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第一部〜ランゲ伯爵家〜

【閑話・ある二人の悲恋】

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 アンネリーゼ・リーデルシュタイン。
 テレーゼの兄であるルトガー・リーデルシュタインの妻だった女性。

 べレント伯爵家の令嬢であり、おとなしい性格の彼女とルトガーは、政略結婚で結ばれた。

 アンネリーゼにとっては望まぬ婚姻だった。

 なぜなら、彼女はかつての護衛騎士アーベル・トラウトと恋仲だったからである。


 騎士の資格を取りはしたが、王都騎士団に入団できなかったアーベルは、べレント伯爵家の護衛騎士として入り、主の娘であるアンネリーゼに惚れられてしまった。

 だが、トラウト男爵家の四男であるアーベルとアンネリーゼの間には身分差があった。

 最初こそ身分差を理由に断っていたが、アンネリーゼの度重なるアプローチに遂に陥落し、密かに愛を育んでいたのだ。

 だが、アーベルとてまさか結ばれるとは思っていない。
 いずれはしっかりした身分の男と結婚するだろうと一線を引いて接していた。

 しかしアンネリーゼの純真さ、屈託なさに徐々に惹かれ、身を切るような想いを抱きながら束の間の幸せを享受していたのだ。

 そして遂に、アンネリーゼに婚約の話が持ち上がる。

「アーベル、お願い……あなた以外と結婚するなんて嫌です……」

 泣きながら懇願され、二人が取った行動は──

 駆け落ちする事だった。



 宵闇の中森を抜け、どこへとも無く走る。
 愛する女性の手を引き、アーベルは恋を守るべく無心でひた走った。
 だがアンネリーゼは貴族令嬢。
 普段から鍛えているアーベルとは体力差もあり徐々に速度を落としてしまう。

「も……無理です……走れません……」

「お嬢様、それでは追手が来てしまいます。もう少し行けば洞穴がありますのでそこまでは…」

「…ええ、ごめんなさい」

 震える肩で息をするアンネリーゼを、アーベルは横抱きにして駆け出す。


 やがて、体力尽きた二人は追手に追いつかれてしまった。

「トラウト卿、馬鹿な真似したな。お嬢様をこちらへ渡せ。そうすれば旦那様はお前を責めないと仰っている」

「誰が渡すか!渡せばお嬢様は好きでもない男と結婚させられるんだろう!?
 幸せになれない結婚なんかさせられない!」

「お前に着いて行っても常に逃げ回る人生になるだろう!?
 それこそ不幸になるだけではないか!!」

「私はっ……!アーベルを愛しているの!
 だからどんなに不幸でも、彼と一緒がいい……。
 お願い、このまま見逃して……」

「お嬢様……」

 おとなしかったお嬢様が出した初めての大きな声。
 心からの悲鳴に追手は怯んだ。

 だが、追手は彼だけではない。
 幾人かに追い付かれ、とうとう二人は囲まれてしまった。

 アンネリーゼを背中に庇いながら、アーベルは追手と対峙した。
 剣戟は激しさを増していく。
 かつての仲間を切り捨ててでも、貫きたいものを守るために、アーベルは力を振り絞った。

「やめて……」

 傷付きながらも己との恋を守るために戦うアーベルを間近で見ていたアンネリーゼは、震え冷たくなった手で顔を覆う。

 自分の浅はかな行動が、愛する男を傷付ける。
 彼女は耐えられず、じりじりと後ずさった。

「あっ…」

 足を踏み外したアンネリーゼは、ゆっくりと身体が傾いていく。

「リーゼッ!!」

 振り返ったアーベルは、すぐさま伸ばされた彼女の手を掴んだ。と同時に背中を斬られる。

「ぐあっ!」

 痛みを耐えながら、アーベルはアンネリーゼと己の身体の位置を入れ替えた。

「アーベル!!」

 空に投げ出されたアーベルの身体。

 奇しくもその下は流れの早い川だった。


 何かが打ち付けられたような、響く水音。

「アー……ベル……そん、な…どう……して」

 アーベルが投げ出された方へ、アンネリーゼは身を乗り出すが追手に静止された。

「お嬢様、危険です!」

「だって、アーベル、アーベルがっ!!」

「……下の川の流れは早い。おそらくは……」

 言葉の先を理解して、アンネリーゼの顔は蒼白となった。

「違う……アーベルは生きてるわ……、お願い、彼を……アーベルを、探して…」

 アンネリーゼのか細い懇願に、誰も頷きはしなかった。
 彼らは雇い主に頼まれてお嬢様を助けに来た者達だ。
 雇い主からすればアーベルはお嬢様を拐った罪人。罪人を助ける選択肢は、彼らには無かった。

 誰も動かず、かと言って自身も行けず、アンネリーゼは絶望の中帰宅した。

「お前には失望したよ」

 父の言葉が虚しく響く。


 こうして、アンネリーゼとアーベルの恋は、駆け落ちの失敗という無惨な結果に終わってしまった。



 その後自宅謹慎を言い渡されていたアンネリーゼは、父の決めた相手と結婚した。

 それがルトガー・リーデルシュタインだった。

 失意の中望まぬ婚姻をさせられ、毎日を無為に過ごしていたが、やがてルトガーの優しさに心を開きかけた時。


「ああ、アンネ、紹介しよう。私の部下であるアンリだ」

 そうして紹介されたのは、あの日川に落とされたはずの、アーベルだった。

「アン……リ…様とおっしゃるの……?」

、奥様。アンリと申します」

 どこからどう見てもアーベルなのに、目の前の男は初めましてと言いアンリと名乗る。

「アンリには記憶が無いんだ。一年前くらいに領地の端にある川に流れ着いてね。酷い傷だったんだ。
 身元は分からないが剣の腕が良くてね。辺境騎士団に引き入れたんだよ」


 夫が何を言っているのか、アンネリーゼにはその声がどこか遠くでぼんやりと響いた。
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