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第12章

第117話 庭園での出会い

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 8月になり、夏休みに入った。
 この長期休みは学院の生徒にとっては社交シーズンだ。
 パーティーで夜遅くなっても寮ではなく屋敷に戻るので門限を気にする必要はないし、他の者と一緒に泊りがけで行楽に行ったりもできる。
 恋人や婚約者、友人たち、あるいは親戚だとか、同じ派閥であるとか。様々な貴族たちと仲を深めるチャンスなのだ。

 かくいう私も、ずいぶんとあちこちの家からパーティーやお茶会のお誘いが来ている。その数は昨年までの比ではなく、ちょっと驚いている。
 どうも今の私は、貴族の間でとにかく話題の人物らしい。

 殿下の友人であるだけでなく、討伐訓練ではパイロープ家、水霊祭ではブロシャン家と縁ができたし、武芸大会ではスフェン先輩と共に優勝して目立ってしまった…という辺りが主な原因だろうか。
 1年生にして王宮魔術師に弟子入りしたというのもあるかも知れない。
 そのように話題の人物がいれば、とりあえず縁を繋いでおこうと考えるのは貴族ならば当然の話だ。それは理解できる。できるのだが。…正直に言うと結構辛い。

 前世でもこの時期はそこら中の家から呼ばれてとても忙しかったのだが、それはあくまで殿下の従者としてだった。
 私自身がここまで注目されるのなど初めてで、物凄く疲れる。肉体的にもだが、それ以上に精神的に疲れる。
 努力してなんとか周りに合わせてはいるが、私は元々社交的な性格ではないのだ。

 しかし、どれほど苦手だろうと社交を疎かにする訳にはいかない。殿下の命を守るためには、敵の情報を集めなければならないからだ。
 前世で殿下が殺されたのはこれから4年後だったが、殿下を取り巻く状況は前世とは変化してきているし、敵は既に動き始めている。動きがあるという事は、人目に付きやすくなっているという事でもあるのだ。
 きっとどこかに手がかりがあるはずだ。絶対にそれを見付け出さなければ。


 そんな訳で、この夏は頑張って様々なパーティーやお茶会に出る予定を詰め込んでいるのだが、今日はエピドート家の嫡男トムソンの誕生日パーティーに来ている。
 ここは屋敷内に小さいが美しい庭園を持っている事で知られている家だ。今日も、この庭園の側でのガーデンパーティーである。
 昼間なので明るい水色のアフタヌーンドレスを着ているが、日差しが強くて少し暑い。

「トムソン様、お誕生日おめでとうございます。本日はお招きいただきありがとうございます」
「ありがとう!君に祝ってもらえるとは、今日はとても良い日だ」

 ドレスの裾をつまんで挨拶をすると、トムソンは爽やかに笑った。
 彼は1学年上だし大した接点はないのだが、この庭園に私が行きたがっているとスフェン先輩の伝手を使って伝えてもらった所、すぐに招待状が届いた。
 明るく豪快な性格の男で、前世では殿下と結構仲が良かった。私としても好感の持てる人物だ。

「武芸大会での君の活躍を見ていたよ。とても凄かった。特に決勝戦は素晴らしい試合だった」
「ありがとうございます」

 真っ直ぐな目で褒められ、少し照れる。

「トムソン様の試合もお見事でしたよ。3回戦では本当に惜しかったです」
「いや、俺などまだまだだ。あの大会でよく分かったよ。できればもう1戦勝ち上がって、王子殿下と戦ってみたかったんだが…」

 残念そうに言うトムソン。彼は3回戦敗退だったが、もし勝っていたら殿下と戦う事になっていた。
 その口ぶりからすると、試合をきっかけに殿下に近付きたいとかではなく、純粋に腕比べをしたかったようだ。
 戦ってもきっと殿下の勝利に終わっただろうが、そのように向上心があるのはとても良い事だと思う。


 そして、噂をすれば殿下の姿が見えた。スピネルもいる。
 殿下もまた今日のパーティーに招かれているのだ。前世でもそうだったしな。トムソンの姿を見付け、こちらに歩み寄ってくる。

「トムソン。誕生日おめでとう」
「ありがとうございます、王子殿下」

 祝いの言葉をかけた殿下にトムソンは生真面目な仕草で礼をした。
 私もまた、ドレスを持ち上げ礼をする。

「ごきげんよう、殿下、スピネル…様」

 上級生の前なので、一応スピネルにも敬称を付ける。
 でも言い慣れないせいで変な間が空いてしまい、スピネルが一瞬だけバカにしたような表情になった。くそう。

「リナーリア、君も来ていたのか」
「はい。エピドート家の庭園はとても素晴らしいと以前から聞いておりまして…。トムソン様は私が庭園を見たがっている事を小耳に挟まれたらしく、本日お招き下さったんです」
「そのように言ってもらえて、我が家の庭師もきっと鼻が高いだろうな。パーティーの間ずっと開放しているから、好きなだけ見て回ってくれ」

 快く許可を出してもらえ、私は「ありがとうございます」とにっこり笑った。
 ここの庭園は前世でも見たのだが、自然に近い形で植えられた草木が多くて結構好きなのだ。

「では、早速回らせていただきます。…あっ、その前に、殿下」

 その場から下がろうとし、ふと思いついて殿下へと向き直る。

「なんだ?」
「トムソン様は先程、殿下と剣の手合わせをしてみたいと仰っていました。きっと良い試合ができると思うのですが、いかがでしょうか」
「!」

 トムソンがちょっと驚いた顔をし、殿下が「そうなのか」とトムソンを見る。

「試合ならばいつでも歓迎だ。学院ででも声をかけて欲しい」
「本当ですか!」

 喜色を浮かべるトムソンに、殿下は真面目な顔で頷き返した。
 やはり殿下も様々な相手と手合わせできるのは嬉しいようだ。武芸大会以外だと、学年が違う相手と試合をする機会がなかなか無いからな。
 でも学院でトムソンと殿下が試合をしていれば、他の上級生も殿下に試合を申し込みやすくなるんじゃないだろうか。

「ありがとうございます。新学期になったら必ず手合わせいたしましょう。…リナーリア殿も、ありがとう」

 トムソンは嬉しそうに私にも礼を言った。

「いいえ、私は何も。もしよろしければ、私にも試合を観戦させて下さいね」
「もちろんだとも!」

 今度こそ庭園に向かう私の後ろで、殿下たちとトムソンは剣術談義を始めたようだ。
 ちらりと振り返ると、同じくパーティーに招かれていた幾人かのご令息たちがそこに加わっていくのが見えた。
 トムソン、本当に嬉しそうだな。私まで少し嬉しくなる。良いことをすると気分が良い。



 …ところが。
 のんびり庭園を見て回ろうとした私は、その前におしゃべり好きのご令嬢たちに捕まってしまった。

「…まあ、それじゃあリナーリア様はまだハーキマーのカヌレを食べたことがないのね。とっても美味しいんですのよ」
「ええ。噂は聞いていますが、朝早くから並ばなければ買えないとの事ですし、なかなか…」
「そうなんですのよ。私も使用人を朝から買いに行かせたんですけれど、1時間待っても買えなくて」

 数人のご令嬢がそれにうなずき、「私もですわ」とか「うちの者は2時間半待って何とか買えました」とか言う。
 …うーん、困ったな。少しだけ付き合うつもりが、おしゃべりが始まってからもう結構時間が経っている。
 できるだけ色々な人と仲良くしておきたいし、情報収集もしたいのだが、実は今日は別の目的もあってここに来ているのだ。
 その為にそろそろ庭園の中に入りたいのに、上手く会話を切り上げるタイミングが掴めない。

 さっきまではドレスの話で盛り上がっていたのだが、いつの間にかお菓子の話になっているし、ご令嬢たちの話題が尽きる様子はない。よくこれだけ喋れるものだと感心してしまう。
 こうして聞いた話は別のパーティーやお茶会で話題として使えるので、無駄にはならないのだが…。
 一体どうしようかと思っていると、私の向かいに座っていたご令嬢が突然「あっ」と声を上げた。

「やあ、お嬢さん方」

 その声に振り向くと、スピネルがにこやかな笑みを浮かべて立っていた。

「今、カヌレの話をしていたようだが…」
「あ、はい!」
「スピネル様もご存知ですか?ハーキマーというお店のカヌレがとても美味しいのですわ」

 途端に色めき立ったご令嬢たちが答える。

「それは俺も聞いた事があるな。だけど、この家のシェフが作るカップケーキもとても美味しいんだ。たった今あちらに焼き立てが出てきた所だから、良かったら一緒にどうかな?」
「…まあ!それは、ぜひ!」

 すぐに移動しようとするご令嬢たちに、私は微笑みかける。

「申し訳ありません、私は先程いただいたクッキーでお腹がいっぱいで…。少し歩いて来ますので、皆様はどうぞごゆっくり召し上がって下さい」
「まあ、そうなんですのね。では、また後ほど…」
「はい。また後ほど」

 スピネルに連れられ別のテーブルへと歩いて行くご令嬢たちの後ろ姿を見送りながら、やっと解放されたと内心でホッとする。
 助かった…と言うか、助けられたんだろうな、これは。
 きっと私が困っているのが分かったんだろう。本当に周りをよく見ている奴だ。

 後でスピネルにはお礼を言おうと思いつつ、急いで庭園の中に入る。
 夏の花がたくさん植えられた小道が少しだけ懐かしい。
 前世の私もまた今日この日、殿下の従者としてこのパーティーに来ていた。そして、とある人の危機を救う事になったのだが…もし前世と同じなら、そろそろ危ない。


 ここの庭園は背の高い植物が多く植えられているし、生け垣もあるので見通しが悪い。その分、角を曲がったりアーチを抜けた際にまた新たな景色が見られるのが楽しい場所となっている。
 途中いくつか分かれ道もあるので、ちょっとした迷路みたいなものだ。足元に小さな案内板が立てられているし単純な道なので、本当に迷ったりはしないが。
 少し早足で庭園の奥へ向かっていると、か細い悲鳴が聞こえた。

 大変だ。ドレスの裾を持ち上げ、急いで悲鳴の方向へ走る。

「きゃあっ…」

 庭の隅で長い黒髪のご令嬢が一人、しゃがみ込んで頭を抱えているのが見えた。
 その周辺を飛び交っているのは、数匹の蜂だ。

「そのまま顔を伏せていて下さい!」

 鋭く叫んで彼女に駆け寄ると、魔術で小さな火をいくつも呼び出した。
 蜂などの虫は火を嫌うのだ。周りの草木に燃え移らないよう注意しながら、手を振って蜂を追いかけるように火を飛ばす。
 ぶんぶんという羽音に少しばかり恐怖を覚えるが、負けじと火を操っていると、そのうちに蜂はどこかへ飛んでいった。


「…もう大丈夫です。蜂はいなくなりました」

 近くにもう蜂がいない事を確認し、できるだけ優しく声をかけると、しゃがみ込んでいたご令嬢がようやく顔を上げた。
 涙で潤んだ、くりくりと大きな黒曜石の瞳が私を見上げる。
 …何だか苦笑したい気分だ。こんな小さな事件でも、やはり前世と同じに起こってしまうものらしい。

「怪我はないですか?どこか刺されてはいませんか」

 返事がないので改めて声をかけると、彼女ははっとした顔で慌てて立ち上がり、ごしごしと両目をこすった。

「…な、何ともありませんの」
「それは良かったです」

 ツンとした顔でそっぽを向く彼女に少し安心する。なんとか刺される前に蜂を追い払えたようだ。

 蜂は黒っぽいものに攻撃をする習性がある。
 この庭園の花の香りに誘われてやって来た所に、長い黒髪と濃紺のドレスを着た彼女を見付け、その習性で攻撃しようとしてしまったのだろう。
 季節は夏、しかも昼間のパーティーだと言うのに、黒に近い暗い色のドレスを着ている彼女を見て相変わらずだなと思う。

 …彼女の名前はミメット・コーリンガ。
 コーリンガ公爵家の末娘で、前世の私の婚約者だった女性だ。
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