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物心ついた頃のあたしに、父親という概念はなかった。かといって、父親の居る家庭がうらやましいとも思わず、ただ日々を過ごしていた。

 小学校低学年の頃、男性が家にやってきた。

 いいも悪いもなく、あたしはそれを受け入れなければいけないと思った。「パパ」ではないことは百も承知なのだが、相手が親切にしてくるのだから反抗する理由は全くない。

 そうすれば、大人達が喜ぶから。あたしはそれだけの理由で、パパではない人をパパと呼んだ。

 そうしてあたしの名字は諏訪部に変わり、郊外の一戸建てに引っ越し、普通の家族のフリをして新しい小学校に通い、中学校に通い、高校、大学と楽しく過ごし、そして新天地東京にやってきたのだった。

   悲劇的な事はなにもない。むしろ、とても良い形におさまった、一発大逆転とすら言えると思う。だって、養育費を払わないどころか会いにすら来ない父親から、初婚なのに子持ちと再婚してくれる稼ぎのいい再婚相手が養父になってくれたのだから。

 ほどほどに怒られ、ほどほどに褒められ、弟妹が生まれても差別されることなく育った。それはとてもすごい事だと思う。しかし、母の再婚相手は再婚相手であって、あたしの父とは思えなかった。部活があるし、行き先に興味がないからと言って、多忙な合間を縫って計画された家族旅行で一人だけ留守番をした。

 家族連れの会社のイベントに出席した時、母が「パパが、京子はこういうのに来たがらないと思っていたからほっとした」と言っていたと聞かされ、「おいおいあたしの事をそんな面語くさいヤツだと思っていたわけ?」と憤慨した。同時に、ああ、向こうも気を遣って……よりは、おっかなびっくり過ごしているんだなとは感じた。

 今の言葉で表現するならばステップファミリー。第三者から見ると、疑いようのない成功だったろう。その生活に若干の陰りが見えはじめたのは、あたしが社会人になってからだった。

「まあ、話は簡単でさ。再婚して新しく子供が生まれると、長女長男ってのは結婚事のカウントでさ、だから妹は戸籍上は「長女」になるわけ。それで、パスポートを取得したとき、妹が「なんで自分の続柄が長女なの?」ってなっちゃって。それで改めて話したんだけど」

 そのとき、妹は何気なく「お姉ちゃんって本当のお姉ちゃんじゃなかったんだ」と言った。それは特に悪意があったわけではなく、父親が同じ兄は兄だが、血が半分の姉は正確には姉ではない。彼女はそういう風に判断したのだ。

 私には両親を同じとするきょうだいが居ないので、妹は「妹」でありそこに本物も偽物もなかった。半分は血がつながっているわけだしね。

   年が離れていたり、祖母や父と距離感がある事に違和感を覚え、薄々気がついているのではないか、大人の誰かがこっそり教えた後なのではないかと思っていたのだが、そうではなく、疑った事もなかったらしい。

 妹は自分の世界、すなわち家族を「ごくごく普通の、普通すぎるぐらい」と思っていて、そんな複雑な家庭だとは夢にも思っていなかったのだ。

『気がついていると思ってた。あいつは知っているんじゃないかな』
『絶対知らないよ。そんな話したことないもん。隠しておいた方がいいよ。かわいそうだもん』

 妹は、弟がこの話を聞いたらショックを受けるから隠し通せ、と言った。


 明確な拒絶ではなかったし、あたしにしても、強烈なショックを受けた訳ではなかった。

 でも、その日からなんとなく疎遠になったし、母親に「こんな事を言われたよ」と愚痴ることもしなかった。

 すでに家を出ていたし、親戚づきあいも少ないので盆や年末年始に帰省する習慣もなかった。そうして、今の一人暮らしのあたしが出来上がった訳だ。

  
 若い頃は、いろいろな子が居るので自分や家族の異質さというものにあまり気がつかない。しかし、高校、大学、社会人とある意味周り人間が固定化されてくるあたり、もっと言うと結婚がどうの、地元がどうの言い出すあたりで「ん?」と自分が社会から浮き上がってくるのを感じるのだ。人の「普通の輪」に加われないとき、わずかな疎外感を受けてしまう。

 別に誰が悪い訳でもない。養父がいなければ大学進学にももっと苦労しただろうし。
 他人の子供を育てるだけでも苦労するだろうから、本当にありがたい事だと思っている。

 でも、いいトシになって明らかになった歪みを、あたしは認識してしまった。

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