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22.守るべきもの
しおりを挟む今日から十日間程、シアンは非番の日である。
侯爵家へ嫁いだ姉が中々会えない彼を呼びつけたので実家に帰省する為だ。
「お嬢様、行って参ります」
「ええ、気を付けて」
丁寧に一礼し、王太子妃の部屋をあとにする。
扉の向こうにその姿が見えなくなるとぽっかりと穴が空いたような気がした。
いつも扉の内側に立ち執務中でも顔を上げれば目が合い微笑み返していたシアンがいないことは、つい癖で顔を上げた瞬間落胆すると共に実感が湧いてしまう。
「いやだわ、依存しているのかしら」
ふう、と息を吐いて書類を揃えてトントンとすると、扉を叩く音がした。
侍女が応対するが困惑したような表情を浮かべている。
「どうしたの?」
「あの……第二王子殿下がお尋ねされています」
珍しい訪問客にルーチェは怪訝な表情になった。
第二王子は第一側室の子でシュトラールの異母弟にあたる。
基本的に国王の側室たちとの交流は必要時を覗いてほぼ無いと言っていいだろう。
事実結婚式のときに遠目から見ただけで、顔合わせ以来の事だ。
王妃が気遣っているのか、シュトラールが手を回しているのか同じ王城内にいても会うことは無かった。
だがいずれにせよ、継承権を保持する者として油断できない相手である。
「断る事はできないでしょうね。お通しして。あとメイドに言ってお茶の準備を」
「かしこまりました」
侍女に指示すると書類を置き立ち上がる。
扉の方を見れば第二王子が一礼して室内に入って来るところだった。
「突然お邪魔してすみません。私は第一側室が子、ハルトと申します」
「ようこそいらっしゃいました、ハルト殿下。どうぞこちらへお掛けください」
ルーチェに促されて腰掛けると、ハルトは姿勢を正してルーチェに向き合った。
「懐妊されたと聞きました。この度はおめでとうございます」
「ありがとうございます。今はもう安定時期に入りまして、時折胎動も感じているのですよ」
「もうそんなになるのですね。……でもお披露目会があるからそうか」
第二王子に情報が全く届いていないのもおかしな話だ。
表面上は継承権争いなど無さそうだが、とルーチェは不思議に思った。
「そんな顔をなさらないで下さい。兄上は独占欲が強い方です。一時期は恋人を一日中自室に囲っておりましたし……と」
思わず口を滑らせたと、ハルトは自身の口元を押さえた。わざとらしさが鼻につき、ルーチェの表情は無になった。
「ご用件は何でしょうか」
ピリピリとした空気が漂い、ハルトは息を呑んだ。
「申し訳ございません。義姉上殿に懐妊の祝いを届けに来ただけなのです」
「お気持ちだけいただいておきます」
「どうかそう仰らずに……」
「どうしてもと言うのであれば、殿下にして差し上げて下さい。異母弟からの祝いを断る程冷血漢でもないでしょうし」
ルーチェは侍女に目配せをすると、心得たとばかりに扉が開く。そこへお茶を持って来たメイドが戸惑ったように中を見るが、ルーチェの「お客様はお帰りよ」という声に呆然とし、侍女に言われて廊下の端にワゴンを寄せた。
「失言をお許しください。申し訳ございません。無事に出産できるよう祈念いたします」
ハルトは立ち上がり一礼して踵を返す。
その後ろ姿をルーチェは硬い表情のまま見送った。
今更過去を知る人に突き付けられるとは思わなかった。
シュトラールがリリィを四六時中囲っていたなど身を持って体験したのだから知っている。
だと言うのに手が震えてしまうのは侮辱された怒りからだろうか。
シアンのいないときに揺さぶられ動揺するなど、と己に怒りも湧いてくる。
ゆっくりと深呼吸をし、気持ちを落ち着けていると慌てた様子のシュトラールが入って来た。
「ルーチェ! ハルトが来たと聞いた。大丈夫か?」
その姿を見た瞬間、なぜここに来たのかという気持ちと、ホッとしたような気持ちとが同時に湧き混乱した。
「大丈夫です、殿下。……どうしてここに」
「執務の合間にルーチェと休憩しようと思って来たんだ。そしたらハルトがここにいると聞いて慌てて来た」
「そんなに慌てなくてもよろしいのに……」
「側室の子らは基本的に離宮に住まうから、本宮には立ち入らないよう言われている。入れたとしても王家の夜会や会議くらいだ」
「会議で来られたのならそのついででは?」
ルーチェの言葉にシュトラールは首を横に振った。
「今日会議は無い。ハルトがどのようにして入って来たのか……。……ルーチェが無事でよかった」
ホッとしたような表情を見せ、シュトラールはルーチェの隣に座った。
未だ微かに震える手を取り包み込むようにして温かさを伝える。
思わず手を引こうとして、けれどもそれは叶わなかった。シュトラールの力が増したのだ。
「ルーチェ、私の事は嫌いでもいい。だがお腹の子は私の子でもある。だから二人を守らせてほしい」
シアンのいない時に限ってこういう事態になるのだから気持ちに揺れが生じてしまう。
だが、その揺れの原因はシュトラールだ。
シュトラールが婚前にリリィを囲わなければハルトの言葉にも動じなかっただろう。そう思えば揺らいだ気持ちがスッと冷めていった。
「ハルト殿下は貴方がリリィ様を囲っているのをご存知でした。それを盾に貴方の地位を脅かそうとするなら、責任を取らなければならないのでは?」
「なにを……」
お茶を運んで来たメイドが、開いた扉から中の様子を伺っているようだった。
心無しか怯えたような表情の彼女だが、久しぶりに会えた男に目が釘付けになっている。
「お入りなさい。リリィ・クロウゼン」
ルーチェの声が部屋の中で響く。
まさかの名前にシュトラールの目が見開かれる。
バッと後ろを振り返ると、すぐに見つけてしまった。
一歩一歩、震える足を前に出しながらリリィが室内に入る。
「失礼致します。……お呼びでしょうか、王太子妃殿下」
冷えた指先をどうにか動かして、ぎこちなくもリリィはお辞儀をした。
シュトラールはそれが衝撃的で思わず息を飲み込む。
以前ならばそんなことはしなかった。
言葉遣いも語尾を伸ばし、目が覚めてからはだらしない印象しかなかった。
だが今は歩き方、丁寧な言葉遣い。
それができれば側室になれるのに、と諦めたリリィの姿がそこにあった。
――忘れたはずの気持ちが蘇る。
「……リ……」
手を伸ばそうとして、シュトラールは止まった。
同時に隣にいた妻を見て顔色を失う。
今にも泣き出しそうな、諦めたような、全てを悟ったルーチェがそこにいた。
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