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結婚はしたけれど、妻にはなれない

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 人気の少ない古びた教会で、結婚式が行われている。

 新郎はエメレット伯爵家の嫡男であり、次期当主でもあるカシウス・ディ・エメレット、十歳。新婦であるセファイア王国第三王女、アリエノール・エレストリア・セファイアは八歳。

 セファイア王国では婚姻を結べる年齢に制限はないとは言え、若すぎる二人の結婚式に参列しているものはまばらだ。

「新郎カシウス。 汝はアリエノールを妻とし、健やかなる時も、病める時も、富める時も貧しい時もこれを愛し、共に助け合い、真心を尽くすことを誓うか?」

 きゅっと引き結ばれた新郎の唇が、ゆっくりとひらいた。

「──エメレットに、誓います」

 感情のない、固い、乾いた声だとアリエノールは思った。

「新婦アリエノール。汝はカシウスを夫とし、健やかなる時も、病める時も、富める時も貧しい時もこれを愛し、共に助け合い、真心を尽くすことを誓うか?」

 アリエノールは言葉に詰まった。練習してきたはずなのに、口がうまく回らなかった。カシウスが横目で不安そうな視線を投げかけているのに気が付いて、アリエノールは慌てて口を開いた。

「……セファイアに……誓い、ます……」

 神に永遠の契りを誓う神聖な儀式で堂々と嘘をついてもよいものかしら、とアリエノールは冷や汗をかいた。

 ──だって、私に健やかなる時なんて、一瞬だってないのだもの。

 ヴェール越しに、頬に一瞬触れたか触れないかの口づけがあった。目を開いたアリエノールの視界に入ったのは、王妃である母が人目もはばからずに号泣している姿だ。

「かわいそうなアリー。いつまで生きられるかわからないのに政略結婚だなんて」

「やめないか。……エメレット伯爵家を滅ぼすわけにはいかないのだ。これも王女の勤めだ」

 泣きじゃくる王妃を諫めたのは父である国王だった。

 二人は末娘の愛のない結婚を見届けるために、いわゆる辺境と呼ばれるエメレットまでやってきていたのだ。

 この結婚はいわゆる政略──お家取りつぶしの危機に瀕しているエメレット伯爵家を救うための結婚だ。あるいは──自分が花嫁衣裳を着ることができないのは不憫だと、自分のための結婚式なのかもしれないと、アリエノールは思った。


「──アリエノール、行きましょう」

 カシウスに手を引かれ、アリエノールはすすり泣く声と、きしむ床の音を聞きながら婚家へと向かった。


「アリエノール殿下。本日はお疲れ様でした。本日からあなたがここの領主です。……今日はごゆっくりお休みください」

 初夜の床で新妻に向かって、夫であるカシウスは臣下の礼を取り、そのままどこかへ行こうとした。

「カシウス様。少し……お話よろしいでしょうか」
「ええ。なんなりと。……様はいりません」


「カシウス様……私はあなたの、妻にはなれません」
「……そうですね」

 カシウスはそれだけ言うと、だまってアリエノールの話を聞く姿勢を取った。緑に金がかかった特徴的な瞳は、このエメレットの地に住まうものにだけ見られる特徴と聞いていて、アリエノールはカシウスの顔を今日、ランプの薄暗い光が頼りではあるけれど、初めてまじまじと見つめたのだった。

「お話を聞いたとは思いますが、私の心臓は二十歳までもちません。ですから、妻としての勤めを果たす事はできません」

 自分はきちんとした大人に、ましてや花嫁や、母親になど決してなれないのだと、八歳のアリエノールは理解している。

「私は王女です。王族とは、国民の為に尽くすもの。私はこのエメレットを救うためにやってきました。この命を女神ユリーシャ様にお返しするまで、誠心誠意、自らのつとめを果たすつもりです。けれど、お気遣いは無用です。私のことには、構わないでくださいね」

「──そういう訳には、いきませんよ」

 カシウスは片眉を上げたあと、言葉を飲み込むように唇を噛んだ。
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