを統べる黒龍、ネェロ・ドラゴニスを倒す手助けをして欲しい、と。しかし、彼は首を振った」
「え……助けてくれなかった、と?」
「その逆だ、新米勇者めが」

 ネェロは、ふふん、と鼻を鳴らした。
 お前ごときではそうはなるまい、と言いたげだ。

の方は、エリナリーゼ自らが手を汚すことをとしなかった。彼ら、平穏を望む龍たちが、その志をたがえて手を下すようなことがあれば、いずれまた、俺の代わりとなった誰かがそれをはるかに上回る力でもって彼らを制するだろう――そう諭して、単身俺の下へとやって来た」

 ごくり、と俺は唾を飲む。
 人を模した仮の姿でさえ、ネェロはこの場の誰よりも強いのだろう。それが分かったからだ。

 ネェロはその時を思い出し、実に楽しげで愉快そうな笑みを浮かべてみせた。

「俺はもちろんこう思った――馬鹿で愚かな人間だ、脆弱で矮小なヒトごときが、この俺様相手に、たったひとりでのこのこ現れるとは、とな? だが、その考えは浅はかだったとすぐにも分かった、思い知らされたのだ、嫌と言うほどな――」

 ぎり、と歯がきしむ音がした。

「俺たちの一対一の戦いは、互いに一歩も退かない状態で七日七晩続いた。もうその頃には、俺様の不滅の黒炎ですらくすぶり消えてしまった。研ぎ澄まされた爪の一撃が防がれる。黒翼のはばたきが生み出す無数の竜巻ですら受け流される。大地を震わす咆哮ほうこうすらむなしく響いた」

 今まさにこの場で目の前で戦っているかのようなネェロの熱のこもった言葉の数々に、傍聴席に座る誰もが、ごくり、と唾を飲む。

「その時だ!」

 そこで最後にネェロは、びゅん! と手刀を振った。

「きっと奴めも疲れ切っているに違いない、そう考えていた俺様の読みは見事なまでに裏切られたのだ! あっ――という間もなかった。絶え絶えになった俺様の絞り出した黒き炎のひと息が散り散りに消えていくのに合わせて、奴は流星のごとく一直線に――!」
「そして……どうなったんです?」
「気づいた時には、こうだ」

 ネェロは再び、俺の喉元に背から、すちゃり、と抜き放った大剣を突き付ける。
 しかし、それは殺気のないただの構えに過ぎなかった。

「観念した俺様は告げた――お前の勝ちだ、ひと思いにやるがいい、と。しかし、あの方はそうしなかった。代わりにこう言ったよ――僕の勝ちだね、でも、もう争いは終わりにしよう、と。そうして敗北した俺様は、あの方に終生の忠誠を誓い、友となり、配下となったワケだ」
「それで《天空の魔王》の座を降り、代行者になった、そういうことですか?」
「簡単に言えば、な?」

 こたえたネェロは、うなずきはしたものの、それほど単純でも簡単でもない事情があるようだ。

「俺たちドラゴン族は、夫婦の契りを交わす際に、互いの血を飲み、交わらせ、受け入れる風習がある。その意味においては、あの方の半分はドラゴンであると言えるだろう。しかし、我らの真の姿――ドラゴンの姿に変じることまではできなかった。他のことはできても、だ」


 つまり。


 勇者リヒト・ゴットフラムは、エリナの母である光龍、エリナリーゼ=カリタス=ヅマィと婚姻し、血の契りを交わして、半人半龍の身になったのだ。しかしそれでも、ドラゴン族を率いる者としては、圧倒的に足りないものがある。人の身でありながら、ドラゴンとしての多くの力を得たといっても、ドラゴンそのものにはどうしてもなれなかったのだ。


 だからこそ――。


「絶対の畏怖をこの世界に示すには、その姿こそが重要だ。巨大で、圧倒的で、何人なんぴとをも寄せ付けぬその偉大なる姿が。だから俺様は、あの方の代わりにその象徴である続けることにした」
「何事にも揺るがぬ忠誠と……未来永劫変わらぬ友情の証として」
「そうだ。これが俺様の忠誠と友情を示す道」

 俺の口から自然と漏れ出たセリフをネェロは繰り返し、深く頷いた。そして、そこでようやく傍聴人席最前列に居並ぶ《六魔王》を見上げてネェロは言った。

「代行者というこの身に、恥ずべきことなどほんのひと欠片かけらもない。むしろ、誇りに思う」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

無能扱いされ会社を辞めさせられ、モフモフがさみしさで命の危機に陥るが懸命なナデナデ配信によりバズる~色々あって心と音速の壁を突破するまで~

ぐうのすけ
ファンタジー
大岩翔(オオイワ カケル・20才)は部長の悪知恵により会社を辞めて家に帰った。 玄関を開けるとモフモフ用座布団の上にペットが座って待っているのだが様子がおかしい。 「きゅう、痩せたか?それに元気もない」 ペットをさみしくさせていたと反省したカケルはペットを頭に乗せて大穴(ダンジョン)へと走った。 だが、大穴に向かう途中で小麦粉の大袋を担いだJKとぶつかりそうになる。 「パンを咥えて遅刻遅刻~ではなく原材料を担ぐJKだと!」 この奇妙な出会いによりカケルはヒロイン達と心を通わせ、心に抱えた闇を超え、心と音速の壁を突破する。

異世界帰りの底辺配信者のオッサンが、超人気配信者の美女達を助けたら、セレブ美女たちから大国の諜報機関まであらゆる人々から追われることになる話

kaizi
ファンタジー
※しばらくは毎日(17時)更新します。 ※この小説はカクヨム様、小説家になろう様にも掲載しております。 ※カクヨム週間総合ランキング2位、ジャンル別週間ランキング1位獲得 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 異世界帰りのオッサン冒険者。 二見敬三。 彼は異世界で英雄とまで言われた男であるが、数ヶ月前に現実世界に帰還した。 彼が異世界に行っている間に現実世界にも世界中にダンジョンが出現していた。 彼は、現実世界で生きていくために、ダンジョン配信をはじめるも、その配信は見た目が冴えないオッサンということもあり、全くバズらない。 そんなある日、超人気配信者のS級冒険者パーティを助けたことから、彼の生活は一変する。 S級冒険者の美女たちから迫られて、さらには大国の諜報機関まで彼の存在を危険視する始末……。 オッサンが無自覚に世界中を大騒ぎさせる!?

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

玲子さんは自重しない~これもある種の異世界転生~

やみのよからす
ファンタジー
 病院で病死したはずの月島玲子二十五歳大学研究職。目を覚ますと、そこに広がるは広大な森林原野、後ろに控えるは赤いドラゴン(ニヤニヤ)、そんな自分は十歳の体に(材料が足りませんでした?!)。  時は、自分が死んでからなんと三千万年。舞台は太陽系から離れて二百二十五光年の一惑星。新しく作られた超科学なミラクルボディーに生前の記憶を再生され、地球で言うところの中世後半くらいの王国で生きていくことになりました。  べつに、言ってはいけないこと、やってはいけないことは決まっていません。ドラゴンからは、好きに生きて良いよとお墨付き。実現するのは、はたは理想の社会かデストピアか?。  月島玲子、自重はしません!。…とは思いつつ、小市民な私では、そんな世界でも暮らしていく内に周囲にいろいろ絆されていくわけで。スーパー玲子の明日はどっちだ? カクヨムにて一週間ほど先行投稿しています。 書き溜めは100話越えてます…

俺の召喚獣だけレベルアップする

摂政
ファンタジー
【第10章、始動!!】ダンジョンが現れた、現代社会のお話 主人公の冴島渉は、友人の誘いに乗って、冒険者登録を行った しかし、彼が神から与えられたのは、一生レベルアップしない召喚獣を用いて戦う【召喚士】という力だった それでも、渉は召喚獣を使って、見事、ダンジョンのボスを撃破する そして、彼が得たのは----召喚獣をレベルアップさせる能力だった この世界で唯一、召喚獣をレベルアップさせられる渉 神から与えられた制約で、人間とパーティーを組めない彼は、誰にも知られることがないまま、どんどん強くなっていく…… ※召喚獣や魔物などについて、『おーぷん2ちゃんねる:にゅー速VIP』にて『おーぷん民でまじめにファンタジー世界を作ろう』で作られた世界観……というか、モンスターを一部使用して書きました!! 内容を纏めたwikiもありますので、お暇な時に一読していただければ更に楽しめるかもしれません? https://www65.atwiki.jp/opfan/pages/1.html

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

魔境暮らしの転生予言者 ~開発に携わったゲーム世界に転生した俺、前世の知識で災いを先読みしていたら「奇跡の予言者」として英雄扱いをうける~

鈴木竜一
ファンタジー
「前世の知識で楽しく暮らそう! ……えっ? 俺が予言者? 千里眼?」  未来を見通す千里眼を持つエルカ・マクフェイルはその能力を生かして国の発展のため、長きにわたり尽力してきた。その成果は人々に認められ、エルカは「奇跡の予言者」として絶大な支持を得ることになる。だが、ある日突然、エルカは聖女カタリナから神託により追放すると告げられてしまう。それは王家をこえるほどの支持を得始めたエルカの存在を危険視する王国側の陰謀であった。  国から追いだされたエルカだったが、その心は浮かれていた。実は彼の持つ予言の力の正体は前世の記憶であった。この世界の元ネタになっているゲームの開発メンバーだった頃の記憶がよみがえったことで、これから起こる出来事=イベントが分かり、それによって生じる被害を最小限に抑える方法を伝えていたのである。  追放先である魔境には強大なモンスターも生息しているが、同時にとんでもないお宝アイテムが眠っている場所でもあった。それを知るエルカはアイテムを回収しつつ、知性のあるモンスターたちと友好関係を築いてのんびりとした生活を送ろうと思っていたのだが、なんと彼の追放を受け入れられない王国の有力者たちが続々と魔境へとやってきて――果たして、エルカは自身が望むようなのんびりスローライフを送れるのか!?

処理中です...