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「ねえプリシラ様。いくら元は平民だったとはいえ、今は伯爵家の養女になったのだから、もう少しレディーとしての落ち着きとマナーは身につけておいた方がよくてよ」
 侯爵令嬢である私、キャスリーン・ヘイローは、パーティー会場で自分のドレスを椅子に引っ掛けて転んでしまい涙目のプリシラ・ヒューイット伯爵令嬢に対して、立ち上がるのに手を貸しながらも、なるべく冷たく聞こえるよう突き放すような言葉をかけた。
 ──よしよし。周囲の私に対するキツイ物言いに対する無言の非難のようなものを感じるわ。
 これで私と第二王子のマクシミリアンが無事に婚約破棄、その後彼がプリシラと心通わせるルートは見事に整ったじゃないの。
 あとは私がもう少しだけ頑張って、彼女に会うたびにとげとげしい振る舞いを続けていれば、マクシミリアンが彼女を慰め、恋心が発展する流れになるはず。
 でもプリシラって本当に顔も可愛い上に性格もすこぶるいいのよね。やらなくちゃならないこととはいえ、どうにも気が重いし、胃も痛むってものよ。
 私はそっと息を吐いた。


 そう、こんなえらそうに毅然とした貴族のご令嬢然として振る舞ってはいるが、実は私は日本で生きていた記憶がある。
 マンガや小説の設定で読んだことはあったが、本当に自分に起こるなんてもう笑うしかない。
 しかも私が好きでやっていたことでもなく、姉がものすごくハマっていた乙女ゲームの世界に自分が転生するなんて普通、誰が考えるだろうか。

 私の一つ上の姉は、恋愛が絡んだいわゆる乙女ゲームが大好きで、大学を卒業し、社会人になってある程度使えるお金が増えたせいか、スマホのアプリのキャラ用のガチャに課金したり、携帯用ゲーム機の乙女ゲームに湯水のようにお金をかけるようになった。
 キャラクターグッズにまで手を伸ばし、姉の部屋はイケメン二次元キャラのアクリルスタンドだのキーホルダーだのが壁の棚を隙間なく占拠し、その時まで並べられていたぬいぐるみたちは、大きなゴミ袋に詰め込まれ押し入れにしまわれた。
 いや、別に人に迷惑をかけることなく、仕事の辛さがあっても気分転換できるし、熱中できることや好きなものがあるのは悪いことじゃない。
 自分が働いて得たお給料の一部をお小遣いとして趣味に使うのなんて、誰でもよくある話だ。
 私だって少年マンガが大好きだ。
 学生時代お金がなくて、友だちから借りて読んでいたお気に入りのマンガを、初給料で数十巻ほど大人買いしたりもしていたので、気持ちは分かる。
 姉から今ものすごくハマっているゲームがあるのよう、などと夕食後部屋で魅力をアツく語られたのもふんふんと聞いてたさ。
 だって、普段大人しい姉がすごく嬉しそうに話すのを見てると、何だかこっちも嬉しかったし。
 でも、家族そろって車で日帰り温泉を堪能して、帰り道の高速で追突事故に巻き込まれ、視界が暗転したと思ったら、姉が話していた『エターナルラブバトル』にいるとは思わなかった。
 ただゲームの世界と同じだ、と気がついたのは八歳の時だ。
 それまで普通に暮らしてて、たまたま家族と天然温泉が湧き出ている貴族用のリゾート地に遊びに行った帰りに、前世の記憶が一気に押し寄せたのである。
 旅行から帰って自室に戻り、まず私がやったことは、壁で頭をガンガンぶつけることだった。
 これは絶対に夢だと信じていた。
 事故で私はもしかしたら長いこと植物状態になってて、それでこんな夢を見ているのでは。
 だって私は外国の貴族でもなければ生粋の日本人、二十五歳で彼氏に二股かけられ捨てれたばかりの、かなり心が荒んだヨレヨレ状態のOLだったんだもの。
 しかし額が切れて流血するまで力いっぱい壁打ちしていたせいで、物音に気づいたメイドに見つかり、医者を呼ばれるほどの大騒ぎになった。
 そしてこんなに痛いのにまだ目覚めることのない現実に衝撃を受け、私は高熱まで出した。
 医者には発熱による一時的な混乱状態、などというもっともらしい診断をして飲み薬を処方して帰って行った。両親にも四つ上の兄にもとても心配された。
 ケガが治っても、しばらくはメイドを連れての外出すら許可されないほどだった。
 それでも諦めきれず、もっと大ケガや大病をすれば戻れるのではなどと思い、わざと傷んだ食材を食して下痢に苦しんだり、階段から落ちて足首を骨折したりもしてみたが、ただ苦しく痛いだけで、親と兄がさらに過保護になり外出制限が延びただけだった。
 あの頃の私は一番混乱していたと思う。
 辛い事実を受け止めることは、日本で生きていた二十五歳の私だったら簡単だったかも知れないが、キャスリーンとして育ち、精神年齢も八歳だった私には難しかった。
 冷静になろうと思っても、しばらくの間はつまらないことですぐ癇癪を起こしてしまったり、急に涙が止まらなくなったりと、急な変化に戸惑った家族の心配はいかばかりだっただろうと思う。

 ある日、本当に急にそんな暴れ牛のような行動がパタリと収まった。
 幼いながらも、このままではまずいのではないかと思い至ったのだ。
 姉から毎日のように攻略状況を聞かされていたので、ゲームをまったくやっていなかった私にも登場キャラクターの名前や行動、どういう流れになるのかなど普通に把握していた。
 だから、私キャスリーンはマクシミリアン第二王子の婚約者として、ヒロインのプリシラ・ヒューイットの前に現れ、彼女の出自を蔑み、マナーをけなし、マクシミリアンを奪おうとするプリシラの邪魔をするのだ。
 いや個人的な考えだけど、別にキャスリーンはそこまで酷くないと思っていたのよね。
 侯爵令嬢として育ってきたプライドだってあるだろうし。
 政略結婚として子供のころから決まっていた王族の婚約者を、伯爵の愛人で平民である母親から生まれ、社交界デビュー寸前に引き取られただけの、貴族としての品位や責務などない女に奪われるというのは、そりゃ許せないだろうなあ、とも思う。
 家柄はともかくとして、私も前世で二股かけられて、
「男の前と女の前では態度がコロコロリン」
 とか周囲に言われていた後輩の女に彼氏を奪われた時には、情けなさと悔しさで何日も眠れなかったほどだ。引っぱたいてやりたいと思ったりもした。
 まあのちのち、そんなのに簡単に引っかかる彼氏もろくでもないんだよな、という事実に気がついてバカバカしいと正気に戻った。
 おかげでその後すぐその子が他の男に手を出して振られたらしい彼氏が、よりを戻そうといって頭を下げてきた時も鼻で笑えたわけだけども。
 ただ「個人を軽んじられる」のは、女性として、高位の貴族としてのプライドが傷つくのは間違いないのだ。キャスリーンはそういう国で育っているのだし。
 そんな現在キャスリーンとして育っている私の擁護はさておき、ゲームでは私はその嫌がらせを知ったマクシミリアン王子を怒らせて婚約破棄を言い渡され、修道院に入るか王都を出る選択肢を選ばなくてはならなくなる。
 んなもんどっちも嫌に決まってるじゃないの。
 両親は今もラブラブで子供を愛してくれるし、四つ上の兄はお調子者だがイケメンで妹思いだ。家族仲だってすこぶる良い。
 屋敷で働くメイドや執事、庭師などに至るまで長年いる者たちばかり。
 仕事はできるし待遇改善を常に考えている両親への忠義心も厚い。
 子供のころから彼らに大切に可愛がってもらっている身としては、できればこの屋敷で一生暮らしたいぐらいなのである。
 ただ貴族、それも侯爵令嬢として生まれた以上、家の長期繁栄のため縦やら横やらのつながりを強固にせねばならないのも理解できるし、政略結婚というのは大事だとも分かっている。
 だからいずれは嫁に行かねばならないのも、家を出なければならないのも受け入れてはいる。
 ……でもさあ。でもさあじゃない?
 少しやりすぎたとしても、正当な権利を主張して横入りしてくる女子に道理をわきまえてもらっただけで、そこまでの扱いされるのどうなの?
 神を信じてるわけでもないのに、修道院で女性ばかりのある意味怖い箱庭の中で一生を送らされるとか、家族と遠く離れて暮らす羽目になるとか、ちょっとあんまりじゃないかなあと思うの。
 そもそもの話、私はよっぽど性格が悪いとか苦手だと思う女の子がいたとしても、自分がいじめるとかやりたくないのよ。好きじゃない人とは単純に距離を置きたいタイプなのよ。
 だって関わりたくないでしょ。不快になる人に貴重な自分の時間を割くのももったいないもの。
 ──確か姉の話では、頭脳明晰、文武両道の鑑みたいな第一王子もヒロインの攻略対象らしいけど、できる兄を持った第二王子、マクシミリアンの憂いのある美貌と、悲哀のある表情がこれまた最高なのよ、と熱弁していたが、どのみちヒロインではない私にはマクシミリアンしか選択肢がない。
 本音を言えば、話だけ聞いていた時には、兄に華々しいところ全部持って行かれて卑屈になっている弟ってちょっとなあ、って印象しかない。
 心象風景が常にモノトーンみたいな人って、本人に悪気があるわけじゃないんだろうけど、いつもネガティブ感情垂れ流しにするから、長時間一緒にいると体力削られるのよ。過去の経験から言わせてもらうと。個人的には苦手なタイプだ。
 せめて姉から聞いていたゲームの悲劇展開は避けたいと思って、第二王子との婚約自体をないものにしたかったのだけど、それも失敗した。
 何度か王宮主催のパーティーで最低限の会話しかしていないのに、マクシミリアンに気に入られたらしく、気づけばガッチガチに婚約確定ルートに乗っていた。
 確かに私は顔立ちはいいしスタイルも抜群だ。深い紫がかった瞳もアメジストみたいで綺麗だと思うし、プラチナブロンドの長い髪もいつも艶やかサラサラで美しい。そこはまぎれもない事実だ。
 でも両親の血筋もあるだろうし、貴族の令嬢としての商品価値を高めるためにお金を使ってせっせと磨き上げられるのだから、逆に標準以上にならない方が問題なのである。
 こまめな肌の手入れや体形を保つダイエットに運動。見た目を維持する方がよほど大変だ。
 呑気に見えてもかなり努力してるのよこれでも。
 しかし、婚約の流れに乗ってしまったとなると、このままいけば婚約破棄も当然ありそうだ。
 決まった歴史には逆らえないのだろうか。
 いいや。私は普通に幸せに暮らしたいだけだ。ささやかな願いではないか。
 めでたしめでたしのエンディングは最後まで諦めないわ。


 そんなことを考えつつ、私は先日とうとう十八歳を迎えてしまった。
 私の誤算だったことは二つあった。
 一つ目。政略結婚と割り切っていたマクシミリアン王子が、すごく好みのタイプだったことだ。
 まず声が低音で喋り方が穏やか。
 そして姉が言っていた憂いのある美貌も想像以上であった。
 子供のときは年齢の割には小柄で少女のような可憐で愛らしい人だと思っていた。
 数年経つと、可憐な少女のようだった可愛らしかった見た目が凛々しくたくましくなり、知的で笑顔も眩しい、落ち着いた魅力が駄々洩れの超ハイスペック男子に変化していた。
 同い年の兄の方がもっと騒がしく子供っぽく感じるほどだ。
 さらにそれよりも素晴らしいのは、女性を見下すような言動が一切なく、私との会話も、適当に相槌打っているだけでなくちゃんと記憶してくれているのだ。
「そういえば前にコーヒーが苦手だって聞いたから、評判のいい紅茶を取り寄せたんだ」
「キャスリーンが好きっていっていた黄色いガーベラが咲いたから、温室に見に行かないか」
 私以外にも多くの女性が好ましく思うのではないかと思うが、
「自分を尊重してくれていると感じること」
「ちゃんと会話の内容を覚えていること(上の空で聞いてない)」
 こういった些細なことが本当に嬉しいのだ。
 結婚したら何十年も一緒にいるだろう相手なのだ。気のない返事やその場限りの対応を何度もされると、心が折れるというか愛情が目減りしてしまうものだ。
(……王族ってことよりも、ここまで魅力溢れる男性から婚約破棄されてしまうのか)
 油断するとなんてマクシミリアンはいい人なのだろう、素敵だなあ、好きだなあ、などと思ってしまうアホな自分を何度も心の中で戒めた。
 どうせプリシラ・ヒューイットに奪われることになるのだ。愛するだけ不毛である。そう考えてギリギリのところで踏みとどまる自分だったが、そろそろ自分を騙し切れなくなっていた。
 
 そしてもう一つの理由だ。
 ゲームのヒロインであるプリシラ・ヒューイットがものすごーく良い子なのである。
 一つ下のプリシラ・ヒューイットが社交界デビューして、マクシミリアンと接点ができたのはここ最近の話である。
 また近年では我が国の未婚の王族・貴族の令息たちは、社交界にデビューした未婚の女性たちとパーティーでダンスをしたり気軽に会話を楽しみつつ、未来の花嫁・花婿候補を事前にチェックすることが可能となっている。
 政略結婚とはいえ問題点の書かれない釣り書きだけよりは、ある程度気心の知れた、性格的にも好ましい相手と出会えた方が良かろう、という国王陛下の素晴らしいお考えがあったからである。
 マクシミリアンが私を見初めたのも、こそこそと避けていたパーティーで見つかったからだし、諸事情のある私からしてみれば余計なことをしてくれて、と恨みたい気持ちもある。
 でも実際よく知らない相手に嫁ぐよりは何倍もいいのは確かなので、個人的な恨みとは別にして、未婚の男女が「国王陛下に勧められているからなるべく会話を交わすようにしている」と言えるのはとてもいいことだ。
 貴族の若い女性が気軽に男性に話しかけたりするような行動は、淑女として大変はしたない振る舞いである、という風潮が年配者にはいまだに根強く残っていたりもするので、ビッチ扱いされずに堂々と好ましい人を見つけられるのはすごく助かるんじゃないかと思う。国王陛下様様である。
 それはともかく、私も名家生まれで見た目が華やかなためか、社交界のバラ(笑)などと呼ばれ、婚約者がいるのにあちこちのパーティーに引っ張りだこである。
 それなりの地位のレディーをパーティーに呼べるというのは、主催した家にとってはステータスでもあるわけで、ようは客寄せパンダみたいなものだが、おかげでプリシラに会うのも苦労しなかった。
 どうしたところで大筋の流れは変わらないのだろうから、さっさと済ませたい。 
 そしてできるだけ穏便に婚約破棄を水面下で行い、既に自分の心を持って行かれそうなマクシミリアンとの不毛な恋を終わらせ、遠く離れた場所で静かに隠居生活を送るか、新たな気持ちで他の相手を探したい。だが前世でも独身で若くして死んでるんだから、修道院だけはダメだ。
 今度の人生は穏やかに老後を送りたいものである。
 だがやりたくもない陰湿ないじめをしなければならないのならば、せめて嫌な奴であって欲しいと願っていた。
 ……そう心から願っていたのに、さすがヒロインとして看板を張るだけのことはあった。
 童顔美人でふんわりと笑う笑顔がとても可愛らしく、小柄だがスタイルもいい。
 気配り上手で素直で話し方も優しく裏表のない性格、人の悪口など聞いたこともない。
 本当に欠点が見当たらない完璧女子であった。
 ただ貴族の養女になってからまだ日が浅いため、若干貴族の一般的なマナーや教養が不足していると感じるところはあるが、逆に言えばそれしか攻撃できる弱点がない。
 会話すればするほど好ましい女性で、正直親友としてずっと付き合っていたいような子なのだ。
 こんなプリシラを傷つけ、貶めるような言動なんてしたくない。
 だがどんなに出会わないように姑息に動き回っても、結果的にマクシミリアンの婚約者になってしまったことを考えると、大きな流れ自体は変えようがないと考えるしかなかった。
 しょせん私はヒロインではない。
 いわば当て馬ポジションのような存在なのだから、私の不幸な人生をなんとか変えようなどと思うのは無謀だったのかも知れない。
 となれば、これ以上私がマクシミリアンを好きになってしまう前に、プリシラと早めにくっついてもらった方が、婚約破棄の際の私の心の傷も浅くなる。いや今でも考えるだけで辛いけども。
 ──これは可能な限り最短期間で動かねば。
 私は心を鬼にすることにした。
 もう半年もしないうちに、マクシミリアンと私の結婚式が予定されている。
 既にできのいい第一王子は次期後継者として認知されており、隣国の王女と結婚もしている。
 夫婦仲も良く、来年には待望の第一子も産まれる予定。今後も王国は安泰だろう。
 マクシミリアンは公爵の位を授かり王宮を離れることも決まっており、だだっ広い土地に夫婦の新居として大きな屋敷まで建設中で、もうすぐ完成との報告も上がっている。
 結婚式までの間に私たちも引っ越して、家具の配置や絨毯の手配などを彼とやることになっている。事前の夫婦の共同作業といったところだ。
 つまりはタイムリミットが近い。
 呑気に彼女を傷つけるなんてやりたくなーい、などと言ってられないのだ。
 考えてもみて欲しい。
 もし逆に私が希望的観測から何とかなるのでは……とずるずる引き伸ばし、ろくに対策も取らず結婚式近くまでいってしまった場合。
 新しい屋敷の内装だのをウキウキとマクシミリアンと決めたりするような、心弾む幸せな時間を味わってからの婚約破棄になる。これはもう悪手中の悪手、最悪だ。
 下手したらウェディングドレスまで仕上がっているかも知れない。
 そんな幸せの絶頂みたいな瞬間で、彼からの心変わりを味わうなど、とても耐え難い。心が壊れてしまう。
(前世も彼氏に二股かけられて捨てられたのに、この世界でも同じ展開なんてひどくない?)
 神様もひどい目に遭わせようとしてくれるわね、とため息が漏れる。
 だが私の唯一のメリット、それは近くの未来が読めることだ。
 分かっている未来なら、大筋の流れが変えられずとも、少しでも自分の致命傷にならないように動くことは可能だ。動かねばメリットの意味はない。
 だから、私はいやいやながらも事あるごとにせっせとプリシラに突っかかっているのだ。
 でも困ったことに、プリシラとマクシミリアンがいつ良い関係になっても潔く身を引く覚悟を決めているのに、プリシラは嫌味をいったりマナー違反を指摘する私を嫌うこともなく、いつも気にかけて頂いて嬉しいです、と感謝を伝えてはお菓子を持っていそいそと私の屋敷に遊びに来たり、パーティーでは一緒にいたがる。ドMなのだろうかこの子は。
 加えてマクシミリアンの様子も、プリシラと隠れて逢瀬をしているようには感じられない。
 当然ながら私に対する態度にもまったく変化がなく、疎ましく思われている気配もみじんもない。
 どうしてよ、おかしいじゃないの。シナリオ通りならもうイチャコラしててもいいのに。
 もっとプリシラを公の席で痛烈に罵倒するまでやらないとダメなの? 物理的に頭からワインをかけるとか、頬を叩くとか? やりたくてもさすがにそこまではできない。自分だけの問題ではないからだ。名家と呼ばれる我がヘイロー侯爵家の品位を地に落とし、家門にまで泥を塗る行為になる。
 それではたとえ婚約破棄がうまくいっても、大切な愛する両親からもきっと勘当されてしまう。兄にだって軽蔑されるかも知れない。
 ああもう新居への引っ越し予定日まで一カ月もないのに。
 これ以上私にどうすればいいってのよ。
 自室で毎晩頭を抱える毎日に、心身ともに疲弊してきた。

 そんなある日。
 マクシミリアンから新居が概ね完成したので、明日ちょっと一緒に内覧しないか? とのお誘いがあった。どうせ自分が暮らすわけでもないのにと内心では思ったが、初めて見る屋敷の中だし、せっかくだから二人で、付き添いもなしでお忍びで行こうという。
 第二王子である彼と私が二人きりになれるチャンスは滅多にない。護衛も兼ねて誰かしら付き添いの人間がそばにいるからだ。そこで私は勢いよくオーケーをした。これはチャンスだ。
 もう変わらない今の状況に私の精神が不安定になっており、夜は眠れないし、一人でいるとふとした時に涙がこぼれて止まらない。
 これは完全に危険な状態だと自分でも感じていた。
 いまさら穏便も何もないじゃない。もう先に私から彼に好きな人がいるのではないか、婚約破棄したいのではないかと尋ねるべきじゃないかしら?
 ゲームの流れからすれば、私が一方的に婚約破棄される側だけど、プリシラと結婚するという大筋が変わらないなら、別に私から言い出して婚約破棄を提案したって問題ないじゃない。
 この不安定な状況が続けば、私は本当に壊れてしまう。
 今でさえマクシミリアンと別れて離れることを考えただけで、手は震えるし動悸も激しくなってしまうのに、生殺し状態が続けば続くほど、私には冷静に対処できなくなりそうな不安がある。
「了承いたしました。それではプリシラ様との幸せをお祈り申し上げます」
 などとクールに取り乱すことなく婚約破棄を受け入れる、という戦略を忘れ、彼の前で泣いて取り乱してしまいそうで恐ろしい。そんなみっともない真似はできないわ。
 自分はしたたかで強い人間だとずっと思っていたが、全然そんなことなかった。
 張りつめた緊張感を保つことにもう疲れ切ってしまった。
 こんな生活はうんざり。私から終わりにするわ。


「まあ、このエントランスホール、螺旋階段の手すりに細かな意匠がほどこされておりますのね。それにステンドグラスのデザインも素敵ですわ。聖母様でしょうか」
「ああそうだね。でもキャスリーンの美しさには及ばないけれどね」
「いやですわ、マクシミリアン様ったらまたご冗談ばかりおっしゃって」
 プリシラとマクシミリアンが住む予定(仮)の屋敷の内部を歩きながら、私は思ったよりも彼と普通に接することができていることに安堵した。もう今日で苦しい日々から解放されるんだわ。
 まだ屋内にはペンキ缶や金づちなど、作業中であることを感じさせる場所はいくつか残っていたが、確かにマクシミリアンの言う通り、ほぼ完了状態だ。
 中庭に広がる小さな黄色い花がいくつも咲いている庭園に白いベンチ。その前には同じく白の丸テーブル。可愛らしく、とても居心地が良さそうだ。
 少し屋敷自体が広すぎて持て余してしまいそうだけど、私が彼と本当にこの家に住めていたら……とありもしない未来を思って胸が痛んだ。
「一応二階に夫婦の寝室や、将来の子供のための部屋も用意したんだ。一階より少しは景色もいいだろうからね」
 マクシミリアンはそう言うと、優しく私の手を引くと二階に案内した。
 だが、案内された夫婦の寝室を見て、私は内心で首を捻った。
 なぜかここだけは立派な絨毯やクローゼット、大きな鏡のついた化粧台、キングサイズのベッドなどが適切に配置され、いつでも住めるような状態になっていたからである。
 引っ越し前なのだから、当然だが他の部屋は何一つ家具なんか置いてはいない。
 家具も近々二人で一緒に見に行くか、工房に行って好みのデザインでオーダーしようと話し合っていたはずなのに。
 ……彼は目立つ立場の人だし、もしやこの部屋をプリシラと隠れ家のように使っていたのか。
 それならばここまでプリシラとの噂が聞こえてこないのも納得できる。
 ──納得はできるけど、でもあんまりじゃないの。他の女との愛の巣を堂々と見せつけるなんて。私好みの落ち着いた色合いの床や、森林浴をしているような木の香りが漂う天蓋のついたふかふかしたベッドや鏡台を眺めていると、自分のみじめさに泣けてきそうだった。
 ここ最近の私の言動から、気が強くプライドの高い傲慢な女だったと苦々しく感じていて、別れる前に自分の幸せを見せつけて鼻っ柱を叩き折りたいとでも思ったのかしら。
 そうなるべく行動したのに、いざそうなって見ると予想以上に動揺している自分がバカみたいだった。……でも、それは自業自得だし、甘んじて受けなければ。
 ちゃんと話をしよう、と彼を振り返ると、彼は背を向けて扉の鍵を下ろしているところだった。なぜそんなことをする必要があるのかしら。私は戸惑いつつ、
「マクシミリアン様……?」
 と呼び掛けた。
 振り返った彼は少し困惑したような、でもいつも私の心を温かくする柔らかい笑みを浮かべ、静かに口を開いた。
「……ねえキャスリーン、ずっと気になっていたんだけど、何か僕、君に嫌われるようなことしたかい? それとも他に好きな人でもできたのかな?」
「え?」
「最近のキャスリーンは変だよ。うっかり虫を踏んでしまった時にも、靴が汚れたことより虫を殺してしまったことを後悔しているような優しい君が、プリシラ伯爵令嬢には別人のように冷たい対応をする。特に僕と会っている時なんか、時々心ここにあらずって感じで、何度も同じこと聞き返すことがあったよね。そんなこと今までなかったのに」
「ご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした」
 自分では普通に接しているつもりだったのに、彼に多くの違和感を感じさせていたとは。
 己の力を過信していたとしか思えない。
 だが、心変わりをしたのは自分ではないか。私はずっと、好きにならないようにしても止めることができないぐらいずうっと好きだったのに。
 内心のくすぶった怒りを抑えつつも、逆に二人きりの今ならここで穏便に別れ話、婚約破棄の話を切り出すべきだわ、と改めて感じた。
「マクシミリアン様、私と婚約破棄、していただけませんでしょうか?」
 決意を感じさせる私の言葉に、彼は呆然とした表情になった。
「……ねえどうして? そうか、やっぱり誰か僕より好きな人が現れたんだね。ねえ誰? 僕もパーティーで会ってる人かな? 教えてよ」
「いえ、そういうことではなく──」
 ちょっと。ここはあなたがこれ幸いと婚約破棄する流れでしょうが。
 なんで私が浮気性みたいな言われ方されなきゃいけないのよ。私はマクシミリアン以外誰にも心を奪われたことはないってのよ。
 私の肩をそっと掴むと、彼が私をベッドに座らせた。
「じゃあ何なの? 僕がキャスリーンにひどいことでも言った? 全く記憶はないんだけど、知らずに傷つけてしまったのなら心から謝るよ。どうかそんな悲しいことを言わないでおくれ」
(……いやいや、何でそこで引き止めるの。こっちからわざわざ言ってあげてるのに)
 ゲームでは彼がプリシラをいじめ抜いた私と婚約破棄をして、プリシラと結婚しハッピーエンドに向かうって姉から聞いていた。
 姉に何度も聞かされたゲームの話と若干食い違いがあったりはしたが、概ね聞いていた通りの流れであった。
 私が十歳の時にマクシミリアンと婚約するって話が十二歳になってたり、ハゲた丸まっちい優しげな王様ってキャラクターだった国王陛下が、アゴ髭がセクシーな渋いイケオジだったり、王妃殿下も気品があってお綺麗で、まさに美男美女の組み合わせだったり。
 まあそんなハイブリッドなDNAでもなければ、第一王子のワイルドで野性味あふれる精悍な顔立ちや、第二王子の物静かでもまばゆさを感じるほどの美貌なんてものは存在しないわよね実際。
 ……いや、それをいったら第一王子だって確か攻略対象だとか姉は言っていたのに、別にプリシラと会う前には隣国から結婚相手が来ていたわね。
 あと数人、名前まではさすがに覚えていないけど別の攻略対象もいたらしいのに、まったくプリシラの周囲に接触している気配もない。
 なぜ分かるかって? しょっちゅうプリシラが家に遊びに来るし、話す世間話に一切入ってなかったからだ。彼女は私に報告の義務があるとでも思っているように、細かいことも何でも打ち明けてくるのである。私は敵なのに。失礼な言動をしていたのに。
 あの子はちょっとアホなのかも知れない。
 そっと彼に両手を抱えるように握られた手を見て、私はハッと回想から現実に戻る。
 また少し流れが変化しているのかも知れないが、もう再来月には結婚式なのだ。
 早く婚約破棄して結婚式を中止してくれないと招待客だって困るだろうし、プリシラもウェディングドレスの製作にかかれない。
 私だってヘイロー家の保有している、一番遠い別荘にいつでも移動できる準備だってしているのだ。
 男として言われる側になるのはプライドが許さないと思っているのかも知れないが、どうせプリシラとここでめくるめく愛を確かめ合っているのだろう、と醜い感情がふつふつと湧き上がる。
 私が大人しく引き下がってやるって言ってるんだから、
「君がそう言うなら……」
 でまるっと収めるところなのよ。
 なんで悲愴感漂った顔で私を見つめるのよ。強く握った手を離してくれないかしら。
 無駄にアンニュイでミステリアスになられたら、ただでさえ女の私より整った顔がより魅力マシマシになるじゃないの。
 私に説明させたいの? そんな傷をえぐるようなことをマクシミリアンがさせるなんて。私が思っていた優しい彼はどこに行ったのよ。
 でもこのままではらちが明かない。
「……存じておりますのよ、プリシラ様とのこと」
 私は小さく囁いた。
「プリシラ嬢とのこと?」
 何のことか分からないといった顔のマクシミリアンに、少しはすまなそうな顔をしていたら救われたのに、と怒りの感情が沸き上がる。
「彼女に好意をお持ちになったのでしょう? よろしいのです隠さなくても。もう挙式も間近になり時間がありませんわ。私も侯爵家の生まれ。見苦しい身の引き方はしたくありませんので、後で揉める前に、性格の不一致ということですぐに婚約破棄していただけませんか?」
「……」
 私が恥を忍んでここまでぶっちゃけたのに沈黙なの?
 腹を立てた私がマクシミリアンを睨むと、彼が今まで見たこともないような極上の笑みを浮かべて私を見つめていた。
 そんなに嬉しいのか、と慌てて目をそらしながらも、
「よ、喜んで下さって何よりですわ。でしたら早速戻り次第対応を──」
 と話し始めたところで、私の体が彼にトン、と押されてベッドに寝転がる形になった。
「な、何をなさるんですの!」
 驚いて起き上がろうとする私に覆いかぶさるようにしたマクシミリアンが、私の頬をぺろりと舐めた。
「ひっ」
 思いもよらぬ反応に背筋がゾワっとして身をよじる。
「キャスリーンがそんなに僕のこと気にしてくれていたなんて知らなかった。一方的に自分の愛情を押し付けているんだとばかり思っていた」
 そんなことを言いながら、ワンピースのボタンを手際よく外して行く。
 ちょちょちょ、お忍び用の外出着でドレスじゃないのよ。コルセットもしてなければペチコートも履いてない。ワンピース脱いだら即下着が丸見えなのよ。
「落ち着いて下さいマクシミリアン様!」
「え? これ以上ないぐらい落ち着いてるけど。いや、嬉しくて興奮はしてるかな」
 じたばたとあらがっていたが、ワンピースははぎとられ、部屋の隅に投げられた。私はといえばあられもない下着姿である。
 ごく自然な動きで自分の服も脱いでいく彼に、状況が理解できない。
 いや状況は分かる。このままでは私の処女が確実になくなるということだけは。
「マクシミリアン様、なぜこんなことをされるのですか? ……婚約破棄しても、処女を失ってしまえば女性としての価値が下がります。私にはまともに嫁ぐこともできなくなってしまいますわ!」
 この国では再婚でもない限り、処女であるのが当たり前の価値観だ。必死にもなる。
 本気で抵抗したがしょせんは男性の力にはかなわない。残ったブラもパンティーもあっさり脱がされてしまい、羞恥で胸と股間を手で隠す。
 ……いけない、うっかり見えてしまった。同じく裸になったマクシミリアンの股間は、前世の知識で言えば、完全に戦闘態勢であった。しかもかなりの大きさだ。日本で付き合った彼氏のナニを思い出したが、せいぜいアレの半分がいいとこだ。
 いや呑気に昔を思い出している場合ではない。
 大事なところを隠していた腕を広げられ、むき出しになった胸に舌を這わせるマクシミリアンに、なぜこんなに私を辱めるような真似をするのか、と強く責めた。
「私は、文句も言わず身を引くと申し上げているのです! それなのになぜっ」
「うーん、身を引かれても困るから、かな? なにか勘違いしてるみたいだし」
 私の意思とは関係なく舐められ揉まれているうちに高くつき上がった乳首を軽く噛まれて私はのけぞった。
「あんっ」
「ふふ、可愛い。いつも可愛いけど、甘い声のキャスリーンはひときわ可愛いな」
 過去の経験から彼が時間をかけて丁寧に緊張をほぐそうとしているのを感じた。
 足の間に延ばされた指は、静かに、傷つけないよう愛撫をし、溢れた愛液にまとわせた指を一本、二本と増やして行く。正直、ものすごく気持ちいい。
「い、今なら、今ならまだ間に合いますわ。止めてください」
「無理に決まってるでしょ。大体さ、僕に確認もしないで何で浮気を疑うの? 未来の夫を理由なく疑うなんて、あんまりだよね」
 彼のモノをあてがわれ、恥ずかしいほど溢れている愛液にまとわせている。
 本当にまずい。
「処女じゃなくなったら嫁に行けないって? 別の男に嫁ぐとか僕が許すとでも思ってる?」
 腰をぐいっと引き寄せられ、彼の怒張した大きな猛りが容赦なく私を貫いた。
「あああっ!」
 私の体がしなった。鈍い痛みは感じるが、彼がゆっくりほぐしたためか、思っていたほどの痛みはなかった。ただ、あまりにも大きな彼のモノが抜き差しされる圧迫感と少しの快感、処女ではなくなってしまったことに対する悲しみで涙が溢れた。
「……っはぁ、ダメだ。キャスリーンの中が気持ち良すぎてすぐいきそう」
 次第に腰を動かす速度が速まり、最後にぐいっとより深みに付き込まれ、熱いものが放出されるのを感じて、私は彼の体を離そうと慌てて手で胸を押しやる。
「出して! 外に出して下さい! 子供ができたらどうするんですか!」
 処女でなくなった上に私生児を産むなんて、婚約破棄以前に勘当待ったなしだ。
 だが、マクシミリアンは射精したらしいにも関わらず、体の中に感じる彼のモノに大きな変化を感じることもなく、また少ししてゆっくりと動き出した。
「あーあ、もうこれで処女じゃなくなったねキャスリーン。これで他の男に嫁げないなんてバカなことは言えなくなったよね。ま、そもそも婚約破棄なんてするつもりないし、僕とキャスリーンの子供ができても式の頃にはまだお腹も目立たないものね。んー、いっそのこと、確実に孕むまで頑張ってみようか二人で? 背後から突かれるともっと子宮近くまで届くらしいよ」
 いつもの穏やかな口調でとんでもないことを言い出す彼に、私は訳が分からなくなってきた。
「どう、どうして婚約破棄をしないのですか?」
「そんなの愛してるからに決まってるだろう? 出会ってからこの六年、君以外によそ見をしてる暇なんてなかったよ。大体、僕がそんなに移り気な性格に見えるかい? 好きな女以外に時間を使うなんて、無駄でしかないじゃないか」
 確かに一部の貴族の息子の中には、平民から下級貴族まで複数の女を口説き落とし、性欲のはけ口にしていると噂のある女癖が悪いと評判の男性もいるし、愛人に囲っている女に夢中で妻と子供は放置されているなんて話も聞いたことがある。
 マクシミリアンはそういう男を軽蔑したような眼差しで見ていたし、挨拶されても聞こえてないふりをしてその場を離れたりもしていた。
「じゃ、じゃあプリシラ様はっ」
「ああそうそう。プリシラ・ヒューイットはね、親友のハロルドと婚約が決まっているよ。その件で何度か顔を合わせたし、相談もされたけど、それだけだね」
 ハロルドは、王立図書館で司書を務めている伯爵家の次男坊で、マクシミリアンの幼馴染みでもある。メガネをかけた真面目で誠実を絵にかいたような人で、何度か一緒に食事もしたことがある。
 思い出したが彼も攻略対象だったはずだ。
 ……そこまで考えて、私はとんでもない勘違いをしていたことに気づいた。
 そもそもエタラブ、エターナルラブバトルというゲームは、私ではなくプリシラが主役、メインヒロインなのだ。
 私が婚約破棄をされるのは、あくまでも彼女がマクシミリアンを目標とした時『だけ』であり、それ以外の相手を落とそうとした場合、マクシミリアンは王子ではあってもただのモブになる。私だってたまたまプリシラになつかれているが、彼が絡まなければ単なる友人。敵でも何でもないのだ。
 私はマクシミリアンを見上げ、
「あの」
 と声をかけた。
「ん?」
「結婚式はこのまま挙げることで変わらないってことで……?」
「もちろんだね」
「新居も私とマクシミリアン様がが住むってことで……?」
「他に誰が住むのさ。誤解は解けたかい?」
 呆れたような顔で苦笑するマクシミリアンに、私は再び涙がこぼれ落ちる。
「ちょ、キャスリーン?」
 慌てたように指の腹で私の涙を拭う彼に、私はずうっと言えずにいた一言を伝えた。
「──あの、愛しています、って言ってもいいですか?」
 一生伝えることもないだろうと思っていた気持ちを吐き出せて、私はここ数年で一番の解放感を感じていた。
「っ、キャスリーン、……僕も愛してる、僕も死ぬまで愛してるよ可愛い可愛いキャスリーン、本当にどこから見ても何をしてても可愛い、一生そばにいるから」
 マクシミリアンは感極まったように深いキスをすると、また激しく腰を動かし始めた。
 さっきよりも挿入されているモノが大きく固く感じてしまう。だが、初体験が終わったばかりだというのに、何故か感じてしまう自分を感じた。心配事が消えた安心感なのだろうか。
「あ……ちょ、ダメ、変にな」
「ここには僕しかいないから平気だよ。どんな姿も全部見せて」
 それから何時間経ったか、外が暗くなるまで私たちは抱き合っており、処女だった私も最後には私も声を上げ気を失うまでイくという貴重な経験をしたのだった。


 後日打ち明けてくれたところによると、あの寝室だけ準備されていたのは、私の心が離れて行きそうな不安がなり、別れたいと言い出されたら飲物に睡眠薬でも仕込んで、無理やりにでも体の関係に持ち込み、結婚せざるを得ない状況に追い込むつもりだったのだとのこと。他の男にみすみす奪われるぐらいなら、と思い詰めたようだ。
「……さすがに怖いですわ、その考えは」
「本当にごめん! あの時は頭に血が上ってて。まあ結果的に我慢できず、薬使うとかもせず繋がってしまったわけだけども……浮気を疑われてるとかすごく嬉しくて。相手を好きじゃないとどうでもいい話だろう、そういうこと? 普段キャスリーンは、なんというか感情を抑えてるようなところがあったから、すっかり舞い上がってしまって」
 姉が「陰がある男」とか言っていたマクシミリアンだが、陰がある、ではなく闇が深い男、なのではないだろうか。
 どちらにしても愛しているので彼の闇が深かろうが愛情が重たかろうが何の問題もないし、プリシラも今まで通りの付き合いが続いている。
 一度どうしても気になって、
「なぜ皮肉を言ったり、あなたに対して冷ややかな振る舞いをしていた私と仲良くするのか」
 と尋ねたら、
「言われていることは正論だし、私を無視して陰でコソコソ耳打ちして嘲笑している女性たちより、よほど潔くて優しい人だと思っていた」
 だそうな。これがヒロインクオリティーというものか。
 男女限らず好感度が爆上がりする機能が標準装備である。

 バタバタと自分だけが必要以上に足掻いていた数年だったが、何とか収まるところに収まったのかも知れない。
 幸せなのは大変いいことではあるのだが、マクシミリアンがしょっちゅう「愛してる」と蕩けそうな笑みを浮かべて私を見つめ、新居への入居をできるだけ早めようと急かして来ているのが少し不安だ。
 あのあと数日まともに歩けなくなるぐらい抱きつぶされ、大変な目にあった。
 結婚式前にそれをやられては式が台無しになる。
 でもこんなことで悩めるのも、幸せなことだ。

 ゲームなら悪役令嬢になる前に私の出番は終わってしまったようなものだが、現実の私の人生はこれからだ。開発中のゲームみたいに、いつまでも背中にカミングスーンってつけとけばいい。
 この先の未来はさすがにもう分からないけれど、悪役になる可能性だけはあるものね。
 私は思い切り伸びをして、引っ越しの準備を進めるのだった。



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