上 下
25 / 30

ブレナンの場合。【3】

しおりを挟む
「……ふわぁー、と」

 自分の机で推敲していた原稿から目を上げて欠伸を噛み殺しつつ壁掛け時計を見たら、もうすぐ夜の九時を回ろうかという時間になっていた。周囲の席にももう人は居なくなっていた。

(ちょっと頑張りすぎたか……)

 僕は机の上を片付け、帰り支度をする。どうせ外食でもしてアパートに戻って寝るだけだし、そんなに急がなくてもいいんだけど。
 自分の報道部を出て、のんびりと廊下を歩いて行くと、ほぼ暗くなっていた各部署で、一カ所だけ灯りが見えているところがある。文芸部だ。

(あそこはそんなに締め切りに追われるところでもないのにな……)

 不思議に思って覗いてみると、そこで一人作業しているのはリアーナだった。

「──リアーナ」

 彼女の前の机の方から回って軽く手を振った。それでもびくっと肩を揺らした彼女は、僕を見てほっとしたように笑顔になった。

「やだ、ブレナンじゃない! もう、驚かさないでよ」
「僕こそ驚いたよ。こんな時間まで残業かい?」
「……うん。まあね。でもほぼ片付いたところよ。貴方こそ毎日こんな遅くまで?」
「別に帰っても寝るだけだし、区切りのいいところまでと思ってさ」

 机を片付けるリアーナを何となく見ていたが、文芸部ってまだ入社半年の新人にもこんなに仕事を振るのか、というぐらい結構な量の原稿や指示書が載っていた。

「──ねえ、文芸誌って今なんかフェアとかで忙しいの?」
「え? ……ああ、まあ色々とあるのよね。私もまだ慣れないから段取り悪くて。反省しなくちゃね」
「終わったんなら今夜は一緒に夕食でもどう? その後で屋敷まで送るよ。いくら何でもこんな時間に女の子が一人で帰るのは物騒だ」
「やあねえ、私みたいなのを襲うもの好きなんていないわよ、ふふふっ。でもお腹は空いたわ。すぐそばのビストロでビーフシチューでも食べない?」
「賛成。それじゃ、行こうか」

 僕は一人でご飯を食べることにならずに済んで嬉しかった。
 新聞社を出ると、近くの小さなビストロにリアーナと向かった。ここはランチでもよく利用しているが、値段もリーズナブルで好みの味である。顔なじみの店員に挨拶すると、ビーフシチューとパンのセットを二つ頼み、グラスワインも頼んだ。

「仕事終わりだしワインもいいよね、たまには」
「一杯ぐらいなら別に酔わないしね。あらでも赤ワインは苦手じゃなかったの?」
「仕事するようになってから鍛えられたからね。余り強くないけど」

 食事を楽しみつつ、最近読んだ本の話や家族の近況などで途切れることなく話が盛り上がった。やはり幼馴染みというのはお互いを知り尽くしているものである。

「まあ、アナに子供が……おめでたいわねえ!」
「うん。近々発表されると思うから、それまでは内緒にね」
「勿論よ。私は口が岩のように固いのよ?」
「知ってるから言ったんだよ」

 リアーナは昔から内緒だと言ったことは何があっても喋らないので、双子たちはよく相談事をしていたのも知っていた。ただ、自分が陰でクラスメイトの一部にいじめられていたことも全く言わなかったので、暫く僕たちが気づくのに遅れてしまい、そのぐらいは相談しろと怒ったこともある。だがリアーナは、

「あらでも、いじめるぐらいしか自分の主張をする事が出来ない人たちのことで話の時間を使うのって、本当に無駄じゃない時間も労力も。良くあることだもの。私の時間もあなたたちの時間も勿体ないでしょう? 人生は短いんだし」

 と達観した発言をしていた。あの頃まだ彼女は十二か十三。アナが「大人だねーリアーナは」と感心していたが、僕はリアーナが僕らに不快な思いをさせたくないと思っていたのだと思う。いじめていた子たちの中には僕らと遊んだりする子もいたから。当然、分かってから付き合うことはなくなったけど、自分のせいで友人との仲を裂いたようで申し訳ないと反省していたとクロエが言っていた事もある。彼女は芯のある強い女性ではあるが、いつも気を回しすぎで疲れちゃわないかな、と少し心配にもなる。

「仕事はどう? もう慣れた? 新人だからって一生懸命頑張り過ぎるとすぐバテるから気をつけなよ」
「あらありがとう。いつも優しいわねブレナンは。──大丈夫、私は仕事で一流になりたいから、いくらでも頑張る事はあるのよね。両親にも最近は帰りが遅いってブツブツ言われるけど、余り遅いようなら乗り合い馬車も呼ぶしね。早く一人前になるためには努力しないとね。楽して仕事するのはベテランになってからの話よ」
「まだ十七歳だろうリアーナは。相変わらず考えがしっかりしているねえ。僕も見習わないと」
「もうすぐ十八歳よ。あー、屋敷からの通勤だけで片道でも徒歩だと小一時間はかかるし、ブレナンみたいに私も早く独り立ちしたいわ」
「若い女性の一人暮らしは流石にフランおば様が許さないと思うよ? 僕は男だからいいけど、近頃は強盗とか、若い女性の性的被害も増えているそうだから」
「うーん、それは新聞とかでも見るけれど、ただヒースが大きくなってお嫁さん貰うにしても、小姑がいつまでも屋敷に居られても困るじゃない? いずれにせよ出る予定ではあるのだし」
「それにしたって二十歳越えてからにしなよ。それまでは貯金しとくとか。結構出費あるんだぞ、一人暮らしって。僕は屋敷にたまに戻って食費浮かせたりするけど」
「ふふっそうね。リーシャおば様の料理は本当に美味しいものねえ。あんなに素晴らしい作品を書くだけでも凄いのに、料理まで上手くてお綺麗でダークおじ様が一番大好きで。正直女として理想形よね」
「……うん、まあ表向きは理想かも知れないよね。自分のこと綺麗と言われると鳥肌立てるし、執筆したりマンガを描いている時は十年来愛用のボロボロの作業着でウロウロしてたり、目の下クマつけてソファーで丸まってたり、時々テンション上がって変な踊りしてたり、その勢いで壁で突き指してルーシーに怒られたり、完璧じゃないところは多々あるんだけどね」
「リーシャおば様が? 意外だわ……そんなスキのある感じには見えないけど」
「スキだらけさ。まあ外面は父のために鍛えているからね。屋敷の中では、ってこと」
「見てみたいわねえ。まあそれはともかく、最近はご挨拶も出来てないから、今度食事に戻る時に誘ってくれないかしら?」
「分かった。フランおば様達にもよろしく伝えて」

 食事を終えて、乗り合い馬車でリアーナを送り届けると自分のアパートに戻る。
 シャワーを浴びて潜り込んだベッドで、僕は久しぶりに孤独感を感じなかった。気の合う昔からの友人というのは気楽でいいもんだと思う。同じ会社なんだし、これからはもう少しまめに声を掛けよう、そう考えながらいつの間にか深い眠りに落ちていた。



しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

巻き込まれ女子と笑わない王子様

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
 目立たず静かに生きていきたいのに何故かトラブルに巻き込まれやすい古川瞳子(ふるかわとうこ)(十八歳)。巻き込まれたくなければ逃げればいいのだが、本来のお人好しの性格ゆえかつい断りそびれて協力する羽目になる。だがそのトラブルキャッチャーな自分の命運は、大学に入った夏に遊びに来た海で、溺れていた野良猫を助けようとしてあえなく尽きてしまう。  気がつけば助けたその黒猫と一緒に知らない山の中。  しかも猫はこちらにやって来たことが原因なのか、私とだけ思念で会話まで出来るようになっていた。まさか小説なんかで死んだら転生したり転移するって噂の異世界ですか?  トウコは死に損じゃねえかと助けた猫に同情されつつも、どんな世界か不明だけどどちらにせよ暮らして行かねばならないと気を取り直す。どうせ一緒に転生したのだから一緒に生きていこう、と黒猫に【ナイト】という名前をつけ、山を下りることに。  この国の人に出会うことで、ここはあの世ではなく異世界だと知り、自分が異世界からの『迷い人』と呼ばれていることを知る。  王宮に呼ばれ出向くと、国王直々にこの国の同い年の王子が、幼い頃から感情表現をしない子になってしまったので、よその国の人間でも誰でも、彼を変化させられないかどんな僅かな可能性でも良いから試しているので協力して欲しいとのこと。  私にも協力しろと言われても王族との接し方なんて分からない。  王族に関わるとろくなことにならないと小説でも書いてあったのにいきなりですか。  異世界でもトラブルに巻き込まれるなんて涙が出そうだが、衣食住は提供され、ナイトも一緒に暮らしていいと言う好条件だ。給料もちゃんと出すし、三年働いてくれたら辞める時にはまとまったお金も出してくれると言うので渋々受けることにした。本来なら日本で死んだまま、どこかで転生するまで彷徨っていたかも知れないのだし、ここでの人生はおまけのようなものである。  もし王子に変化がなくても責任を押し付けないと念書を取って、トウコは日常生活の家庭教師兼話し相手として王宮で働くことになる。  大抵の人が想像するような金髪に青い瞳の気が遠くなるほどの美形、ジュリアン王子だったが、確かに何を言っても無表情、言われたことは出来るし頭も良いのだが、何かをしたいとかこれが食べたいなどの己の欲もないらしい。 (これはいけない。彼に世の中は楽しいや美味しいが沢山あると教えなければ!)  かくしてジュリアンの表情筋を復活させるトウコの戦いが幕を上げる。  フェードイン・フェードアウトがチートな転生女子と、全く笑みを見せない考えの読めない王子とのじれじれするラブコメ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

森でオッサンに拾って貰いました。

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
アパートの火事から逃げ出そうとして気がついたらパジャマで森にいた26歳のOLと、拾ってくれた40近く見える髭面のマッチョなオッサン(実は31歳)がラブラブするお話。ちと長めですが前後編で終わります。 ムーンライト、エブリスタにも掲載しております。

処理中です...