1 / 40
結婚はしたけれど、妻にはなれない
しおりを挟む
人気の少ない古びた教会で、結婚式が行われている。
新郎はエメレット伯爵家の嫡男であり、次期当主でもあるカシウス・ディ・エメレット、十歳。新婦であるセファイア王国第三王女、アリエノール・エレストリア・セファイアは八歳。
セファイア王国では婚姻を結べる年齢に制限はないとは言え、若すぎる二人の結婚式に参列しているものはまばらだ。
「新郎カシウス。 汝はアリエノールを妻とし、健やかなる時も、病める時も、富める時も貧しい時もこれを愛し、共に助け合い、真心を尽くすことを誓うか?」
きゅっと引き結ばれた新郎の唇が、ゆっくりとひらいた。
「──エメレットに、誓います」
感情のない、固い、乾いた声だとアリエノールは思った。
「新婦アリエノール。汝はカシウスを夫とし、健やかなる時も、病める時も、富める時も貧しい時もこれを愛し、共に助け合い、真心を尽くすことを誓うか?」
アリエノールは言葉に詰まった。練習してきたはずなのに、口がうまく回らなかった。カシウスが横目で不安そうな視線を投げかけているのに気が付いて、アリエノールは慌てて口を開いた。
「……セファイアに……誓い、ます……」
神に永遠の契りを誓う神聖な儀式で堂々と嘘をついてもよいものかしら、とアリエノールは冷や汗をかいた。
──だって、私に健やかなる時なんて、一瞬だってないのだもの。
ヴェール越しに、頬に一瞬触れたか触れないかの口づけがあった。目を開いたアリエノールの視界に入ったのは、王妃である母が人目もはばからずに号泣している姿だ。
「かわいそうなアリー。いつまで生きられるかわからないのに政略結婚だなんて」
「やめないか。……エメレット伯爵家を滅ぼすわけにはいかないのだ。これも王女の勤めだ」
泣きじゃくる王妃を諫めたのは父である国王だった。
二人は末娘の愛のない結婚を見届けるために、いわゆる辺境と呼ばれるエメレットまでやってきていたのだ。
この結婚はいわゆる政略──お家取りつぶしの危機に瀕しているエメレット伯爵家を救うための結婚だ。あるいは──自分が花嫁衣裳を着ることができないのは不憫だと、自分のための結婚式なのかもしれないと、アリエノールは思った。
「──アリエノール、行きましょう」
カシウスに手を引かれ、アリエノールはすすり泣く声と、きしむ床の音を聞きながら婚家へと向かった。
「アリエノール殿下。本日はお疲れ様でした。本日からあなたがここの領主です。……今日はごゆっくりお休みください」
初夜の床で新妻に向かって、夫であるカシウスは臣下の礼を取り、そのままどこかへ行こうとした。
「カシウス様。少し……お話よろしいでしょうか」
「ええ。なんなりと。……様はいりません」
「カシウス様……私はあなたの、妻にはなれません」
「……そうですね」
カシウスはそれだけ言うと、だまってアリエノールの話を聞く姿勢を取った。緑に金がかかった特徴的な瞳は、このエメレットの地に住まうものにだけ見られる特徴と聞いていて、アリエノールはカシウスの顔を今日、ランプの薄暗い光が頼りではあるけれど、初めてまじまじと見つめたのだった。
「お話を聞いたとは思いますが、私の心臓は二十歳までもちません。ですから、妻としての勤めを果たす事はできません」
自分はきちんとした大人に、ましてや花嫁や、母親になど決してなれないのだと、八歳のアリエノールは理解している。
「私は王女です。王族とは、国民の為に尽くすもの。私はこのエメレットを救うためにやってきました。この命を女神ユリーシャ様にお返しするまで、誠心誠意、自らのつとめを果たすつもりです。けれど、お気遣いは無用です。私のことには、構わないでくださいね」
「──そういう訳には、いきませんよ」
カシウスは片眉を上げたあと、言葉を飲み込むように唇を噛んだ。
新郎はエメレット伯爵家の嫡男であり、次期当主でもあるカシウス・ディ・エメレット、十歳。新婦であるセファイア王国第三王女、アリエノール・エレストリア・セファイアは八歳。
セファイア王国では婚姻を結べる年齢に制限はないとは言え、若すぎる二人の結婚式に参列しているものはまばらだ。
「新郎カシウス。 汝はアリエノールを妻とし、健やかなる時も、病める時も、富める時も貧しい時もこれを愛し、共に助け合い、真心を尽くすことを誓うか?」
きゅっと引き結ばれた新郎の唇が、ゆっくりとひらいた。
「──エメレットに、誓います」
感情のない、固い、乾いた声だとアリエノールは思った。
「新婦アリエノール。汝はカシウスを夫とし、健やかなる時も、病める時も、富める時も貧しい時もこれを愛し、共に助け合い、真心を尽くすことを誓うか?」
アリエノールは言葉に詰まった。練習してきたはずなのに、口がうまく回らなかった。カシウスが横目で不安そうな視線を投げかけているのに気が付いて、アリエノールは慌てて口を開いた。
「……セファイアに……誓い、ます……」
神に永遠の契りを誓う神聖な儀式で堂々と嘘をついてもよいものかしら、とアリエノールは冷や汗をかいた。
──だって、私に健やかなる時なんて、一瞬だってないのだもの。
ヴェール越しに、頬に一瞬触れたか触れないかの口づけがあった。目を開いたアリエノールの視界に入ったのは、王妃である母が人目もはばからずに号泣している姿だ。
「かわいそうなアリー。いつまで生きられるかわからないのに政略結婚だなんて」
「やめないか。……エメレット伯爵家を滅ぼすわけにはいかないのだ。これも王女の勤めだ」
泣きじゃくる王妃を諫めたのは父である国王だった。
二人は末娘の愛のない結婚を見届けるために、いわゆる辺境と呼ばれるエメレットまでやってきていたのだ。
この結婚はいわゆる政略──お家取りつぶしの危機に瀕しているエメレット伯爵家を救うための結婚だ。あるいは──自分が花嫁衣裳を着ることができないのは不憫だと、自分のための結婚式なのかもしれないと、アリエノールは思った。
「──アリエノール、行きましょう」
カシウスに手を引かれ、アリエノールはすすり泣く声と、きしむ床の音を聞きながら婚家へと向かった。
「アリエノール殿下。本日はお疲れ様でした。本日からあなたがここの領主です。……今日はごゆっくりお休みください」
初夜の床で新妻に向かって、夫であるカシウスは臣下の礼を取り、そのままどこかへ行こうとした。
「カシウス様。少し……お話よろしいでしょうか」
「ええ。なんなりと。……様はいりません」
「カシウス様……私はあなたの、妻にはなれません」
「……そうですね」
カシウスはそれだけ言うと、だまってアリエノールの話を聞く姿勢を取った。緑に金がかかった特徴的な瞳は、このエメレットの地に住まうものにだけ見られる特徴と聞いていて、アリエノールはカシウスの顔を今日、ランプの薄暗い光が頼りではあるけれど、初めてまじまじと見つめたのだった。
「お話を聞いたとは思いますが、私の心臓は二十歳までもちません。ですから、妻としての勤めを果たす事はできません」
自分はきちんとした大人に、ましてや花嫁や、母親になど決してなれないのだと、八歳のアリエノールは理解している。
「私は王女です。王族とは、国民の為に尽くすもの。私はこのエメレットを救うためにやってきました。この命を女神ユリーシャ様にお返しするまで、誠心誠意、自らのつとめを果たすつもりです。けれど、お気遣いは無用です。私のことには、構わないでくださいね」
「──そういう訳には、いきませんよ」
カシウスは片眉を上げたあと、言葉を飲み込むように唇を噛んだ。
76
お気に入りに追加
1,597
あなたにおすすめの小説
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
【完結】継母と腹違いの妹達に虐められたのでタレコミしようと思う。
本田ゆき
恋愛
あら、お姉さま、良かったですわね?
私を気に入らない妹たちと継母に虐められた私は、16歳の誕生日によその国の貴族の叔父様(50歳)と結婚の話が上がった。
なんせ私は立場上は公爵の娘なのだから、いわゆる政略結婚というやつだ。
だけどそんな見ず知らずのおじさんなんかと誰が結婚するものですか!
私は見合い前日の夜、ありったけの虐めの証拠を持って逃げることにした。
※小説家になろうとカクヨムでも掲載しています。
正室になるつもりが側室になりそうです
八つ刻
恋愛
幼い頃から婚約者だったチェルシーとレスター。しかしレスターには恋人がいた。そしてその恋人がレスターの子を妊娠したという。
チェルシーには政略で嫁いで来てもらわねば困るからと、チェルシーは学園卒業後側室としてレスターの家へ嫁ぐ事になってしまった。
※気分転換に勢いで書いた作品です。
※ちょっぴりタイトル変更しました★
ある辺境伯の後悔
だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。
父親似だが目元が妻によく似た長女と
目元は自分譲りだが母親似の長男。
愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。
愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。
【完結】どうかその想いが実りますように
おもち。
恋愛
婚約者が私ではない別の女性を愛しているのは知っている。お互い恋愛感情はないけど信頼関係は築けていると思っていたのは私の独りよがりだったみたい。
学園では『愛し合う恋人の仲を引き裂くお飾りの婚約者』と陰で言われているのは分かってる。
いつまでも貴方を私に縛り付けていては可哀想だわ、だから私から貴方を解放します。
貴方のその想いが実りますように……
もう私には願う事しかできないから。
※ざまぁは薄味となっております。(当社比)もしかしたらざまぁですらないかもしれません。汗
お読みいただく際ご注意くださいませ。
※完結保証。全10話+番外編1話です。
※番外編2話追加しました。
※こちらの作品は「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています。
婚約者に忘れられていた私
稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」
「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」
私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。
エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。
ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。
私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。
あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?
まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?
誰?
あれ?
せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?
もうあなたなんてポイよポイッ。
※ゆる~い設定です。
※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。
※視点が一話一話変わる場面もあります。
【完結】婚約者?勘違いも程々にして下さいませ
リリス
恋愛
公爵令嬢ヤスミーンには侯爵家三男のエグモントと言う婚約者がいた。
先日不慮の事故によりヤスミーンの両親が他界し女公爵として相続を前にエグモントと結婚式を三ヶ月後に控え前倒しで共に住む事となる。
エグモントが公爵家へ引越しした当日何故か彼の隣で、彼の腕に絡みつく様に引っ付いている女が一匹?
「僕の幼馴染で従妹なんだ。身体も弱くて余り外にも出られないんだ。今度僕が公爵になるって言えばね、是が非とも住んでいる所を見てみたいって言うから連れてきたんだよ。いいよねヤスミーンは僕の妻で公爵夫人なのだもん。公爵夫人ともなれば心は海の様に広い人でなければいけないよ」
はて、そこでヤスミーンは思案する。
何時から私が公爵夫人でエグモンドが公爵なのだろうかと。
また病気がちと言う従妹はヤスミーンの許可も取らず堂々と公爵邸で好き勝手に暮らし始める。
最初の間ヤスミーンは静かにその様子を見守っていた。
するとある変化が……。
ゆるふわ設定ざまああり?です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる