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負け犬

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 分厚い黒雲の下、宮城県警本部庁舎ビルの天井に設置されたパラボラアンテナが強風に軋んでいる。

 日付は10月10日、時刻はまだ午前十時を過ぎていない。

 午後からは晴れるそうだが、最初にここへ来た日も曇ってたっけ。あれからまだ一月位しか経っちゃいないんだよなぁ。

 笠松と共に捜査本部のある庁舎ビル三階から降りてきて、玄関の石段に立ち、空を見上げて富岡は思った。

 いつもなら駐車場へ行き、県警から借りたグレーのワゴン車で捜査を始めるところだが、今日はそうも行かない。覆面パトカーの鍵は返却したばかりである。

「さ~て、どうしようかねぇ、これから」

「どうもこうも……東京へ帰るに決まってんじゃないスか」

 白けた顔で笠松がぼやく。

 恐ろしく低いテンションだが無理も無い。二人はつい先ほど、捜査本部の任を解かれ、本来の所属である本庁捜査一課預かりの形で謹慎処分を受けたばかりなのである。

「捜査本部への報告抜きで五十嵐さんと動いてた事、最悪の形でばれちまったもんなぁ」

 富岡の声にもぼやきが混じる。





 四日前の夜、五十嵐が刺され、笠松が気を失った後、『赤い影』の扮装をした高槻守人に脅された。逃走する際、もし追いかけてきたら室内へ仕掛けた爆弾を爆発させる、と宣告されたのだ。

 能代臨は止めても聞かずに飛び出して行ったが、富岡達は動けなかった。

 電話で呼んだ救急車を待ち、運良く数分で到着した後、四人とも無事にマンションを出てホッとしたのも束の間、五十嵐の部屋がある5階で爆発が起きた。

 幸い住民の避難が進んでいて死者は無かったが、近隣の負傷者は出たし、フロアの被害も大きい。

 爆破物処理班と鑑識のチェックが終わった後、5階へ戻った富岡は、書斎が跡形もなく吹っ飛んでいるのを確認した。

 五十嵐が集めた資料も、ベランダに潜んでいたと思われる高槻守人の痕跡も消滅。爆弾の設置が富岡達の足止めのみならず、証拠隠滅の目的も含んでいたとしたら、やり過ぎだが効果的だ。

 或いは他にも目的があったのかもしれない。

 飛び出して行ったきり、未だ消息不明の能代臨は『赤い影』に拉致された可能性が高い。偶然では無く、臨が初めから標的に含まれていた可能性を富岡は無視できずにいる。





「ま、五十嵐さんが命を取り留めたのが不幸中の幸いですかね。出血多量で、一時は相当危なかったから」

 笠松の言葉に富岡は頷いた。

 救急車で病院へ運び込まれた当初、心停止状態で辛うじて蘇生が間に合い、現在も昏睡状態にある。

 担当医の話によると脳にダメージが残っているかも知れず、何時になったら目覚めるのか、予測するのが難しい。このまま植物状態になる恐れもあるらしい。

 一緒に手当を受けた来栖晶子も思ったより重症だった。

 捻った足首は軽い捻挫で済んだが、壁に突き飛ばされた際、肋骨へひびが入っている。しばらく大学での研究活動や講義を休み、安静にせざるを得ないとの事。

 失神だけで殆ど無傷の笠松は改めて頑丈さを証明した。但し、社会的、精神的ダメージは小さくない。事件の翌日、彼は何時の間にか有名人になっていた。

 マスコミ報道と前後して匿名の動画、メッセージ投稿がネットを賑わし、『元科捜研の老害』として五十嵐が、『トラウマ病みの税金泥棒』として富岡が面白おかしく紹介されたのだが、その流れを受けて笠松も『運命のグチ男くん』と言う恰好の美味しいネタとなったのだ。

 笠松の『アホな相棒』キャラはネットの彼方此方でいじられ、トレンド入りした挙句、家族や友達の耳に入った。

 頭にきてSNSで反論しようとしたら、物凄い炎上騒ぎが沸き起こり、更に家族の心配の種となる。

 当然、捜査本部も放っておかない。

 只でさえ富岡が警察OBの一般人と密かに連携していたのは問題だし、それがマンション爆破に繋がったとあらば処罰は必然。
 
 地元の著名人・来栖晶子准教授の負傷、彼女の教え子の失踪まで絡めば猶更である。

 急遽呼び出され、捜査本部を追い出されたのは、あくまで仮の処分にすぎないだろう。いずれ本庁捜査一課で然るべき罰が正式に下される事となる。

 あ~、貧乏くじを通り越し、ここまで来るともう、何かの祟りじゃねぇか?

 笠松は恨めしい気持ちを込め、横目でチラリと富岡を見て、拍子抜けした。

 落ち込んだ気分を先輩刑事は早くも吹っ切り、スマホをネットに繋いで、何か調べている。
 
「駅まで、タクシーでも呼ぶ気ですか?」

「いやいや、レンタカーの事務所、探してるんだ。タクシーじゃ捜査の足にならないだろ」

「……足? 捜査?」

「まず陸奥大学へ行ってみたい。療養中という話だが、もし来栖先生が来ていたら詫びを入れ、ちょいとお知恵を拝借ってね」

「ま、まだ懲りてないンすか!?」

 警察署の玄関前は大声を上げるのに相応しい場所ではない。激高する笠松を富岡は路地へ連れ出し、小雨を避ける為に折り畳み傘をさした。

「帰りましょう、東京へ。ここにいても何もできませんよ」

「そうかな」

 これ以上、巻き込まれたくない一心の後輩刑事の訴えを、富岡はいつも通り飄々と受け止める。

「前に五十嵐さんから貰った情報は、今度こそ捜査本部へ全部渡したんだし、任せるのが一番です」

「ネットで都市伝説呼ばわりされたせいか、五十嵐情報には誰も興味ない感じだったぞ」

「俺だって信憑性はイマイチと思うから仕方ないでしょ」

「消えたままの能代さんの事もある。ああなったのは、俺にも責任があるからな」

「それこそ捜査本部がきっちり調べますって。富岡さんや五十嵐さんのひねくれたやり方より余程……」

「まともな方法論で、隅を相手に出来ると思う?」

「……あ~、正直、迷惑なんだよ、マジで!」

 とうとうキレた笠松が仏頂面で吐き捨てた。

「その言い方、傷つくねぇ」

 と言いつつ、富岡も引き下がる気は毛頭無い。

「一緒に帰る途中、姿をくらました事にしといてくれ。但し、上への報告は極力、後へずらしてくれると助かる。今は少しでも動く時間が欲しいんでな」

 笠松は答えようとしない。

 近くにあるレンタカーの営業所を確認し、スマホをしまうと、上着のもう片方のポケットへ富岡は手を突っ込んだ。

 こよなく愛する電子パイプを出そうとしたのだが、ポケットには何も無い。

 苦笑が富岡の顔に浮かんだ。

 マンションから逃げ出す途中、どさくさ紛れに落としてしまったらしい。あそこへ探しに行っても、爆発で原型を留めていないだろう。
 
「悪癖と縁を切る、良いチャンスなんじゃないスか?」

 口寂しい様子の富岡を笠松がからかう。

「何かと引きずり過ぎなんスよ。少し肩の荷を下ろした方が楽でしょうに」

「……そうかもな」

 柄にもなく説教めいた口調になる笠松の真意を富岡は察した。

「電子パイプは、もう止めだ。捨てようにも捨てきれない拘りが他にも有るし」

 チッという舌打ちを笠松は漏らす。

 何でこう年上相手に、わざわざ憎ったらしい態度を取っちまうのかね、こいつ?

 そう内心思いつつ、「じゃ俺、そろそろ消えるわ」と富岡は小走りになる。

「あ~、お疲れさん、した」

 投げやりな返事を笠松が口にした途端、富岡は振り返った。

「今更だがな、君にはこれまで色々と迷惑を掛けた。申し訳ないと思ってるよ」

「え?」

「ありがとう、笠松」

 富岡は姿勢を正し、深々と頭を下げた。

 困惑しきりで笠松は何も言い返せなかったが、「これってフラグだろ」と胸の中で声がした。

 スマホゲームに嵌っている弟から聞いた話だ。柄にもなくオッサンが殊勝な台詞を吐くと死ぬ、みたいな……

 「待ってくれ」と言いかけ、結局、何も言わずに富岡の後ろ姿が遠ざかるのを笠松は見つめた。

 そして、逆方向にある仙台駅方面のバス停へ歩き出す。

 足取りは重く、僅かな期間にすっかり自分が年を取ってしまった気がして、笠松にはそぼ降る雨に濡れる冷たさもあまり感じられなかった。
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