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令嬢は知るはずのないことを知っているのです

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  頬をくすぐるやわらかい感触で目が覚めた。ノエルが私を起こさないように、やさしく頬を撫でてくれている。何か、小さな声で呟いているようだ。瞳を閉じたまま、そっと耳を傾ける。

「アリエノール、いいこ、いいこ。ゆっくり寝なさい」

 ノエルは母親が子供を寝かしつけるように振る舞っていて、これでは完全に逆だ。

「……ふふっ」

「あ」

 ついつい笑いがこらえられなくなって、ノエルに狸寝入りをしていた事がバレてしまった。

「アリエノール、起きてるのに嘘ついた」

 ノエルは恥ずかしくなったのか、少し頬を赤らめている。寝起きでくしゃくしゃの髪の毛が、まるでちょっと怒っている猫みたい。

「ごめんなさいね。もっとなでなでしてほしかったから」
「なでなでしてほしかったら、先にノエルをなでなでする」
「あら、いいの?」
「アリエノールは特別。いいこだから」

 ありがたくノエルの頭を撫でさせてもらうことにする。私もよく髪が綺麗だと褒めてもらうことが多いけれど、子供の髪の毛はどうしてこんなに細くて、繊細かつ触り心地が良いのだろう、といつも不思議だ。

 なでなでなで。一心不乱にノエルを撫でる。子供はすぐに大きくなってしまう。心残りのないように、思う存分愛でておかなければ。

「……まだ?」

 ノエルは私があんまりにも全身を撫で回すので、さすがに居心地が悪くなったようだ。

「ごめんなさい、あんまりかわいくて」

 ぱっと手を離すと、ノエルは寝台を降りて、窓際に駆け寄った。

「何が見えるの?」

 窓から外をのぞくと、エレノアが中庭で素振りをしているところが見える。彼女は今でも毎日鍛錬を欠かさない。本人曰く「体を動かさないとむずむずする」のだそうだ。私にはその感覚はよく分からない。

「ノエルもあれやる?」
「いえ。今日もお勉強よ」

「今日もまたおべんきょう……?」

 朝日に照らされたノエルは訝しげな顔をした。

「書斎に沢山絵本を集めておいたわ。朝食前に見に行きましょうか」
「えほん? ノエル、にんげんの文字読めるよ。アリエノールにも教えてあげるね」
「……私、ノエルよりは物知りだわ。たぶん」

 ノエルがあんまり得意そうに言うので、私はやっぱり、笑ってしまった。


 書斎にはノエルのために用意された沢山の本が置いてある。中には書庫から引っ張り出してきた、カシウスが昔読んでいた絵本もある。

 ……そういえば、どうしてあの時、ノエルは鍵がかかっているはずの書斎にいたのだろう……。

「わーい。ノエル、いっぱいにんげんの勉強する。勉強して、教えてあげるの」

 私の些細な疑問をよそに、ノエルはいきおいよく本の山にとりかかった。興味があるものとないものに仕分けをするらしく、山がすさまじい勢いで二つに分かれていく。

「誰に教えてあげるの?」
「みんな」

「皆、というのはここに来る前に一緒に過ごしていた人たちかしら?」
「いまもいっしょ」

 ノエルの過去について何か聞き出せるかと思ったけれど、それはまだ難しいようだ。レイナルト達は手分けしてノエルの身元を割り出そうとしているけれど、一向に正確な出身地がわからない。

 昨日の段階ではレイナルトはこめかみを押さえながら生母と育ての親はまた別なのかもしれない──と言いだした。カシウスが戻ってくれば全ての謎が明らかになると思うのだけれど、レイナルトはどうにも納得がいかないらしい。

 今更故人の過去を暴こうとは思わないし、彼女がカシウスの血を引いてさえいれば、どこの誰でも構わない。確かなのはノエルはとてもかわいくて、すでに私の一部になってしまっているということ。

「あ、これにする。『「エメレットのれきし』」

 ノエルは高らかに本の題名を読み上げた。やはり文字が読める。彼女の母親はノエルが貴族の血を引いていると知っていて、教育を施していたのだろう。

「この本、精霊でてくる?」
「ええ、もちろんよ」

 ノエルを膝にのせて、絵本を読み上げる。

「その昔、セファイア王国はどろどろの沼がたくさんある、貧しい土地でした。けれど、沼地を越えた先にはユリーシャという心のやさしい精霊が住んでおり、人間たちに恵みをあたえてくれていました」

 この国の子供ならば一度は聞いたことのある話だ。大体の子供はそらで暗記できるほどにこの話を聞かされるのだが、ノエルはふんふん、と初めて聞いたみたいに興味深げに耳をかたむけてくれている。

「カリナという一人の心優しい少女が、王様にえらばれて、精霊に頼み事をするために出かけました。カリナは沼地を越えて、精霊の森にゆき……」

 巫女カリナが精霊の出した三つの質問に答え、その答えが気に入った精霊はカリナに加護を与えた。カリナは王に加護を受けたことを報告し、たくさんの褒美をもらい、国は豊かになった……よくある建国神話だ。

「カリナはたくさんのおみやげを持って家に帰り、いつまでもしあわせに暮らしました。おしまい」

「ふーん」

 ノエルは腕を組みながら、天井を見つめていた。

「あまり好きじゃなかった?」
「うー……この話、ちょっとちがう」

「……ちょっと……違う?」

 ノエルの指摘にぎくりとする。この話は王家が国民に語るために作らせた話で、おおむねは歴史上の出来事だけれど、一部違う箇所があるのだ。

「なぞなぞなんてしてないよ。ユリーシャ、カリナの作ったお酒気に入った。お酒いっぱい飲むためにお手伝いすることにした。でも、ノエルはお酒よりお菓子のほうがすき」

「そういうお話もあるわね」

 伝説は伝説でしかないので、解釈には諸説ある。実際、精霊の森に甘い菓子類を供えるようになったのは私がエメレットに嫁いでからのことで、それまでは酒が主な供物だった。確かなことは大精霊ユリーシャが、ただ一人の人間を気に入った、それだけの事が国の始まりだということ。

「王様はさいしょ、王様じゃなかった。ほんとは、ユリーシャ、カリナを女王さまにしろって言った。でも、約束やぶって、ちがう人が王様になった」

 ノエルの指摘はそれだけではなかった。続けて彼女はためらいもなしに、我が国セファイアの秘密を暴露した。

「……その話は、また今度ね!」

 慌てて絵本を閉じて、本棚にしまい込む。

 心臓がどきどきする。一般に流通していない王家の秘密を、どうして貴族教育を受けていない彼女が知っているのだろう。やはり、カシウスはこっそり、我が子に会って教育を施していたと言うのだろうか?

「アリエノール? 大丈夫? 魔力あばれてる?」

 心配そうにやってきたノエルが心配そうに私を見上げている。その瞳は潤んでいて、心から私を心配してくれているのがわかる。

 ……余計な事を考えるのはやめよう。

「いいえ、大丈夫よ」

 そういえば……私の体が悪いこと、誰かがノエルに説明しただろうか? 急に倒れたり、食が細かったり、丈夫ではないのは聡いノエルの事だ、見て取れるだろう。けれど魔力過多の説明を誰かがするとは……。

 考え事をしていると、コンコンコン、と三回、せっかちなノックの音がした。
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