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奥様のお戻りです

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「ああ、空気がおいしい」

 馬車から降りて深呼吸と、伸びをする。

 ──私は数日前までセファイア王国の第三王女だったが、今は離婚歴ありのバツイチで、現在は精霊の巫女としての業務をまっとうするために、ここ、元婚家であるエメレット領に戻ってきた、ただのアリエノールだ。

 本当に離婚届が受理されてしまったので、再婚には時間がかかるけれど、大精霊の指名とあっては、私をエメレットに向かわせないわけにはいかない。なにしろ、新しい精霊と豊穣の盟約を結んだのは私なのだから。貴族の権力など実際に顕現した大精霊の前では無に等しい。

「奥様!」

「アリー様ー!」

 そんなわけで、私は何事もなかったかのように、エメレットに戻ってきたのだった。私の姿を見て、出迎えてくれる人がこんなに沢山いることが、単純に嬉しい。

「おかえりなさいませ。巫女様とお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」

 すっかり体調が戻ったらしいレイナルトが、うやうやしくお辞儀をした。

「アリーでいいわ」

 かたくなにカシウスはアリエノールのままだけれど。それはそれで、特別感があっていいものだ。

「皆、久しぶりね。……でも、全員ではないみたい」

 出迎えの中に、ノエルの姿はなかった。地霊契祭いらい、ノエルの声は聞こえなくなった。カシウスが呼びかけても、私が祈っても、精霊は応えない。

「……あいつは、出てきたか?」

 カシウスはぐるりと家臣たちを見渡して、確認するように訪ねた。

「いいえ。色々試してはみたのですが……あれ以来、ぱったりと声が聞こえなくなりました。色々好きそうなものを供えてはいるのですが、戻ってきた様子はありません」

 レイナルトは残念そうに首を振った。

「そうか」

 大精霊として代替わりをしたことで、ノエルは自由気ままな子供の精霊ではなくなって、大地の一部になってしまったのではないか、とレイナルトは言った。

 ……でも。はたして本当にそうだろうか。他の人も言っていたけれど、ノエルはああ見えて結構人間に気を遣う性格なのだ。

 ──本当はさびしくて、みんなと楽しく暮らしたいのに、人間らしく空気を読もうと、遠慮していたら? 何もない精霊の寝床で、暇を持て余していたら?

「ノエル!」

 森に向かって呼びかけてみても返事はない。ノエルは霞のように消えてしまった? 私の病を引き受けて、大地に恵みだけを与えて、本当にいなくなってしまったのか?

 そんな訳、ない。

 私には確信がある。だって、一時でも、あの子の親になろうとしたのだ。そのつながりがまだ、私の中に感じられる。

「ああ、ノエル、ノエル。いないのね。困ったわ。ああ、どうしましょう。本当に困ったわ」

 突然私が芝居がかった大声を上げたので、皆驚いている。何しろ皆の記憶にあるアリー奥様は吹けば飛ぶようにひょろひょろで、病弱で、転んだらそのまま死んでしまいそうな人物だったのだから。


「ああ、王都にしかないきらきらのお店のチョコレート。残念ね、ノエルにも食べさせてあげたかった。こんなにたくさん買ってしまって、どうしましょう。大変、食べきれない。困ったわねー。元気になったからと言って、嬉しくなって買いすぎてしまったわ。この後、エレノアがお土産を大量に買い込んで戻ってくるのよね」

 困ったふりをして、周囲をきょろきょろと見渡す。反応はまだない。けれど、ノエルは絶対に私達を見ているはず。

「カシウス、あなた食べられる?」
「え? ああ、はい。食べます」

 突然話を振られて、カシウスが困惑したように返事をした。お土産の荷物の中からチョコレートを一つ取りだして、カシウスの口元に持ってくる。

「え」
「はい、あーん」

 カシウスが躊躇いがちに口を開くと、何人かが耐えられないとばかりに噴き出した。

「ね、美味しいでしょう?」
「あ、ああ……」

 カシウスはなんとも恥ずかしいような、むず痒いような、爆笑されていることに少しだけ怒っているかのような──複雑な表情をしている。

「もう一つ食べて。まだまだあるから。みんなにあげても沢山余っちゃう」
「わ、わかった……」

『……おいてけ。おいてけ』

 カシウスの口にもう一つ放り込もうとした時、どこからともなく声が聞こえてきた。けれどすぐに飛びつくことはしない。
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