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第8章

第71話 水霊祭前夜※

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「それにしても凄かったね。あのユークレースに勝つ子がいるなんて思わなかったなあ」
「すみませんでした…少しやりすぎたみたいで…」

 帰りの馬車の中でフランクリンに褒められ、私は居心地悪く身を縮めた。
 どうやらユークレースは来る時に使った馬車のうちの一台に乗って、先に屋敷に帰ってしまったらしい。
 なので私が今乗っているのは通りで拾ってきた辻馬車だ。フランクリンの他にカーネリア様もこの馬車に同乗している。
 ユークレースは魔術師塾で借りたローブを着たまま帰ったようだが、どちらにしろずぶ濡れだったし後日返却するしかないだろう。

「まあ、ユークレースにはいい薬になったんじゃないかな。あいつは魔術の腕こそ大人顔負けだけど、その他はてんで子供だから。…リナーリアちゃんも、そのつもりでやったんだろう?」
「ええ、まあ…」

 想定以上にダメージを与えてしまった気がするが、その通りなのでうなずくしかない。
 私は今回、彼の鼻っ柱をへし折るために彼に魔術戦を持ちかけたのだ。


 前世での水霊祭の祭礼。
 そこに突然現れた大型魔獣との戦いの中でユークレースは命を落としたが、それは魔獣の攻撃によってではなかった。
 彼自身の魔術の暴走によってだったのだ。

 あの時、恐ろしい異形の大型魔獣を相手に、彼は周囲の制止も聞かず護衛たちと共に戦おうとした。
 そして魔獣の堅牢な装甲を破るために三重魔術を使おうとしたのだが、その瞬間に魔獣が威圧の咆哮を放った。
 魔力の乗ったこの咆哮は一部の魔獣だけが操れるもので、人間が浴びれば激しい恐慌をきたし動けなくなってしまう。

 三重魔術を使おうと集中していたユークレースはまともにこの咆哮を食らい、魔術の制御に失敗した。
 そして失敗した魔術の反動を受けたのだ。…ほぼ即死だった。
 その後の戦闘で大型魔獣は何とか討伐されたのだが、ブロシャン家の人々、特に公爵夫人の悲痛な嘆きは今でも忘れられない。

 結論から言えば、ユークレースはあの時三重魔術を使う必要はなかった。
 残りの者たちでもちゃんと魔獣は討伐できたのだから。
 戦うにしても、己の力を過信せずきちんと自分の身を守り、護衛の騎士や周囲の者たちと連携し助け合って戦えば良かった。
 そうすれば彼はきっと、命を落とさなくて済んだのだ。

 だから私は、今の彼はまだ未熟な子供に過ぎないと自覚してもらうために魔術戦を挑んだ。
 わざと煽り続ければきっとユークレースは三重魔術を使ってくる。あえてそれを破り、三重魔術のリスクを身を以て知ってもらおう。
 それにいくら強情で自信家な彼でも、己に勝った相手の言う事なら耳を貸してくれるはずだ。魔獣との戦いでも、きっと指示に従ってくれるだろう。

 …そういう考えだったのだが、まさか泣くほどショックを受けるとは…。
 間違ったことはしていないつもりだが、ちょっぴり罪悪感がある。


「自分の実力がどれほどのものか、知っておくのは大事よ。今まで彼にはそれを教えてくれる人がいなかったのかしら」

 カーネリア様はなかなか辛辣だ。

「そうだね。同じ年頃でユークレースに勝てる子は今までいなかった。残念だけど僕では弟には敵わないし。それに、父上も母上もあいつには甘くてね…」

 フランクリンは苦笑する。
 確かに、ブロシャン公爵夫妻はユークレースをずいぶんと甘やかしていたらしい。
 夫人は単に彼を愛していたからのようだが、公爵の方は彼の魔術師としての将来に相当な期待をかけていたのだと聞いた。
 ブロシャン公爵は立派な人だが、魔術師としての才は先代の魔鎌公にはとても及ばなかった。
 その分、才能を持って生まれた息子には期待せずにいられなかったのかも知れない。




「あの、気になっていたのですが…ユークレース様はなぜ騎士嫌いなのでしょう?」

 私は思い切って尋ねてみた。
 フランクリンは少々迷ったようだったが、やがて窓の外を見ながら口を開く。

「そりゃ、あの態度を見たら気になるよね。…ユークレースは昔から優秀な子でね。頭が良かったし、魔術の腕も飛び抜けてた。しかも周りの大人が皆それを褒めるから自信家でさ。おかげで全然友達ができなくてね…」

 ふむ…。抜きん出た才能を持つ子供が周囲から浮いてしまうのはよくある事だと聞く。

「それでも10歳くらいの頃かな、同い年の友達が一人できたんだ。騎士だけどうちとは親しくしてる家の子でね。でもその友達と一緒に他の家のガーデンパーティーに呼ばれた時、一騒動あってね…。コルンブ侯爵家の子とユークが喧嘩になっちゃったらしくて」
「喧嘩?どうしてですか?」
「魔術師のくせに生意気だとか、どうせ戦いになったら騎士の後ろに隠れてるくせにとか、色々言われたみたいだよ」

 それを聞いてカーネリア様が眉をひそめた。

「騎士だって魔術師に助けてもらっているのに、ひどい言い草だわ」
「そうですね…」

 コルンブと言えば確か騎士至上主義のフェルグソン派の一人で、騎士系貴族の家だ。
 その子もきっと親の影響を受けて育ったのだろう。

「まあ、ユークはああいう性格だから、要するに態度が気に入らなかったんじゃないかなと思うけどね。…それを聞いたユークは腹を立てて、コルンブ家の子に食って掛かって喧嘩になった」

 ユークレースの性格なら間違いなくそうなるだろうな。プライド高いし。

「その時、お友達の子はどうしていたのですか?」
「その子はユークを止めたらしい。コルンブ家には逆らわない方がいいと、そう言ったみたいだね」
「まあ!一緒に戦わなかったの?」

 カーネリア様が憤慨する。基本血の気が多いんだよな彼女。

「多分、事を荒立てたくなかったんだと思うよ。うちは公爵家でもちょっと特殊な立場だし、騎士に比べて魔術師の家は少ないから味方はそんなに多くない。多勢に無勢だ。でも、ユークは…」
「…裏切られたと、思ったわけですか?」
「…うん。とりあえずその場は周りの大人が取りなして収めたみたいだけど、その子とはそれ以来全く話してないようだ」

 初めてできた友達に裏切られたと思ったなら、あんな風に頑なになってしまうのも仕方ないのかもしれない。
 その友達の子にも立場や考えがあったのだと思うが、ユークレースとしては納得できなかったのだろう。

「では、社交嫌いになったのも?」
「元々嫌いではあったけどね、余計嫌がるようになったのは確かかな。…それに、近頃はお祖父様の具合があまり良くなくてね。ユークはお祖父ちゃんっ子だから、領を離れたくないんだよ。今日機嫌が悪かったのも、お祖父様にもっと外に出ろって叱られたからさ」

 そう言えば魔鎌公はこの1年後には亡くなってしまうんだよな。
 死因は病死だった。…これは私にどうにかできるような問題ではない。
 カーネリア様が小さくため息をつく。

「そういう事だったのね…」
「君たちからしてみればいい迷惑だったろうね。ごめん」
「あ、いえ…」
「ユークは意地っ張りな上に捻くれているけど、でも根はいい子なんだ。色々失礼な事を言ってしまっていたけど、どうか嫌わないでやって欲しいな」

 そう言ったフランクリンの目には、弟に対する優しさがあった。

「…はい。分かりました」

 私とカーネリア様は揃って答えた。



 その日の晩餐は、水霊祭の前夜という事で控えめな内容だった。
 王妃様や殿下を始めとした王家の一行とブロシャン公爵家の者とで、肉を控えた野菜中心の晩餐を取る。

 ユークレースは晩餐の場には出てこなかった。まあ結構な醜態を晒したからな…出てきにくいだろうな…。
 できればもう少し仲良くなりたかったのだが、やっぱり失敗したかな。
 これだから私は前世でも友達がいなかったんだよなと落ち込んでいると、ブロシャン公爵が殿下に話しかけた。

「王子殿下。昼間はユークレースがご迷惑をおかけしてしまったようで申し訳ありません」
「いや、気にしていない。…ユークレースは大丈夫か?」
「ええ…今は部屋に籠もっておりますが…」

 ブロシャン公爵は苦笑する。それから、私の方を見た。

「特に君には、ずいぶんと世話をかけてしまったようだ」

 そう言われて私は青くなった。
 まずい。ブロシャン公爵に睨まれるのはまずい。殿下はもちろんだが、私の実家にとってもよろしくない。

「も、申し訳ありませんでした…!分もわきまえずに…」

 冷や汗をかきながら慌てて頭を下げると、ブロシャン公爵は優しく言った。

「気に病むことはない。むしろ礼を言いたいくらいだ。私たちもあの子の事を甘やかしすぎてしまったとは思っていたんだが、なかなか諌められなくてね…。君に負けた事はきっといい勉強になったと思う」

 あ、あれ…?許された…?思いっきり泣かせちゃったんですけど。


「…近い年頃にそなたのような魔術師がいると知った事で、ユークレースは己の未熟さを知っただろう」

 静かにそう言ったのは先代ブロシャン公爵、ユークレースの祖父である魔鎌公だ。
 若い頃はユークレースのように青かっただろう髪と髭は、すでに半分以上が白く染まっている。
 皺の刻まれた頬は少しこけているが、顔色は悪くなかった。たまたま体調が良いだけなのかも知れないが、少なくともその目には力強い光がある。

「あの子は才ある子だが、才に溺れれば身を滅ぼす」
「…!」

 まるで明日起きる事件を予言するかのような言葉に、私ははっと顔を上げた。

「手のかかる子だが、同じ魔術師の誼だ。どうか仲良くしてやってはくれまいか」

 フランクリンと同じようなことを、魔鎌公は言った。
 周りを見回すと、ブロシャン公爵夫妻やフランクリン、ヴァレリー様も私の方を見てうなずいている。
 ユークレースを心配する気持ちは、家族皆同じなのだろう。

 …ユークレースを救う。そうする事で、ブロシャン公爵家の人々も救えるはずだ。
 彼を愛している母や、期待をかけている父や祖父、心配している兄や姉。そういった人々を。
 絶対に彼を死なせはしないと、私は改めてそう思った。

「…はい!」

 任せてくれと胸を張ると、ブロシャン公爵家の人々は私に笑顔を返してくれた。
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