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◇ ◇ ◇
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「ねーねーまりも聞いた? 白川くんがあのC組の倉田さんから告白されたみたいだよ!」
「……へえそうなんだ」
昼休みのおやつタイム。
興奮したように報告してくる友人の菜々美に押され気味になりながらも、私は口に入れたチョコを飲み込むと何とかそう返した。
──まあ本人から既に直接聞いていたので知っているんだけど。
話題に出ている白川くん……白川優希(しらかわゆうき)は私、黒崎まりもの幼馴染みであり、実家の一つ隣に住んでいる超ご近所さんである。
幼稚園の頃から一緒。お互いの両親も気が合ったのか仲良しで家族ぐるみのお付き合いが長く続いている。
彼と私は不思議と反りがあったと言うか、中学校入った頃までは当たり前のように良く一緒に遊んでいた。同性の友だちから彼氏彼女とからかわれるのが嫌になったからでもある。
だって彼が可哀想ではないか、こんな丸まっちいのと良い仲だと思われたら。
優希は幼い頃から彼のお母さんが「こんなド平凡な親から生まれたとは思えないほどの突然変異」と呆れるほどの見目麗しい美少年だったので、普通に遊びに出掛けたり買い物で歩いているだけで芸能事務所のスカウトがあったり、通りすがりの女の子が驚き、ぼーっと見つめている人が多発していた。
そしてそれは成長するごとに衰えることなく着実に進化して行った。
まあ両親も本人も華やかな世界への願望がないらしく、スカウトなどは全部秒で「興味ありませんので」と断っているらしいが、毎年のようにしつこく訪問して来て食い下がって来る事務所もあるようだ。
しかも頭も良くて手先も器用、礼儀正しくみんなに優しいわ、誰かの悪口を言っているのを聞いたこともない。個人的にはぶっちゃけそこらのアイドルをなぎ倒すレベルで見た目も人間的にも完成度が高いと思う。
ひきかえ私はと言えば、性格が大らかで体も大らかだけが取り柄のぽっちゃりした幼少期を送り、成長した今もそれは変わらない。顔と頭はごく普通としか言いようがない、丸みのあるモテない平凡女子。自分で言いたくはないが客観的に見て圧倒的モブである。
新婚旅行先の北海道で出来た子供で、その時に見た真ん丸のマリモが何か愛らしくってえ、などと言うシンプルな理由でまりもと名付けられなければ細身だったのかも知れない、と現実逃避したくなるが、そもそも両親ともに食べることが大好きだし、何しろ母親がメシウマ過ぎるので足掻いても無駄なのである。
辛うじてまだLサイズでとどまっているのは、せめて大学入るぐらいまでにはMサイズの服が入るようにダイエット出来るぐらいのぜい肉にしておかなければ確実に詰むからである。
大学と言う新しい環境に行けば、凡人でも出会いやときめきが生まれるかも知れない、と言う私のギリギリの理性と節制のたまものである。まあ節制してLサイズなのかと言われればそれまでなのだけど。
でも美味しいもの食べたら幸せな気持ちになるし、心が幸せであるのって人生で大切だと思うのよねえ。母に料理を習ってるから自分もメシウマルートを突き進んでるし、もし結婚する機会があれば旦那さんに美味しいご飯を作れるしね。両親が今もとても仲が良いのは、食が満たされているせいじゃないかと私は思っている。
父が以前、
「母さんのご飯が一生食べられる父さんはとんでもなく幸せな人間だ。そして美味しいものを共有出来る娘もいて本当に本当に幸せだ」
としみじみと言っていた。会社の飲み会すら断れないもの以外は参加しないし、ほぼ必ず夕食の時間には帰って来ている。母の料理が食べられなくなったら本当に絶望しかねないので、まあまず浮気の心配もないだろう。
それにしても私以上に両親は良く食べるのに、二人ともスリムなのが謎だし腹立たしい。
そんなことを考えていると、背後から呆れたような声が掛かる。
「ちょっとまりも。またお菓子食べてるのあんた? そんなんだからいつまで経っても痩せないのよ」
声の主は明らかだったので、振り返りもせずに返事をする。
「そうだねえ。まあ近いうちにダイエットするよ」
「高校三年生の夏、そしてそろそろ夏休みと言えば、バイトと海と恋の季節じゃないの! 呑気にもほどがあるでしょ。世の中の男はデブには優しくないのよ? 顔だってブスではないにしても平々凡々なんだし、せめてスタイルだけでも何とかしようと思わないの?」
「ちょっと言い過ぎじゃないの綾子? 何でいっつもまりもに対して攻撃的なのよ?」
菜々美が諫めるが、綾子は幼稚園の頃から割と全般的に歯に衣着せないタイプなのである。
ただ私への当たりが強い予想はつく。子供の頃の恨みだろう。
綾子が優希を単独で遊びに誘おうとしてあっさり「まりもと予定があるから」と断られること数知れず。
「まりもと一緒に三人で遊ぼうよ」
と譲歩しても、
「家で一緒に映画観たり本読んでるぐらいだし、退屈だと思うよ。それに綾子はすぐ外で遊びたがるし、疲れるから悪いけどごめんね」
と塩対応されて、幼稚園や学校で話すぐらいしか接点はなかっただろうと思う。
中学に入った頃にはもう優希を引っ張り出すのは不毛だからと強引に誘うのを諦めたようで、学校で世間話する程度の付き合いで満足しているらしい。現在は大学生の彼氏がいるから幸せなのだろうけど、昔優希に冷たくされた意趣返しのようなものである。
彼女も幼稚園からずっと小中高と一緒の学校なので、幼馴染みという枠ではあるのだが、前から何かと突っかかって来る子ではあった。ただ口は悪いが本気で不快になるようなことは言わないし。直接意地悪をするようなこともない。クラスメイトが私をからかうようなことを言うと真っ先に食ってかかったりするので、これがいわゆるツンデレという奴ではないかと私は思っている。なので私としては嫌いではない。むしろ裏表がないので大好きである。
まあ綾子が優希と外で遊びたかったと言うのも、彼女本人が可愛いので出先でチヤホヤされたいのもあるかも知れないが、一番は「優希を見せびらかしたい」からなのではないかと思う。
「あんたと優希はどんな関係なのよ?」
と何度も聞かれたが幼馴染みとしか言いようがなかった。
綾子は散々私に説教したあと、一人でやるのは不安だから、夏休みに一緒にみんなでバイトしないかなどと誘って来た。菜々美は乗り気だったが、私は制服がないところなら考えるよ、と答えてその場はお開きになった。
二人とも細いからいいだろうけど、用意された制服が入らなかったら乙女は傷つくのよ。
放課後、家に帰りつつ悶々とする。
──そりゃあ私だって、小さな頃は優希を王子様みたいと思っていた。初恋は優希だ。むしろ優しくて頭良くて格好いいなんて、全部セットのお子様ランチみたいなもので、身近にいて好きにならない方がおかしいだろう。
だが成長して行くにつれて、己と言うものが分かって来る。
例え現在スタイル抜群の体だったとしても、その他は平凡、モブはモブ。どう転んでも優希のような完全超人タイプと私との組み合わせはあり得ないと冷静に判断出来るだけの自己診断は出来た。と言うか、優希と私が恋人として並んでいる姿すら想像出来ない。世間様に申し訳ないとすら思う。
趣味友だちのような相手から恋心を伝えられても優希だって困るだろう。家族同士の付き合いもある。考えれば無下には出来ないだろうし、それに期待して気持ちを押し付けるのは卑怯だ。
そういう意味では諦めるのは早かった。
何年もかけて、淡々と接することが出来るぐらいにまで感情を封じ込めた。あくまでもご近所の仲の良い幼馴染み。だからこそ今でも優希は幼い頃のように家に出入りするし、私とも気兼ねなく仲良く出来ているのだろう。
玉砕するのが分かっていてもアタックするには、あまりにも捨てるのが惜しい関係だった。
そして一年ほど前のこと。
彼の父親が仕事の関係で三年間ほどアメリカに赴任することになり、離れるのは嫌だし不安だからと優希のお父さんがお母さんに泣きついた。優希は学校もあるから難しいが、頼むからお前だけでもついてきて欲しいと懇願されたそうだ。
優希のお母さんが、息子を一人で放置も出来ないしどうすれば……と母に相談したところ、うちの母がドーンと彼のお母さんの背中を叩き、「優希くんの食事の面倒ぐらいは見られるし、もう高校生なんだから身の回りぐらい出来るじゃない? 三年ぐらい大丈夫でしょ、何かあればうちを頼ればいいんだから」と豪快に笑って送り出したらしい。
「お金は白川さんが定期的に多すぎるぐらい送金して来るし、大学の学費の心配もないから、優希くんは好きなところに行けばいいよ」
と食事の時に父も優希に笑っていた。
そんな流れがあり、以前から両家族で一緒に食べることは多かったのだが、両親が海外に行ってからは優希はこの一年、朝と夕食は毎日うちに来て美味しい美味しいと嬉しそうな笑顔で食べて行く。
長年の親交から居心地悪いこともないらしく、既に親戚のようなものである。
普通ならば好きな男子と一緒に食事なんて、恋する女ならばラッキー! と思えるだろうが、何しろ私は気持ちを抑えているだけで、ずっと密かに優希のことは好きなのは変わらないのだ。
一緒にいる時間が増えると言うのも、それはそれで複雑な部分があるのである。
「──なあまりも、唐揚げ食べないならもらっていいかな?」
いつもの夕食タイム。
食事の支度を済ませた母は、父と一緒に友人夫婦とカラオケに行って来るねえ、と出掛けてしまったので今夜は珍しく二人での夕食である。
「え? ああうん、食べて食べて」
二人きりと言うのは思った以上に圧が強い。
そこらの芸能人よりイケメンでアニメ声優よりも魅惑的な声を持つ男が今夜は目の前で、美味しそうに、しかも所作も上品に食事をしてるというのは、非現実的と言うか、自分の生涯の幸運を日々散財している気がして仕方がない。目のご馳走でお腹いっぱいである。
ふと昼間考えていたことを思い出した。両親もいない今は丁度いい。
「優希、あのさ」
「……ん?」
ご飯のお代わりを入れて戻って来た優希が私を見つめた。
「倉田、さんとお付き合いするんだよね? ……食事の時はともかく、学校とかで私に話すのとかはやっぱマズいんじゃないかな?」
いくら幼馴染みとはいえ、異性と親しく話すのは不快だろうと思う。少なくとも私が彼女の立場なら絶対に嫌だし。
寂しい気持ちはあるものの、彼氏彼女の仲を自分が邪魔するみたいなのはよろしくない。
「は? いや何でさ。付き合わないよ?」
マヨネーズを唐揚げに付けて口に運んだ優希は、口の中を空にしてからあまりにもあっけらかんと答えたので私の方が驚いた。
「ちょ、何でよ? 学校でも評判の美人なのに!」
彼女なら二人で並んでも絵になるのだ。……もちろん優希の方が上なのだが、文句なしに美男美女のお似合いの組み合わせだ。
「いやだって好きでも何でもないし」
優希は食事を終えた皿を私のものも含めてシンクに運んで行く。これは食事を一緒にするようになってから母に頭を下げて、
「いつも美味しい食事を作って頂いているし、せめて洗い物ぐらいはさせて欲しいんです」
と懇願してやるようになったことである。
「じゃあ何でわざわざ報告したの?」
「断るつもりだったけど、答えは良く考えて明日お願いね! ってあの子サッサと帰っちゃったからさ。もし先にまりもが他の人から聞いたら変に誤解されそうでしょ。それに……」
「それに?」
「ああ、何でもない。そんなことより今夜のロードショー、『青の魔導士』劇場版なんだよ! せっかくだから一緒に観ようよ」
「ええ? 本当にっ?」
大好きなアニメの話でテンションが爆上がりした私は、その時に抱いていた小さな違和感をコロッと忘れ、いそいそとお茶の準備を始めるのだった。
「……まあたクッキーなんて食べて。一枚が何キロカロリーするか知ってるのまりも? 侮れないのよたかが数枚だって」
「……え? あははは、ごめんごめん」
「コーラグミ持って来たけど、またそんなこと言うなら綾子にはあげない」
「ちょっと、ごめんって」
昼休み。
相変わらずツンデレな綾子とおっとりした菜々美と一緒の、穏やかなおやつタイムである。
綾子が三人でやろうと誘って来た夏休みのバイトだが、八月頭からの約一カ月間、電車で一時間弱離れた場所にある可愛い海の家で働くことが決まっていた。
毎年夏は忙しいところらしいが、今年は猛暑だからもっと客足も増えるだろうと面接で言われ、三人一緒のシフトでも大歓迎と言ってくれた。制服もフリーサイズの大きめのTシャツのみである。
まあ九月に入れば大学の願書を出したり、勉強に気合を入れなければならなくなるのでバイトは難しい。せめて冬場に自由に出来るお小遣いは貯め込んだ方がいいよねえ、との考えは皆一致し、両親にも許しをもらった。
だが週五日ペース、フルタイムで働くと聞いて優希は眉間にシワを寄せた。
「バイトはいいと思うんだけどさ、クーラーも聞いてないところで長時間なんて大丈夫なの?」
「海の家がクーラー利かせるとか無理じゃない? 扉も窓も全開なんだから。それに一カ月だけだし、計算したら十五万ぐらいになるのよ。年末に発売予定のDVDもプレミアムボックスで注文出来るし、コミックスもちょっと気になっていた奴に散財出来るのよふふふふふ。まあ受験が済むまではあんまり楽しめないだろうけどさ。だから頑張ろうと思って。ダイエットになるかもだし」
「……そこは男性は募集してないの?」
「え? ああ焼きそば焼いたりビール運んだりする人は、毎年近くの大学から決まった人がバイトに来るって言ってたから募集はしてないと思う」
「そうなんだ……」
優希も十五万と聞いて心が動いたのかも知れない。
ただ優希の場合は一年目の夏に最初にバイトしたカフェで、バイトの女子同士が彼を巡ってバトルを繰り広げたり、ストーカーまがいに粘着されたのが怖くなって逃げるように辞めて以降、夏休みは女性がいないような日払いの肉体労働程度しかやっていない。顔が良すぎるのも不便なものだ。
モブでもそういう意味では利点はある。
「ちゃんとバイト料出たら、優希の好きな三島軒のレーズンサンドをプレゼントするからね!」
「ええっと、それはすごく嬉しいんだけど、心配だなあ……」
普段アルバイトなどしたこともない私が、いきなり挑むバイトにしてはハードだと思っているのだろうが、インドア派でむちむちのぜい肉はあっても体は至って健康だ。
「期間限定と思えば、ちょっとぐらいきつくても何とかなるものよ! 友だちも一緒だし」
私は笑顔で応えると、未来のバイト料で買いたいものに思いをはせていた。
期末試験も無事終わり、優希がポイントを教えてくれたのでかなりの好成績だった。
両親も大喜びである。
「バイトで浮かれて成績落ちてたら強化合宿に放り込んで、バイトは辞退させようかと思ってたけど、これも優希くんのお陰ねえ! 本当に助かったわ」
「本当に白川さんとこは良い息子持ったねえ」
母と父はご機嫌だったが、不思議なことに優希は笑顔は見せつつも少しだけ憂鬱そうな目を見せていた。……やっぱり優希も一緒にバイトしたかったのかな。味方が一緒なら安心だったのかも。
可哀想なのでレーズンサンドは二箱お取り寄せしてあげよう。
しかし炎天下の海の家を私たちは舐めていた。
「かき氷四つ! メロンとイチゴとブルーハワイと抹茶あずきです!」
「焼きそば二つお願いします! あと生ビールとレモンサワー入りまーす」
「ラーメンとポテト、それとコーラ二つお願いしまーす!」
天気は毎日晴天続きなのは嬉しいが、親子連れからカップルにサーファーまで入れ代わり立ち代わりでお客さんが現れる。
八時間の勤務で三十分ずつ食事休憩は取れたが、暑さと疲れでぐったりしてしまって持って来たお握りすら口に運ぶ気力が失せる。
私たち以上に辛いのはこの暑さで鉄板前で作業している大学生のお兄さんたちである。「カサカサになって死ぬ……」「もうフライドポテトと焼きそば嫌いになりそう俺」などと呟いて休憩スペースの日陰で愚痴をこぼしているのを見ると、運びのバイトの方が何倍も楽なのだと感じた。
だが驚いたことに、あれだけ落ちなかった体重も二週間で四キロ落ちた。これは朗報である。
優希は「こんなにやつれちゃって……本当に大丈夫なの?」とますます心配そうにしていたが、まだ平均体重より重たいのにやつれたもないものだ。友人補正と言うのは恐ろしい。
あれだけ痩せろ痩せろと言っていた綾子も心配しているようで、
「急に痩せると体にも良くないし、疲れた時には甘い物って言うから」
と菜々美や私にプチシュークリームや芋ようかんを持って来てくれたりする。
菜々美や綾子は元々ぜい肉が大してないせいか、体重はほぼ変化がないらしい。
個人的には自分の抱えていた約五キロの米袋が一つ分なくなったようなもので、むしろ軽快に動けるようになったことが嬉しい。二、三日働いて一日休みになっているのも疲れがリセット出来るので助かる。バイト自体は辛かったがこんな副産物があるとは思っていなかった。
頑固な脂肪よグッバーイ。
残りの日程であと三キロぐらい減ってくれないかなあ、などと贅沢なことを考えていたのだが、少しとはいえ体がスッキリしたせいなのか、このモブな私が海の家で働く大学生に声を掛けられるようになった。この喜びは何物にも代えがたかった。何しろ初の出来事だもん。
「まりもちゃんたちさ、バイト終わったらお疲れ打ち上げで皆で食事でもしないか? 流石に高校生にお酒は勧められないからノンアルで」
「あ、えーと、そうですね。二人と家族に相談しておきます」
菜々美と綾子は丁度ご飯休憩でいないので緊張し、返事もドギマギしてしまう。
まあ男性との交流経験値がほぼゼロなのと、やはり親に隠しごとをするような外出は避けたい。
大学生とはいえ、かなり年上の人たちばかりなのも実は少々怖い。バテたり愚痴はこぼしてもきちんと仕事もしているから、悪い人たちではなさそうだけど、短期間の仕事付き合いだし中身も良く知らないもんね。
「……え? 家族に許可得るの? 高校生で?」
「学校の子とかなら買い物に行く程度は事後報告とかもありますけど。まあ食事は家族そろってが基本の家なので」
「へ、へえ、何かお嬢様みたいだねえ」
少し驚いたような顔をされたが、我が家はごく普通の一般家庭だ。
優希の方はお母さんの実家がかなり裕福だし、お父さんも有名企業で現在は役職についているのでお金持ちと言える。何故いまだに我が家のいっこ隣の建売住宅に住んでいるのか家族で不思議がっていた。──ああ、あの完成度でお金持ちの家の子供でもあったんだわ。
改めて優希は「私が痩せたところでどうにかなる人でもないんだ」と諦めがつき、結局まだ辛うじて残っていたかすかな願望も消すしかない、と苦笑した。
お疲れ会は、両親は「綾子ちゃんと菜々美ちゃんが一緒なら安心ね」と快くオーケーをもらったのだが、優希はものすごく不機嫌だった。
「……何で? お疲れ会なら綾子たちとだけやればいいじゃない」
「まあそうなんだけど。ほら、来年には受かれば大学生じゃない私も? クラスの男子とも最低限の会話しかしないし、優希以外の男性とも物怖じせず、普通に話せるよう訓練した方がいいんじゃないかと思って。こういうのは慣れじゃないかと思うんだよね」
長い付き合いの優希は別にして、異性に関しては引っ込み思案というか緊張してしまい、あんまり気軽に話が出来るタイプではない。
だけど大学生になったら男子も女子も同じキャンパスにいる訳だし、サークルとかゼミとかでの付き合いもゼロじゃない。その後会社勤めだってするのだし、いつまでも不安だとか言ってられない。
そう必死に訴えると、
「そこまで考えているのなら……」
と理解してもらえた。
考えて見ると、何故優希に了承を得ないとならないんだと考えなくもなかったが、単に幼馴染みとしてでもいいから彼に嫌われたくないのだ。今の関係を崩すのは絶望しかない。
綾子も菜々美もお疲れ会自体は三人一緒だし問題ないよね、となったが、優希も認めてくれたと言ったら心底驚いた顔をした。
「本当に? 優希が? ちゃんと男性もいるって報告した?」
「え? したけど。大学生になる前に少し男性慣れしたいから、とも伝えたよ」
「へえええ……あの優希がねえ。成長したのねえ……」
「んん? どういうこと?」
「いや、まあまりもは小心者だし、知らない人に妙に警戒心強いからね。少しは接し方を学んだ方がいいって考え直したのかな。私たちもいるから任されたって感じ?」
「可愛い子には旅をさせろとか言うもんね。でも責任重大ねえ」
綾子と菜々美が小声でコソコソと話しているので、
「……ねえちょっと、何なのよ?」
と尋ねると、二人は揃ったようにんーん、と首を横に振った。
「ま、どちらにせよ、皆でぱーっと美味しいもの食べて、気持ち切り替えて受験勉強しましょ」
「そうねそうね」
「美味しいものは正義だよね」
私は未知の美味しいものを思い、二人に相槌を打った。
「お疲れさまでーす」
「かんぱーい!」
「いやあ~しんどかった!」
バイトの最終日の翌日。
私たち三人とバイトの大学生のお兄さん三人計六名は、ターミナル駅のそばのクーラーの利いた落ち着いた雰囲気の居酒屋の個室で疲れをねぎらった。
リーズナブルな値段でセット料理が出て、ソフトドリンクもアルコールも飲み放題。お兄さんたちはビールやサワーを飲んでいたが、私たちにアルコールを勧めることはなかったし、酔っ払って馴れ馴れしく絡むような人たちでもなかったので一安心だ。
料理もとびきり美味しいという感じではなかったけど、フライドポテトにつけるタラコのソースが気に入ったので、今度家で作って見ようと思った。優希がフライドポテト好きなんだよね。
八月もお盆を過ぎて後半になると、海にクラゲが大量発生したり台風が来たりで暇な日も増えたので、私の頑固な脂肪は五キロ減で止まってしまったのは残念だったけど、初のバイトを完走出来た達成感で気分はとても良かった。
月末には店長がお給料を振り込んでくれるとのことで、食事会の席ではバイト料を何に使うかとか、変なお客さんの話などで盛り上がったし、バイトでの失敗談などで笑わせてくれたりした。
バイト仲間ってだけで良く知らない男性が三人いても、綾子たちもいるし、安心して二時間普通に過ごせたのは私としては頑張ったと思う。ちょっと気疲れはしたけど。
時々綾子がスマホをポチポチとしていたので、
「彼氏?」
と聞いたらまあね、と笑みを向けた。
やっぱり恋人とかいると異性がいる場所は疑われないように気を遣うんだな、と感心した。
まあ綾子も菜々美も別の相手と浮気とか「いや、マジでキモいんですけど」とか言う子なので彼氏もそういう意味では疑ってないのだろうけど、安心感を与える配慮は大事よね。
食事も済んで、それじゃあお開きにという流れになったのだが、お酒は強い人と弱い人がいて、お酒が入るとやたらとしつこくなる人もいる。
「えー、もう帰るの? せっかくだからもう一軒カラオケとか行こうよ~」
「全然話したりないじゃん」
などと引き止められて、なかなか帰らせてもらえない。
「すみません、親が心配しますので」
「彼氏に怒られちゃいますんで~」
「あはは、皆さん飲みすぎですよ」
とサラっと帰ろうとした私の腕を掴んだお兄さんが、
「やだ。帰らないでよー」
などと言い出したので途方に暮れた。お酒って怖い。
何とか引っぺがしたいが、結構力が強くて少し恐怖心が出て来た辺りで、誰かがべりっと力強くそのお兄さんの手を剥がしてくれた。
「嫌がっている女の子にウザ絡みしないでもらえますか?」
「──え? 優希?」
「俺の彼女に馴れ馴れしく触らないでくれるかな」
別の声もしたので振り返ると、写真で見たことのある綾子の彼氏が、肩を掴んでいたお兄さんの手を振り払っていた。菜々美を見ると一歳下の柔道部の弟くんが近くに立っていた。体格も良くて強面なので、いる男性の中で一番年上に見えた。
「は? え? 何?」
強引に私たちを誘って来た大学生のお兄さんたちは、急に現れた優希たちに戸惑った声を上げ、酔いも少し醒めたようだ。
「……ええっと、すみません俺らちょっと酔っ払ってしまって」
「本当に申し訳ありませんでした!」
小声でごにょごにょ言い訳しながら危なげな足元でよろよろと離れて行った。
「向こうがお酒を飲み出したから、ちょっと心配でお迎え頼んでたのよ。菜々美もトイレに立った時に弟に連絡してもらったの。何事もなく済んで良かったわ」
私が展開が分からず呆然としていると、綾子がそう耳打ちしてくれた。
綾子の父は普段は優しかったがアルコールが入ると暴言や暴力を振るう人で、それで親が離婚した経緯があり、お酒で人が変わることがあると言うのを身をもって知っている子だった。
「──あっ、スマホいじっていたのはそのため?」
「ぴんぽーん。まりもも菜々美も強引な人に強く出られるタイプじゃないもの。お酒を勧められなかったのは良かったけど、やっぱり酒癖の悪い人はどこにでもいるわね」
「綾子、ありがとう。本当に助かった」
正直、下手したら危ない目にあっていた可能性もある。
「ほら、だから言ったじゃないか男には気をつけろって! ほら帰るぞ。綾子、連絡くれてありがとう。お前がまりもの友人で本当に良かった」
頭を下げる優希に綾子がニヤリと笑みを浮かべた。
「そうよ~、感謝しなさい。あ、一生女神として崇め奉ってくれてもいいわよ」
「それは絶対断る」
「ちぇ。まあいいわ、菜々美もフットワークの軽い弟君にお礼言いなさいよ」
「うん、綾子、ありがとう!」
「それじゃ私は彼氏とデートに行くのでこれにてどろん。んじゃ新学期にね~」
ひらひらと手を振って彼氏と腕を組んで歩いて行く綾子は、ほれぼれするほど格好良かった。
「──まりも、家に送る前にちょっと家に寄って欲しいんだけどいいかな?」
地元の駅に着くと、優希がそう言って私を見た。
「それは構わないけど……?」
どうせお隣のお隣さんで大した距離でもないし、今日は優希に迎えに来てもらった感謝でいっぱいの私である。断る理由もない。
優希の家は見た目は我が家とほぼ同じ三LDKの普通の一軒家だが、内装はかなり大々的なリフォームをしており、無駄な壁を取り払って二階まで吹き抜けまであったり、リビングが白を基調にペルシャ絨毯が敷いてあったりと豪華な造りになっている。
一年も親がいないと掃除も行き届かないのではと思ったが、前来た頃と同じように整頓されており、掃除機などもマメにかけているようで埃っぽさもない。どこまでもチートな男である。
「おじさんとおばさんがアメリカ行ってから初めて来たけど、綺麗にしてるね。感心感心」
「まあ戻って来た時にゴミ屋敷だったら父さんたちに追い出されるしね。あ、こっちこっち」
アイスティーを淹れた盆を持って優希が手招きするので一緒に二階へ上がった。
「そこ座って」
「え、うん」
改まってなんだろうか。今日の説教は電車の中で散々されたのだけど。軽率な行動を心底反省している。
「……あのさあ、俺たちもう十五年だよ? 十五年」
呆れたように呟く優希に私は首を捻る。
「十五年? ……ああ、幼稚園からの付き合いってことよね。考えてみたら長いわよね」
「出会ってからこんなに年月経ってるのに身近にいてさ。普通こう、何とも思わないの? 『優希くん優しくて好き!』とか、『そばにいるから分からなかったけど優希って魅力的だったんだね』とかさ」
「……は?」
何を言っているのか分からない。
「優希は格好いいでしょう? あちこちからスカウトされるぐらいイケメンだし、頭も良いし、性格だって意地悪なとこ一切ないし。完璧超人だよ? 何? 誰かに何かディスられた?」
私を黙って見ていた優希は、深く深くため息を吐いた。
「……そうだ、そうだったんだよ。まりもはこういう奴だった……」
「ごめん、何か気に障った? でも毎回格好いいとか言うのっておかしいじゃない? 毎日制服のネクタイしてるね、とか当たり前のことって言わないよね? それとも言って欲し──」
優希はそうじゃなくて、と手でさえぎった。
「これ見てくれる?」
引き出しから出した十冊以上の学生ノートのタイトルを見てぎょっとした。
『まりも・四歳』から始まり『まりも・十八歳』まである。
「な、な、何これ」
「見ていいよ」
そう言われ恐る恐る中を開くと、小さな頃は大きな文字で私と何をした、どこそこに行った、などと書いてある普通の絵日記風だったが、小学校高学年から中学、高校へ行くにしたがって優希の脳がバグったような文字列が並び出した。
『親にまりもちゃんと結婚するためにはどうしたらいいのかと聞いたら、まりもちゃんががすごいと尊敬するような立派な男性になる努力をしなさい、と言われたので勉強もスポーツもがんばる』
『制服着てる男の人は格好いいよね、とアニメを観ている時にまりもが言った。だが自衛隊や警察官など制服の仕事は沢山あるが、仕事で長期不在になることもあると聞いて却下した。まりもと一週間以上離れてたら禁断症状が出る』
『少しずつ関係が変わるかもと思っていたが、ちっともまりもが俺を男性として見ていない気がして落ち込む。高校に入った時にまりものご両親にも頭を下げて、異性として意識してもらって、お付き合いして結婚してもらうためにはどうすればいいだろうか、と正直に尋ねたが、まりもは親から見ても優しいし料理は上手いし温和で良い子だが、なにぶんぽっちゃりしているのを気にして自己評価が低い。優希くんみたいな何でも平均以上の子にそんなこと言われても冗談だと思われる可能性が高い。ただ急に距離を詰めようとすると逃げる可能性もあるので、徐々に気持ちが伝わるようにすればいいのでは、とのアドバイスを受けた』
『もう高校三年。何とかまりもの勉強を見て成績を上げる。色々と便利だから、と同じ大学へ行くよう誘導できたのはいいが、距離感が全く変わらないのはどういうことだ。やきもちでも焼いてくれるかと学校で美人と評判の子から告白された時に真っ先に伝えたのに、どうして付き合わないの? などと言われてしまった。泣きたい。お義父さんお義母さん、あなたたちの娘に俺の気持ちは一生伝わらないかも知れません』
「……」
「いやもうドン引きされるとは思ったけど、もういい加減気づいてくれても良くないか? と思って正直に見せることにした」
いつの間にか正座していた優希をぼんやりと眺める。
「あのう……これ読んでると、まるで幼稚園の頃から恋愛的な意味で私のことが好き、みたいに見えるんだけど……あ、勘違いだったら申し訳ないけど」
「その通りだけど?」
「いやいや、有り得ないでしょ。何で優希が私を?」
モブもモブ。どこにでもいる、オプションにぜい肉がついた平凡女子の私に、なぜ二次元よりも完成度の高い男が惚れるのだ。おかしいに決まってる。
「──小さな頃、まりもがオムライスに入っていたグリンピースとハンバーグについてた甘いニンジン食べてくれたのが始まりだった。覚えてる?」
待ってよ恋の始まり食べ物関連なの? と一瞬ツッコミたくなったがこらえた。
「……うっすらしか覚えてないかも。多分苦手だって言うから残したらもったいないと思って食べたんだったかなあ」
「そう。でもすっごく美味しそうに食べてた」
「好きだからねどっちも」
「その笑顔がすごく好きだなと思った。うち両親がその頃共働きで忙しくて、ご飯とかもおばあちゃん家で食べたりしてて、皆で一緒に食べることが少なかったから、食べることが楽しいことだって思ったことなかったし。……黒崎のおじさんとおばさんたちと仲良くなって、一緒に食事したりするようになってから親も食事の大切さを知ったみたいでさ。ちょっとぎくしゃくしていた感じだったのが段々仲良くなって来たんだ」
「え……そうだったんだ」
ずっと仲良しの印象だったけど、時々しか会わなかったし、大人の事情なんて分からないよね子供の頃なんて。
「今はすっかり仲良し夫婦だけどね。黒崎家に助けられたわ、って母さんいつも言ってるから」
「うちの食べ道楽の能天気な両親がお役に立てたのなら幸いだわ」
「うん。本当に感謝してる。……で、まりもと食事してると、いつも楽しそうだったり美味しそうだったり、外食で美味しくないものを食べてる時は全部残さず食べるんだけど、悲しそうに眉が八の字になってたりして、面白くて仕方がなくて、それから目が離せなくなった。もちろん趣味とか性格的な部分も大好きなんだけど、一番は幸せそうに食べてるところ。自分も満たされる気持ちになる」
ずっと片思いだと思っていた男性に両思いだったと告白されたのは嬉しいが、エピソードがほぼ食べ物絡みばっかりなのはどうなのだろう、と少し切ない。
「周りからじっくり行けと言われて頑張って来たけど、十五年経っても何にも変わらないなら二十年、三十年経っても変わらなくて、気がつけば違う誰かと結婚するんじゃないかと思って耐えられなくなった。まりも日記とかキモいと思われるだろうけど、ここまでの我慢を外にぶつけられないし」
「……まあ正直ガチで引いたわ」
「うん……だよね」
「でも、私もずっと好きだったよ。今もだけど。だけど優希みたいな優秀な人は頭のいい美人と結婚して幸せになるべきだ、釣り合わないって思ったから、感情は隠すことにしたの。なまじ親しい家族付き合いしてるとさ、言いづらいものもあるでしょう? ……だけど」
「──だけど?」
「いくらイケメンだろうが高スペックだろうが、十年以上も日記をつけるぐらい私を病的に好きな変態を野放しにするのはいけないんじゃないかと思うの。それなら手元で美味しいご飯作って健康管理に勤しんで、なるべく優希を長期間世間様の目の保養にして頂く方がいいのかなと考え始めたところ」
「え? それじゃ──」
キラキラ輝くような美貌に涙をにじませないで欲しい。未だにドッキリで誰かプレート持って現れるんじゃないかと疑ってるぐらいなのに。
「お付き合いするとしても結婚なんてまだまだ先の話だし、今後優希が好きな人が出来るかも知れないから、あくまでも将来的に問題がなければ結婚予定ってことでもいい?」
「俺は今までもまりも以外に興味が湧いたことないから全く問題ない」
嬉しそうに頷く優希に、やはりこれはドッキリではないのかもと思う。
「あ! そうだ! これは見せる予定じゃなかったんだけど、恋人からいずれ奥さんになるんだし是非見て欲しい。今後の俺の進路と就職スケジュールなんだけど……」
そう言いながら優希はいそいそと鍵のついた引き出しから新たなノートを引っ張り出し、大学出たら収入の良い外資系に勤めて、私を国内外の美味しいものツアーに連れて行く、子供は二人以上は欲しい、みたいな話を延々と始められ、
(……優希って、こんなに頭良くて格好いいのに、何というか、アホ可愛いな)
とおかしくなってしまい、引け目みたいなものが少し消えた気がした。
付き合ってみたら彼だって理想と現実みたいなものが分かるかも知れないし、お互いが好きな間は仲良くやって行こう。
──まさか本当にその七年後、結婚まで至るとはその時は思いもしなかった。
「……へえそうなんだ」
昼休みのおやつタイム。
興奮したように報告してくる友人の菜々美に押され気味になりながらも、私は口に入れたチョコを飲み込むと何とかそう返した。
──まあ本人から既に直接聞いていたので知っているんだけど。
話題に出ている白川くん……白川優希(しらかわゆうき)は私、黒崎まりもの幼馴染みであり、実家の一つ隣に住んでいる超ご近所さんである。
幼稚園の頃から一緒。お互いの両親も気が合ったのか仲良しで家族ぐるみのお付き合いが長く続いている。
彼と私は不思議と反りがあったと言うか、中学校入った頃までは当たり前のように良く一緒に遊んでいた。同性の友だちから彼氏彼女とからかわれるのが嫌になったからでもある。
だって彼が可哀想ではないか、こんな丸まっちいのと良い仲だと思われたら。
優希は幼い頃から彼のお母さんが「こんなド平凡な親から生まれたとは思えないほどの突然変異」と呆れるほどの見目麗しい美少年だったので、普通に遊びに出掛けたり買い物で歩いているだけで芸能事務所のスカウトがあったり、通りすがりの女の子が驚き、ぼーっと見つめている人が多発していた。
そしてそれは成長するごとに衰えることなく着実に進化して行った。
まあ両親も本人も華やかな世界への願望がないらしく、スカウトなどは全部秒で「興味ありませんので」と断っているらしいが、毎年のようにしつこく訪問して来て食い下がって来る事務所もあるようだ。
しかも頭も良くて手先も器用、礼儀正しくみんなに優しいわ、誰かの悪口を言っているのを聞いたこともない。個人的にはぶっちゃけそこらのアイドルをなぎ倒すレベルで見た目も人間的にも完成度が高いと思う。
ひきかえ私はと言えば、性格が大らかで体も大らかだけが取り柄のぽっちゃりした幼少期を送り、成長した今もそれは変わらない。顔と頭はごく普通としか言いようがない、丸みのあるモテない平凡女子。自分で言いたくはないが客観的に見て圧倒的モブである。
新婚旅行先の北海道で出来た子供で、その時に見た真ん丸のマリモが何か愛らしくってえ、などと言うシンプルな理由でまりもと名付けられなければ細身だったのかも知れない、と現実逃避したくなるが、そもそも両親ともに食べることが大好きだし、何しろ母親がメシウマ過ぎるので足掻いても無駄なのである。
辛うじてまだLサイズでとどまっているのは、せめて大学入るぐらいまでにはMサイズの服が入るようにダイエット出来るぐらいのぜい肉にしておかなければ確実に詰むからである。
大学と言う新しい環境に行けば、凡人でも出会いやときめきが生まれるかも知れない、と言う私のギリギリの理性と節制のたまものである。まあ節制してLサイズなのかと言われればそれまでなのだけど。
でも美味しいもの食べたら幸せな気持ちになるし、心が幸せであるのって人生で大切だと思うのよねえ。母に料理を習ってるから自分もメシウマルートを突き進んでるし、もし結婚する機会があれば旦那さんに美味しいご飯を作れるしね。両親が今もとても仲が良いのは、食が満たされているせいじゃないかと私は思っている。
父が以前、
「母さんのご飯が一生食べられる父さんはとんでもなく幸せな人間だ。そして美味しいものを共有出来る娘もいて本当に本当に幸せだ」
としみじみと言っていた。会社の飲み会すら断れないもの以外は参加しないし、ほぼ必ず夕食の時間には帰って来ている。母の料理が食べられなくなったら本当に絶望しかねないので、まあまず浮気の心配もないだろう。
それにしても私以上に両親は良く食べるのに、二人ともスリムなのが謎だし腹立たしい。
そんなことを考えていると、背後から呆れたような声が掛かる。
「ちょっとまりも。またお菓子食べてるのあんた? そんなんだからいつまで経っても痩せないのよ」
声の主は明らかだったので、振り返りもせずに返事をする。
「そうだねえ。まあ近いうちにダイエットするよ」
「高校三年生の夏、そしてそろそろ夏休みと言えば、バイトと海と恋の季節じゃないの! 呑気にもほどがあるでしょ。世の中の男はデブには優しくないのよ? 顔だってブスではないにしても平々凡々なんだし、せめてスタイルだけでも何とかしようと思わないの?」
「ちょっと言い過ぎじゃないの綾子? 何でいっつもまりもに対して攻撃的なのよ?」
菜々美が諫めるが、綾子は幼稚園の頃から割と全般的に歯に衣着せないタイプなのである。
ただ私への当たりが強い予想はつく。子供の頃の恨みだろう。
綾子が優希を単独で遊びに誘おうとしてあっさり「まりもと予定があるから」と断られること数知れず。
「まりもと一緒に三人で遊ぼうよ」
と譲歩しても、
「家で一緒に映画観たり本読んでるぐらいだし、退屈だと思うよ。それに綾子はすぐ外で遊びたがるし、疲れるから悪いけどごめんね」
と塩対応されて、幼稚園や学校で話すぐらいしか接点はなかっただろうと思う。
中学に入った頃にはもう優希を引っ張り出すのは不毛だからと強引に誘うのを諦めたようで、学校で世間話する程度の付き合いで満足しているらしい。現在は大学生の彼氏がいるから幸せなのだろうけど、昔優希に冷たくされた意趣返しのようなものである。
彼女も幼稚園からずっと小中高と一緒の学校なので、幼馴染みという枠ではあるのだが、前から何かと突っかかって来る子ではあった。ただ口は悪いが本気で不快になるようなことは言わないし。直接意地悪をするようなこともない。クラスメイトが私をからかうようなことを言うと真っ先に食ってかかったりするので、これがいわゆるツンデレという奴ではないかと私は思っている。なので私としては嫌いではない。むしろ裏表がないので大好きである。
まあ綾子が優希と外で遊びたかったと言うのも、彼女本人が可愛いので出先でチヤホヤされたいのもあるかも知れないが、一番は「優希を見せびらかしたい」からなのではないかと思う。
「あんたと優希はどんな関係なのよ?」
と何度も聞かれたが幼馴染みとしか言いようがなかった。
綾子は散々私に説教したあと、一人でやるのは不安だから、夏休みに一緒にみんなでバイトしないかなどと誘って来た。菜々美は乗り気だったが、私は制服がないところなら考えるよ、と答えてその場はお開きになった。
二人とも細いからいいだろうけど、用意された制服が入らなかったら乙女は傷つくのよ。
放課後、家に帰りつつ悶々とする。
──そりゃあ私だって、小さな頃は優希を王子様みたいと思っていた。初恋は優希だ。むしろ優しくて頭良くて格好いいなんて、全部セットのお子様ランチみたいなもので、身近にいて好きにならない方がおかしいだろう。
だが成長して行くにつれて、己と言うものが分かって来る。
例え現在スタイル抜群の体だったとしても、その他は平凡、モブはモブ。どう転んでも優希のような完全超人タイプと私との組み合わせはあり得ないと冷静に判断出来るだけの自己診断は出来た。と言うか、優希と私が恋人として並んでいる姿すら想像出来ない。世間様に申し訳ないとすら思う。
趣味友だちのような相手から恋心を伝えられても優希だって困るだろう。家族同士の付き合いもある。考えれば無下には出来ないだろうし、それに期待して気持ちを押し付けるのは卑怯だ。
そういう意味では諦めるのは早かった。
何年もかけて、淡々と接することが出来るぐらいにまで感情を封じ込めた。あくまでもご近所の仲の良い幼馴染み。だからこそ今でも優希は幼い頃のように家に出入りするし、私とも気兼ねなく仲良く出来ているのだろう。
玉砕するのが分かっていてもアタックするには、あまりにも捨てるのが惜しい関係だった。
そして一年ほど前のこと。
彼の父親が仕事の関係で三年間ほどアメリカに赴任することになり、離れるのは嫌だし不安だからと優希のお父さんがお母さんに泣きついた。優希は学校もあるから難しいが、頼むからお前だけでもついてきて欲しいと懇願されたそうだ。
優希のお母さんが、息子を一人で放置も出来ないしどうすれば……と母に相談したところ、うちの母がドーンと彼のお母さんの背中を叩き、「優希くんの食事の面倒ぐらいは見られるし、もう高校生なんだから身の回りぐらい出来るじゃない? 三年ぐらい大丈夫でしょ、何かあればうちを頼ればいいんだから」と豪快に笑って送り出したらしい。
「お金は白川さんが定期的に多すぎるぐらい送金して来るし、大学の学費の心配もないから、優希くんは好きなところに行けばいいよ」
と食事の時に父も優希に笑っていた。
そんな流れがあり、以前から両家族で一緒に食べることは多かったのだが、両親が海外に行ってからは優希はこの一年、朝と夕食は毎日うちに来て美味しい美味しいと嬉しそうな笑顔で食べて行く。
長年の親交から居心地悪いこともないらしく、既に親戚のようなものである。
普通ならば好きな男子と一緒に食事なんて、恋する女ならばラッキー! と思えるだろうが、何しろ私は気持ちを抑えているだけで、ずっと密かに優希のことは好きなのは変わらないのだ。
一緒にいる時間が増えると言うのも、それはそれで複雑な部分があるのである。
「──なあまりも、唐揚げ食べないならもらっていいかな?」
いつもの夕食タイム。
食事の支度を済ませた母は、父と一緒に友人夫婦とカラオケに行って来るねえ、と出掛けてしまったので今夜は珍しく二人での夕食である。
「え? ああうん、食べて食べて」
二人きりと言うのは思った以上に圧が強い。
そこらの芸能人よりイケメンでアニメ声優よりも魅惑的な声を持つ男が今夜は目の前で、美味しそうに、しかも所作も上品に食事をしてるというのは、非現実的と言うか、自分の生涯の幸運を日々散財している気がして仕方がない。目のご馳走でお腹いっぱいである。
ふと昼間考えていたことを思い出した。両親もいない今は丁度いい。
「優希、あのさ」
「……ん?」
ご飯のお代わりを入れて戻って来た優希が私を見つめた。
「倉田、さんとお付き合いするんだよね? ……食事の時はともかく、学校とかで私に話すのとかはやっぱマズいんじゃないかな?」
いくら幼馴染みとはいえ、異性と親しく話すのは不快だろうと思う。少なくとも私が彼女の立場なら絶対に嫌だし。
寂しい気持ちはあるものの、彼氏彼女の仲を自分が邪魔するみたいなのはよろしくない。
「は? いや何でさ。付き合わないよ?」
マヨネーズを唐揚げに付けて口に運んだ優希は、口の中を空にしてからあまりにもあっけらかんと答えたので私の方が驚いた。
「ちょ、何でよ? 学校でも評判の美人なのに!」
彼女なら二人で並んでも絵になるのだ。……もちろん優希の方が上なのだが、文句なしに美男美女のお似合いの組み合わせだ。
「いやだって好きでも何でもないし」
優希は食事を終えた皿を私のものも含めてシンクに運んで行く。これは食事を一緒にするようになってから母に頭を下げて、
「いつも美味しい食事を作って頂いているし、せめて洗い物ぐらいはさせて欲しいんです」
と懇願してやるようになったことである。
「じゃあ何でわざわざ報告したの?」
「断るつもりだったけど、答えは良く考えて明日お願いね! ってあの子サッサと帰っちゃったからさ。もし先にまりもが他の人から聞いたら変に誤解されそうでしょ。それに……」
「それに?」
「ああ、何でもない。そんなことより今夜のロードショー、『青の魔導士』劇場版なんだよ! せっかくだから一緒に観ようよ」
「ええ? 本当にっ?」
大好きなアニメの話でテンションが爆上がりした私は、その時に抱いていた小さな違和感をコロッと忘れ、いそいそとお茶の準備を始めるのだった。
「……まあたクッキーなんて食べて。一枚が何キロカロリーするか知ってるのまりも? 侮れないのよたかが数枚だって」
「……え? あははは、ごめんごめん」
「コーラグミ持って来たけど、またそんなこと言うなら綾子にはあげない」
「ちょっと、ごめんって」
昼休み。
相変わらずツンデレな綾子とおっとりした菜々美と一緒の、穏やかなおやつタイムである。
綾子が三人でやろうと誘って来た夏休みのバイトだが、八月頭からの約一カ月間、電車で一時間弱離れた場所にある可愛い海の家で働くことが決まっていた。
毎年夏は忙しいところらしいが、今年は猛暑だからもっと客足も増えるだろうと面接で言われ、三人一緒のシフトでも大歓迎と言ってくれた。制服もフリーサイズの大きめのTシャツのみである。
まあ九月に入れば大学の願書を出したり、勉強に気合を入れなければならなくなるのでバイトは難しい。せめて冬場に自由に出来るお小遣いは貯め込んだ方がいいよねえ、との考えは皆一致し、両親にも許しをもらった。
だが週五日ペース、フルタイムで働くと聞いて優希は眉間にシワを寄せた。
「バイトはいいと思うんだけどさ、クーラーも聞いてないところで長時間なんて大丈夫なの?」
「海の家がクーラー利かせるとか無理じゃない? 扉も窓も全開なんだから。それに一カ月だけだし、計算したら十五万ぐらいになるのよ。年末に発売予定のDVDもプレミアムボックスで注文出来るし、コミックスもちょっと気になっていた奴に散財出来るのよふふふふふ。まあ受験が済むまではあんまり楽しめないだろうけどさ。だから頑張ろうと思って。ダイエットになるかもだし」
「……そこは男性は募集してないの?」
「え? ああ焼きそば焼いたりビール運んだりする人は、毎年近くの大学から決まった人がバイトに来るって言ってたから募集はしてないと思う」
「そうなんだ……」
優希も十五万と聞いて心が動いたのかも知れない。
ただ優希の場合は一年目の夏に最初にバイトしたカフェで、バイトの女子同士が彼を巡ってバトルを繰り広げたり、ストーカーまがいに粘着されたのが怖くなって逃げるように辞めて以降、夏休みは女性がいないような日払いの肉体労働程度しかやっていない。顔が良すぎるのも不便なものだ。
モブでもそういう意味では利点はある。
「ちゃんとバイト料出たら、優希の好きな三島軒のレーズンサンドをプレゼントするからね!」
「ええっと、それはすごく嬉しいんだけど、心配だなあ……」
普段アルバイトなどしたこともない私が、いきなり挑むバイトにしてはハードだと思っているのだろうが、インドア派でむちむちのぜい肉はあっても体は至って健康だ。
「期間限定と思えば、ちょっとぐらいきつくても何とかなるものよ! 友だちも一緒だし」
私は笑顔で応えると、未来のバイト料で買いたいものに思いをはせていた。
期末試験も無事終わり、優希がポイントを教えてくれたのでかなりの好成績だった。
両親も大喜びである。
「バイトで浮かれて成績落ちてたら強化合宿に放り込んで、バイトは辞退させようかと思ってたけど、これも優希くんのお陰ねえ! 本当に助かったわ」
「本当に白川さんとこは良い息子持ったねえ」
母と父はご機嫌だったが、不思議なことに優希は笑顔は見せつつも少しだけ憂鬱そうな目を見せていた。……やっぱり優希も一緒にバイトしたかったのかな。味方が一緒なら安心だったのかも。
可哀想なのでレーズンサンドは二箱お取り寄せしてあげよう。
しかし炎天下の海の家を私たちは舐めていた。
「かき氷四つ! メロンとイチゴとブルーハワイと抹茶あずきです!」
「焼きそば二つお願いします! あと生ビールとレモンサワー入りまーす」
「ラーメンとポテト、それとコーラ二つお願いしまーす!」
天気は毎日晴天続きなのは嬉しいが、親子連れからカップルにサーファーまで入れ代わり立ち代わりでお客さんが現れる。
八時間の勤務で三十分ずつ食事休憩は取れたが、暑さと疲れでぐったりしてしまって持って来たお握りすら口に運ぶ気力が失せる。
私たち以上に辛いのはこの暑さで鉄板前で作業している大学生のお兄さんたちである。「カサカサになって死ぬ……」「もうフライドポテトと焼きそば嫌いになりそう俺」などと呟いて休憩スペースの日陰で愚痴をこぼしているのを見ると、運びのバイトの方が何倍も楽なのだと感じた。
だが驚いたことに、あれだけ落ちなかった体重も二週間で四キロ落ちた。これは朗報である。
優希は「こんなにやつれちゃって……本当に大丈夫なの?」とますます心配そうにしていたが、まだ平均体重より重たいのにやつれたもないものだ。友人補正と言うのは恐ろしい。
あれだけ痩せろ痩せろと言っていた綾子も心配しているようで、
「急に痩せると体にも良くないし、疲れた時には甘い物って言うから」
と菜々美や私にプチシュークリームや芋ようかんを持って来てくれたりする。
菜々美や綾子は元々ぜい肉が大してないせいか、体重はほぼ変化がないらしい。
個人的には自分の抱えていた約五キロの米袋が一つ分なくなったようなもので、むしろ軽快に動けるようになったことが嬉しい。二、三日働いて一日休みになっているのも疲れがリセット出来るので助かる。バイト自体は辛かったがこんな副産物があるとは思っていなかった。
頑固な脂肪よグッバーイ。
残りの日程であと三キロぐらい減ってくれないかなあ、などと贅沢なことを考えていたのだが、少しとはいえ体がスッキリしたせいなのか、このモブな私が海の家で働く大学生に声を掛けられるようになった。この喜びは何物にも代えがたかった。何しろ初の出来事だもん。
「まりもちゃんたちさ、バイト終わったらお疲れ打ち上げで皆で食事でもしないか? 流石に高校生にお酒は勧められないからノンアルで」
「あ、えーと、そうですね。二人と家族に相談しておきます」
菜々美と綾子は丁度ご飯休憩でいないので緊張し、返事もドギマギしてしまう。
まあ男性との交流経験値がほぼゼロなのと、やはり親に隠しごとをするような外出は避けたい。
大学生とはいえ、かなり年上の人たちばかりなのも実は少々怖い。バテたり愚痴はこぼしてもきちんと仕事もしているから、悪い人たちではなさそうだけど、短期間の仕事付き合いだし中身も良く知らないもんね。
「……え? 家族に許可得るの? 高校生で?」
「学校の子とかなら買い物に行く程度は事後報告とかもありますけど。まあ食事は家族そろってが基本の家なので」
「へ、へえ、何かお嬢様みたいだねえ」
少し驚いたような顔をされたが、我が家はごく普通の一般家庭だ。
優希の方はお母さんの実家がかなり裕福だし、お父さんも有名企業で現在は役職についているのでお金持ちと言える。何故いまだに我が家のいっこ隣の建売住宅に住んでいるのか家族で不思議がっていた。──ああ、あの完成度でお金持ちの家の子供でもあったんだわ。
改めて優希は「私が痩せたところでどうにかなる人でもないんだ」と諦めがつき、結局まだ辛うじて残っていたかすかな願望も消すしかない、と苦笑した。
お疲れ会は、両親は「綾子ちゃんと菜々美ちゃんが一緒なら安心ね」と快くオーケーをもらったのだが、優希はものすごく不機嫌だった。
「……何で? お疲れ会なら綾子たちとだけやればいいじゃない」
「まあそうなんだけど。ほら、来年には受かれば大学生じゃない私も? クラスの男子とも最低限の会話しかしないし、優希以外の男性とも物怖じせず、普通に話せるよう訓練した方がいいんじゃないかと思って。こういうのは慣れじゃないかと思うんだよね」
長い付き合いの優希は別にして、異性に関しては引っ込み思案というか緊張してしまい、あんまり気軽に話が出来るタイプではない。
だけど大学生になったら男子も女子も同じキャンパスにいる訳だし、サークルとかゼミとかでの付き合いもゼロじゃない。その後会社勤めだってするのだし、いつまでも不安だとか言ってられない。
そう必死に訴えると、
「そこまで考えているのなら……」
と理解してもらえた。
考えて見ると、何故優希に了承を得ないとならないんだと考えなくもなかったが、単に幼馴染みとしてでもいいから彼に嫌われたくないのだ。今の関係を崩すのは絶望しかない。
綾子も菜々美もお疲れ会自体は三人一緒だし問題ないよね、となったが、優希も認めてくれたと言ったら心底驚いた顔をした。
「本当に? 優希が? ちゃんと男性もいるって報告した?」
「え? したけど。大学生になる前に少し男性慣れしたいから、とも伝えたよ」
「へえええ……あの優希がねえ。成長したのねえ……」
「んん? どういうこと?」
「いや、まあまりもは小心者だし、知らない人に妙に警戒心強いからね。少しは接し方を学んだ方がいいって考え直したのかな。私たちもいるから任されたって感じ?」
「可愛い子には旅をさせろとか言うもんね。でも責任重大ねえ」
綾子と菜々美が小声でコソコソと話しているので、
「……ねえちょっと、何なのよ?」
と尋ねると、二人は揃ったようにんーん、と首を横に振った。
「ま、どちらにせよ、皆でぱーっと美味しいもの食べて、気持ち切り替えて受験勉強しましょ」
「そうねそうね」
「美味しいものは正義だよね」
私は未知の美味しいものを思い、二人に相槌を打った。
「お疲れさまでーす」
「かんぱーい!」
「いやあ~しんどかった!」
バイトの最終日の翌日。
私たち三人とバイトの大学生のお兄さん三人計六名は、ターミナル駅のそばのクーラーの利いた落ち着いた雰囲気の居酒屋の個室で疲れをねぎらった。
リーズナブルな値段でセット料理が出て、ソフトドリンクもアルコールも飲み放題。お兄さんたちはビールやサワーを飲んでいたが、私たちにアルコールを勧めることはなかったし、酔っ払って馴れ馴れしく絡むような人たちでもなかったので一安心だ。
料理もとびきり美味しいという感じではなかったけど、フライドポテトにつけるタラコのソースが気に入ったので、今度家で作って見ようと思った。優希がフライドポテト好きなんだよね。
八月もお盆を過ぎて後半になると、海にクラゲが大量発生したり台風が来たりで暇な日も増えたので、私の頑固な脂肪は五キロ減で止まってしまったのは残念だったけど、初のバイトを完走出来た達成感で気分はとても良かった。
月末には店長がお給料を振り込んでくれるとのことで、食事会の席ではバイト料を何に使うかとか、変なお客さんの話などで盛り上がったし、バイトでの失敗談などで笑わせてくれたりした。
バイト仲間ってだけで良く知らない男性が三人いても、綾子たちもいるし、安心して二時間普通に過ごせたのは私としては頑張ったと思う。ちょっと気疲れはしたけど。
時々綾子がスマホをポチポチとしていたので、
「彼氏?」
と聞いたらまあね、と笑みを向けた。
やっぱり恋人とかいると異性がいる場所は疑われないように気を遣うんだな、と感心した。
まあ綾子も菜々美も別の相手と浮気とか「いや、マジでキモいんですけど」とか言う子なので彼氏もそういう意味では疑ってないのだろうけど、安心感を与える配慮は大事よね。
食事も済んで、それじゃあお開きにという流れになったのだが、お酒は強い人と弱い人がいて、お酒が入るとやたらとしつこくなる人もいる。
「えー、もう帰るの? せっかくだからもう一軒カラオケとか行こうよ~」
「全然話したりないじゃん」
などと引き止められて、なかなか帰らせてもらえない。
「すみません、親が心配しますので」
「彼氏に怒られちゃいますんで~」
「あはは、皆さん飲みすぎですよ」
とサラっと帰ろうとした私の腕を掴んだお兄さんが、
「やだ。帰らないでよー」
などと言い出したので途方に暮れた。お酒って怖い。
何とか引っぺがしたいが、結構力が強くて少し恐怖心が出て来た辺りで、誰かがべりっと力強くそのお兄さんの手を剥がしてくれた。
「嫌がっている女の子にウザ絡みしないでもらえますか?」
「──え? 優希?」
「俺の彼女に馴れ馴れしく触らないでくれるかな」
別の声もしたので振り返ると、写真で見たことのある綾子の彼氏が、肩を掴んでいたお兄さんの手を振り払っていた。菜々美を見ると一歳下の柔道部の弟くんが近くに立っていた。体格も良くて強面なので、いる男性の中で一番年上に見えた。
「は? え? 何?」
強引に私たちを誘って来た大学生のお兄さんたちは、急に現れた優希たちに戸惑った声を上げ、酔いも少し醒めたようだ。
「……ええっと、すみません俺らちょっと酔っ払ってしまって」
「本当に申し訳ありませんでした!」
小声でごにょごにょ言い訳しながら危なげな足元でよろよろと離れて行った。
「向こうがお酒を飲み出したから、ちょっと心配でお迎え頼んでたのよ。菜々美もトイレに立った時に弟に連絡してもらったの。何事もなく済んで良かったわ」
私が展開が分からず呆然としていると、綾子がそう耳打ちしてくれた。
綾子の父は普段は優しかったがアルコールが入ると暴言や暴力を振るう人で、それで親が離婚した経緯があり、お酒で人が変わることがあると言うのを身をもって知っている子だった。
「──あっ、スマホいじっていたのはそのため?」
「ぴんぽーん。まりもも菜々美も強引な人に強く出られるタイプじゃないもの。お酒を勧められなかったのは良かったけど、やっぱり酒癖の悪い人はどこにでもいるわね」
「綾子、ありがとう。本当に助かった」
正直、下手したら危ない目にあっていた可能性もある。
「ほら、だから言ったじゃないか男には気をつけろって! ほら帰るぞ。綾子、連絡くれてありがとう。お前がまりもの友人で本当に良かった」
頭を下げる優希に綾子がニヤリと笑みを浮かべた。
「そうよ~、感謝しなさい。あ、一生女神として崇め奉ってくれてもいいわよ」
「それは絶対断る」
「ちぇ。まあいいわ、菜々美もフットワークの軽い弟君にお礼言いなさいよ」
「うん、綾子、ありがとう!」
「それじゃ私は彼氏とデートに行くのでこれにてどろん。んじゃ新学期にね~」
ひらひらと手を振って彼氏と腕を組んで歩いて行く綾子は、ほれぼれするほど格好良かった。
「──まりも、家に送る前にちょっと家に寄って欲しいんだけどいいかな?」
地元の駅に着くと、優希がそう言って私を見た。
「それは構わないけど……?」
どうせお隣のお隣さんで大した距離でもないし、今日は優希に迎えに来てもらった感謝でいっぱいの私である。断る理由もない。
優希の家は見た目は我が家とほぼ同じ三LDKの普通の一軒家だが、内装はかなり大々的なリフォームをしており、無駄な壁を取り払って二階まで吹き抜けまであったり、リビングが白を基調にペルシャ絨毯が敷いてあったりと豪華な造りになっている。
一年も親がいないと掃除も行き届かないのではと思ったが、前来た頃と同じように整頓されており、掃除機などもマメにかけているようで埃っぽさもない。どこまでもチートな男である。
「おじさんとおばさんがアメリカ行ってから初めて来たけど、綺麗にしてるね。感心感心」
「まあ戻って来た時にゴミ屋敷だったら父さんたちに追い出されるしね。あ、こっちこっち」
アイスティーを淹れた盆を持って優希が手招きするので一緒に二階へ上がった。
「そこ座って」
「え、うん」
改まってなんだろうか。今日の説教は電車の中で散々されたのだけど。軽率な行動を心底反省している。
「……あのさあ、俺たちもう十五年だよ? 十五年」
呆れたように呟く優希に私は首を捻る。
「十五年? ……ああ、幼稚園からの付き合いってことよね。考えてみたら長いわよね」
「出会ってからこんなに年月経ってるのに身近にいてさ。普通こう、何とも思わないの? 『優希くん優しくて好き!』とか、『そばにいるから分からなかったけど優希って魅力的だったんだね』とかさ」
「……は?」
何を言っているのか分からない。
「優希は格好いいでしょう? あちこちからスカウトされるぐらいイケメンだし、頭も良いし、性格だって意地悪なとこ一切ないし。完璧超人だよ? 何? 誰かに何かディスられた?」
私を黙って見ていた優希は、深く深くため息を吐いた。
「……そうだ、そうだったんだよ。まりもはこういう奴だった……」
「ごめん、何か気に障った? でも毎回格好いいとか言うのっておかしいじゃない? 毎日制服のネクタイしてるね、とか当たり前のことって言わないよね? それとも言って欲し──」
優希はそうじゃなくて、と手でさえぎった。
「これ見てくれる?」
引き出しから出した十冊以上の学生ノートのタイトルを見てぎょっとした。
『まりも・四歳』から始まり『まりも・十八歳』まである。
「な、な、何これ」
「見ていいよ」
そう言われ恐る恐る中を開くと、小さな頃は大きな文字で私と何をした、どこそこに行った、などと書いてある普通の絵日記風だったが、小学校高学年から中学、高校へ行くにしたがって優希の脳がバグったような文字列が並び出した。
『親にまりもちゃんと結婚するためにはどうしたらいいのかと聞いたら、まりもちゃんががすごいと尊敬するような立派な男性になる努力をしなさい、と言われたので勉強もスポーツもがんばる』
『制服着てる男の人は格好いいよね、とアニメを観ている時にまりもが言った。だが自衛隊や警察官など制服の仕事は沢山あるが、仕事で長期不在になることもあると聞いて却下した。まりもと一週間以上離れてたら禁断症状が出る』
『少しずつ関係が変わるかもと思っていたが、ちっともまりもが俺を男性として見ていない気がして落ち込む。高校に入った時にまりものご両親にも頭を下げて、異性として意識してもらって、お付き合いして結婚してもらうためにはどうすればいいだろうか、と正直に尋ねたが、まりもは親から見ても優しいし料理は上手いし温和で良い子だが、なにぶんぽっちゃりしているのを気にして自己評価が低い。優希くんみたいな何でも平均以上の子にそんなこと言われても冗談だと思われる可能性が高い。ただ急に距離を詰めようとすると逃げる可能性もあるので、徐々に気持ちが伝わるようにすればいいのでは、とのアドバイスを受けた』
『もう高校三年。何とかまりもの勉強を見て成績を上げる。色々と便利だから、と同じ大学へ行くよう誘導できたのはいいが、距離感が全く変わらないのはどういうことだ。やきもちでも焼いてくれるかと学校で美人と評判の子から告白された時に真っ先に伝えたのに、どうして付き合わないの? などと言われてしまった。泣きたい。お義父さんお義母さん、あなたたちの娘に俺の気持ちは一生伝わらないかも知れません』
「……」
「いやもうドン引きされるとは思ったけど、もういい加減気づいてくれても良くないか? と思って正直に見せることにした」
いつの間にか正座していた優希をぼんやりと眺める。
「あのう……これ読んでると、まるで幼稚園の頃から恋愛的な意味で私のことが好き、みたいに見えるんだけど……あ、勘違いだったら申し訳ないけど」
「その通りだけど?」
「いやいや、有り得ないでしょ。何で優希が私を?」
モブもモブ。どこにでもいる、オプションにぜい肉がついた平凡女子の私に、なぜ二次元よりも完成度の高い男が惚れるのだ。おかしいに決まってる。
「──小さな頃、まりもがオムライスに入っていたグリンピースとハンバーグについてた甘いニンジン食べてくれたのが始まりだった。覚えてる?」
待ってよ恋の始まり食べ物関連なの? と一瞬ツッコミたくなったがこらえた。
「……うっすらしか覚えてないかも。多分苦手だって言うから残したらもったいないと思って食べたんだったかなあ」
「そう。でもすっごく美味しそうに食べてた」
「好きだからねどっちも」
「その笑顔がすごく好きだなと思った。うち両親がその頃共働きで忙しくて、ご飯とかもおばあちゃん家で食べたりしてて、皆で一緒に食べることが少なかったから、食べることが楽しいことだって思ったことなかったし。……黒崎のおじさんとおばさんたちと仲良くなって、一緒に食事したりするようになってから親も食事の大切さを知ったみたいでさ。ちょっとぎくしゃくしていた感じだったのが段々仲良くなって来たんだ」
「え……そうだったんだ」
ずっと仲良しの印象だったけど、時々しか会わなかったし、大人の事情なんて分からないよね子供の頃なんて。
「今はすっかり仲良し夫婦だけどね。黒崎家に助けられたわ、って母さんいつも言ってるから」
「うちの食べ道楽の能天気な両親がお役に立てたのなら幸いだわ」
「うん。本当に感謝してる。……で、まりもと食事してると、いつも楽しそうだったり美味しそうだったり、外食で美味しくないものを食べてる時は全部残さず食べるんだけど、悲しそうに眉が八の字になってたりして、面白くて仕方がなくて、それから目が離せなくなった。もちろん趣味とか性格的な部分も大好きなんだけど、一番は幸せそうに食べてるところ。自分も満たされる気持ちになる」
ずっと片思いだと思っていた男性に両思いだったと告白されたのは嬉しいが、エピソードがほぼ食べ物絡みばっかりなのはどうなのだろう、と少し切ない。
「周りからじっくり行けと言われて頑張って来たけど、十五年経っても何にも変わらないなら二十年、三十年経っても変わらなくて、気がつけば違う誰かと結婚するんじゃないかと思って耐えられなくなった。まりも日記とかキモいと思われるだろうけど、ここまでの我慢を外にぶつけられないし」
「……まあ正直ガチで引いたわ」
「うん……だよね」
「でも、私もずっと好きだったよ。今もだけど。だけど優希みたいな優秀な人は頭のいい美人と結婚して幸せになるべきだ、釣り合わないって思ったから、感情は隠すことにしたの。なまじ親しい家族付き合いしてるとさ、言いづらいものもあるでしょう? ……だけど」
「──だけど?」
「いくらイケメンだろうが高スペックだろうが、十年以上も日記をつけるぐらい私を病的に好きな変態を野放しにするのはいけないんじゃないかと思うの。それなら手元で美味しいご飯作って健康管理に勤しんで、なるべく優希を長期間世間様の目の保養にして頂く方がいいのかなと考え始めたところ」
「え? それじゃ──」
キラキラ輝くような美貌に涙をにじませないで欲しい。未だにドッキリで誰かプレート持って現れるんじゃないかと疑ってるぐらいなのに。
「お付き合いするとしても結婚なんてまだまだ先の話だし、今後優希が好きな人が出来るかも知れないから、あくまでも将来的に問題がなければ結婚予定ってことでもいい?」
「俺は今までもまりも以外に興味が湧いたことないから全く問題ない」
嬉しそうに頷く優希に、やはりこれはドッキリではないのかもと思う。
「あ! そうだ! これは見せる予定じゃなかったんだけど、恋人からいずれ奥さんになるんだし是非見て欲しい。今後の俺の進路と就職スケジュールなんだけど……」
そう言いながら優希はいそいそと鍵のついた引き出しから新たなノートを引っ張り出し、大学出たら収入の良い外資系に勤めて、私を国内外の美味しいものツアーに連れて行く、子供は二人以上は欲しい、みたいな話を延々と始められ、
(……優希って、こんなに頭良くて格好いいのに、何というか、アホ可愛いな)
とおかしくなってしまい、引け目みたいなものが少し消えた気がした。
付き合ってみたら彼だって理想と現実みたいなものが分かるかも知れないし、お互いが好きな間は仲良くやって行こう。
──まさか本当にその七年後、結婚まで至るとはその時は思いもしなかった。
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