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第6章

第50話 水流下り

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「殿下!大丈夫ですか!」

 激しく燃え上がる翼蛇の脇に着地した殿下に、私は焦りながら声をかけた。
 すぐに殿下が炎の中から走り出てくる。

「大丈夫だ。すごいな、全然熱くない」
「良かった…」

 私は森に火が飛ばないよう効果範囲の狭い炎の柱の魔術を使い、同時に二重魔術で殿下の身体に耐炎魔術をかけた。
 防御系魔術には自信があるからやった事とは言え、炎に飛び込む殿下の姿はやはり心臓に悪かった。上手く行って良かった。
 翼蛇が断末魔に暴れたりしたらまずいので、ペタラ様にはニッケルとストレングへの結界を頼んでいたのだが、ほとんど必要なかったようだ。

「殿下!」

 スピネルも殿下が無事で安堵した顔だ。
 見た所、大きな怪我をしている者は私達の後ろにいるアーゲンの班の生徒くらいだろう。
 皆がほっとしかけた瞬間、アラゴナ様の悲鳴が上がる。

「…アーゲン様!」


「まずい、流されたぞ!」

 崖の方を振り返って叫んだのはスピネルだ。
 私達も慌てて崖へと走り寄る。眼下に広がった川を見回すと、濁流の中を遠ざかっていく黒髪が見えた。

「アーゲン様!!」
「待て!流れが速すぎる!!」

 咄嗟に飛び込もうとしたストレングを、殿下が押さえ込む。
 確かに、この流れの速さでは飛び込んだところで泳いで助けるのはまず無理だ。…しかし。

「…スピネル、後はお願いします」
「お前!?」

 制止の声が届くより早く、私は崖下へと身を躍らせた。



「…リナーリア!!」

 殿下の声を背後に聞きながら、魔力を集中させる。
 水面へと落下した私は、
 すぐさま二重魔術で周囲の水流を操り体勢を安定させる。

 足元に魔力の力場を作り出して水の上に浮き、流れを操りながら川を下る、通称「水流下り」と呼ばれる複合魔術だ。
 アーゲンの姿は流されてもう見えない。急いで追いかけなければ。

 周囲の水流を操って速度を上げながら、どんどん川を下っていく。
 かなりのスピードが出ているので正直怖い。万が一操り損なって引っくり返ったり岩にぶつかったら死にかねないが、こうしなければ先に流されたアーゲンに追いつけない。


 やがて、濁流の合間に人の姿が見えた。アーゲンだ。
 このまま追いつけば引き上げられるか?と思った時、左右が急に開けてきた。
 崖が途切れ、先には川原が広がっているようだ。

 やった!これなら簡単に川岸へと上がることができる。
 だいぶ近付けたし、この距離ならアーゲンへの魔術も届くだろう。
 私は足元の力場と水流の魔術を操って安定させながら、さらに精神を集中させもう一つ魔術構成を展開する。

「…ええい!!」

 アーゲンを周りの水ごと大きく持ち上げると、川岸に向かって思いきり放り投げた。
 続いて足元の力場に魔力を込め、力いっぱい跳ぶ。

「うわっ…、と!」

 何とか川岸に着地できた…と思ったが、バランスを崩して派手に転んでしまった。
 顔をしたたかに地面に打ち付けてしまう。

「いたい…」

 痛みに涙が滲みそうになるが、その前にアーゲンだ。ちゃんと生きているだろうか。


 ずぶ濡れで川原に転がっているアーゲンは完全に意識を失っていた。
 駆け寄って口元に手を当て様子を見てみるが、呼吸をしていないようだ。
 すぐに顎先を持ち上げて顔をのけぞらせ、もう片方の手を胸に当てた。慎重にごく弱い魔力を送り、心臓と肺に刺激を与える。

「…ごほっ!」

 幸い、すぐにアーゲンは呼吸を取り戻した。
 ごほごほと咳き込む彼の身体を横に向け、呼吸が楽になるように手助けする。
 顔色は良くないが、反応はしっかりしている。呼吸が止まっていたのは僅かな時間で済んだようだと、内心でほっとする。

「大丈夫ですか?」

 落ち着いた所で声をかけると、アーゲンはぼんやりと瞼を開いた。
 左右に視線をさまよわせてから私の顔を見て、ぎょっとしたように目を見開く。

「リナーリア!?血が!」
「えっ」

 言われて顔に手をやると、ぬるりとした感触が触れた。…血だ。



 …顔についていた血の正体は鼻血だった。着地に失敗して顔を打ち付けたせいらしい。

「…大丈夫、もう傷はないよ」
「ありがとうございます…」

 アーゲンに治癒魔術をかけてもらい、私はローブの袖で顔を拭った。ちゃんと血は止まったようだ。

「礼を言うのはこっちの方だ。君が僕を助けてくれたんだろう?確か、水魔術が得意だったよね」
「はい。水流下りで追ってきて…貴方がちょうどここの川岸に引っかかっていたので、何とか引き上げました」

 力任せに魔術で放り投げたという事は内緒にしておこう。得意の水魔術とは言え、密かに三重魔術を使ってしまったし。
 アーゲンが気を失っていて良かった。

「あの蛇の魔獣も君たちが倒してくれたんだろう。崖下で少し聞こえていたよ。…他の皆は無事だろうか?」
「ええ、魔獣はきちんと倒しました。怪我をしている人もいましたが、全員命に別状はないと思います。貴方の班も、私の班も皆無事ですよ。アラゴナ様も」
「そうか、良かった…」

 アーゲンはほっとしたようで、大きく胸をなでおろした。

「…僕も流されないようにずっと岩に掴まっていたんだけど、どうも魔獣を倒せたようだと分かったら、力が抜けてしまったんだよね…」

 苦笑するアーゲンに、私はどう声をかけて良いのか分からない。


「…とりあえず、服を乾かしますね」

 濡れたままではまずいので、魔術を使ってアーゲンの服の水気をある程度飛ばした。
 私のローブも水しぶきがかかってかなり濡れているので少し乾かす。
 まだ湿っているけど完全に乾かすのは無理だから仕方ない。…あと、鼻血もついてるな…うう。
 見ると、アーゲンは剣も腰のポーチも流されてしまったのか持っていないようだ。

「貴方は丸腰ですし、大人しく救助が来るのを待った方がいいでしょうね。結構な距離を流されてきたので、来るまでは時間がかかるでしょうが」

 私は緊急事態なので水流下りを使ったが、本来この流れの速さでは使うのはかなり危険な術だ。
 救助は普通に徒歩で来るだろう。

「こちらの無事を知らせるためにも、一応狼煙を上げておいた方がいいだろうね。狼煙玉は持っているかい?」
「いいえ。他のメンバーに渡してしまって」
「僕も流されてしまって持っていない。近くで木の枝を拾ってこよう。焚き火を熾せば暖も取れるだろうし」
「そうですね」

 全体的に湿っているし、川の近くなので少し寒い。火は必要だ。
 私はさっと探知魔術を使った。

「…近くには魔獣はいなさそうですね」

 魔獣の気配は遠い。
 あの翼蛇のような隠蔽能力持ちの魔獣はそうそういないはずだし、川辺なので恐らく大丈夫だ。
 アーゲンが少し心配げな顔になる。

「魔力は大丈夫かい?いくら君でも、もうずいぶん魔術を使っているだろう」
「大丈夫ですよ。心配ありません」

 戦闘と水流下りでそれなりに魔力を消耗しているが、まだ十分余裕はある。我ながら驚きの魔力量だ。

「だけど、かなり疲れているように見える。血が止まったばかりでもあるし、僕が枝を集めてくるよ。君は少し休んでいてくれ」
「貴方も相当消耗していると思いますが…」

 確かに朝からずっと歩いたり走ったり、さらに色々あった上に今はこの状況だ。魔力は余裕があっても体力の方はかなりきつい。
 しかし川に流されたアーゲンは私以上に消耗しているだろう。

「これでも鍛えているんだ、体力には自信がある。まあさすがに戦闘はキツいけどね、枝拾いくらいはできるよ」

 ふーむ、少々無理をしているようにも見えるが、実際私よりもはるかに体力はあるだろうしな。
 あまり心配しすぎるのも何だし、ここは大人しく任せる事にしよう。

「拾うのは多少湿った木でも大丈夫です。魔術で乾かせますので」

 先日の雨もあるし、そう都合よく乾いた枝は落ちていないだろう。
 衣服は力加減を間違えたら燃えたり穴が開いてしまうので完全には乾かしにくいが、元々燃やすつもりの木なら魔術で楽に水分を飛ばせる。

「それと、これを持っていってください」

 私はローブの中に手を入れ、懐から護身用のダガーを取り出した。ブーランジェ公爵から貰った品だ。
 あまり人に貸したくはないが、丸腰で行かせるのはさすがに危険なので仕方ない。枝を集めるのにも刃物があった方が便利だろうし。

「大切な品なので無くさないでくださいね」
「わかった」

 アーゲンは真面目な顔でうなずき、ナイフを受け取った。


 枝を集めに行くアーゲンの後ろ姿を見送った後、私は川原に手足を投げ出し仰向けになった。
 本当に疲れたな…。
 太陽は天頂近くにある。正午すぎくらいかな。

 しかし、まさか討伐訓練で翼蛇の特殊魔獣と遭遇するとは。また私の知らない出来事が起きてしまった。
 人間ならともかく魔獣の行動には干渉できない。
 やはり私が関わらない所でも、この世界は私の記憶とは違う部分があるのだろう。

 まだ何の手がかりも得られていない。その事にわずかに焦りがある。
 早く殿下を救う手立てを見つけ出したい。

 …殿下は今頃何をしているだろうか。私を心配しているかな。
「君を信じる」と言ってくれた殿下の後ろ姿を思い出し、ほんの少し泣きたいような気分になった。
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