15 / 44
本編
カトリーナの変化
しおりを挟む「おはようございます」
朝食の席に着いたカトリーナは小さく挨拶の言葉を口にした。
「おはよう。今日も美しいな」
「!?」
いきなりのディートリヒの言葉に思わず身構えた。
朝晩否が応でも顔を合わせていればそれなりに慣れてくる。
だが、『美しいな』と言われたのは記憶が戻ってから初めてだった。
ディートリヒも、自分の発言にハッとして口元を押さえた。
「……すまない、びっくりさせたか。以前は普通に言ってたからつい」
「いえ……」
『以前は』というのが、カトリーナに引っ掛かった。
記憶喪失の間、ディートリヒは毎日カトリーナに愛を囁いていたとは侍女の談である。
話を聞く度『それは本当に自分だろうか』というくらい別人だった。
「旦那様は奥様を片時もお離しになりませんでした」
「蕩けるような笑顔を毎日お見せになっていましたよ」
奥方付きの侍女二人は戸惑いながらも聞かれた事に答える。
「……そ、そう」
世話をされている時に聞いた話はカトリーナにとって寝耳に水ではあったが、少なくとも王太子から受けた屈辱よりマシであった。
嬉しいやら恥ずかしいやらで居た堪れないカトリーナは、きっとその『カトリーナ』は、別の世界からやって来たのだろう、などと明後日の方向に推測した。
引っ掛かりがあるとすれば、初夜の事を覚えていないとか、閨事がすぽんと抜けている事だろうか。
記憶が無い間にお腹が膨れてないだけ良かったのかもしれないが、結婚して大事な儀式を覚えていないのは少し腹が立った。
だが、記憶が無い時のカトリーナをディートリヒは愛していた。
記憶喪失の間は誰も見下さず、癇癪を起こさず、夫と微笑み合うカトリーナ。
──記憶が無い時は、優しく、穏やかで慎ましいカトリーナだからこそ。
今の自分とは正反対の自分だったから、ディートリヒは愛してくれていたのではないかと思うとつきりと胸が痛んだ。
だが、記憶が戻ったカトリーナは以前のような高慢な女性。
特に記憶が戻った直後は現実を直視できず仕えてくれていた侍女にひどく八つ当たりしてしまった。
物を投げてしまった事もある。
そんな女を、愛するなどしないだろう。
自己嫌悪に陥るが、やってしまった事実は変わらない。だから家族や友人から見離されたのだろう。その為仕方なく置いてやってるだけだと認識している。
だから、ディートリヒは愛を囁かなくなったのではないか。
そう思うと少し寂しくなった。
自身が今までディートリヒにしてきた事を思えば仕方無いと思う。
だから顔を合わせるのも気まずかった。
それに義務として接してこられると思えば虚しかった。
ちらりと夫の顔を見てみる。
目が合って、微笑まれた。
(べ、別に、寂しいとか、虚しいとか、じゃないはずよ)
カトリーナは慌ててばっと目を逸らした。
だがそれからもちらちらと見ていた。
カトリーナからの何かを言いたげな視線に面映ゆい気持ちになったのは、ディートリヒだけでなく食堂にいる使用人もだった。
この頃には、屋敷の使用人たちも、記憶が戻ってからのカトリーナは、確かに記憶喪失の時と比べると棘はあるが、それは不器用さからくるものだと気付いていた。
それはひとえにディートリヒからの訴えがあったからだ。
貴族令嬢として、王太子の婚約者として今まで妬まれ、蔑まれ、心無い言葉を浴びせられてきた。
常に笑顔で淑女の手本として自分の気持ちを飲み込み、本音を隠さなければならなかった。
弱音を吐く事すら許されない環境だった。
早くに王命により婚約が決まったカトリーナは、誰かからの優しさが届くより心無い言葉が届く方が多かった。
本来ならカトリーナを守る筈の王太子も、他の女性を守りカトリーナを非難した。
父親であるオールディス公爵は国王の側近で宰相という立場ゆえほとんど不在でカトリーナに構ってやれなかった。
針のむしろ状態の彼女は、次第に心を守る為攻撃的になっていった。
『心無い言葉を浴びせられてきた』ディートリヒが、『心無い言葉を浴びせられている』カトリーナに惹かれたのは仲間意識からだったが、次第にそれでも懸命に真っ直ぐ立ち、自身の責務を全うしようとする彼女の為になりたいと思うようになったのだ。
『カトリーナが王太子妃に、いずれ王妃になるならばこの剣は彼女に』
それはディートリヒの本心からだった。
婚姻前から例え嫌われていても、自分だけは彼女の味方であろうという気持ちは変わらない。
記憶を失くす前も、戻ってからも、ディートリヒの気持ちは変わっていないのだ。
だから、使用人たちにもお願いをしていた。
『今は記憶が戻ってから混乱しているのもあると思う。だが彼女の目を見れば本音が分かるから、どうか察してやってほしい』
実際、カトリーナの態度や瞳は、口から出る言葉より本心を物語っていた。
例えるなら手負いの猫のようだというのが使用人たちの認識だ。
屋敷内のほぼ全員がカトリーナより年上の者。
全員一丸となってカトリーナを見守ろうと決めてからは、真心込めて接していた。
ディートリヒの気持ちは、使用人全員が知るところである。
隠す気があるのか無いのか、ディートリヒのカトリーナに対する態度は好意に溢れていた。
また以前のように仲良しになってほしいというのが使用人共通の悲願である。
勿論言わずもがな、ディートリヒも。
だから、カトリーナの小さな変化を。
挨拶する度、ディートリヒから微笑まれる度。
カトリーナが気まずそうに、でも嬉しそうにはにかむのを見逃さなかった。
必死に取り繕ってはいるが、少しずつ、少しずつ。
ディートリヒに対する態度が変わっている事が、彼らにとっては嬉しかったのだ。
69
お気に入りに追加
3,545
あなたにおすすめの小説
恋した殿下、あなたに捨てられることにします〜魔力を失ったのに、なかなか婚約解消にいきません〜
百門一新
恋愛
魔力量、国内第二位で王子様の婚約者になった私。けれど、恋をしたその人は、魔法を使う才能もなく幼い頃に大怪我をした私を認めておらず、――そして結婚できる年齢になった私を、運命はあざ笑うかのように、彼に相応しい可愛い伯爵令嬢を寄こした。想うことにも疲れ果てた私は、彼への想いを捨て、彼のいない国に嫁ぐべく。だから、この魔力を捨てます――。
※「小説家になろう」、「カクヨム」でも掲載
【完】前世で子供が産めなくて悲惨な末路を送ったので、今世では婚約破棄しようとしたら何故か身ごもりました
112
恋愛
前世でマリアは、一人ひっそりと悲惨な最期を迎えた。
なので今度は生き延びるために、婚約破棄を突きつけた。しかし相手のカイルに猛反対され、無理やり床を共にすることに。
前世で子供が出来なかったから、今度も出来ないだろうと思っていたら何故か懐妊し─
【完結】記憶を失くした貴方には、わたし達家族は要らないようです
たろ
恋愛
騎士であった夫が突然川に落ちて死んだと聞かされたラフェ。
お腹には赤ちゃんがいることが分かったばかりなのに。
これからどうやって暮らしていけばいいのか……
子供と二人で何とか頑張って暮らし始めたのに……
そして………
花嫁は忘れたい
基本二度寝
恋愛
術師のもとに訪れたレイアは愛する人を忘れたいと願った。
結婚を控えた身。
だから、結婚式までに愛した相手を忘れたいのだ。
政略結婚なので夫となる人に愛情はない。
結婚後に愛人を家に入れるといった男に愛情が湧こうはずがない。
絶望しか見えない結婚生活だ。
愛した男を思えば逃げ出したくなる。
だから、家のために嫁ぐレイアに希望はいらない。
愛した彼を忘れさせてほしい。
レイアはそう願った。
完結済。
番外アップ済。
あなたの事は記憶に御座いません
cyaru
恋愛
この婚約に意味ってあるんだろうか。
ロペ公爵家のグラシアナはいつも考えていた。
婚約者の王太子クリスティアンは幼馴染のオルタ侯爵家の令嬢イメルダを側に侍らせどちらが婚約者なのかよく判らない状況。
そんなある日、グラシアナはイメルダのちょっとした悪戯で負傷してしまう。
グラシアナは「このチャンス!貰った!」と・・・記憶喪失を装い逃げ切りを図る事にした。
のだが…王太子クリスティアンの様子がおかしい。
目覚め、記憶がないグラシアナに「こうなったのも全て私の責任だ。君の生涯、どんな時も私が隣で君を支え、いかなる声にも盾になると誓う」なんて言い出す。
そりゃ、元をただせば貴方がちゃんとしないからですけどね??
記憶喪失を貫き、距離を取って逃げ切りを図ろうとするのだが何故かクリスティアンが今までに見せた事のない態度で纏わりついてくるのだった・・・。
★↑例の如く恐ろしく省略してます。
★ニャンの日present♡ 5月18日投稿開始、完結は5月22日22時22分
★今回久しぶりの5日間という長丁場の為、ご理解お願いします(なんの?)
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません。
決めたのはあなたでしょう?
みおな
恋愛
ずっと好きだった人がいた。
だけど、その人は私の気持ちに応えてくれなかった。
どれだけ求めても手に入らないなら、とやっと全てを捨てる決心がつきました。
なのに、今さら好きなのは私だと?
捨てたのはあなたでしょう。
愛されない花嫁はいなくなりました。
豆狸
恋愛
私には以前の記憶がありません。
侍女のジータと川遊びに行ったとき、はしゃぎ過ぎて船から落ちてしまい、水に流されているうちに岩で頭を打って記憶を失ってしまったのです。
……間抜け過ぎて自分が恥ずかしいです。
身分を捨てて楽になりたい!婚約者はお譲りしますわね。
さこの
恋愛
ライアン王子には婚約者がいる。
侯爵家の長女ヴィクトリアと言った。
しかしお忍びで街に出て平民の女性ベラと出あってしまった。
ベラと結婚すると国民から人気になるだろう。シンデレラストーリだ。
しかしライアンの婚約者は侯爵令嬢ヴィクトリア。この国で5本指に入るほどの名家だ。まずはヴィクトリアと結婚した後、ベラと籍を入れれば問題はない。
そして結婚式当日、侯爵家の令嬢ヴィクトリアが来るはずだった結婚式に現れたのは……
緩い設定です。
HOTランキング入り致しました.ᐟ.ᐟ
ありがとうございます( .ˬ.)"2021/12/01
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる