上 下
3 / 58
一回目

3.人身御供

しおりを挟む

 リリミアは王城に手紙を出した。
 忙しい事は分かってはいるが、一番の友人に聞いてほしかった。

 それは王太子妃ヴィアレット。

 メイの事で二人で相談し、慰め合ううちにいつしか意気投合し今では無二の親友となったのだ。

 数日後、ヴィアレットとの面会叶いリリミアは登城した。

「よく来たわね」
「お忙しい中お時間を作って頂きありがとうございます」
「堅苦しい挨拶はいいわ。私と貴女の仲だもの」

 王太子妃となっても、学園にいた頃から変わらない柔らかな笑みを浮かべるヴィアレットに、リリミアもつられて柔らかな笑みを浮かべた。

「それで、相談というのは?」

 リリミアは何から話せば良いのか躊躇い、顔を俯けた。
 夫に隠し子がいた事、離れに愛人とその子を住まわせる事、娘を差し置いて隠し子を後継ぎに据えようとしている事。
 社交界で醜聞になる話題だからおいそれとは口にできない。

 これが罷り通るなら国が荒れるのは必定。
 正妻の権利すら脅かされるものだ。
 そう思い、リリミアはヴィアレットに向き直った。

「メイ・クイン男爵令嬢を覚えてる?」

 その名前にヴィアレットはピクリと反応し、持っていたカップを微かに揺らした。

「……ええ。忘れたくても忘れられない、忌々しい名前だわ」

 カップをソーサーに戻し、ヴィアレットは口にするのもおぞましいと言わんばかりに顔をしかめた。
 今更聞きたくもない名前が出た事に気楽な話では無いと察し、ヴィアレットは使用人を下がらせた。

「彼女が今公爵邸の離れにいるわ」

 リリミアの言葉にヴィアレットは目を見開き、みるみるうちに眉を釣り上げた。

「どういう事よ……。彼女は……国外に、行ったと……!!」

 王太子ランスロットとヴィアレットは政略結婚だ。
 だがヴィアレットはランスロットを愛していた。
 だから学園に通っていた時、ランスロットがメイを侍らせている事にずっと心を痛めていたのだ。

 婚約を解消し、メイをランスロットの妃にした方が良いと身を引こうとした事もある。
 だがその度に仲が良かった頃の思い出に縋り、またランスロットも謝罪し甘く囁き続けた為最終的に結婚に頷いたのだ。

「メイは二人の子息を婚約破棄に追い込んでしまったからね。反省の意味も込めて国外追放刑が下されたよ。
 もうきみを煩わせるものは何も無い」

 ランスロットはそう言ってヴィアレットを抱き締めた。
 彼女はそれを信じていたのだ。

 結婚してからというもの、ランスロットとの仲は良好で、三人の子にも恵まれている。
 リリミアから見ても二人の仲は愛し合う夫婦そのものだと思っていた。
 友人としても、臣下としても、尊敬していた。

「それでね、レット。……言いにくいのだけれど、王太子殿下が……先日うちにいらっしゃったわ。勿論、離れにね……」
「……そん、な……」

 最近ランスロットがカリバー公爵家に泊まった日があった事をヴィアレットはすぐに思い至った。
 そこに憎き相手がいる事を思えば何をするかなど容易に想像できる。
 ヴィアレットは思わずハンカチを取り出し口元を覆った。

「……ずっと、騙されていたのね……」

 悲痛に歪められた顔に、リリミアは目を伏せ少し温くなったお茶を口に含んだ。

「それでね、……夫とメイ・クインの間には子どもまでいたの。
 結婚前にできた子どもよ。夫はその子を後継にすると言っているわ」
「……まさか!? 正気なの?」
「正気ではないのかもしれないわ。
 でも、それを唆したのは王太子殿下なのよ」

 ヴィアレットの瞳が驚愕で見開いていく。
 婚外子を後継にする。
 正妻の権利を無視した考えが公になれば、どれだけ社交界から反発があるか分からない。
 それを先導するのが王家など、あってはならない問題だ。

「……何を考えているのあの方は……」

 ヴィアレットは思わず頭を抱え、溜息を吐いた。

「レット、私は夫と離縁したいと考えているわ」

 リリミアの言葉にヴィアレットは顔を上げた。
 その瞳には決意が宿る。

「マキナは……どうするの……」

 その言葉にリリミアは悲しげに微笑んだ。

「……私が隠し子の存在を知る前に、マキナはその子の事を知っていたの。
 今では兄と慕って離れに入り浸っているわ」

 ヴィアレットは言葉を失った。
 その言葉だけでリリミアが夫に裏切られただけでなく、娘すらも奪われてしまった絶望に晒されているのが分かったからだ。

「あの子に弟妹を作ってあげられなかった。
 でも、可愛がってくれる兄ができたのよ。
 無邪気に兄と呼んで……とても慕っているわ」

 夫が愛人に夢中になり、娘だけはリリミアの味方でいるはずだったがそれすら奪われて。

「だから、離縁できたらあの子は置いていくつもりよ」

 その決断が母としてどれだけ辛いかヴィアレットは自分の事のように苦しくなった。

 そして――離縁できるリリミアが羨ましかった。

 王太子の離縁は認められていない。
 夫が嘘を吐き現在も裏切っていようが、ランスロットとヴィアレットは離縁できない。
 王太子でなければ話は別だが。

 今まで良き夫で、三人の父で、愛する男が、裏では自分を裏切りかつて自分を惨めな気持ちにさせた女性と共に過ごしていると知っても。

 だから、離縁したいと望み、おそらくそのとおりになるだろう彼女が妬ましかった。

 けれど、我が子を手放す事は同じ女性として、母として、辛い事が痛い程理解できる。
 それ程まで苦しんでいるのだと思えば、自分が離縁できない事などちっぽけに思えた。

 ヴィアレットには子どもたちがいる。
 例え夫の愛が他に向いても、彼女を母と慕う子どもたちがいるのだ。

「王太子殿下と話してみるわ。社交界への影響も含めて。
 どれだけ愚かしい事をしようとしているのか、説得してみる」
「レット……。ありがとう……」


 けれど、ヴィアレットの説得は何の役にも立たなかった。
 メイの事を責め立てればランスロットは開き直り、メイを庇ったのだ。

「彼女はかわいそうな身なんだ。きみは恵まれているから分からないだろうが、このまま日陰の身で良いわけがない」
「だから彼女がそれを望んだのでしょう?
 何故貴方が庇う必要があるの?」
「メイは慎ましいだけなんだ。何も贅沢を望むわけではない」
「人の家庭を壊しかけておいて何が慎ましいと言うの」
「公爵家がどうにかなったわけじゃないだろう?」
「リリミアは離縁したいそうよ」

 そこまで言うとランスロットは眉間にシワを寄せた。

「……王太子の側近の夫人が愛人がいるくらいで離縁したいなんて外聞が悪い。
 離縁は認められないだろう」
「そんな……」

 ヴィアレットは絶句した。
 側近の家庭に介入し、外聞が悪いというだけで離縁を認めないと言う王太子に失望した。

「リリミアの気持ちは誰が汲むと言うの……」
「マクルドも正妻はリリミア夫人しかいないと言っている。俺だってそうだ。
 王妃になるのはきみしかいないと思っているから結婚したんだ」

 そうして抱き締められ、口付けられる。
 ヴィアレットは疑問に思いながらもそれを受け入れた。

 結局未だにメイと繋がっていることへの謝罪も無く、裏切っている事への説明もただ「彼女がかわいそうだから」というだけで終わった。

 けれど、夫が頻繁に公爵邸へ行き、帰城が深夜になる事が増えた。

 それがヴィアレットの心を疲弊させていく。

「ねえ、ちゃんとメイを貴方の夫に捕まえさせておいてよ……」

 リリミアに放った一言がどれだけ彼女の心を抉ったのかも、自分で気付かないくらいにヴィアレットもまた、追い詰められていったのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

(完結)婚約破棄から始まる真実の愛

青空一夏
恋愛
 私は、幼い頃からの婚約者の公爵様から、『つまらない女性なのは罪だ。妹のアリッサ王女と婚約する』と言われた。私は、そんなにつまらない人間なのだろうか?お父様もお母様も、砂糖菓子のようなかわいい雰囲気のアリッサだけをかわいがる。  女王であったお婆さまのお気に入りだった私は、一年前にお婆さまが亡くなってから虐げられる日々をおくっていた。婚約者を奪われ、妹の代わりに隣国の老王に嫁がされる私はどうなってしまうの?  美しく聡明な王女が、両親や妹に酷い仕打ちを受けながらも、結局は一番幸せになっているという内容になる(予定です)

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

魔法のせいだから許して?

ましろ
恋愛
リーゼロッテの婚約者であるジークハルト王子の突然の心変わり。嫌悪を顕にした眼差し、口を開けば暴言、身に覚えの無い出来事までリーゼのせいにされる。リーゼは学園で孤立し、ジークハルトは美しい女性の手を取り愛おしそうに見つめながら愛を囁く。 どうしてこんなことに?それでもきっと今だけ……そう、自分に言い聞かせて耐えた。でも、そろそろ一年。もう終わらせたい、そう思っていたある日、リーゼは殿下に罵倒され頬を張られ怪我をした。 ──もう無理。王妃様に頼み、なんとか婚約解消することができた。 しかしその後、彼の心変わりは魅了魔法のせいだと分かり…… 魔法のせいなら許せる? 基本ご都合主義。ゆるゆる設定です。

【完結】竜人が番と出会ったのに、誰も幸せにならなかった

凛蓮月
恋愛
【感想をお寄せ頂きありがとうございました(*^^*)】  竜人のスオウと、酒場の看板娘のリーゼは仲睦まじい恋人同士だった。  竜人には一生かけて出会えるか分からないとされる番がいるが、二人は番では無かった。  だがそんな事関係無いくらいに誰から見ても愛し合う二人だったのだ。 ──ある日、スオウに番が現れるまでは。 全8話。 ※他サイトで同時公開しています。 ※カクヨム版より若干加筆修正し、ラストを変更しています。

だから言ったでしょう?

わらびもち
恋愛
ロザリンドの夫は職場で若い女性から手製の菓子を貰っている。 その行為がどれだけ妻を傷つけるのか、そしてどれだけ危険なのかを理解しない夫。 ロザリンドはそんな夫に失望したーーー。

魅了から覚めた王太子は婚約者に婚約破棄を突きつける

基本二度寝
恋愛
聖女の力を体現させた男爵令嬢は、国への報告のため、教会の神官と共に王太子殿下と面会した。 「王太子殿下。お初にお目にかかります」 聖女の肩書を得た男爵令嬢には、対面した王太子が魅了魔法にかかっていることを瞬時に見抜いた。 「魅了だって?王族が…?ありえないよ」 男爵令嬢の言葉に取り合わない王太子の目を覚まさせようと、聖魔法で魅了魔法の解術を試みた。 聖女の魔法は正しく行使され、王太子の顔はみるみる怒りの様相に変わっていく。 王太子は婚約者の公爵令嬢を愛していた。 その愛情が、波々注いだカップをひっくり返したように急に空っぽになった。 いや、愛情が消えたというよりも、憎悪が生まれた。 「あの女…っ王族に魅了魔法を!」 「魅了は解けましたか?」 「ああ。感謝する」 王太子はすぐに行動にうつした。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

処理中です...