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忘れた頃の

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「さて……これで全部かな」

 私は商店街のスーパーを出てメモを確認した。
 マスターから足りなくなりそうなミルクやスティックシュガーなどの買い出しを頼まれ、仕事中に駅前の方までやって来たが、土曜日ということもあるのか、まだ日差しのある夕方の駅周辺はやたらと人が多かった。お陰で二人の野良の地縛霊と一人の生霊にも遭遇してしまったが、いつものように見えない聞こえない話さない方式でやり過ごす。ぱんどらのジバティーさん達でいっぱいいっぱいなので、これ以上の追いジバティーは不要なのである。

 ついでだからと、別途休みの日用に自分の家で使うパスタとレトルトのミートソースなども購入したので少々重たい。最近は周囲しか出歩かないせいで筋力も落ちてるのかも知れない。店に戻る歩道橋を上りながら、ウォーキングなど簡単な運動を始めるべきだろうか、と思いにふける。
 と、階段を下りようととした時に、前方で見覚えのある背中が見えた。真理子さんである。彼女も今から店に来る予定なのかな、と思い「真理子さーん」と上から声を掛けた。私の声で振り返った真理子さんが笑顔になりかけ、その後強張った。

「危ないっ!」

 え、と思う間もなく、後ろから衝撃を感じてつんのめる。両手が荷物で塞がっていたので手すりに掴まることも出来ず、階段に顔から突っ込んだ。だが流石に頭を強打したら死ぬかも、という判断は咄嗟に働くもので、荷物を持ったまま腕を前方に突き出し、七、八段ほど落ちた辺りで階段のへりを掴んで止まることが出来た。しかし顔は無事だったものの、手のひらも膝と向こうずねも擦れて血が滲んでいる。ストッキングも破れ悲惨な状態だ。

「小春ちゃん大丈夫っ?」

 下から駆け上がって来た真理子さんが、「ちょっと待ちなさいよっ!」と上に叫んだが、私を突き飛ばしたであろう人は、そのまま走って逆方向に逃げて行ったらしい。

「救急車呼ぼうか? でもここにいるのも危ないから、ちょっと動ける? 下まで何とか行けそう?」
「救急車までは大げさですよ、擦り傷だけなので。……ん、骨も大丈夫そうなので、下りられます」

 真理子さんが荷物を持ってくれ、そのまま慎重に手すりを掴んで下まで降りた。そのまま買い物袋をチェックして、頼まれていたものはミルクの紙パックの角がちょっと凹んだぐらいで、後は問題なさそうだと分かるとホッとした。

「ああ良かった。また買い直しに行かないと駄目かと思いました」
「あんたね、荷物よりもケガの方が大ごとじゃないのよ。上から飛ばれた時に一回心臓が止まったわよ私」
「すみませんでした、驚かせてしまって」
「……小春ちゃん、分かってる? これ殺人未遂よ? 頭でも打ってたらそのまま死んでたかも知れないのよ? 階段から突き飛ばすって、そういうことなのよ?」
「……はい。これでも心臓が有り得ない速さでバクバク言ってます」
「サプライズしがいがないタイプなのね小春ちゃんは。もう少し感情を外に出しなさいよ、メンタル激強だと思われるわよ」
「まあ実際強い方なんですけどね。昔から霊にまとわりつかれないように表情変えないようにしていたもので」
「──ああ、そうだったわね。……何かさ、振り返ったら小春ちゃんの後ろにいた人が、七月にもなって長袖パーカーにサングラスしてて、暑苦しそうな人ねえと思ったら、いきなり小春ちゃん突き飛ばしたのよ。あれは多分女よ。いえ、もしかしたら小柄な男なのかも知れないけど。離れていたのと逆光ではっきりとは見えなくて」

 真理子さんは、荷物を持ったまま、とりあえずぱんどらに行って治療しましょう、と私の肘を持って歩き出した。大丈夫です、と言いたかったが、擦り傷の痛みよりも、後から来た恐怖で足ががくがくしてしまい、上手く歩けなかったのでそのまま甘えさせて貰うことにした。



「小春ちゃん! 何で買い物行っただけでそんな傷だらけなの!」

 ぱんどらに戻ると、お客さんが帰ったばかりのようで、洗ったカップを拭いていたマスターが慌ててカウンターから走り出て来た。
 ジバティーさん達も奥にいた。心配そうな顔をしているが、迷惑をかけるからと、基本私とマスター二人の時にしか話し掛けて来ない。先日の李さんの件だけは当事者だったので例外である。

「坂東さん、救急箱とかありますか? 事情は後で説明しますので」

 真理子さんが私をカウンター席に座らせると、マスターは裏口から自宅の救急箱を持って来て真理子さんに渡すと、店をCLOSE札に変えてロールカーテンを下ろした。この店は最近、定時があるのかと思うほど閉店時間がランダムになっているが、今回は確実に私のせいである。

「マスター、本当に申し訳ありません、私のせいで」
「何言ってるのよ、大切な従業員が怪我してるのに営業もクソもないでしょう? 坂本さんも連れ帰ってくれて、本当に感謝するわ。ありがとう」

 真理子さんは、私の手のひらと脛にくっついている小石や葉っぱを丁寧に取り除いて、浴びせるように消毒薬をかけながら「いえ」と言葉少なに返した。私はと言えば、じんじんと痺れるような痛みを必死に耐える。明日は更に青あざも出来ているかも知れない。
 ガーゼを当てて、包帯でぐるぐると巻かれる。

「大げさに見えるかも知れないけど、雑菌とか入ると化膿したりして厄介だから、傷にかさぶたが出来るぐらいまで数日はこうした方がいいと思うわ。目立つような傷痕残るのは女の子だし困るじゃない? 家にいる時は、消毒してから乾燥するように暫く巻かない方がいいけど」
「お気遣いありがとうございます。本当に助かりました」

 お礼を言いながらも、今まで健康で包帯を使うようなケガもしたことがなかったので、ほんの少しだけ嬉しいというか、物珍しいような複雑な気持ちがあって眺めていた。特別なアイテム感である。したくてしたケガではないし、怖さが薄れる訳ではないのだが。

「それにしても、一体どういうことなの?」

 治療をして落ち着いたところでマスターから説明を求められた。
 今日の話をすれば何故、ということになるし、そうすると遡って例のハムスターの件やらも話さねばならなくなる。だが、もしマスターの存在が影響している場合、出来ればそれはしたくないのだ。
 どう説明すれば、と私が言いよどんでいると、真理子さんが私を見た。

「──もう話すしかないでしょ? もう洒落にならないわよ? 小春ちゃんが言いにくければ、私から説明するわ」
「でも、真理子さん……」
「黙ってて万が一小春ちゃんが亡くなりでもしたら、坂東さんも私も後悔してもしきれないじゃないの。見殺しの罪を背負わせるつもり?」

 怒る訳でもなく、淡々と諭すように言われる方が弱い。

「すみません。……私から説明するべきですよね」

 私はマスターを見つめると、今までのことを話し始めた。



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