上 下
40 / 40

変わらぬ日々

しおりを挟む
 気づけば、あれから約一カ月。
 もう八月も終わろうかと言うのに、暑さは日に日に増して行くような気がしている。九州の生まれだからといって別に夏が強い訳ではないので、エアコンのほど良く効いたぱんどらの店内は私のオアシスである。

 私や真理子さんに多様な嫌がらせと傷害行為をしていた女性は三十一歳。ご両親の話によると、去年婚約者の浮気で結婚が白紙になってから、鬱になり、精神科に通って薬を飲まなければならなくなるほど、情緒不安定な状態が続いていたらしい。

 その時に気晴らしにでもなれば、という友人の勧めもあり、女性向けの恋愛ゲームアプリを始めたら、すっかりハマったそうで、そのゲームのキャラクターのハロルド王子という攻略キャラに、たまたまマスターがそっくりだったのがきっかけだったそうだ。
 そのタイトルを正延さんに教わって一度どれどれと見てみたのだが、確かに長髪を後ろで結んだキャラで長身の美形ではある。ただ、マスターと似ているのかと言われると、正直疑問だ。「生き写し」と言っていたが、二次元のキャラクター自体が実在しない人物なのに生き写しとは何ぞや。まあ、現実には存在しないレベルの美貌、という意味では似ているのだろう。

「……でも、結婚まで考えた相手の浮気とか、そりゃ大変だったとは思うけど、だからって小春ちゃんや坂本さんに危害を加えていいって話はないじゃない? 私だって推しとか言われても気味悪いし、許したくはないわ」

 マスターはかなり怒っていたが、心が弱くなった際にすがれる何かに依存してしまいたい、単に尽くす相手を求めたい、という気持ちは女性として全く理解出来なくはないので、事情を知ってしまうと、どうも怒りの感情をそこまで持ちきれない。

 ご両親も娘が本当に酷いことを、と涙ながらに私達に謝罪して下さり、真理子さんも私も、治療費と精神的被害への慰謝料ということで、かなりまとまった額を頂いた。
 本人も現在は反省しており、【精神的におかしくなってたようで、善悪の概念が希薄になり、本当に申し訳ないことをしてしまった、謝って許されるとは思わないが、心からお詫びしたい】という旨の手紙も弁護士さんから頂いた。更生の意思ありとして、傷害事件の量刑も執行猶予がつくのではないかとの話だ。

「……可愛いパーシーに刃物向けたのは今でも許せないけど、メンタル病んでた人を責めても何にもならないしね。まあ貰い事故だったと思ってお互い忘れましょう。いつまでも引きずってても自分達のためにならないし」

 真理子さんが足の骨折も治ってぱんどらに現れた時に、そんな話をしていたのだが、彼女の割り切りのいい考え方はとても好ましく思える。
 だが彼女も事件によって考えるところがあったようで、マスターを追いかけるのはもう止めます、と本人に宣言した。

「人間いつ死ぬか分からないなあって思った時に、不毛な恋心を抱えて時間を消費するのが勿体ないと思っちゃったのよね。結局、本気じゃなかったのかなって。坂東さん、今まで本当にごめんなさい。──でも、時々はぱんどらに来てもいいですよね? 私、坂東さんの淹れるコーヒーが好きだし、ここには小春ちゃんもいるし」
「え、ええ。それは勿論構わないけど」
「あのですねマスター、真理子さん綺麗なこと言ってまとめようとしてますけど、実は他にも理由がありまして──」
「理由?」
「やだもう小春ちゃん! 恥ずかしいから!」
「別に構わないじゃないですか。サポートしてくれるかもですし」

 真っ赤になっている真理子さんと私の会話を聞きながら、首を傾げるマスターに、「恋ですよ、恋」と笑った。

 真理子さんは、犯人を捕まえに来てくれた時の真剣な表情の正延さんに惚れてしまったのだそうな。最初は吊り橋効果みたいなものかと思っていたそうなのだが、事件の聴取も済み、もう会って会話をすることもなくなる、と思った途端に、ぎゅっと心臓が痛くなるような気持ちになったそうだ。でも、四十歳過ぎてるし、流石に家庭持ちだろうと諦めていたら、私から正延さん独身ですよ、仕事が恋人って言ってました、と言われて恋のストッパーが外れたらしい。

「まあやだ、そんなドラマみたいなことが実際にあるのね! 正延さんはいい人よ! ちょっと仕事に集中しすぎて縁遠いだけだと思うの。坂本さん頑張って!」

 マスターが嬉しそうに真理子さんを応援する。

「ありがとうございます。正延さんが、ぱんどらにはご縁がありまして、これからも良く伺うと思います、って言っていたので、ここに通っているうちに、徐々にお近づきになろうかと」
「真理子さん美人ですから、きっと上手く行きますよ。……ただ、余りチヤホヤしてくれるタイプではないと思いますけど」
「そんなのなくてもいいわ。好きな人の近くにいられれば幸せだって気持ち、今まで本気で思ったことなかったけど、正延さんは違うのよ。これが真実の愛とか恋って感情なのかしらね小春ちゃん?」
「そんなこと私に聞かないで下さい。それにしても、以前は正延さんのこと、ぬぼーっとした刑事さんとか呼んでいた気がしますけども、変われば変わるものですね」
「それは忘れてちょうだい」
「分かりました。ご武運を」

 きっとぱんどらとご縁がある、と正延さんが言っていたのは、まだ成仏してないジバティーさん達の事件について、今後も調べてくれるつもりがあるからだと思うが、真理子さんには別に説明する予定はない。私が霊が見えるというのは知っていても、身近に地縛霊がいると言われていい気分がする人はいないだろうから。


 そして、私はと言えば。既にぱんどらで働くようになって半年は経つが、未だに就職活動はしていない。事件も解決したので、現在の私は自分のアパートに戻っているが、仕事がある時は、昼と夜の食事は今まで通りぱんどらで食べている。
 マスターには事件の後、自分のせいで迷惑をかけたと改めて謝罪された。

「あのね、でも、本当にこんなこと言えた義理もないんだけど、小春ちゃんが居てくれると私も助かるし、ジバティーさん達も喜ぶでしょう? 私の作ったご飯も、いつも美味しそうに食べてくれるから嬉しいし。だから、出来たらもう暫くここで働いてくれるって言うのは、どうかなあって。迷惑かけたし、私のこと嫌いになってるかも知れないけど……」

 マスターは、申し訳なさそうに私を見る。そんな状況でも相変わらず豪華絢爛という単語が似合いそうな美貌である。ただ、見慣れたので近くで見ても驚きはなくなった。ドキドキはするけども。

「私も泉谷さん達をほったらかしにするつもりはありませんし、美味しいご飯も食べられますから、まだ暫くお世話になりたいと思います。別にマスターに迷惑かけられたとも思ってませんから」

 と頭を下げた。ホッとした様子で笑みを浮かべたマスターに、心が締め付けられ、ついうっかり言葉が漏れてしまう。

「……なんがまっこちすいとお……」
「え? マゴチ?」

 危なかった。本音が方言で出てしまった。げんなかあ(恥ずかしい)……。

「失礼しました。ユタの祈りの言葉です。李さんみたいに泉谷さん達が成仏出来たらいいなと思ったものでふと」
「ああ、そういうこと。そうね……別にずっと居てくれてもいいんだけどね、泉谷さん達も小春ちゃんも……」

 聞き取れないほど小声で何かぼそぼそ言っていたマスターは、ハッと思い出したように目を輝かせた。

「あ、そうだわ。新作のミルクレープ作ったんだけど、味見してみない?」
「スイーツに対して遠慮という言葉は持ち合わせておりません。有り難く頂戴致します」

 ウキウキと冷蔵庫に向かうマスターを見ながら、いつか女性恐怖症が治ることはあるのかなあと少しだけ期待したり、でも治ったところでどうなる訳でもないか、座敷童って言われたし私、と落ち込みつつも、多分こんな色々考えていても、私の表情に変化はないんだろうなあ、とも思った。まあだからこそマスターに好意を察知させずに仕事が出来る訳だが。

 これからも泉谷さん達が野良地縛霊さんや野良浮遊霊さんを連れて来たりすることがあるかも知れないし、またそれ絡みで厄介事に巻き込まれることもあるかも知れない。

 それでも私にとってやはり、ぱんどらは居心地がいい場所なのである。



しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(6件)

越後屋みつえもん

連載お疲れ様でした
と言よりコレで終わりですかぁ?
泉谷さんたちのその後は?
ってソッチかいっ!(*≧∀≦*)

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
2022.03.12 来栖もよもよ&来栖もよりーぬ

(・∀・)っ_旦 かるぴすでも

全部解決するのもねえ、という感じで読者様が想像しやすい先を残す形にしました。
いや、プロットでは全部どんな形で解決するかとか書いてあるんですけどね(笑)

どうせまた自分達より優先してそこらの浮遊霊とかホイホイしてくるはずなので、解決も遠くなりそうですけど(°∀° )

淡々と進み、淡々と終わるのもまた宜しいかとφ(..)

解除
越後屋みつえもん

あぁ…
打ち身あるあるだぁ(・・;)

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
2022.03.06 来栖もよもよ&来栖もよりーぬ

(・∀・)っ_旦 ほうじちゃでも

この青アザ一体どこで? みたいなミステリーも年々増えて参ります(笑)

解除
越後屋みつえもん

浮遊霊
子供の頃に読んだムック本で知ったんですけど、著者の方の造語だったんですねぇ(´・ω・`)

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
2022.02.12 来栖もよもよ&来栖もよりーぬ

(・∀・)っ_旦 ぶるーまうんてんでも

私も驚きました。一般的にめちゃくちゃ浸透してますもんねえ。中岡俊哉先生は偉大です。

解除

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

後宮の記録女官は真実を記す

悠井すみれ
キャラ文芸
【第7回キャラ文大賞参加作品です。お楽しみいただけましたら投票お願いいたします。】 中華後宮を舞台にしたライトな謎解きものです。全16話。 「──嫌、でございます」  男装の女官・碧燿《へきよう》は、皇帝・藍熾《らんし》の命令を即座に断った。  彼女は後宮の記録を司る彤史《とうし》。何ものにも屈さず真実を記すのが務めだというのに、藍熾はこともあろうに彼女に妃の夜伽の記録を偽れと命じたのだ。職務に忠実に真実を求め、かつ権力者を嫌う碧燿。どこまでも傲慢に強引に我が意を通そうとする藍熾。相性最悪のふたりは反発し合うが──

うららかな恋日和とありまして~結婚から始まる年の差恋愛~

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
結婚したのは14歳年上の、名前も知らない人でした――。 コールセンターで働く万葉(かずは)は、苗字が原因でクレームになってしまうことが多い。やり手の後輩に、成績で抜かれてしまうことにも悩む日々。 息抜きに週二回通う居酒屋で、飲み友達の十四歳年上男性、通称〈 師匠 〉に愚痴っているうちに、ノリで結婚してしまう。しかしこの師匠、なかなかに天然ジゴロな食えないイケオジ。 手出しはして来ないのに、そこはかとなく女心をくすぐられるうちに、万葉はどんどん気になってしまい――。 食えないしたたかな年上男子と、仕事一筋の恋愛下手な年下女子の、結婚から始まる恋愛ストーリーです。 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆アルファポリスさん/エブリスタさん/カクヨムさん/なろうさんで掲載してます。

諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~

七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。 冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??

我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな

ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】 少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。 次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。 姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。 笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。 なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

お狐様とひと月ごはん 〜屋敷神のあやかしさんにお嫁入り?〜

織部ソマリ
キャラ文芸
『美詞(みこと)、あんた失業中だから暇でしょう? しばらく田舎のおばあちゃん家に行ってくれない?』 ◆突然の母からの連絡は、亡き祖母のお願い事を果たす為だった。その願いとは『庭の祠のお狐様を、ひと月ご所望のごはんでもてなしてほしい』というもの。そして早速、山奥のお屋敷へ向かった美詞の前に現れたのは、真っ白い平安時代のような装束を着た――銀髪狐耳の男!? ◆彼の名は銀(しろがね)『家護りの妖狐』である彼は、十年に一度『世話人』から食事をいただき力を回復・補充させるのだという。今回の『世話人』は美詞。  しかし世話人は、百年に一度だけ『お狐様の嫁』となる習わしで、美詞はその百年目の世話人だった。嫁は望まないと言う銀だったが、どれだけ美味しい食事を作っても力が回復しない。逆に衰えるばかり。  そして美詞は決意する。ひと月の間だけの、期間限定の嫁入りを――。 ◆三百年生きたお狐様と、妖狐見習いの子狐たち。それに竈神や台所用品の付喪神たちと、美味しいごはんを作って過ごす、賑やかで優しいひと月のお話。 ◆『第3回キャラ文芸大賞』奨励賞をいただきました!ありがとうございました!

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。