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怪我をした犬の獣人さんの手当てをしたら嫁フラグが立っていた。
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ここはニホンベサルチア連合国。
といっても昔ながらの日本である。
ある日、富士山の麓に空いた穴から異世界の住人が現れ、世界各地にも同様の穴が空いた事で国際問題に発展したが、首脳会議で当時の日本の首相からの、
『魔法で防御されたらおしまいですし戦争にもなりゃしませんよ。ミサイルとか魔物に効くかも分かりませんし、日本の象徴である富士山を焼け野原にする訳には行きません。
まあ害意もないそうなんで、ここは1つ穏便に』
というなあなあの決断が評価され、各地で連合国として異世界の住人との共存関係が築かれる事となる。
希望者には異世界の方に転居も認められたが、流石に仕事も地位も貯めていた金も全て捨てるのは簡単ではないようで、まだ移住者は少ない。
それから早3年。
ラノベが存在する国の日本人からしてみれば、獣人や魔物と呼ばれるファンタジーが現実になって大歓迎だった者も多く、「外国人はとりあえずもてなす精神」が根強い年配勢からも、「日本人じゃない人(魔物)」という事でざっくりと理解され、概ね共存関係はどの世界よりも早く構築されていた。
割と大雑把なゆるい国民性であるとも言える。
だがベサルチアの人種(特に男性)は、一途で思い込みや独占欲が強く、思い込んだら命がけのストーカー気質な人種が多い事を、日本人はまだ気づいていない。
□■□■□■□■□■□■
「お疲れ様ですー。お先に失礼しまーす」
夏から秋に変わり、段々と夜暗くなる時間が早くなった。先月までは7時でも夕焼け空だったのに、今では夕方6時でもう真っ暗だ。
(しっかし今日は忙しかったわぁ……)
職場である小森外科医院を出た可奈子は、そのまま徒歩で10分のアパートに帰ろうとして、冷蔵庫に何もなかった事を思い出した。
寝酒に1本飲むビールすら。
明日は休みと言う夜更かしばんざーいな夜に、ツマミも酒もないとか拷問でしかない。
「……くぅぅ……しゃあない、スーパー行くかぁ」
呟きつつ可奈子は歩き出した。
反対方向に約10分。
住宅街のためか、近くにはコンビニすらない。この辺の住人は大通りにあるスーパーを利用するしかない。
買い物をして、帰る時には重たい荷物を持って、約20分かけて自宅に戻るのは、仕事で疲れた体では地味に辛いのだが、一人暮らしなので代わりに買っておいてくれる人もいない。
孫を切望している田舎の親は、
「いい加減ダンナ候補(仮)でいいから連れて帰れ」
と月イチでメールが来るが、50代の家族のいる院長以外は女性ばかりの職場。
合コンにもチャレンジしてみたが、余りに中身のない会話ばかりでヤリ目的が透けて見える人が多く、早々に引き上げてからは2度と参加していない。
もう27だというのに男性の気配もないのは困ったもんだと自分でも思うが、休みは家でのんびりと本を読みながらゴロゴロと過ごすのが一番楽しいのだから仕方がない。
スーパーに入ると早々に、クマの獣人さんがキャベツを積み上げて、
「タイムセールでーす。1玉なんと100円! お1人様1点限りですよ~」
と大声でアピールしていたので、群がるおば様たちをすり抜けてゲットする。キャベツは嵩まし出来るし炒め物、サラダ、スープにと何でも使える一人暮らしの強力なサポーターである。
(……でも、不思議よねえ。獣人さんも魔物もちゃんと言葉が通じるし、読み書きも困らないんだものねえ)
連合国になるのが意外とスムーズに進んだのも、意思疏通に困らなかったのが決め手だったようだ。
といってもちゃんと相手が日本語を喋っている訳でも、日本人がベサルチアの国の言語を喋っている訳でもない。
口元を見ると明らかに発声してる音は異なるのだが、私たちには日本語が聞こえ、相手にはベサルチア語として聞こえているようだ。
文字も同じで、どちらも母国の言語を書いているのだが、ちゃんと相手には読めるのである。
可奈子は余りファンタジー小説などは読まないし、むしろミステリーや現代モノの恋愛小説などを好むのだが、ファンタジーっていうのは便利な世界だと思う。
まあ魔法は日本では使い勝手が悪いので殆ど使われていないらしいが。
電気もガスもスイッチ1つでOKだし水道も完備だ。
食べ物の豊富なこの国ではお金を出せば買えるので、魔物も争う理由がないとバイトをしてお金を稼ぐようになった。
スライムさんなどは自転車やバイクを使わなくてもかなり安定してハイスピードで道を移動できるので、ピザ屋や蕎麦屋など出前要員スライム便として当たり前になってきているし、普通に会社勤めをしているスーツ姿の獣人さんなども多くなってきた。
獣人さんも二足歩行は出来るが、全体的や部分的にクマだったり犬や猫だったりする人もいるし、トカゲやワニみたいな人もいれば、耳や尻尾や皮膚だけが獣人という人もいる。
可奈子も最初は驚いたものだが、人間「慣れ」というのがあるもので、次第に全く動じなくなった。
整骨院のお客さんにも何人もいるのだ。いちいち驚いていたら仕事にならないのである。
さっきのクマの獣人さんは全体的にクマだが、クマ獣人さんは力持ちな人が多いのでスーパーや倉庫で働いてる事が多い。
(んー、今夜のツマミは塩キャベツにして、うどんとかで軽く済ませるかな。ビールも飲むし。
明日は昼は焼きそばにして、夜はご飯にやっぱメインは魚かなー。最近焼き魚食べてないもんねえ)
可奈子は頭でお得食材を籠に入れつつメニューを考える。数日は寄らないで済まそうと思うと結構な量になった。
大きな袋2つを抱えて可奈子は元きた道を戻る。
(大通りでタクシー拾えば良かったかー。いや、何のためにお得食材を買ったのよ、意味ないじゃない)
160センチそこそこで58キロあるぽっちゃり体型である。ダイエットだと思い、何度も重たい荷物を持ち直してくてく歩く。
あと少しでアパートだ、という辺りで、
(……あれ?)
ふと呻き声が聞こえたような気がして立ち止まり、辺りを見回した。
んー、気のせいだったかしら、とまた歩こうとすると、すぐ近くにある小さな公園から「イタタ……」という声が聞こえた。
気になって公園を覗いて見ると、大柄な犬の獣人さんが腕を水道で洗っていた。
この人は耳と尻尾だけの獣人さんか。
「あの……大丈夫ですかー?」
デカいスーパーの袋を2つも抱えた丸っこい女にいきなり声をかけられた獣人さんは、肩をビクッとさせて振り返った。
「あっ、ええ大丈夫です!
ちょっと飛び出てた金網に引っ掛けて腕に怪我しちゃいまして。あははははっ」
振り返ったのは同世代かちょっと下くらいの見た目の若い人だった。
街灯の明るさでは良く見えないが、左腕のまくり上げたシャツの肘から手の甲近くまで1本の線のように傷が出来ていた。
「金網って、やだ、サビとかあって雑菌が入りやすいんですよ。ちょっと待ってて貰えますか? 家すぐ近くなので消毒薬を持ってきます」
「あ、でもっご迷惑──」
怪我と聞いてしまうと素通りは出来ない。
お兄さんが何か叫んでいたが小走りでアパートに戻り、荷物を置いて薬箱を持って公園に向かった。
「あ、あのっ、申し訳ありません……お手間を……」
「いえいえ、大した事じゃないですから。
んー、血は出てますが、幸い縫うほどではなさそうですね。良かったわ」
可奈子は薬箱から消毒薬を取り出すと、
「ちょっと染みますけど我慢して下さいねー」
と傷口に消毒薬をふりかけた。仕事でやってる事なので手慣れたものだ。
「っっ!」
かなり染みたのだろう、声を上げるのは我慢したお兄さんだが、腕だけは引きそうになったのをガシッと手首を掴んで押さえた。
「傷口は化膿しないようにしとかないとダメですからねー」
ガーゼで傷口を覆い、包帯で巻く。
「……手際がいいんですね」
途中から感心したようにお兄さんが呟いた。
「近所の病院で働いてますから。──はい、これでオッケーっと。余り腕に力を入れるような動きは1日2日は控えた方がいいですよ。傷の治りが遅くなりますから」
それじゃお大事に、と薬箱を持ち上げた。
「え、あの! お礼! このお礼はどうしたらっ」
獣人さんが慌てたように言い募ったが、
「いえ、通りすがりのお節介ですから別にお気になさらず」
可奈子は(若そうなのに律儀な人だ)と思いつつ頭を下げた。
アパートに戻ると、
「いやー、大したことじゃなくても人助けをした後のビールは美味しいやねー」
などと気分良く塩キャベツをツマミにビールを飲んでいた訳なのだが。
◇ ◇ ◇
「……お兄さん、またお会いしましたね」
休みが明け数日後。
可奈子が仕事を終え外に出ると、何故か先日の犬の獣人さんが医院の前に立っていた。
「あ! こんばんは可奈子さん!」
尻尾を振る姿は可愛らしいが、可奈子は名前も勤めている病院も教えた記憶はない。
真面目そうに見えて危ない系だったか、と目礼だけしてスーパーへ向かって歩き出した。
何故か当然のように付いてくる犬の獣人さん。
「……あの、お礼はいいからとお伝えしたと思いますが」
「そうですね!」
「じゃ何で付いてくるんですか」
「結婚を前提にお付き合いがしたいからです!
というかもう結婚して下さい! 絶対に幸せになります!」
間近で見ると中々整った顔だなと思っていた可奈子だったが、危ない人と言うのは見た目では分からないもんだなと1つ勉強にもなった。
幸せになります!ってお前がかい。
爽やかに闇だらけの台詞を吐くな。
可奈子は早足になりながらも、
「現時点ではお断りしますの一択しかないのですが。
そもそもお会いしたのは先日の公園が初めてですよね?」
と返した。
「そうですね! ですが俺には直ぐに分かりました。俺のベサルチアの女神は可奈子さんだと!」
……いや知らんがな。
思わずツッコミそうになって、いやいや相手をしたらこのテの男は危険だと可奈子は口をつぐんだ。
そのままスーパーに入っても男の演説は続く。
「人間にはありますよね? ビビビっと来るみたいなのが! 可奈子さんと会った時に俺も感じました!
普通、公園で怪我した男がいても手当てなんてしないで帰りますよね? 女性はか弱いし、何かあったら大変です。でも可奈子さんはワザワザ家に戻ってまで治療をして包帯まで巻いてくれました!
それなのに何の見返りも求めず姿を消したんです!
これこそ慈愛の女神でなくて何ですか!?」
「声が大きいのでもっと抑えて下さい」
可奈子は親切も人によるのだと更に学んだ。
「それにしても何故私の勤務先が分かったんですか?」
買い物をしつつも可奈子は気になっていた事を聞いてみた。
「え? 匂いを辿ってですが。
いやあご自宅も勤務先も近くて便利ですね。
ですが暗がりが多くて夜道は危険だと思います!
最近はこの町も物騒ですし、俺は割と時間の融通が聞く仕事なので仕事帰りの護衛は任せて下さい!
悪党なんて寄せ付けませんから!」
いやお前だ。お前が一番物騒なのを気づけ。
匂いで普通の人は辿れないのを知れ。
可奈子は少し頭痛がしてきたが、会計を済ませて店を出ると向き直った。
「先日は私が気になったから勝手にお節介を焼いただけで、特別な感情でとかそういうのは一切ないですから」
こういうのはもうこれっきりにして下さい、と続ける予定が、
「荷物重たいでしょう。お持ちしますね」
とささっと大根など入っている、まあ確かに重たい袋を可奈子から取り上げて再び歩き出した。
「……ねえお兄さん、今の話聞いてました?」
「はい! まだときめくには時間が足りてないって事ですよねっ!」
「めっちゃポジティブ! いや違うでしょ、好きとかそういう気持ちがないのに結婚とか言うのはおかしいし、間違ってると思うの!」
「誰だって付き合う前は赤の他人で好きでも何でもないところから徐々に好きになる訳ですよね?
そしたら今は俺の事を好きじゃなくても、今後は高まる一方じゃないですか!」
グッ、と反論できずに可奈子は言葉を詰まらせた。
確かにね、それはそうなんだけどもだ。
「ちなみに俺の名前はジロール・モンテレイです!
年は32です! 結婚歴ありません!」
「何よ年上だったの?! 何て見た目詐欺なの!
30過ぎてストーカー紛いの行動してんじゃないわよ」
可奈子は相手にしたらいけないと思っていたのに、気がついたらさっきから物凄く相手になってしまっていた事に気づいた。
「30過ぎるまでビビビな人が見つからなかったんだから仕方ないじゃないですか!
俺だって、俺だってもっと早く可奈子さんに出会いたかったですよ……周りは番を見つけてイチャコライチャコラしてるのに、俺は1人寂しく誕生日、クリスマスイブ、年越しにバレンタイン……ずーっとベサルチアでもニホンでもぼっちだったのに……読書だけが友だちだったんですよ……」
顔を覆ってうずくまるジロールの話に、そらもう恐ろしいほどの親近感が芽生えてしまった可奈子は、心を鬼にせねば、と己を叱咤した。
お断りしますと言うのよ!
匂いでストーカーしまくってる男に同情してたらダメよ可奈子!
「……言い過ぎたとは思うけれど、お──」
「──お?」
目を泣き腫らして真っ赤にしたジロールが見上げる。
32のオッサンといってもいい年なのに、庇護欲をそそられる可愛らしさである。卑怯だ。
可奈子はつい、
「お、友だちからでいいなら……」
と答えてしまった。
「本当ですか!」
ガバリと立ち上がったジロールは、
「友情から恋に、恋から愛に。そして結婚、ハネムーンベビー……ああ夢のような幸せが俺にもとうとうっ!!」
と叫びながら私を抱き抱えてくるくる回りだした。
友だちのままで終わる可能性を全力排除しているジロールだったが、何かもうとりあえずいいか、と思う程には親しみが湧いてしまっていた可奈子だった。
ここからあれよあれよと1年もしない内に、気がつけば両親にジロールと挨拶に行き、式の前に同棲が始まり、本当にハネムーンベビーが出来るのだったが、現時点ではまだ誰もその未来を知らない。
といっても昔ながらの日本である。
ある日、富士山の麓に空いた穴から異世界の住人が現れ、世界各地にも同様の穴が空いた事で国際問題に発展したが、首脳会議で当時の日本の首相からの、
『魔法で防御されたらおしまいですし戦争にもなりゃしませんよ。ミサイルとか魔物に効くかも分かりませんし、日本の象徴である富士山を焼け野原にする訳には行きません。
まあ害意もないそうなんで、ここは1つ穏便に』
というなあなあの決断が評価され、各地で連合国として異世界の住人との共存関係が築かれる事となる。
希望者には異世界の方に転居も認められたが、流石に仕事も地位も貯めていた金も全て捨てるのは簡単ではないようで、まだ移住者は少ない。
それから早3年。
ラノベが存在する国の日本人からしてみれば、獣人や魔物と呼ばれるファンタジーが現実になって大歓迎だった者も多く、「外国人はとりあえずもてなす精神」が根強い年配勢からも、「日本人じゃない人(魔物)」という事でざっくりと理解され、概ね共存関係はどの世界よりも早く構築されていた。
割と大雑把なゆるい国民性であるとも言える。
だがベサルチアの人種(特に男性)は、一途で思い込みや独占欲が強く、思い込んだら命がけのストーカー気質な人種が多い事を、日本人はまだ気づいていない。
□■□■□■□■□■□■
「お疲れ様ですー。お先に失礼しまーす」
夏から秋に変わり、段々と夜暗くなる時間が早くなった。先月までは7時でも夕焼け空だったのに、今では夕方6時でもう真っ暗だ。
(しっかし今日は忙しかったわぁ……)
職場である小森外科医院を出た可奈子は、そのまま徒歩で10分のアパートに帰ろうとして、冷蔵庫に何もなかった事を思い出した。
寝酒に1本飲むビールすら。
明日は休みと言う夜更かしばんざーいな夜に、ツマミも酒もないとか拷問でしかない。
「……くぅぅ……しゃあない、スーパー行くかぁ」
呟きつつ可奈子は歩き出した。
反対方向に約10分。
住宅街のためか、近くにはコンビニすらない。この辺の住人は大通りにあるスーパーを利用するしかない。
買い物をして、帰る時には重たい荷物を持って、約20分かけて自宅に戻るのは、仕事で疲れた体では地味に辛いのだが、一人暮らしなので代わりに買っておいてくれる人もいない。
孫を切望している田舎の親は、
「いい加減ダンナ候補(仮)でいいから連れて帰れ」
と月イチでメールが来るが、50代の家族のいる院長以外は女性ばかりの職場。
合コンにもチャレンジしてみたが、余りに中身のない会話ばかりでヤリ目的が透けて見える人が多く、早々に引き上げてからは2度と参加していない。
もう27だというのに男性の気配もないのは困ったもんだと自分でも思うが、休みは家でのんびりと本を読みながらゴロゴロと過ごすのが一番楽しいのだから仕方がない。
スーパーに入ると早々に、クマの獣人さんがキャベツを積み上げて、
「タイムセールでーす。1玉なんと100円! お1人様1点限りですよ~」
と大声でアピールしていたので、群がるおば様たちをすり抜けてゲットする。キャベツは嵩まし出来るし炒め物、サラダ、スープにと何でも使える一人暮らしの強力なサポーターである。
(……でも、不思議よねえ。獣人さんも魔物もちゃんと言葉が通じるし、読み書きも困らないんだものねえ)
連合国になるのが意外とスムーズに進んだのも、意思疏通に困らなかったのが決め手だったようだ。
といってもちゃんと相手が日本語を喋っている訳でも、日本人がベサルチアの国の言語を喋っている訳でもない。
口元を見ると明らかに発声してる音は異なるのだが、私たちには日本語が聞こえ、相手にはベサルチア語として聞こえているようだ。
文字も同じで、どちらも母国の言語を書いているのだが、ちゃんと相手には読めるのである。
可奈子は余りファンタジー小説などは読まないし、むしろミステリーや現代モノの恋愛小説などを好むのだが、ファンタジーっていうのは便利な世界だと思う。
まあ魔法は日本では使い勝手が悪いので殆ど使われていないらしいが。
電気もガスもスイッチ1つでOKだし水道も完備だ。
食べ物の豊富なこの国ではお金を出せば買えるので、魔物も争う理由がないとバイトをしてお金を稼ぐようになった。
スライムさんなどは自転車やバイクを使わなくてもかなり安定してハイスピードで道を移動できるので、ピザ屋や蕎麦屋など出前要員スライム便として当たり前になってきているし、普通に会社勤めをしているスーツ姿の獣人さんなども多くなってきた。
獣人さんも二足歩行は出来るが、全体的や部分的にクマだったり犬や猫だったりする人もいるし、トカゲやワニみたいな人もいれば、耳や尻尾や皮膚だけが獣人という人もいる。
可奈子も最初は驚いたものだが、人間「慣れ」というのがあるもので、次第に全く動じなくなった。
整骨院のお客さんにも何人もいるのだ。いちいち驚いていたら仕事にならないのである。
さっきのクマの獣人さんは全体的にクマだが、クマ獣人さんは力持ちな人が多いのでスーパーや倉庫で働いてる事が多い。
(んー、今夜のツマミは塩キャベツにして、うどんとかで軽く済ませるかな。ビールも飲むし。
明日は昼は焼きそばにして、夜はご飯にやっぱメインは魚かなー。最近焼き魚食べてないもんねえ)
可奈子は頭でお得食材を籠に入れつつメニューを考える。数日は寄らないで済まそうと思うと結構な量になった。
大きな袋2つを抱えて可奈子は元きた道を戻る。
(大通りでタクシー拾えば良かったかー。いや、何のためにお得食材を買ったのよ、意味ないじゃない)
160センチそこそこで58キロあるぽっちゃり体型である。ダイエットだと思い、何度も重たい荷物を持ち直してくてく歩く。
あと少しでアパートだ、という辺りで、
(……あれ?)
ふと呻き声が聞こえたような気がして立ち止まり、辺りを見回した。
んー、気のせいだったかしら、とまた歩こうとすると、すぐ近くにある小さな公園から「イタタ……」という声が聞こえた。
気になって公園を覗いて見ると、大柄な犬の獣人さんが腕を水道で洗っていた。
この人は耳と尻尾だけの獣人さんか。
「あの……大丈夫ですかー?」
デカいスーパーの袋を2つも抱えた丸っこい女にいきなり声をかけられた獣人さんは、肩をビクッとさせて振り返った。
「あっ、ええ大丈夫です!
ちょっと飛び出てた金網に引っ掛けて腕に怪我しちゃいまして。あははははっ」
振り返ったのは同世代かちょっと下くらいの見た目の若い人だった。
街灯の明るさでは良く見えないが、左腕のまくり上げたシャツの肘から手の甲近くまで1本の線のように傷が出来ていた。
「金網って、やだ、サビとかあって雑菌が入りやすいんですよ。ちょっと待ってて貰えますか? 家すぐ近くなので消毒薬を持ってきます」
「あ、でもっご迷惑──」
怪我と聞いてしまうと素通りは出来ない。
お兄さんが何か叫んでいたが小走りでアパートに戻り、荷物を置いて薬箱を持って公園に向かった。
「あ、あのっ、申し訳ありません……お手間を……」
「いえいえ、大した事じゃないですから。
んー、血は出てますが、幸い縫うほどではなさそうですね。良かったわ」
可奈子は薬箱から消毒薬を取り出すと、
「ちょっと染みますけど我慢して下さいねー」
と傷口に消毒薬をふりかけた。仕事でやってる事なので手慣れたものだ。
「っっ!」
かなり染みたのだろう、声を上げるのは我慢したお兄さんだが、腕だけは引きそうになったのをガシッと手首を掴んで押さえた。
「傷口は化膿しないようにしとかないとダメですからねー」
ガーゼで傷口を覆い、包帯で巻く。
「……手際がいいんですね」
途中から感心したようにお兄さんが呟いた。
「近所の病院で働いてますから。──はい、これでオッケーっと。余り腕に力を入れるような動きは1日2日は控えた方がいいですよ。傷の治りが遅くなりますから」
それじゃお大事に、と薬箱を持ち上げた。
「え、あの! お礼! このお礼はどうしたらっ」
獣人さんが慌てたように言い募ったが、
「いえ、通りすがりのお節介ですから別にお気になさらず」
可奈子は(若そうなのに律儀な人だ)と思いつつ頭を下げた。
アパートに戻ると、
「いやー、大したことじゃなくても人助けをした後のビールは美味しいやねー」
などと気分良く塩キャベツをツマミにビールを飲んでいた訳なのだが。
◇ ◇ ◇
「……お兄さん、またお会いしましたね」
休みが明け数日後。
可奈子が仕事を終え外に出ると、何故か先日の犬の獣人さんが医院の前に立っていた。
「あ! こんばんは可奈子さん!」
尻尾を振る姿は可愛らしいが、可奈子は名前も勤めている病院も教えた記憶はない。
真面目そうに見えて危ない系だったか、と目礼だけしてスーパーへ向かって歩き出した。
何故か当然のように付いてくる犬の獣人さん。
「……あの、お礼はいいからとお伝えしたと思いますが」
「そうですね!」
「じゃ何で付いてくるんですか」
「結婚を前提にお付き合いがしたいからです!
というかもう結婚して下さい! 絶対に幸せになります!」
間近で見ると中々整った顔だなと思っていた可奈子だったが、危ない人と言うのは見た目では分からないもんだなと1つ勉強にもなった。
幸せになります!ってお前がかい。
爽やかに闇だらけの台詞を吐くな。
可奈子は早足になりながらも、
「現時点ではお断りしますの一択しかないのですが。
そもそもお会いしたのは先日の公園が初めてですよね?」
と返した。
「そうですね! ですが俺には直ぐに分かりました。俺のベサルチアの女神は可奈子さんだと!」
……いや知らんがな。
思わずツッコミそうになって、いやいや相手をしたらこのテの男は危険だと可奈子は口をつぐんだ。
そのままスーパーに入っても男の演説は続く。
「人間にはありますよね? ビビビっと来るみたいなのが! 可奈子さんと会った時に俺も感じました!
普通、公園で怪我した男がいても手当てなんてしないで帰りますよね? 女性はか弱いし、何かあったら大変です。でも可奈子さんはワザワザ家に戻ってまで治療をして包帯まで巻いてくれました!
それなのに何の見返りも求めず姿を消したんです!
これこそ慈愛の女神でなくて何ですか!?」
「声が大きいのでもっと抑えて下さい」
可奈子は親切も人によるのだと更に学んだ。
「それにしても何故私の勤務先が分かったんですか?」
買い物をしつつも可奈子は気になっていた事を聞いてみた。
「え? 匂いを辿ってですが。
いやあご自宅も勤務先も近くて便利ですね。
ですが暗がりが多くて夜道は危険だと思います!
最近はこの町も物騒ですし、俺は割と時間の融通が聞く仕事なので仕事帰りの護衛は任せて下さい!
悪党なんて寄せ付けませんから!」
いやお前だ。お前が一番物騒なのを気づけ。
匂いで普通の人は辿れないのを知れ。
可奈子は少し頭痛がしてきたが、会計を済ませて店を出ると向き直った。
「先日は私が気になったから勝手にお節介を焼いただけで、特別な感情でとかそういうのは一切ないですから」
こういうのはもうこれっきりにして下さい、と続ける予定が、
「荷物重たいでしょう。お持ちしますね」
とささっと大根など入っている、まあ確かに重たい袋を可奈子から取り上げて再び歩き出した。
「……ねえお兄さん、今の話聞いてました?」
「はい! まだときめくには時間が足りてないって事ですよねっ!」
「めっちゃポジティブ! いや違うでしょ、好きとかそういう気持ちがないのに結婚とか言うのはおかしいし、間違ってると思うの!」
「誰だって付き合う前は赤の他人で好きでも何でもないところから徐々に好きになる訳ですよね?
そしたら今は俺の事を好きじゃなくても、今後は高まる一方じゃないですか!」
グッ、と反論できずに可奈子は言葉を詰まらせた。
確かにね、それはそうなんだけどもだ。
「ちなみに俺の名前はジロール・モンテレイです!
年は32です! 結婚歴ありません!」
「何よ年上だったの?! 何て見た目詐欺なの!
30過ぎてストーカー紛いの行動してんじゃないわよ」
可奈子は相手にしたらいけないと思っていたのに、気がついたらさっきから物凄く相手になってしまっていた事に気づいた。
「30過ぎるまでビビビな人が見つからなかったんだから仕方ないじゃないですか!
俺だって、俺だってもっと早く可奈子さんに出会いたかったですよ……周りは番を見つけてイチャコライチャコラしてるのに、俺は1人寂しく誕生日、クリスマスイブ、年越しにバレンタイン……ずーっとベサルチアでもニホンでもぼっちだったのに……読書だけが友だちだったんですよ……」
顔を覆ってうずくまるジロールの話に、そらもう恐ろしいほどの親近感が芽生えてしまった可奈子は、心を鬼にせねば、と己を叱咤した。
お断りしますと言うのよ!
匂いでストーカーしまくってる男に同情してたらダメよ可奈子!
「……言い過ぎたとは思うけれど、お──」
「──お?」
目を泣き腫らして真っ赤にしたジロールが見上げる。
32のオッサンといってもいい年なのに、庇護欲をそそられる可愛らしさである。卑怯だ。
可奈子はつい、
「お、友だちからでいいなら……」
と答えてしまった。
「本当ですか!」
ガバリと立ち上がったジロールは、
「友情から恋に、恋から愛に。そして結婚、ハネムーンベビー……ああ夢のような幸せが俺にもとうとうっ!!」
と叫びながら私を抱き抱えてくるくる回りだした。
友だちのままで終わる可能性を全力排除しているジロールだったが、何かもうとりあえずいいか、と思う程には親しみが湧いてしまっていた可奈子だった。
ここからあれよあれよと1年もしない内に、気がつけば両親にジロールと挨拶に行き、式の前に同棲が始まり、本当にハネムーンベビーが出来るのだったが、現時点ではまだ誰もその未来を知らない。
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