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エルフと師と 後編

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 ドラゴンが師へと飛びかかった、ということが分かったのは状況証拠からで、警告を発するには遅すぎた。
 だがそれでも何かを言わずにはいられず……後方の木々が轟音と共に弾け飛んだのは、その直後のことだ。

 ただし、後方は後方でも、ドラゴンの後方の木々が、だが。

「……え?」

「ふーむ……本当に頑丈じゃの。というか……どうも魔法の威力が減衰しているみたいじゃの。千年前ならば、これで十分じゃったのじゃが」

『――言ったはずだ、貴様の攻撃は我には通用せぬ、と……! 千年前とは何もかもが違うのだ! 今後こそは、貴様が――』

 師が難なくドラゴンのことを吹き飛ばした、ということを一瞬遅れてオリヴィアが理解したのと、パチンという音が耳に届いたのはほぼ同時であった。

 それは師が指を鳴らした音であり、そこから一瞬の間も置かず、ドラゴンの右肩がごっそりと抉れた。

『――なっ!? ば、馬鹿な……!? 貴様、一体何を……!?』

「原理は不明じゃが、魔法の威力が減衰してしまうというのならば、減衰しない攻撃をすればいいだけじゃ。空間を削り取ってしまえば、減衰も何もないのじゃからの」

『空間を、だと……? 馬鹿な、今の世界でそのようなことが人間に出来るはずが……!』

「そんなことを言われても、出来るのじゃから仕方ないじゃろう? ほれ」

 そう言って、師が再度指を鳴らす。

 今度は左の羽の大半が削られ、たまらずドラゴンが苦悶の悲鳴を上げた。

『グ、グギャァァァアアアアアア!!!??』

「むぅ……まあそんなことを言いながらも、実はあまり狙い通りに行っていないのじゃがな。位置は合っているのじゃが、どうにも規模にばらつきがあるの。しかし邪魔をされているような感覚はないのじゃし、単純に儂がこの身体での魔法の運用になれていない、というだけのようじゃな」

 そんなことを言いながら、師は次々と指を鳴らしていく。
 その度にドラゴンの身体の一部が抉れ、削られていく様に、オリヴィアは正直背筋が寒くなる思いがした。

 残酷なその行為に、ではない。
 転生したところで、師の強さは何一つ変わっていなかったということに、だ。
 凄まじいまでの魔法による蹂躙は、千年前に目にした光景そのままである。

 千年前の自分がこの域に到達出来ていなかったことは、分かりきっていることだ。
 古代魔法が使えなくなってしまった今の自分が、この域に到達することが最早叶わないということも同様に。

 だが、果たして……あのまま千年の間古代魔法の研究を続ける事が出来たとして、この域に辿り着く事が……あの人に手を届かせる事が出来ただろうか。
 そんなことを思いながら、オリヴィアは圧倒的な才能が繰り広げる光景を、ただ見ていることしか出来ない。

 そしてそれは、ドラゴンもある意味では同じであった。
 苦悶の声を上げながらも何とかしようとしているようだが、全ては無意味だ。
 その場から移動しようとすれば、師の魔法で強引にその場へと戻されるか、もしくは移動先を読まれ、そこで身体の一部を削られる。

 師の指を鳴らすという行為を元にかわそうともしているようだが、それもまた意味はない。
 何故ならば、そもそもその行動自体に意味がないからだ。

 古代魔法を放つ際に必要なのは術式と詠唱であり、身振り手振りを加えたところで何らかの意味が発生する事はない。
 詠唱は熟練の魔導士ならば省略することも可能だが、身振り手振りがその代わりとなることもやはりなく……要するに、あれは相手を惑わすためのブラフなのだ。
 師は相手の動きを見て、あるいは予測して魔法を放っているだけなので、あの動作に反応するのは、その時点で罠に嵌ってしまっているということなのである。

 師が魔法を放つたびに、あれほど勝ち目などないと思っていたドラゴンの命が、呆気ないぐらい簡単に、少しずつ失われていく。
 鱗も魔力障壁も、何一つ無意味とばかりに削られ抉られる。

 しかし、そうして一方的にやられるばかりだったドラゴンの動きが、次の瞬間に変わった。
 逃げるのを止めたかと思えば、その場にどっしりと身構えたのだ。

 諦めたという雰囲気では、明らかにない。
 全身から血を流しながら、変わらぬ憎悪に濁った瞳を、師へと向けてきている。

 その口が大きく開かれたのは、その直後のことであった。
 口内の奥から僅かに覗く、揺らめく炎。

「っ……まさか、ブレス……!?」

「ふむ……基本的に一発逆転狙いは悪手だと相場が決まっているのじゃぞ?」

 言いながら師は指を鳴らし……感心したように僅かに眉を持ち上げた。

 右肩が完全に削られ、右前足がボトリと地面に落ちても、ドラゴンがブレスの構えを解くことはなかったのだ。
 にやりと、勝ち誇ったかのようにドラゴンが口角を持ち上げたかのように見えたのは、果たして気のせいか。

 少しずつ口内から炎が溢れ始め、ブレスの準備が整い始めているというのが分かる。
 だがそれを阻止するでもなく、師は指を鳴らし少しずつドラゴンの身体を削っていくという行為を変える気配はない。

 それを何故と思い、ふと気付いた。
 もしや、師は邪魔をしないのではなく、出来ないのではないか、と。

 先ほど自分で言っていたではないか。
 魔法の運用に慣れてはいない、と。

 魔導士にとって、魔法と暴発というのは切っても切れない関係にある。
 どれだけ熟練の魔導士でも、少しでも気を抜いてしまえば簡単に魔法は暴発し、自分諸共周囲を消し飛ばす。

 慣れていても、それなのだ。
 ならば、慣れていない師は、余計に気を配らなければならないはずである。
 今の師では、ああして少しずつドラゴンの身体を削っていくしかないとなれば……ドラゴンがそのことにいち早く気付いたから、ブレスの準備を始めたのだとすれば。
 非常にまずいのは、言うまでもないことであった。

 しかし、そのことが分かったからといって、オリヴィアに一体何が出来るというのか。
 悩み、迷い……ドラゴンの口内が、炎で満ちた。

 絶望で心が染まり――

『我が最高の一撃を以て、消え去るがいい、魔王……!』

 ドラゴンの口内から、赤色のブレスが放たれた。
 魔導士でも片手間に防げるようなものではないと、一目で分かるほどのものであり……その赤色が、師へと届く。
 どうすることも出来ずに、オリヴィアはその光景を眺めることしか出来ず……そして。

 次の瞬間、師はそのブレスを、片手で弾き飛ばした。

 軌道をずらされたブレスが上空を進み、そのまま消えていく。
 思わず、呆然とした声が漏れた。

「……は?」

「ふむ……出来そうな気がしたからやってみたのじゃが、普通に出来たのじゃな。やはりと言うべきか、どうやら今生の肉体が宿す魔力は前世のそれとは比べ物にならぬようじゃの」

 そんな風にどことなく嬉しそうな呟き師の姿に、オリヴィアの顔が次第に呆れへと変わっていく。
 ドラゴンのブレスとは、オリヴィアの記憶違いでなければ、確か魔導士ですら全力で結界を張らなければ防げないような代物だったはずだ。

 それを片手で弾き飛ばすとか……どうやら、今生の師はさらに出鱈目っぷりに磨きがかかっているらしい。

「……まあそれでも、出来る気がしたからやってみたって何よそれって感じなんだけど……それに関しては、相変わらずって感じかしらね」

『っ……まさかブレスまでこうも容易く……化け物めが……!』

「よく言われる言葉じゃな」

 そう言って師は肩をすくめ……指を鳴らそうとした瞬間、おやと首をかしげた。
 ドラゴンの身体が、宙に浮いていたからだ。

『口惜しい……口惜しいが、ここで滅びては何の意味もない。だが忘れるな、魔王……!』

 どうやらブレスの準備をしながら、羽の再生も行っていたらしい。
 ドラゴンの治癒能力は高いと聞いていたが、師も虚を突かれたのか、きょとんとしており、その間にドラゴンの身体が一気に飛び上がる。

 羽を羽ばたかせ、そのまま上空へと――

『その首、必ずや我が――ごっ!?』

 向かおうとした瞬間、まるで見えない壁にぶつかったかのように跳ね返り、そのまま地面へと墜落した。
 轟音と共に地面へと叩きつけられ、ドラゴンの口から苦悶の声が漏れる。

『ぐっ……馬鹿な、何が……!?』

「何がも何も……貴様が言ったのじゃろう? ――儂は魔王じゃぞ? 何故逃げられると思ったのじゃ?」

 どうやら、虚を突かれたは虚を突かれたでも、何故そんな無意味なことをするのか分からない、というものだったようだ。
 おそらくは予め結界でも張ってあったのだろう。
 随分と用意周到ではあるが、師らしくもあった。

「さて、では大体の感覚は掴めてきたのじゃし、そろそろ終わりとするかの。これ以上時間をかけていては誰かが馬車に戻ってきてしまうかもしれぬのじゃし、そうなれば儂が暇なあまり居眠りをしているとでも思われかねんからの」

 まるで冗談を言っているようだが、割と本気だったりすることもあるので、師は恐ろしい。
 かと思えば冗談だったりもするので、やはり師は恐ろしい。

 まあ、結論を言ってしまえば……ああ、これが師だったなと、今更のように……あるいは、ようやく、本当に師が戻ってきたのだと心の底から実感出来たということであり――

「――では、さらばなのじゃ」

 指を鳴らした瞬間、ドラゴンの頭上に巨大な火球が出現した。
 それはドラゴンの全長と同じ程度の大きさがあり……いつの間にかドラゴンの身体には、光の紐のようなものが巻き付いている。

 拘束魔法。
 まったく、本当に用意周到だと、呆れとも感心ともつかない感想を抱いているうちに、火球が落下し始める。

 ドラゴンに逃げる術は、存在しない。

『っ、ぐっ……おのれ魔王……混沌の支配者が……! 確かに、我はここで滅びる。だが、行き着く先は貴様とて同じだ……! 貴様はいつか必ず滅びる……滅ぼす……! 我らの意思を継ぐモノの手によってな……!』

 そんな叫びを残しながら、ドラゴンは炎の向こう側に消えて行った。
 断末魔の叫びすら、豪炎が掻き消す。

 その炎を眺めながら、師がぽつりと零した。

「ふむ……また一つ呼ばれた名が増えたのじゃな」

「……もっと他に気にすることあると思うけれど? なにか不吉なこと言っていたじゃないの」

「と言われてもじゃな、千年前はよくあることじゃったしの。いちいち気にしてなどいられんのじゃ。それに、そんなことよりも儂にはやらねばならぬことがあるわけじゃしの」

「……一応聞いておくけれど、それって?」

「――無論、現代魔法の研究なのじゃ!」

 良い笑顔で言い切った師に溜息を吐き出し、それから、苦笑を浮かべる。

 師が再び全力で動き出すというのならば、間違いなく自分も巻き込まれるに違いない。
 どうやらこれから忙しくなりそうだと、今更追いついてきた実感と共に、オリヴィアはそんなことを思い、息を一つ吐き出すのであった。
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