8 / 40
7.隠し子の事は、旦那様には内緒です
しおりを挟む
「アリー様、正気ですか!」
と、レイナルトが後ろを追いかけてくる。背の高い彼は、いつも私に歩幅を合わせてちょこちょこ歩いていたのに、今は足早に私を追いかけている。つまり、私が普段よりもずっと早く歩いているのだ、驚くべきことに。
力がみなぎっているような気さえするのは、夫の不貞疑惑に対する怒りによるものだろうか? なんだか違う気もする。
「正気よ」
「本当に、あの得体の知れない子供を、このエメレット伯爵家の、アリー様の養子として受け入れると!?」
同じく追いかけてきたエレノアが悲鳴のような声をあげた。
「そうですよ、エレノアの言うとおりです。アリー様、そこまでご自身を卑下なさらないでください。確かにあの子供を屋敷に迎え入れたのは俺たちですが、使用人一同、奥様を大事に思っています。庶子と奥様でしたら俺たちは奥様を取ります。やけになるのはお止めください」
エレノアとレイナルトは私の左右にぴったりとくっついて、すばらしい協調性を見せている。きっと良い夫婦になるだろう。
「あの子が誰の子なのか、はっきりしているでしょう? なら養育義務があるわ」
「それは、その……でも、旦那様が、あの堅物の偏屈が、隠し子を作るような度量があるわけないとまだ納得できなくて……」
レイナルトは前髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
「そうですよ。アリー様、子供子供と簡単に言いますが、子供がどのようにして出来るかそもそもご存じなのですか?」
「し、知っているわよ、そのくらい。縁がなくても、知識はあるの」
「では、どうして怒ってくださらないのですか。アリー様を蔑ろにするなんて、偏屈で頑固な根暗男でも、アリー様を尊重する気持ちだけは一緒だと思っていたのに……私に、アリー様がこのような扱いをされるのを黙っていろと言うのですか……!」
エレノアはレイナルトの胸元からハンカチーフをむしり取って、鼻をかんだ。
「だって……仕方ないじゃない? 私はカシウスを責めるつもりは、ないの」
カシウスがこの土地を出て行ったのは五年前。女性をそのまま放り出すことは考えにくい。もしかして、相手の女性は身を引いたのかもしれない。だから、カシウスがその事実を知り得なかったというのは十分にあり得る。恋人が身ごもったのを知らなかったか、あるいは、本妻の怒りを買うことをおそれて自ら身を隠したのか。
ひとつ確かな事は。彼女──ノエルと、カシウスは他人ではないだろう、ということだ。放り出すことはできない。
私だって貴族の妻だ、ある程度の覚悟はしている。──多分。
「私には子供が望めないのだし、カシウスがそんな軽はずみな事をするはずないって信じているわ。きっと彼は、本気なのよ」
私と彼の結婚には愛はなかった。お互いに、大人たちの世界に必要とされるために必死だった。私は爵位の相続と、王家へのパイプを彼に与え、私は役割と、穏やかな暮しを得た。私はそれで一生を全う出来るけれど、カシウスはそうも行かないだろう。
彼にはエメレットの土地と家を守り、次世代に引き継いでいく義務があるのだ。一度疫病によって滅びかけた家だ、備えは早ければ早いほどいい。
「だって、私は妻としての責務を果たせていないから。仕方の無い事よ」
「そんなことは!」
「いいの。ずっと前から……結婚式の日から、彼には言ってあるの。私の事はお気になさらず、と」
ぎゅっと腕を握る。
「彼はこの家を大切に思っているわ。私もそう。跡取りが、この家には必要なの」
「奥様……」
「アリー様……」
「子どもには罪がないわ。あの子を私の養女として育てます。そうすれば、エメレット家は栄えるでしょう。……それに、私がいなくなったあと、あんなにに可愛い子がいれば屋敷も明るくなるわ」
「アリー様、お労しや……」
エレノアはぽろぽろと、琥珀色の瞳から涙をこぼした。彼女が代わりに怒ったり泣いたりしてくれるから、私は前向き担当でいられるのだろう。
「子どもを持てる。それも、あんなに可愛くて利発そうで、夫そっくりの子よ。喜びはすれ、怒るような事じゃないわ」
レイナルトは私を見て、大きくため息をついた。
「わわかりました。奥様の仰せのままに、これから件の子ども、ノエルをエメレット伯爵令嬢として扱う事にいたしましょう。それでは、急ぎ旦那様に連絡を……」
「まって。その件に関しては、もう少し時間を置きたいの」
「え?」
レイナルトは面食らった顔をした。振り回されてとにかく可哀想な彼だけれど、もう少し、この騒ぎに関わってもらう。
「皆、カシウスには驚かされたのだもの、少しぐらいやり返したって構わないでしょう?」
本当に、心臓が口から飛び出そうな程にびっくりしたのだ。意趣返しとして、彼にも驚いてもらわないと。
「秘密にしておくの、カシウスが帰ってくるまで」
夫が戻ってくるまでに、ノエルを一人前の令嬢にする。それが私の使命なのだと、強く信じている。
と、レイナルトが後ろを追いかけてくる。背の高い彼は、いつも私に歩幅を合わせてちょこちょこ歩いていたのに、今は足早に私を追いかけている。つまり、私が普段よりもずっと早く歩いているのだ、驚くべきことに。
力がみなぎっているような気さえするのは、夫の不貞疑惑に対する怒りによるものだろうか? なんだか違う気もする。
「正気よ」
「本当に、あの得体の知れない子供を、このエメレット伯爵家の、アリー様の養子として受け入れると!?」
同じく追いかけてきたエレノアが悲鳴のような声をあげた。
「そうですよ、エレノアの言うとおりです。アリー様、そこまでご自身を卑下なさらないでください。確かにあの子供を屋敷に迎え入れたのは俺たちですが、使用人一同、奥様を大事に思っています。庶子と奥様でしたら俺たちは奥様を取ります。やけになるのはお止めください」
エレノアとレイナルトは私の左右にぴったりとくっついて、すばらしい協調性を見せている。きっと良い夫婦になるだろう。
「あの子が誰の子なのか、はっきりしているでしょう? なら養育義務があるわ」
「それは、その……でも、旦那様が、あの堅物の偏屈が、隠し子を作るような度量があるわけないとまだ納得できなくて……」
レイナルトは前髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
「そうですよ。アリー様、子供子供と簡単に言いますが、子供がどのようにして出来るかそもそもご存じなのですか?」
「し、知っているわよ、そのくらい。縁がなくても、知識はあるの」
「では、どうして怒ってくださらないのですか。アリー様を蔑ろにするなんて、偏屈で頑固な根暗男でも、アリー様を尊重する気持ちだけは一緒だと思っていたのに……私に、アリー様がこのような扱いをされるのを黙っていろと言うのですか……!」
エレノアはレイナルトの胸元からハンカチーフをむしり取って、鼻をかんだ。
「だって……仕方ないじゃない? 私はカシウスを責めるつもりは、ないの」
カシウスがこの土地を出て行ったのは五年前。女性をそのまま放り出すことは考えにくい。もしかして、相手の女性は身を引いたのかもしれない。だから、カシウスがその事実を知り得なかったというのは十分にあり得る。恋人が身ごもったのを知らなかったか、あるいは、本妻の怒りを買うことをおそれて自ら身を隠したのか。
ひとつ確かな事は。彼女──ノエルと、カシウスは他人ではないだろう、ということだ。放り出すことはできない。
私だって貴族の妻だ、ある程度の覚悟はしている。──多分。
「私には子供が望めないのだし、カシウスがそんな軽はずみな事をするはずないって信じているわ。きっと彼は、本気なのよ」
私と彼の結婚には愛はなかった。お互いに、大人たちの世界に必要とされるために必死だった。私は爵位の相続と、王家へのパイプを彼に与え、私は役割と、穏やかな暮しを得た。私はそれで一生を全う出来るけれど、カシウスはそうも行かないだろう。
彼にはエメレットの土地と家を守り、次世代に引き継いでいく義務があるのだ。一度疫病によって滅びかけた家だ、備えは早ければ早いほどいい。
「だって、私は妻としての責務を果たせていないから。仕方の無い事よ」
「そんなことは!」
「いいの。ずっと前から……結婚式の日から、彼には言ってあるの。私の事はお気になさらず、と」
ぎゅっと腕を握る。
「彼はこの家を大切に思っているわ。私もそう。跡取りが、この家には必要なの」
「奥様……」
「アリー様……」
「子どもには罪がないわ。あの子を私の養女として育てます。そうすれば、エメレット家は栄えるでしょう。……それに、私がいなくなったあと、あんなにに可愛い子がいれば屋敷も明るくなるわ」
「アリー様、お労しや……」
エレノアはぽろぽろと、琥珀色の瞳から涙をこぼした。彼女が代わりに怒ったり泣いたりしてくれるから、私は前向き担当でいられるのだろう。
「子どもを持てる。それも、あんなに可愛くて利発そうで、夫そっくりの子よ。喜びはすれ、怒るような事じゃないわ」
レイナルトは私を見て、大きくため息をついた。
「わわかりました。奥様の仰せのままに、これから件の子ども、ノエルをエメレット伯爵令嬢として扱う事にいたしましょう。それでは、急ぎ旦那様に連絡を……」
「まって。その件に関しては、もう少し時間を置きたいの」
「え?」
レイナルトは面食らった顔をした。振り回されてとにかく可哀想な彼だけれど、もう少し、この騒ぎに関わってもらう。
「皆、カシウスには驚かされたのだもの、少しぐらいやり返したって構わないでしょう?」
本当に、心臓が口から飛び出そうな程にびっくりしたのだ。意趣返しとして、彼にも驚いてもらわないと。
「秘密にしておくの、カシウスが帰ってくるまで」
夫が戻ってくるまでに、ノエルを一人前の令嬢にする。それが私の使命なのだと、強く信じている。
58
お気に入りに追加
1,603
あなたにおすすめの小説
懐妊したポンコツ妻は夫から自立したい
キムラましゅろう
恋愛
ある日突然、ユニカは夫セドリックから別邸に移るように命じられる。
その理由は神託により選定された『聖なる乙女』を婚家であるロレイン公爵家で庇護する事に決まったからだという。
だがじつはユニカはそれら全ての事を事前に知っていた。何故ならユニカは17歳の時から突然予知夢を見るようになったから。
ディアナという娘が聖なる乙女になる事も、自分が他所へ移される事も、セドリックとディアナが恋仲になる事も、そして自分が夫に望まれない妊娠をする事も……。
なのでユニカは決意する。
予知夢で見た事は変えられないとしても、その中で自分なりに最善を尽くし、お腹の子と幸せになれるように頑張ろうと。
そしてセドリックから離婚を突きつけられる頃には立派に自立した自分になって、胸を張って新しい人生を歩いて行こうと。
これは不自然なくらいに周囲の人間に恵まれたユニカが夫から自立するために、アレコレと奮闘……してるようには見えないが、幸せな未来の為に頑張ってジタバタする物語である。
いつもながらの完全ご都合主義、ゆるゆる設定、ノンリアリティなお話です。
宇宙に負けない広いお心でお読み頂けると有難いです。
作中、グリム童話やアンデルセン童話の登場人物と同じ名のキャラで出てきますが、決してご本人ではありません。
また、この異世界でも似たような童話があるという設定の元での物語です。
どうぞツッコミは入れずに生暖かいお心でお読みくださいませ。
血圧上昇の引き金キャラが出てきます。
健康第一。用法、用量を守って正しくお読みください。
妊娠、出産にまつわるワードがいくつか出てきます。
苦手な方はご注意下さい。
小説家になろうさんでも投稿します。
あなたと別れて、この子を生みました
キムラましゅろう
恋愛
約二年前、ジュリアは恋人だったクリスと別れた後、たった一人で息子のリューイを生んで育てていた。
クリスとは二度と会わないように生まれ育った王都を捨て地方でドリア屋を営んでいたジュリアだが、偶然にも最愛の息子リューイの父親であるクリスと再会してしまう。
自分にそっくりのリューイを見て、自分の息子ではないかというクリスにジュリアは言い放つ。
この子は私一人で生んだ私一人の子だと。
ジュリアとクリスの過去に何があったのか。
子は鎹となり得るのか。
完全ご都合主義、ノーリアリティなお話です。
⚠️ご注意⚠️
作者は元サヤハピエン主義です。
え?コイツと元サヤ……?と思われた方は回れ右をよろしくお願い申し上げます。
誤字脱字、最初に謝っておきます。
申し訳ございませぬ< (_"_) >ペコリ
小説家になろうさんにも時差投稿します。
もう一度あなたと?
キムラましゅろう
恋愛
アデリオール王国魔法省で魔法書士として
働くわたしに、ある日王命が下った。
かつて魅了に囚われ、婚約破棄を言い渡してきた相手、
ワルター=ブライスと再び婚約を結ぶようにと。
「え?もう一度あなたと?」
国王は王太子に巻き込まれる形で魅了に掛けられた者達への
救済措置のつもりだろうけど、はっきり言って迷惑だ。
だって魅了に掛けられなくても、
あの人はわたしになんて興味はなかったもの。
しかもわたしは聞いてしまった。
とりあえずは王命に従って、頃合いを見て再び婚約解消をすればいいと、彼が仲間と話している所を……。
OK、そう言う事ならこちらにも考えがある。
どうせ再びフラれるとわかっているなら、この状況、利用させてもらいましょう。
完全ご都合主義、ノーリアリティ展開で進行します。
生暖かい目で見ていただけると幸いです。
小説家になろうさんの方でも投稿しています。
国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。
ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。
即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。
そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。
国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。
⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎
※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
初夜に前世を思い出した悪役令嬢は復讐方法を探します。
豆狸
恋愛
「すまない、間違えたんだ」
「はあ?」
初夜の床で新妻の名前を元カノ、しかも新妻の異母妹、しかも新妻と婚約破棄をする原因となった略奪者の名前と間違えた?
脳に蛆でも湧いてんじゃないですかぁ?
なろう様でも公開中です。
【完結】婚姻無効になったので新しい人生始めます~前世の記憶を思い出して家を出たら、愛も仕事も手に入れて幸せになりました~
Na20
恋愛
セレーナは嫁いで三年が経ってもいまだに旦那様と使用人達に受け入れられないでいた。
そんな時頭をぶつけたことで前世の記憶を思い出し、家を出ていくことを決意する。
「…そうだ、この結婚はなかったことにしよう」
※ご都合主義、ふんわり設定です
※小説家になろう様にも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる