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第4章

第34話 模擬試合(後)

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  魔術でスピネルの水気をある程度乾かした後、私は殿下の方に向き直った。

「今度はハンデとして水魔術は使いません。それと、私が殿下に身体強化を使いましょう。殿下ご自身が使われるより、1割か2割程度は効果が高いかと思います」

 身体強化の魔術は自分自身の肉体を行使する術に長けている騎士が得意とするものだが、それとは別に他人へ強化を施す魔術も存在する。
 これらの強化術はどういう訳か火魔術と相性がいい。火魔術への適性がいつの間にか上がっていた私は、身体強化の魔術の精度も上がっているのだ。

 目を丸くする殿下に近付き、胸元に手を当てて魔術言語で呪文を詠唱する。

『かの者に戦神の加護を与えよ』

 呪文の詠唱は精神を集中させ術を安定させる効果がある。
 必ずしも必要なものではないし、人間や知能が高い魔獣相手ならば効果を悟られてしまう事がある。そのため普段は詠唱なしで魔術を使う事が多いのだが、今回は試合前の準備なので詠唱を聞かれても問題ない。

 それに自分に対する身体強化に比べ、他者への身体強化ははるかに難しいのだ。失敗すると骨や筋肉の働きが無茶苦茶になり、まともに動けなくなる上にかなりの苦痛を感じる。
 安全を期すに越したことはない。

「ん…、何だか身体が軽い気がするな」

 殿下が軽くぴょんぴょんとその場で跳ねる。

「この状態でご自身の身体強化は使わないでくださいね。重ね掛けは身体への負担がとても大きいので危険です」
「分かった」



「よし、行くぞ」

 再びコインが投じられる。
 今度は殿下が先に動いた。魔術師が含まれる相手に後手を取るのはかなり不利だからな。
 殿下は初め私の方へと向かおうとしたが、割って入ったスピネルにあっさりと弾かれた。

「フェイントがバレバレだぜ、殿下…っと、うお!?速!」

 続けざまの連撃。さっきの試合よりも明らかに鋭いその剣速に、スピネルが焦って声を上げる。

「おい、リナーリア!支援はどうした!」
「さすがスピネルですねえ。その速度でもちゃんと凌いでるじゃないですか」
「てめえふざけんな!!」

 もちろん私もただ見ているだけのつもりはない。タイミングを見計らい、土魔術で殿下の足元の石床に干渉して大きく隆起させた。
 飛び退った地点を狙って更に土魔術。二度三度と繰り返され、大分間合いが開く。

「お前早くやれよ!」
「まずは強化した殿下の速さに慣れていただこうかと思いまして」
「あのなあ…」

 悪態をつくスピネルにしれっと返事をしつつ、魔術を放つ準備をする。
 殿下は当然、すぐにこちらへと間合いを詰めてきている。ボコボコと隆起する石床を避けつつ、スピネルへと剣を打ち下ろした。
 かなり威力が乗っていそうなそれをまともに受ける気はないらしく、スピネルは受け流しながら左へ身を躱す。
 こうして見ると二人の剣は面白いくらいに対照的だ。殿下の剣は守りと威力、スピネルの剣は器用さと速度に重きを置いている。


「ふっ…!」

 殿下は私が動きを封じるための土魔術ばかり使ってきていると見て、魔術の発動を阻害する術を使い始めた。
 騎士が狭い範囲で使うこれは、相手の魔術にタイミングを合わせる技術や勘の良さが必要になるが、成功すれば少ない魔力で相手の魔術を封じられる。
 もっと広範囲に問答無用で阻害をかける術もあるが、それは魔力消費も隙も大きいので魔術師以外はほとんど使わない。

 しかし、いくら発動が速く隙が少ない魔術でも、目まぐるしく戦況が変わる接近戦で使うにはそれなりのリスクを伴う。
 術に集中しすぎて剣が鈍っては意味がないし、外せば相手の魔術をまともに食らう事にもなりかねないからだ。
 堅実なようで大胆なところはいかにも殿下らしいと、思わず笑みが零れそうになるのを我慢する。

「…でも、それだけという訳には行きませんよ。一応土魔術縛りで行きますけどね」

 私は近くの石床を砕いて石礫を作り出すと、まとめて殿下に向かって撃ち出した。威力はほとんどないが、動きを妨げるのには十分だ。
 続けざまにスピネルが連続で剣を繰り出す。殿下はやや苦しそうだが、ほぼ完璧に防ぎきった。

 流石に殿下だな、強化されているとは言え守りが堅い。崩し切るのはなかなか面倒そうだ。
 スピネルがちらりとこちらを見て、私は目だけでそれにうなずいた。


「はっ!!」

 私の魔術に合わせ、スピネルがやや大きく踏み出す。
 鋭く繰り出された突きを、殿下はごく僅かな動きだけで防いだ。瞬間、スピネルの懐に隙が生まれる。

 殿下の動きが一瞬停滞した。だがこれは止まったのではない、溜めているのだ。確実に仕留めるための必殺の一撃が来る。
 私はその踏み込みを止めるため、殿下の足元から岩を隆起させようとするが、阻害魔術によって阻まれる。
 しかし。

「…残念でした」

 そう呟いて、私は微笑んだ。
 最後の一撃を振るうはずだった殿下の足が、突如崩れた石床の中に沈む。

「な…!?」

 砂に足を取られ、殿下が態勢を崩す。ほんの少しだが、それでもスピネルには十分な隙だった。
 殿下の首元に、スピネルの木剣が突きつけられる。



「…最後は石を砂に変える魔術か。俺が阻害魔術を使った直後に上から重ねた…色々やるものだな」
「全部土の初級魔術ですけどね。タイミング次第でなかなか使えるものでしょう?」
「そのようだな。勉強になった」

 殿下は悔しそうにため息をついている。
 ハンデを付けたとは言え、魔術師つきの騎士相手に一人で戦ったのだ。十分すぎる戦いぶりだったと思うのだが。

「しかしお前、結局二重魔術を一回も使ってないんじゃないか?」
「使わなくて済むなら、それに越したことはないでしょう」

 二重魔術はある程度の魔術師ならほぼ全員使えるものではあるが、戦闘中に使えるのは学院の1年生としては結構優秀な部類だ。
 先程から周囲にちらほらとギャラリーが見えるし、殊更ひけらかすつもりは私にはない。目立ちたくないんですってば。

「二重魔術を使わせるだけの技量が、俺になかったという事だな」
「次はこうは行かないでしょう。そもそも2対1なんですから、私がいる側が有利に決まっています。やっぱり、今度は誰か呼んでやりましょう」
「うーん…」

 二人共難しい顔になった。
 さっきの様子だと皆あまりやりたがらないだろうし、ある程度実力のある学生じゃないと殿下やスピネルについて行くのは難しいだろうしなあ。
 ティロライトお兄様は頼めば来てくれるだろうけど、性格的に戦闘は苦手だしな…。

「魔術師が見当たらなければ、騎士を探してきても良いんじゃないですか?騎士2人対、騎士と魔術師というのも面白いと思いますよ」
「ふむ。確かに」
「私ならいつでもお付き合いしますので、呼んで下さい。試合でなくても治癒や身体強化などのサポートができますし。壊れた闘技場もすぐ直せます」

 闘技場は修復の魔術がかかっているので魔術や剣で破壊されてもいずれは直るのだが、それには少々時間がかかる。
 闘技場内に埋められた魔法陣に魔力を注げば修復速度が上がるので、なるべく元通りにしてから立ち去るのがマナーだ。
 私は今かなり魔力が余っているので、壊れた部分を素早く直す事ができる。

「まあ、騎士課程の奴らならやりたがるのもいるだろ。次は誰か適当に呼んでくるか」
「そうだな。これは良い訓練になりそうだ」

 殿下とスピネルはうなずきあった。

「できれば次はもっと戦術を練ってから来てくださいね。せっかくの試合なのに、私への攻撃を躊躇われたのでは意味がありません。そういうのは最低限、私に二重魔術を使わせる程度になってから考えて下さい」
「むむ」
「悔しいが言い返せねえ…」

 二人共、思った以上にあっさり負けてしまって落ち込んでいるようだ。
 本当は私は二人より遥かに実戦経験豊富だからこの結果は当然なのだが、二人が持つ才能はこんなものではない。今は甘やかさない方が二人のためだろう。

「とりあえず、今は食堂に行ってお茶にでもしませんか。反省会ということで」
「そうすっか」
「そう言えば少し腹が減ったな」
「ああ、この時間なら焼き立てのパンケーキが出てくるかもしれませんね。コケモモのジャムつきの」
「俺はベーコンのキッシュがいい」
「私はダックワーズがあるといいんですけど…」

 厳しい事を言いはしたが、現在の二人の実力は私の想像以上だった。
 お互い好敵手が近くにいるというのはやっぱり、良い影響があるんだろうな。
 少しだけ明るい気持ちになりながら、私はお茶請けについて考えつつ食堂へと歩き出した。
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