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アナの場合。【1】

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「やああっっ!」

 私は鋭い踏み込みでアレックに模造剣を突き込んだ。模造といっても刃を立てていないだけで、鉄で出来ている事は変わらないため、当たればかなり痛い。

「おおっと」

 アレックは自分の模造剣で私の剣を受け止めると、グイっと一歩踏み込んで私の渾身の力で打ち込んだ剣をはじき返した。

「今の突きは鋭くて良かったぞアナ! だけど、真正面から素直に行くだけじゃ相手に読まれやすい。もっと相手の動きを見ろ、隙を見つけろ」
「分かりました!」

 だが、私にも体力の限界があり、再度打ち込んだ剣が跳ね返された際に衝撃に耐え切れずに自分の剣を落としてしまう。鍛えているつもりでも、基礎的な筋力がやはり男性に劣る部分が多く、私は唇を噛んだ。剣を拾い上げて構えるとアレックに叫ぶ。

「すみませんでした! もう一戦お願いします!」
「おい、今日はレイモンド様と昼食だろう? 支度もあるだろうし、もうこのぐらいにしておけ」
「あ……そうだったわ」

 私はすっかり記憶から抜け落ちていた予定を思い出して剣を下ろした。

「ありがとうございました! それではまた明日」
「師匠タイム終了な。──それにしても、最近やたらと頑張り過ぎじゃないですかアナスタシア様。もうすぐウェディングドレス着るんですし、あまりムキムキにするのは如何なものでしょうか?」

 執事口調に戻ったアレックが少したしなめるような言葉を掛けた。

「結婚式が近いからじゃないの。レイモンドは次期国王だから、結婚式にはある程度、お披露目も兼ねて諸外国の王族や偉い方を呼ぶでしょう? 友好関係の国ばかりだし今は戦時中ではないけれど、万が一の事がないように妻になる私も備えなくてはいけないじゃないの」
「……別にレイモンド様は護衛になって欲しくてアナ様と婚姻する訳ではありませんよ?」
「そう……かも知れないけれど、横に立つ者がそれなりに腕が立つに越した事はないでしょう? ──さ、シャワーを浴びて来なくちゃね」

 私は屋敷に戻りながら、モヤモヤした内心を押し込めていた。


 正直に言って私はガサツで大雑把である。
 子供の頃から双子のクロエとは違い、体を動かすことが大好きで、外で泥んこになって男の子と遊ぶことを好んでいたし、剣術も父の試合の様子を見て感動してしまい、それからは護身術含め、メイドのルーシーや元騎士団である執事のアレックに師事して研鑽している。十八歳になる今まで青アザも生傷も絶えたことがない、という淑女の欠片も見当たらない女だ。生き物も好きで、犬や猫のような可愛い子たちも好きだが、ミミズやカエル、蛇やクモなども素手で触るし、毒性があるタイプ以外は女性が苦手とする生き物も好きな方である。
 顔は母様が産んでくれた甲斐があったのか、周囲から美人だの言われるようなこともあるので、そこそこの顔ではあるらしい。
 けれど、母様やクロエのように料理上手でもなく、お淑やかで慎ましいタイプではない。

 母様は貴族としては大っぴらに出来ない薄い本作家という仕事で、男性と男性の恋愛小説やマンガを執筆している。自宅でよく「もう無理ぽ」「寝かせて……」と呟きながら居間に逃げており、アズキとソファーで寝ているところをルーシーに捕獲され、上手い事なだめられて仕事部屋に拉致されていたり、仕事部屋から「どうせ脱がすんだからこんなレースひらひらのシャツ着せなくても良くないかしら? 描くの面倒なのよぅ」とか「監禁? 今は監禁系が流行りなの? ロープ? ゴム?」などと不穏な会話が聞こえて来るので、厳密には慎ましやかな淑女とは違う気もするが、外では【傾国の美貌未だ衰えず】【それに年頃のえらく美形のお子様が四人もおられるのに、どう見ても三十歳そこそこにしか見えん】【不仲になって離婚してくれればすぐに求婚するのに】と言われるほどだ。
 そんな母様も、外に行く際には「お得商品を得るため」と「父様のさりげないイメージアップ」をモットーに、笑顔をばらまき常に良好なご近所関係を保つ努力は欠かさない。家にいるのが大好きで人付き合いの苦手な母様だが、父様のための努力は惜しまないのだ。まあ父様は以前から国で一、二を争うほど腕は立つが、顔も一、二を争うほど不細工と言われていた人だ。今は幸せオーラが出ているせいか、前ほど不細工とあからさまに言われることも少なくなったらしいが、結婚当初はかなり酷かったらしい。個人的には父親を悪く言われるのは辛いし、不細工だと思ったこともない。母様やクロエのように『目に眩しいほどの美貌』とまでは思わないけれど。人の好みはそれぞれである。

 クロエも先日結婚式を挙げ、小さな頃から大好きだったアーデル国の第二王子であるジークライン様と夫婦になった。公爵にはなったものの、元は王族。カイル兄様もミヌーエ王国の次期王配としてマデリーン王女と結婚して姪っ子まで生まれたし、我がシャインベック家は何でこうも王族との繋がりが強いのかしらねえ。
 だが二人とも王族と結婚しても遜色ないレベルで出来がいい。クロエも読書家だったせいか私と頭の作りが違うし、何でもそつなくこなせる才能がある。私がレイモンドに対して役に立てるのは、護りとなるため強くあることぐらいなのだ。



「二週間ぶりだな、アナ」
「左様でございますねレイモンド殿下」
「今はメイドしかいないのだからその口調やめろ」
「……そう言えばそうね。私すぐ昔の幼馴染口調に戻るから普段から気をつけていないとと思って。自分の屋敷と身内しかいない所以外は猫を被っているものでつい」

 昼食を食べながら私はふっと肩の力を抜いた。王族とはいえ、幼い頃から遊び相手として始終一緒にいると、マデリーンやジークライン様のように彼にもつい親しげな口調になってしまう。
 父様や母様にも『うちは王族ホイホイなのだから、いくら敬ってくれなくていいと言われても、非礼にならないよう人前での礼儀作法だけはしっかりしなさい』と口うるさく言われている。でも話をしているのにドンドン距離が離れるような気がして、個人的にとても寂しく思うこともある。

「皆は息災だろうか? この頃政務が忙しくて、なかなかお義母上の美味しい食事も食べに行けていないが」
「元気元気。母様が『いつでも肉じゃが食べに来てねえ』と言ってたわ。多分王宮では一般家庭の素朴な食事は出ないだろうからって」
「ありがたい話だ。近々伺うと伝えてくれ。……ところで最近はどうだ? 剣術の鍛錬は」
「今一つね。アレックにはやっぱり敵わないわ」
「それはそうだろ。あいつは執事でも、シャインベック家の護衛も兼ねているから自身でも鍛錬を欠かさないし、ダーク──お義父上とも実戦さながらの訓練をしているようだからな。アナは俺が守るからそこまでストイックに強さを求めなくてもいいぞ」
「そんなのダメよ! それじゃっ」
「……それじゃ?」
「いえ、何でもないわ。ほら、私が負けず嫌いなの知っているでしょうレイモンド」
「ははっ、嫌というほどな。子供の頃、俺にカブトムシ取りで負けたからと翌日カマキリ取りで再戦を挑んで来たりもしてたな」

 笑顔を見せたレイモンドは普段の不機嫌そうな顔から一気に親しみやすい美形になる。私はこの笑顔が昔から大好きなのだ。
 あと一カ月もすれば彼の妻となる。それまでに何とか彼の役に立てる人間になりたいものだ。このままでは、幼馴染で顔ぐらいしか取り柄のない、ガサツで淑女失格のろくでもない次期王妃となってしまう。




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