上 下
102 / 169
第8章

挿話・17 誘惑と誘拐1

しおりを挟む
 その日、スピネルは第一王子エスメラルドと共に城下町へやって来ていた。いわゆるお忍びというやつだ。
 目的は、民の暮らしを実際に目にする事での社会勉強。

 王子は軒先に大きな腿肉をいくつもぶら下げた肉屋と何か話をしている。話し好きの店主らしく、ハムにするならどこ産の豚肉が良いだの、何やらあれこれと喋っている。
 その近くにはちゃんと護衛の騎士と魔術師が控えているが、今日は特に頭が固く真面目な騎士が付いて来たので、スピネルは少々窮屈だった。

 せっかく城下町まで来ているのだからもっと自由に見て回りたいし、商人以外の平民たちと話もしたい。
 特に、同年代の女の子とだ。

 スピネルは今年14歳になった。王子は2つ年下の12歳。
 その王子はここ数年、かなり親しくしている少女がいる。性格は相当変わっているが見た目は可愛い。
 まだ恋愛関係には程遠そうだが、なかなかお似合いに見える二人だ。

 第一印象はあまり良くなさそうな出会いだったのだが、今思えば王子は最初から妙に彼女を気にしている様子だった。
 それが少し不思議だったのだが、要するに好みのタイプだったんだろうなという結論になった。
 スピネルには理解できない好みだ。彼女はまだ子供だというのもあるが、細すぎてあまりに頼りない。
 自分はもっと大人っぽくて色気がある女がいい。


 自分もそろそろ恋人が欲しい年頃である。
 女の子に興味もあるし、年下の王子に先を越されるのはちょっと面白くない。
 できれば先に恋人を作りたいが、次兄のレグランドからは女には十分に気を付けろとよくよく言われていた。
 スピネルは兄弟の中でもこの次兄と特に仲が良いのだが、次兄は実によく女からモテた。昔からいつも女の子に囲まれていたし、愛想が良いのでご婦人方からの受けも良かった。

 本人もそれが楽しいらしくあちこちのご令嬢と遊び回っていたが、ある時それで非常に痛い目に遭った。
 学院で兄に恋をしたとあるご令嬢といつものように付き合ったのだが、実はそのご令嬢には親が決めた婚約者が既にいたのである。
 兄はその事を知らなかったし、そのご令嬢は幾人もいる「親しい女性」の一人でしかなかったので、当然すぐに身を引こうとした。
 だが、激怒した婚約者の方が兄に決闘を申し込んだので話がややこしくなった。

 挑まれた決闘を避けるのは騎士の沽券に関わる。なので仕方なくそれを受けたが、うっかり相手を叩きのめしてしまった。
 少々やりすぎたと思った兄は、ご令嬢と婚約者の男に「これからは二人で仲良くしてほしい」と言ったらしいのだが、それで収まる訳もない。
 結果として、兄が己のために戦ってくれたのだと信じていたご令嬢、負けてしまった婚約者、その両方から恨みを買うことになった。
 この二人があれこれ言って回ったために、学院での兄の評判も著しく下がったらしい。

 兄はこの一件が原因で、決まりかけていた侯爵家への婿養子の話が立ち消えになった。
 父や母からは厳しく叱責を受け、罰として長期休みの間ずっと実家の騎士団の下働きをさせられたりしていた。
 まあ、転んでもただでは起きない兄はその後で近衛騎士団の試験を受けてあっさり合格し、「身を固めるよりこっちの方が気楽でいい」などと言っていたのだが。


 その次兄の影響を大いに受けて育ったスピネルもまた、昔から女の子が好きだった。
 実際結構モテているが、次兄の失敗を見て少々慎重になることにした。
 自分は第一王子の従者という立場もあるし、迂闊な事はできない。

 従者になって以来こちらに寄ってくる貴族のご令嬢はさらに増えたが、あまり積極的に来られるのは下心が透けて見える気がしてどうも好きではない。
 かと言ってこちらから寄って行くと、軽い気持ちでも変に勘違いされたりするので面倒だ。
 勘違いしているのが本人だけならまだ良いが、その親がしゃしゃり出て来る事がままあるので困る。もっと気楽に付き合えないものかと思う。

 従者の自分でこれなのだから王子はさぞや大変な事になるだろうと思っていたら、案外あっさりと良さそうな相手が見つかっているのだから不公平だ。
 彼女は本人も親も特にがっついたりしていないし、気の置けないほのぼのとした付き合いをしている。
 別に羨ましくなどないが、不公平だ。

 だから近頃は貴族以外の女性に目を向けていて、城にいる若いメイドなどと親しくしている。
 向こうもこちらが遊びだと分かっているから気が楽だ。
 特によく部屋の掃除にやって来るアンヌあたりとは良い感じの仲だ。まだ深い関係にはなっていないが興味はある。向こうも満更ではなさそうだし。


 そんな事を考えながら通りを眺めていると、少し離れた所で一人の少女がウロウロとしているのが見えた。
 栗色の巻毛は艶があり、肌は白いし身なりは整っている。どこかの豪商の娘か、あるいはお忍びの貴族と言った雰囲気だ。
 歳はスピネルよりも2つ3つ年上くらいだろうか。胸元も腰周りもむっちりとして、肉付きが良い。

 その少女は何か困ったようにおろおろとした様子で辺りを見回していた。助けを求めているように見える。
 スピネルはちらりと後ろを振り返る。
 王子は肉屋の隣のパン屋に移動する所のようだ。目が合ったので「俺はいい」という意味で首を振っておく。
 護衛も王子に付いて行ったのでちょうどいい。スピネルは少女の方へと近付いた。

「どうしたんだ、お嬢さん?」

 そう声をかけると、少女がスピネルの方を振り向いた。
 少し垂れた目元には泣きぼくろがあって色っぽい。好みのタイプだ。

「あの、連れに怪我人がいるんだけど、急に傷が痛み出したみたいで…一体どうしたら良いか…」
「怪我人?どうして?」
「王都に来る途中で魔獣に襲われて、馬車の御者が怪我をしたの。ええと、ここには私とお父さんとで商談に来たんだけど、その途中で…。手当てはしたし、大丈夫そうだったからお父さんは商談に行っちゃったんだけど、さっきから急に…」

 という事は、やはり商人の娘か。
 毒を持つ魔獣にやられた傷は、その場では何ともなくても後になってから突然悪化する場合がある。

「力になれるかも知れない。怪我人を見せてくれ」

 騎士として簡単な救護術は知っているし、初級の治癒や毒消しの魔術も使える。
 手に負えそうになければ急いで医者を呼んでくればいい。
 そう申し出たスピネルに、少女の顔がぱっと明るくなった。

「あ、ありがとう…!こっちよ、付いて来て」

 少女の案内で横道へと入っていくと、少し進んだ先に馬車が停められているのが見えた。

「あそこよ。今はあの荷台の中で休んでいるの」
「分かった」

 荷台に近付き、幌を持ち上げて中を覗こうとする。
 その瞬間、ふらりと意識が揺れた。みるみる目の前が暗くなっていく。
 しまったと思うのと同時に、スピネルの身体は大きく前へと傾いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】炎の戦史 ~氷の少女と失われた記憶~

朱村びすりん
ファンタジー
 ~あらすじ~  炎の力を使える青年、リ・リュウキは記憶を失っていた。  見知らぬ山を歩いていると、人ひとり分ほどの大きな氷を発見する。その中には──なんと少女が悲しそうな顔をして凍りついていたのだ。  美しい少女に、リュウキは心を奪われそうになる。  炎の力をリュウキが放出し、氷の封印が解かれると、驚くことに彼女はまだ生きていた。  謎の少女は、どういうわけか、ハクという化け物の白虎と共生していた。  なぜ氷になっていたのかリュウキが問うと、彼女も記憶がなく分からないのだという。しかし名は覚えていて、彼女はソン・ヤエと名乗った。そして唯一、闇の記憶だけは残っており、彼女は好きでもない男に毎夜乱暴されたことによって負った心の傷が刻まれているのだという。  記憶の一部が失われている共通点があるとして、リュウキはヤエたちと共に過去を取り戻すため行動を共にしようと申し出る。  最初は戸惑っていたようだが、ヤエは渋々承諾。それから一行は山を下るために歩き始めた。  だがこの時である。突然、ハクの姿がなくなってしまったのだ。大切な友の姿が見当たらず、ヤエが取り乱していると──二人の前に謎の男が現れた。  男はどういうわけか何かの事情を知っているようで、二人にこう言い残す。 「ハクに会いたいのならば、満月の夜までに西国最西端にある『シュキ城』へ向かえ」 「記憶を取り戻すためには、意識の奥底に現れる『幻想世界』で真実を見つけ出せ」  男の言葉に半信半疑だったリュウキとヤエだが、二人にはなんの手がかりもない。  言われたとおり、シュキ城を目指すことにした。  しかし西の最西端は、化け物を生み出すとされる『幻草』が大量に栽培される土地でもあった……。  化け物や山賊が各地を荒らし、北・東・西の三ヶ国が争っている乱世の時代。  この世に平和は訪れるのだろうか。  二人は過去の記憶を取り戻すことができるのだろうか。  特異能力を持つ彼らの戦いと愛情の物語を描いた、古代中国風ファンタジー。 ★2023年1月5日エブリスタ様の「東洋風ファンタジー」特集に掲載されました。ありがとうございます(人´∀`)♪ ☆special thanks☆ 表紙イラスト・ベアしゅう様 77話挿絵・テン様

私ではありませんから

三木谷夜宵
ファンタジー
とある王立学園の卒業パーティーで、カスティージョ公爵令嬢が第一王子から婚約破棄を言い渡される。理由は、王子が懇意にしている男爵令嬢への嫌がらせだった。カスティージョ公爵令嬢は冷静な態度で言った。「お話は判りました。婚約破棄の件、父と妹に報告させていただきます」「待て。父親は判るが、なぜ妹にも報告する必要があるのだ?」「だって、陛下の婚約者は私ではありませんから」 はじめて書いた婚約破棄もの。 カクヨムでも公開しています。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

【完結】聖女にはなりません。平凡に生きます!

暮田呉子
ファンタジー
この世界で、ただ平凡に、自由に、人生を謳歌したい! 政略結婚から三年──。夫に見向きもされず、屋敷の中で虐げられてきたマリアーナは夫の子を身籠ったという女性に水を掛けられて前世を思い出す。そうだ、前世は慎ましくも充実した人生を送った。それなら現世も平凡で幸せな人生を送ろう、と強く決意するのだった。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

処理中です...