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第5話 辺境伯家とエリクサー 後編

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 楽しげに口元を歪めながら、フォルカーはグラスを手にすると、立ち上がった。
 そのままベリトの下へと歩き、無言でグラスを差し出す。

 アルマとキャサリンが物問いたげにしていたものの、応えることはなく、ベリトは視線にこそ疑問を浮かべてはいたが、結局何も言わなかった。
 微笑のままにグラスを受け取ると、躊躇することなく液体を喉に流し込む。

 直後にフォルカー同様目を見開いたが、すぐに何かを納得したような顔になると、グラスを娘達へと差し出した。

「言いたいことがあるのは分かるけれど、飲んでみた方が早いわよ? それで疑問は解消するでしょうから」

 ベリトがそう言うや否や、アルマは掻っ攫うようにしてグラスを手に取った。
 そのまま勢いよく液体を口に流し込むと、やはりその目が見開かれ、渡される間ももどかしいとばかりに、その手からキャサリンがグラスを奪い取る。
 液体を飲み、驚愕をその顔に浮かべると、叫ぶようにして言葉を発した。

「――嘘!? これってもしや……ポーションですの!?」

「……いや、ただのポーションじゃないはずだ。あたしも一度飲んだことがあるだけだが、この感じはハイポーション、か……?」

「ハイポーション……!? いえ、さすがにそれはありえませんわ! 数十本もあったという話ですのよ!? ポーションでも考えづらいというのに、ハイポーションなど……!」

「だが、この効能の強さはポーションじゃ有り得ない。それは分かるだろう?」

「それは、そうですけれど……」

 アルマとキャサリンの言い合いを眺めながら、フォルカーとベリトは顔を見合わせると苦笑を浮かべた。
 二人共まだまだだと思ったからだ。

 確かに彼女達の言い分はある意味では正しい。
 少なくとも、あの水にしか見えない液体は、所謂霊薬と呼ばれる部類に当たるものだろうからだ。

 辺境伯の一族に連なるフォルカーは、魔物とも人とも数え切れないほどの戦闘を繰り返し、その身には大小様々な傷が残っていた。
 戦闘の邪魔になるようなものではないが、幾つか痛みや違和感を伴うものあり……だが、その全てがあの液体を口にした途端なくなったのだ。
 霊薬以外に考えられなかった。

 しかし、人の傷を癒す奇跡の霊薬であるポーションは、一流の錬金術師の手によってしか作り出すことは出来ないものだ。
 小さな瓶一つで金貨数枚は必要であり、一つであろうともセーナに用意出来るものではない。

 ハイポーションに至っては、超一流の錬金術師が十日ほどの時間をかけてようやく作り出せるものだ。
 その分値段も相応であり、安くとも金貨数百枚は必要である。
 セーナに用意出来るか否かなど、考えるのが間違いだ。

 だが、その程度であればフォルカーがここまで驚くことはなかっただろう。
 ポーションだろうとハイポーションだろうと、辺境伯家であれば用意できないものではないのだ。
 無論容易くはないものの、少なくとも驚きはもっと小さいか、驚くことすらなかったに違いない。

 ゆえに。
 アルマ達の言い合いは、ある意味では正しくとも、その根本のところでは間違っているのだ。

 そしてそのことを気付かせるのは簡単である。
 二人共驚愕のあまり気付いていないようだが、その証拠は目の前に存在しているからだ。

「アルマ、自分の顔に手を当ててみろ」

「――はぁっ!? 父さん、一体何を……!?」

 予想だにしていない言葉だったのか、アルマは驚愕の顔でフォルカーのことを見つめた。

 ただ、その顔にあるのは、驚愕だけではない。
 父の言葉に傷ついたとでも言いたげなものが、隠し切れずに顔を覗かせていた。

 しかしフォルカーがジッと見つめていると、やがてしぶしぶと自らの顔に手を伸ばしだす。

「……別に確認するまでもなく、この傷が消えないってことなんて知ってるさ。言っただろ、ハイポーションを一回飲んだことがあるって。その時もまったく治らなかったんだから。辺境伯家の長女として相応しい外見じゃないってのも分かってるし、だからそういったことはキャサリンに――」

 言っている言葉と手が、止まった。
 アルマの顔に刻まれた傷は、深いものであった。
 顔を触れば必ずその跡にぶつかるほどに。

 だがアルマの手は、何にもぶつかることなく、その端にまで辿り着いた。
 その顔には既に、傷など跡形もなくなっていたからだから、当然である。

 その事実に気付いたアルマの目から、直後に雫が一つ零れ落ちた。

「…………嘘。だってその傷は……もう、無理だって……」

 その外見や言動から勘違いされやすいが、実はアルマはキャサリンよりも余程その心の中は女らしいのだ。
 確かに戦闘は好むが、それは女を捨てていることを意味しない。

 今捨てているようにしか見えないのは、元を正せばその顔が原因なのだ。
 家出した先で冒険者となり、致命的な失敗のせいで負ってしまった傷。
 あまりにも深く、また治療が遅れてしまったために治ることなく刻まれてしまった跡。

 辺境伯家の、貴族の女としては致命的なそれのせいで、アルマは女としての幸せを諦めたのだ。

 そして、キャサリンの場合は逆である。

「キャサリン、貴女先ほどから随分と身体の調子がよさそうね?」

「――っ!?」

 アルマの顔のことにようやく気付き、驚き動きを止めていたキャサリンが、ベリトの言葉で我に帰る。
 アルマと同様、自分の身体にも異変が……有り得ないことが起こっていることに気付いたのだ。

「こ、これは……お、お母様……動けますわ。自由に動けますわ……!? あれほど最早自由に動かすことは叶わないと言われていたわたくしの足が、何の問題もなく動きますわ……!」

 キャサリンもやはり家出した先で冒険者となった結果、致命的な失敗のせいでその足に大きな傷を負っていた。
 試すまでもなく、ハイポーションですら治癒は不可能だろうと判断されてしまった傷を。
 その傷のせいで、普段の生活や軽い戦闘ならばともかく、最早全力での戦闘は不可能になってしまったのである。

 その結果として、キャサリンは貴族の女らしい言動を身に付けることにしたのだ。
 本当はアルマよりもよっぽど戦いが好きなくせに、出来ない分の溝を他のもので何とか埋めるようにして。

 まあ、満面の笑みと共に頬を流れているものを目にする限りでは、結局他のものでは溝を埋めることは出来なかったようではあるが。

 そうして一通り現状を認識した後で、アルマ達はようやく本当の意味で現状を認識したようだ。
 先程よりもさらに愕然とし、畏怖すらも感じさせるような表情で、キャサリンの手にしているグラスを見つめる。

「ってことは……これってもしかして……?」

「……そういう、ことですわよね」

 先ほどアルマが口にした通りだ。
 セーナが残したという液体は、ハイポーションですら不可能なことを可能にしたのである。

 そんなことが可能なものは、一つしか存在しなかった。

「――エリクサー。まあ、そういうことだろうな」

 ハイポーションの上に存在する、真なる奇跡の霊薬。
 むしろ本来ならば、霊薬という言葉はエリクサーのためにのみあるのだ。

 だがエリクサーの製造方法は、既に存在していない。
 否――最初からそんなものは、存在しなかったのだ。

 今から三百年ほど前に存在したという聖女のみが作り出すことの出来たという、奇跡の霊薬。
 それが、エリクサーというものなのだから。

 その効能は凄まじく、手足が千切れても再生し、万病に効果があるとされている。
 しかも三百年前に作られたものしか存在していないため、今では物凄い希少品だ。

 一国の王ですら生涯目にすることがなくとも不思議ではなく、実際とある大国にエリクサーを献上した商人が公爵の位を与えられたという例がある。
 それほどの代物だということだ。

 クラウゼヴィッツ家にも一本だけ所有されているが……それが健在であるのは先ほど執事長に確認した通りである。
 つまりこれはそれとは別で……さらに言うならば、数十本も存在している可能性があるのだ。

 果たしてどれほどの価値になるのか、想像すら出来なかった。

「……エリクサー……これが……? ……そんなものを、セーナはどうやって数十本も用意したっていうんだい……?」

「と言いますか……そもそも、それだけの数を用意出来るものなんですの……?」

「さてな。世界中から集めれば可能かもしれないが……まあ、現実的ではないな」

「昔から変わったところのある娘ではあったけれど……まさかこんなものを用意するなんてね……」

 呆れとも恐れともつかない溜息をベリトが吐き出し、同感だとばかりにフォルカーが肩をすくめながら、その視線をキャサリンが持ったままのグラスへと注ぐ。
 が、その視線に含まれている怪しさに気付いたのか、アルマがそんなフォルカーを睨みつけた。

「……いくら父さんであっても、折角決意したあいつの邪魔をするってんなら、容赦はしない」

「……分かってるさ。この家に残ってたらどうするかは分からなかったが、さすがにそこまでするつもりはない。どうやってエリクサーなんてものを用意したのかは気になるが……ま、そのうち顔を見せに戻ってくるだろう。その時にでも聞けばいいだけだ」

「……とはいえ、どうやって用意したのかは本当に気になるわね。大量のエリクサーを用意出来るなんて、まるで聖女みたいだもの」

「聖女だなんて……縁起が悪いにも程がありますわよ? そもそもそれでは、聖女がいなくなってしまった我が家は滅びることになってしまいますの」

「さすがに考えすぎだと思うけどねえ。あたし達はあいつを暗殺するどころか、出て行くのを黙って見守ってるぐらいだってのに」

「まあでも確かに、少し縁起が悪かったかしらね。聖女を産んだ母なんて、少し憧れるのだけれど」

「それじゃあ俺は聖女の父か? さすがに荷が勝ちすぎてるな」

 そんなことを言いながら、フォルカーは視線を屋敷の裏側へと向けた。
 きっとセーナは、その方角にいるはずだからだ。

 その様子からフォルカーの考えていることを察したのか、アルマが肩をすくめる。

「あいつがあの森に行くかね?」

「確かに、わたくし達がしっかりどれほど危険かということは教えましたものね」

「でもこうして家出をしたことからも分かる通り、あの娘もクラウゼヴィッツ家の血を引いているのよ? 私は行ったと思うわ」

「そうだな。それに、どの道旅をするのであれば、危険など日常茶飯事だ。危険を避けて通るなどと考える者は、最初から家を出ようなどとは考えまい」

 クラウゼヴィッツ家の屋敷は、街の端に位置している。
 そうなっている理由はいくつかあるのだが、その最大のものは、屋敷の裏手にとある森が広がっているからだ。
 その森は魔物が徘徊しているため、兵達の訓練にもってこいなのだ。

 そのまま街の外へと繋がってしまうということでもあるが、魔物が出るために簡単に出入りは出来ない。
 もしそれでも出入り可能だというのであれば、そもそもどうやっても侵入を防ぐことは出来ない類の者だということだ。
 考える必要はなかった。

 そしてだからこそ、その森はクラウゼヴィッツ家の者が家出をする時に通る場所となっているのだ。
 誰にも知られずに街の外にまで出られるのである。
 使わない理由があるまい。

 無論危険ではあるが、フォルカーが口にした通りである。
 街の外に出たらどこも危険だらけな上、それを避けようとする者は最初から家を出ようなどとは考えない。
 ならばこそ、セーナもまたあの森を通っているはずだろう。

 そのことを考えながら、フォルカーは目を細める。
 今頃どの辺を歩いていて、何をしているのか。

 そして。

「果たしてあいつは一体、何をするのだろうな」

 分かっているのは、少なくとも何もないということだけはないだろうということか。
 置き土産だけで、これほどクラウゼヴィッツ家の者達を翻弄したのである。
 何もないということだけは有り得まい。

 そんなことを考えながら、フォルカーは残された家族と共に、行く末を祈るように笑みを浮かべるのであった。
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