元最強賢者は嘆かない~千年後に転生したら無能扱いされましたが好き勝手にやろうと思います~

紅月シン

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圧倒的な力と手遅れな状況

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 その姿を目にした瞬間、エリナは反射的に息を呑んだ。
 明らかに人外な姿に驚愕や恐怖を覚えたから……では、ない。
 どうしてそんな姿をしているのかを、理解してしまったからであった。

 だがそんなエリナの様子に気付いているのかいないのか、リーンはそのハンネスであったモノの姿を見つめながら、ふむと首を傾げる。

「その姿、ドラゴンの力を取り込んだ、といったところかの」

「……へえ、よく分かったじゃねえか」

 その声は、本当に感心しているように聞こえたが、実際その通りなのだろう。
 同じようにエリナも感心したように、普通それは分かるようなことではないからだ。

 そもそも、ドラゴンという存在の名が頭に浮かぶということがまずない。
 確かに爬虫類のような目と鱗から連想出来なくはないだろうが、思い浮かんでも精々がワイバーンのはずである。
 一般的にドラゴンという存在は、最早御伽噺の中にしか存在しないものだからだ。
 むしろ何故思い浮かんだのかといったところであり……しかし、リーンだということを考えれば、それほど不思議でもないのかもしれない。

 と、当たり前のようにそんなことを考え、そんな自分がいることに気付き、思わずエリナは溜息を吐き出した。
 それはまるで、友人に対する思考のようであったからだ。

 確かに、以前のような状況に戻ってしまいつつあるのは自覚している。
 だが自覚していながらもそのままを続けているのは、今更戻しても効率が悪いだけだからだ。
 そう、これは実利を求めて一時的にそうしているだけで、それ以外に理由などはないのである。

 などと、まるで言い訳のようなことを思っているエリナをよそに、目の前の会話は続いていく。
 ハンネスは感心しながら……いや、だからこそ、その目に侮蔑と嘲笑を浮かべた。

「だが、なら分かるんじゃねえのか? 今の俺にかつてないほどの力が漲ってるってことがよ。ああ、それとも、力の差がありすぎて感じ取れねえか?」

 嗤いながら、ハンネスは自らの手へと視線を向ける。
 自慢するように両手を広げ、嗜虐的な笑みを浮かべた。

「実際すげえぜ、これ。――何せ、ちょっと小突いてやっただけで人間なんざ簡単に壊れちまうんだからな。だがまあ、簡単に壊せすぎちまうのが問題っちゃあ問題か? ったく、強すぎる力を持ちってのも厄介なもんだぜ。手加減するのすら難しいんだからよ。一匹そのせいもあって逃がしちまったしな……ああ、テメエらがここにいるのは、もしかしてそのせいか?」

 その姿を見た時点で半ば確信してはいたが、Aクラスの者が襲われたという相手は、やはりこのハンネスであるらしい。

 何故襲ったのかは……もしかして、恨み、とかだろうか。
 考えてみたら、襲われた人物は、三日前の食堂でハンネスのことを馬鹿にするような言い方をした者だったからだ。
 あの時のことをずっと忘れずにいて、そんな中でこんな力を手に入れたのだとすれば、そういったこともあるのかもしれない。

 しかしもしそうであったのならば、ドラゴンの力を手にしたような相手からよく逃げる事が出来たものだと思うが……ニヤニヤと、嫌らしい笑みを浮かべている様子から察するに、逃がしてしまったと言いつつもおそらくは敢えて逃がしたのだろう。
 そんなことをした理由はいくつか思い浮かぶが……まあ、ほぼ間違いなく、ろくなことではあるまい。

「ふむ……ところで、先程から気になっていたのじゃが、その手はどうしたのじゃ?」

「はっ、だから言っただろ――手加減が難しいってよ。ちとやりすぎちまってな」

 言いながらハンネスは、後方へと視線を向けた。
 自らが飛び出してきた場所を眺めながら、その手を――血で濡れたそれを見せつけ、嗤う。

「ま、だが、手加減は難しくても、やりようはあるからな。途中で出てきちまったし、まだ生きてるやつはいるんじゃねえのか?」

「ふむ……どうやらそのようじゃな。ならばさっさと邪魔そうなのは蹴散らして中を見に行くとするかの」

「――あぁ?」

 あまりにもリーンの様子がいつも通りであり、どころかハンネスのことを軽んじてすらみせたためだろうか。
 それまで余裕そうにしていたハンネスの顔に、苛立ちが浮かんだ。

「蹴散らす? お前が? 俺を? ……まだ理解してねえのかよ、テメエは。俺は以前までの俺じゃねえんだ。今の俺なら、テメエなんざ一捻りなんだぜ? そもそも、忘れてんじゃねえのか? ここじゃ攻撃魔法は使えねえ。テメエがどんな魔法を使えようと――」

「それがどうしたのじゃ?」

「……あ?」

「そのことが、お主を蹴散らすのに何か関係があるのかの?」

「……んだと?」

「それにしても、お主びっくりするぐらい愚かじゃの?」

「……テメエ、まさかこけおどしだとか思ってんじゃねえだろうな」

「その通りじゃろう? まあそれ以前の問題なのじゃが。力を求めるのも、手にした力を試したくなるのも分かるのじゃが……もう少しやりようがあろう。その行動こそが愚かじゃと言っているのじゃよ」

 ハンネスは未だに、何も語ってはいない。
 何故、どうやってそんな力を手にしたのか、どうしてこんなことをしているのか。

 だがまるで全てを理解しているとでも言いたげな様子のリーンに、ハンネスの顔から表情が消えた。

「……テメエの言いたいことはよく分かった。つまり、死にたいって事でいいんだな?」

「何一つ理解していないように見えるのじゃが? つまりじゃな――」

 瞬間、リーンの姿が視界から消えた。

「――つまり、馬鹿なテメエが死ぬってことだろ!」

 叫びの直後に別宅を覆っていた壁の一部から轟音が響き、崩れる。
 リーンが殴り飛ばされたのだ。

 だがハンネスはその方向を眺めながら、舌打ちを漏らした。

「ちっ……またやりすぎちまったか。あれじゃ原型すら留めてねえだろうな。アイツはいたぶりながらぶっ殺してやるつもりだったんだが……まあいい。まだ、残ってるからな」

 そう言ってハンネスは、こちらへと嗜虐に満ちた目を向け――しかし、踏み出そうとした足を止めた。

「――だから愚かだと言ったのじゃ」

 溜息と共に、リーンが瓦礫の中から姿を見せる。
 そのことにハンネスは一瞬驚きを浮かべ、だがすぐに口の端を吊り上げた。

「はっ、なんだ生きてやがったのか。随分頑丈なやろうだが……こりゃいい。どうやら思う存分いたぶれそうだな?」

「ふーむ、どうやらまだ現状が理解出来ておらぬようじゃの? まあ、とりあえずは自分の体でもしっかり確認してみたらどうじゃ?」

「ああ? 現状が理解出来てねえのはテメエの方だろ? つーか、俺の身体だ? 俺の体が一体――は?」

 嘲笑を浮かべていたハンネスの顔が、直後に呆然としたものとなった。

 それはそうだろう。
 正直なところ、先程からエリナも眼前の光景の意味が分からない。

 視線の先にあるのは、ハンネスの右腕。
 その肘から先が、失われていたのだ。

「なっ……ば、馬鹿な……」

「再度言うのじゃぞ? 愚かな、と」

 言葉やその様子からして、間違いなくそれをやったのはリーンなのだろう。
 おそらくは殴られた瞬間に引き千切るか切断したのだろうが、エリナですらそのことに気付いたのは、リーンが壁に叩きつけられた後のことだ。

 相変わらずでたらめであり……だが。

「……確かに驚いたが、だからどうした」

 それは虚勢などではなかった。
 次の瞬間、失われたハンネスの右肘から先が生えてきたのである。

「いつの間にか魔法使ってやがったのか……ちっ、抜け目のねえやつだ。何したのか分からねえが……まあいい。もう油断はしねえ。はっ、残念だったな、さっきのでどうにか出来ればまだ――」

「ぐだぐだと余計なことはいいから、さっさとくるのじゃ。儂も暇じゃないでの。とっとと解決して授業を再開してもらわぬと困るのじゃ」

「……よく分かった。なら今度こそ死ねよ」

 言葉と同時、彼我の距離が一瞬で詰められ、爪が振り下ろされた。

 ドラゴンの爪と言えば、下手な名剣すらも切り裂くと言われるほどの代物だ。
 どんな魔導士であろうとも正面から防ぐことなど出来るわけがなく……しかしその爪は、振り抜かれることなく、止まった。

 片腕だけで、リーンが止めたのだ。
 まるで模擬戦の時のように、軽々と。

「ばっ、馬鹿なっ……!? ドラゴンの爪だぞ……!? てめえがどんだけ強力な強化魔法を使えようが、こいつを防げるはずが……!?」

「ふーむ、さすがに節穴すぎじゃろう。強化魔法どころか、魔法すらも使っていないというのに。そもそもその必要があるとでも?」

「……確かに、魔法は使ってないみたいだけど、じゃあそれどうやってんのよ」

「こんなこと魔法でもつかわねえと不可能……いや、まさか、テメエ……!?」

 ハンネスとほぼ同時に、エリナもそのことに思い至った。

 ドラゴンの爪など、普通は防げない。
 防げるとすれば……それこそ、同じドラゴンぐらいだ。

 つまりは……まさか、『自分達』と同じ……?

「何を考えてるのかは何となく分かるのじゃが、見当違いじゃぞ? というか、お主も賢者を目指していたのじゃろう? なら、この程度のことが出来て当然だと分かっているはずなのじゃが?」

 その言葉は、正しいと言えば正しい。
 賢者とは魔導士の頂点に立つものであり、全ての道に通じるものだ。
 魔法を使う全ての者達の上にも立つということなのだから、当然のように直接的な戦闘力も求められている。

 それこそ、魔法をまともに使えないような状況でも、ドラゴンと渡り合えるぐらいのものが。

 しかし、それは建前だったはずだ。
 結局のところ、最重要なのは魔法の腕であり……少なくとも、大半はそう理解しているはずである。

 だが、もしかしたら違うのだろうか。
 だとするならば――

「さて……お主も十分現実は分かったじゃろうし、終わりなのじゃ。別に儂はおぬしに聞きたいこともないしの。適当なところで引き渡せば、後はそっちで勝手に調べてくれるじゃろうし、それで今回の件は一先ず終わりなのじゃ」

「……ふざけるなよ。俺はドラゴンの力を手にしたんだ……テメエなんぞに……!」

「というか、そもそもそこが勘違いじゃ。ドラゴン程度に勝てない者が賢者を目指すなど、片腹痛い。勝てるのが当然なのじゃよ。ま、別に儂は賢者を目指してるわけじゃないのじゃが」

「っほざけ……!」

 吼え、飛びかかろうとした瞬間、ハンネスの身体は打ち上げられていた。
 顎が天を指すように持ち上げられ、足が地面から離れる。

「――かっ、なっ……!?」

 顎を打ちつけられたのだ、ということをエリナが分かったのは、その懐にリーンがいて、掌底を突き上げた状態だったからだ。
 いつの間に、と思うも、その時には既にリーンは次の行動へと移っていた。
 その場から飛び上がると、ハンネスを追い越し、もう一度掌底を放つ構えを取る。

 その姿を、ハンネスはどんな思いで目にしたのか。
 目を見開き、驚愕と絶望と、様々な感情が浮かんだような顔をすると、何事かを叫ぼうとでもしたのか、その口が開かれ、だが声が音になることはなかった。

 掌底が顔面へと叩き込まれ、放たれるはずだった声と共に、その身は地面へと堕ちていく。
 激突した。

 轟音が響き……しかし、それだけと言えばそれだけだ。
 掌底を二発叩き込まれただけ。
 ドラゴンを、その力を取り込んだモノを倒すには足りておらず……そのはずであった。

 だが、地面に激突したハンネスが起き上がってくる気配はない。
 あの二撃で、あの一瞬だけで、ドラゴンの力を取り込んだモノが倒されてしまったのだ。

 まさに圧倒的であった。

 しかしそんな圧倒的な戦いを見せたリーンは、地面に降り立つや否や、まるでちょっとした面倒を片付けただけとでも言わんばかりの様子で溜息を一つ吐き出す。

「さて……ではこれを引き渡せば終わりかの。随分と簡単に終わったものじゃが、ま、楽に終わるならそれに越したことはないのじゃしな」

「……そうね。巡回してる兵や騎士にでもそいつを渡せば、とりあえず今回の件は解決ってことになるんじゃない? まあまだ色々と調べたりすることはあるでしょうけど、あたし達には関係ないことだし、学院も元通りになるでしょ。……ってことで、そっちは任せてもいい?」

「うん? まあ別に構わぬのじゃが……?」

「あそこからそいつが出てきたってことは、一応あそこも調べとくべきでしょ? 別にそれも誰かに任せてもいいでしょうけど、あそこはあたしの家でもあるもの。あそこにはあたしが行くわ」

 エリナの言葉に不思議そうに首を傾げたリーンだが、それで納得したらしく、頷きを返してきた。

「ふむ……そういうことならば、了解なのじゃ。ではまた後で、じゃの」

「……ええ」

 そうして頷くと、エリナは別宅へと向かい、歩き出した。

 そのまま振り返ることなく中庭を突っ切れば、目の前にあるのは家へと続く扉だ。
 触れてみれば、鍵はかかっていないことが分かり、開く。
 中に足を踏み入れてみれば、そこにあったのは、がらんとした……有り触れたエントランスである。
 散らかっているどころか、物が壊れている様子すらなかった。

 そんな、ある意味不自然であり、だが必然の光景の中を進みながら、エリナは先へと向かう。
 行くべき場所は最初から分かっていた。

 階段を昇り、三階へ。
 辿り着いた先にあったのは、窓ガラスが盛大に割れた部屋だ。

 そして、そこには一人の男がいた。
 血のような色の髪と瞳を持った、見知った人物。
 父である。

 無事であるのは見れば分かる通りであり、しかしエリナはそのことを喜びはしなかった。
 最初から知っていたからだ。

 だから言うべきは一つだけである。

「……どうしてあんなことしたの?」

「ほぅ……? どうしてと、他ならぬお前が言うのか? ――お前が失敗したからに、決まっているだろう?」

 そうだろうと、思ってはいた。
 だがそれでも、聞かないわけにはいかなかったのだ。

 たとえ――

「我らは力を手に入れ、賢者へと至らなければならぬのだ。そのためならば、他のものなどどうなってもいい。……そうだろう、娘よ」

 全てはとうに、手遅れだったとしても、である。

「――ドラゴンを食らいその力を手にしたお前ならば、分かるはずだ」
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