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28.目を逸らし続けていた事
しおりを挟むルーチェが眠ると言うので、シュトラールは部屋を追い出された。
看護しようとしてもそばにいたシアンがそれを許さない。二人の間に流れる誰も寄せ付けない空気は短い間でも信頼関係を確立し互いに寄り添っているのが垣間見える。
何よりもルーチェが月のものの時は気を遣いたくないとシュトラールを拒絶したのに、シアンには安心したように微笑み甘えている姿を見るだけで胸やけがして苦しくなる。
追い出された為それ以上親密な仲を見せつけられないのはいいが、脳裏に焼き付いて離れず苦しさは増すばかり。
気持ちを落ち着けようとフラフラ歩き、執務室に設置されたソファに座り込んでからは身体が鉛のように動かず頭を抱えて天を仰いだ。
今までの事が走馬灯のように駆け巡りシュトラールに苦い気持ちを植え付けていく。
やらなくてはならない事は沢山あるのに、指一本動かす事も億劫でもう何もかもどうでも良かった。
しばらくそうして呆然としていると、扉の向こうの騒がしさに気付く。だがシュトラールは微動だにせずただそこにいるだけだった。
「だらしのないこと。成婚一年の最終確認に来たのだけれど、貴方じゃ話にならなそうね」
「母上……」
入室して来たのは王妃だった。
シュトラールの向かいに座り息子の様子を見て盛大な溜息を吐いた。
「貴方とルーチェの成婚一年、ルーチェの懐妊。そして愛妾のお披露目もそこに加わるのかしら」
王妃の言葉にシュトラールの肩が少し跳ねた。
もう既に情報が回っているのかと出そうになった溜息を噛み殺す。
「成婚三年経過しないうちに愛妾を迎えるなど、妃にとっての屈辱をルーチェは受け入れたのね。……本当、あの子は自分の幸せばかり犠牲にして……」
王妃は息子を見ながら悔しさを滲ませた。妃教育の最初の導入と最後の仕上げは王妃の直伝だ。
王子の伝統を教え込み王族に嫁ぐ覚悟を決めさせ、更には相談相手になる為。
王妃は自分の娘のようにルーチェに接していた。
息子は父親のようにならないでほしいと願っていたが、それは無残にも打ち砕かれた。
「お言葉ですが母上。私だって今屈辱を味わっています。ルーチェは愛人を連れ込んでいたのですよ。ただの護衛ではなかった。倒れて寝ている今も奴はそばにいる。ああ、腹の子も私の子では無いかもしれないから懐妊の祝は」
そこまで言ったところでシュトラールは胸ぐらを掴まれ立ち上がるかたちになる。見えたのは長年仕えてきた従者トラウだ。
主にあるまじき行為だが、王妃はそれを止めなかった。トラウがしなくても、王妃がしていただろうから。
「あんた、自分が何を言ってるか分かってます? 昨夜散々精を出し尽くして頭ん中の脳みそまでカラッポにしてきたんですか?
妃殿下がそばに男を置くのはあんたも許可したでしょうが。ああ、覚えてないのも無理はないですね。愛妾にかまけてどうでもいいと適当にサインしていましたからねぇ!」
「離せトラウ。不敬だぞ。それに私はそんなもの許可していない」
「いいや、あんたは確かにサインした。『ルーチェに男がいようが関係ない。好きにすればいい』と言って」
王族に嫁ぐ者が愛人を連れて来る契約を勝手にするはずがない。
それでも王妃とトラウの様子を見るだけでシュトラールはそれが真実であると悟ってしまった。
今、ルーチェのそばに男がいるのは自分の行動が招いた事だと知り、トラウに抵抗しようとする力を抜いてだらんと下げた。
「なん……で……」
「シュトラール。全ては原因があって結果があるのです。ルーチェは貴方に蔑ろにされそれでも貴方の立場を守る為に結婚する事を選びました。
男爵令嬢を王家に入れる為教育をした。
貴方が愛した女性を守る為に動いていた。
ではルーチェを守るのは誰? 貴方はルーチェを遠ざけた。その間に支えとなる人物がいないとあの子は倒れそうだったの」
王妃は我が子に近寄り、トラウの代わりに胸ぐらを掴み頬を張った。
初めて母から打たれ、呆然と床を見つめたまま動けない。
「貴方、ルーチェの子は貴方の子じゃないと宣ったわね。ふざけるのもいい加減にしなさい。
あの子は確かにシアンをそばに置いてるけど、これだけは言える。お腹の子は間違いなく貴方の子よ」
シュトラールも本当は分かっている。
ルーチェが夫より先に愛人の子を宿すような真似はしないと。
義務を果たす事を目標としていたルーチェは嫌がらずに共寝をしていた。
シュトラールが求めれば拒まなかったし、何より月のもの以外は毎日一緒に寝ていたのだ。
その間シアンはいなかったし、日中もシアン以外の誰かが常にルーチェのそばにいて二人きりになれるときは無かったはずだと分かっている。
それでもルーチェが自分以外をそばに置き信頼をし愛しているなど信じたくなかった。
「ルーチェは……私を愛していたはずだ……。だからいつかまた私を愛してくれると……」
「殿下、夢見るのは結構ですが女性は一度変わると再び愛するのは難しいと言われておりますよ」
トラウの言葉に苦虫を噛み潰したように俯き、直面したくない現実から目をそらす。
その様子を見ていた王妃はある予感がした。
「貴方……本当はルーチェを愛しているのね……」
哀れむような眼差しを息子に向けた王妃は大きな溜息を吐いた。
指摘されて、シュトラールは自嘲したように笑い、やるせなさから涙が溢れる。
「哀れだこと。今更気付いても遅いのよ。これから先ルーチェは貴方を愛さない。いえ、愛していても貴方に向かう事は無いわ」
「まだ分からないではないですか。私たちは結婚した。これから先何十年とそばにいるんですよ? 人の気持ちは変わる」
「いいえ、ルーチェが貴方を愛すれば愛するほど、その愛はシアンに行くわ」
母親が何を言っているのか理解ができず、シュトラールは苛立ちが募る。ソファに座り直し足を組んだ。
「意味が分からない。母上、何を言っているのですか」
「……ルーチェが七日間程眠っていたのを覚えている?」
シュトラールは頷いた。それをきっかけにリリィと離れる決心をし、ルーチェと向き合う事を決めたからだ。
「その時ルーチェは魔女の試練を受けていたそうよ。どんな試練だったかは言わなかったけれど、その試練を乗り越えたからルーチェの気持ちは……目覚めたときに一番に見た人に貴方への恋心が向くようになった、と聞いたわ」
にわかには信じ難い言葉に何度も頭を振る。
この国では魔法薬は身近だが、魔法を使えるのは一部の魔力を宿す者のみ。魔女などはおとぎ話の世界である。
「そんなバカな話が……あるものか……」
「そんなバカな話を現実にしないとやっていけなかったんでしょうね」
王妃は溜息を吐き、目を閉じた。
「シュトラール、もう貴方は愛妾を迎え入れた。リリィさんでもいいのでしょう? 元々城に連れ込む程だったのだし。ならばルーチェとは義務的に接してリリィさんを求めなさい」
ルーチェに拒絶され、母親にも諭され、駄々を捏ねる暇もなくシュトラールは項垂れる。
もうリリィを、ルーチェより愛せるはずも無いと分かっているからこそ渇望しているというのに。
誰からも愛されなくても、ルーチェさえいれば満たされるのに。
それさえ許されないのか、とシュトラールの苦しみは増すばかり。
誰かを頼りたくて、誰かに縋りたくて、フラフラしながら立ち上がる。
トラウがそれを止めようとするが王妃は頭を振って制止した。
泣きながら向かった先はつい数時間前までいた場所。
そこにいる人物なら、ルーチェの代わりになれるかもしれないと思ったからだった。
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