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アナの場合。【7】

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 私は早速翌日、王宮に向かった。事前連絡すると避けられてしまいそうだったので、突然のアポである。当然大量の執務をこなす彼だ。空き時間をいきなり作ってくれと言うのも難しいだろうと考えたのもある。だが、出来るだけ早く彼と話し合いたかった。
 通路で立っている顔なじみの騎士団の人に、サプライズで来たからこっそり入れてくれと伝えて通して貰った。こういう時に信頼度の高い騎士団トップの父親がいるのは助かる。

「……アナ?」

 まだ朝十時を回ったばかりだが、音を立てないよう入った執務室の馬鹿でかいデスクには既に山積みの書類があり、レイモンドがいつもの仏頂面で黙々と仕事をこなしていた。書類仕事をするレイモンドを見るのが珍しくて暫く眺めていると、視線を感じたのか顔を上げた彼が目を見開いた。

「どうしたんだいきなり。来るとは聞いてないぞ」
「うん、言わなかったから。ごめんね──レイモンドと少し話がしたくて。あ、仕事が一段落ついてからでいいの。私が勝手に来たんだから待ってるわ」
「そんな訳に行くか。それに丁度区切りがついたから気にするな」

 呼び鈴を鳴らして二人分の紅茶を用意させたレイモンドはソファーに移動して来た。
 王宮で出される紅茶は淹れたてで、我が家の温めのミルクティーに慣れている舌には熱すぎた。少し冷めるのを待っていると、レイモンドが促す。

「それで、どうした」
「……あ、うん……」

 意を決して、私は昨夜の父との会話、自分がいかに考えなしだったかを詫びた。

「私は良かれと思ってやっていたのだけど、お前は独りよがりで行動することがあるからレイモンドの考えをきちんと聞け、話し合えと言われて反省したわ。本当にごめんなさい」
「──お義父上にはみんなお見通しなんだな」

 レイモンドは少し息を吐くと、私の顔を正面から見据える。

「お義父上の考えていることは概ね当たっている。……実は、結婚するのも考えた方がいいかとまで悩み、昨夜は眠れなかった」
「レイモンド……」
「今までずっと愛する女のために立派であれ、頼れる男になれと頑張って来たのに、その女が私の為に命を粗雑に扱うなんて耐えられないからな。もしアナの命にもしものことがあったら、その先私はどうやって生きていけばいいんだ? お前は遺された私のことを少しでも考えたことがあるか? 私は次期国王ではあるかも知れないが、その前に一人の女を愛する一人の平凡な男なんだ」
「……ごめんなさい。私、自分に自信が持てなくなっていたというか、妹や兄様たちと比べて見劣りすることばかりで、唯一の長所を伸ばすことが貴方の為になる、役に立てると盲信していたのよね……」

 私は深いため息をついて、本当に申し訳なかったと頭を下げた。そしてこの際だし、全部思っていたことを言おうと決めた。

「──私、正直に言って、何故レイモンドが私と結婚したいのかがずっと疑問だった。幼馴染みで一緒にいる時間が多かったのは事実。でもクロエはもう三歳の時からジークライン義兄様と結婚すると決めていたし、消去法でもう私しか居なかったからなんじゃないか、フォアローゼズなんてこっぱずかしい通り名をつけられるほど母様譲りの顔を受け継いだから見栄え的な意味もあるのかな、とかも考えたわ。ほら、知っての通り私は小さな頃から爬虫類や昆虫に夢中だったし、男の子と泥んこになって駆け回るような女の子らしいとはとても言えない人間だったし、淑やかでもなかった。それなのに、この国の王子に見初められるとか、そんな童話みたいなこと普通ならある訳ないもの。だから、自分が必要な人間であると、必要とされる人間でありたい、とずっと考えていたのよ」
「……私も腹を割って話そうか」

 じっと黙って私の話を聞いていたレイモンドが、紅茶を一口含むと続けた。

「──私は、昔はかなり嫌な奴だっただろう? 何しろ国王の一人息子だったからな、それはもう大切にされた。何をしても許され、迎合され、褒められ。それが当たり前のことだと思っていた」
「ああ、確かに。感じ悪いと思っていたこともあったわね」

 私は昔のレイモンドを思い出していた。

「ふ、正直だな。……で、お前たちが王宮に遊びに来るようになってからも、自分が一番に立てられて、優先されて当然だと思っていたのに、『遊んでやるとは言ってない』とか言ったら『それじゃあ帰りまーす』とか帰ろうとするしな、ドロドロごっことか言う妄想劇をやらされて、俺はろくでなしのダメ男の役をさせられたりな。何でこんなことになるんだ、と思っていたが、それは迎合されるばかりだった自分には新鮮だった」
「あったわねえーそんなことも」

 考えてみれば、我が家の兄たち、主にブレナン兄様が変なことを考えて、それに私たちが乗っかるのが基本スタイルだった。まあ、母様も色々憑依させたり変わった踊りを伝授したりしてくれたり、シャインベック家はとにかく一般的な貴族家庭ではありえない環境ではあった。

「それでも、若干の忖度というか、子供ながらもカイルやブレナン、クロエはある程度の常識があったのか、王族であるということが理解出来ていたのか不明だが、私に対して本気で歯向かうことは流石にしなかった。だが、アナだけは私に対して悪いことをした時には本気で怒ったし、嗜めた」
「……それは、褒めてるの? 常識がないと呆れてるの?」
「褒めてる。──いつだったか、私が木から落ちてきたクモを、脅かされた怒りと恐怖の余り踏みつけて殺したことがあっただろう? そうしたらアナが本当に怒って、『びっくりしただけで、ただ普通に生きているクモを殺すのは可哀そうじゃないのか』『そんなことをする人は、いい王様にはなれないんじゃないのか』とまあガンガン泣きながら言われて、その後一週間ほど口を聞いて貰えなかった。その時に思ったんだ。アナは私と同じ位置に立って物事を考え、過ちがあれば正そうとしてくれる唯一の女性だ、と」
「いやあ……それはちょっと大袈裟じゃないかしら……」
「正論であろうと、自国の王子に泣きながらクレームをつける女性はそうは居ないだろ」
「いや、まあ、それは」
「あとは、学校に通うようになってから、ラブレターをくれた侯爵家の女性に謝罪させられたり」
「それはレイモンドが読みもせずに薪ストーブに放り込んだからでしょう?」
「あれはむしろアナへの誠意の表れだったのだがな」
「だとしても、苦労して書き上げた手紙を読まれもしないって女性にはショックでしかないでしょうよ。せめて読んでから断りの手紙を書きなさいよ」
「他にも色々あるが、いつでもアナは私を王族ではなく、まず一人の人間としてどうあるべきかを教えてくれた」
「……そこまでのことをした記憶はないわね」
「でも私にとってはそうだ。常にアナはフェアであろうとした。誰に対してもな。それが眩しくて、気がつけばアナ以外はもう目に入らなくなっていたという話だ。本音を言えば、別に顔ももっと普通でも惚れていただろうし、自分では知らないと思うが、わんわん泣いている時には結構不細工だぞ? まあそこも可愛いんだが」
「……今さらながら、ちゃんと好意の告白をされた気がするわ」
「アナからは聞いてないが」
「結婚したいと思えるぐらいには……好きよ」
「ほぼ初めての告白が執務室とはな。嬉しいが。……じゃあ二度と私を庇おうとするな。別に好きな剣術や護衛術を止めろと言っている訳じゃないから誤解はするな。ただ、私が生きている間は、生きてそばにいることだけを最優先して欲しい。それに愛する女を護るのは私の役目でもあるんだ。少しはかっこつけられる所を奪うな」
「はい。本当にごめんなさい」
「素直でよろしい」

 レイモンドはソファーから立ち上がると私の頬にキスをした。

「まあ、どちらにせよ結婚を止める気にはなれなかったんだがな。アナが他の男とくっつくこと考えただけで死にたくなったし。──それに、お義母上の美味い食事も食べられなくなる」

 にやりと悪そうな顔をしてからかうレイモンドの肩を叩いて、私も笑った。

「浮気でもして私を不幸にしたら一生出入り禁止よ」
「それは怖いな。肝に銘じるよ」

 レイモンドの笑顔は私の大好きないつもの笑みだった。

 わだかまりも消え、ようやく結婚式前にお互いの気持ちを確かめられた。私も恋愛には疎いせいで波乱含みではあったが、後日ルーシーと話した時に、

「リーシャ様も旦那様も昔は相当なポンコツでございましたから、わたくし本当に、本当に苦労致しましたわ。アナ様など全然マシでございます」

 と珍しく感情豊かな励ましを受けた。ルーシーが居なかったら我が家は存在すらしていなかったかも知れない。



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