うまのほね

ちみあくた

文字の大きさ
上 下
2 / 8

しおりを挟む

 
 首尾よく馬をかっぱらい、左兵衛へ献上すりゃ命が助かるだけじゃねぇ。子分に取り立ててもらえるかも、な。
 
 さもしい魂胆を薄っぺらな笑いで隠し、亥吉は異国の馬へそっと近付く。
 
 ほぉれ、良い子だ。後生だから騒ぐんじゃねェよ。
 
 見知らぬ男が触れても馬は動じない。
 
 微動だにせぬ巨体の耳元へ甘言を囁き、柱へ括り付けた手綱を解こうとした時、
 
「おい、貴様、何をしておる」

 御堂の方から男の声が飛んだ。

 見ると観音開きの扉から、まだ若い武士が飛び出した所で、その右手はしっかり刀の柄に掛かっている。

「いやぁ、髄分豪勢な馬だと思いましてね、旦那」

 亥吉は、動揺を抑え、咄嗟に愛想笑いを作った。

「もしかして、南蛮渡来ですかい」

「何っ」

「そう血相を変えなくて、ようござんす。昨今は象とかいう化けもんが、はるばる大海原を渡って、花のお江戸まで運ばれるってぇ御時世だ」

「余計な詮索は身の不幸を招くぞ」

 侍はぐっと凄んだが、その容貌を観察すると、さして怖くはない。細面に鼈甲縁の眼鏡をかけ、刀に掛けたままの右手は神経質に震えている。

「案の定、訳ありみてぇだね」

「黙れ、下郎」

 侍が喚くと同時に、亥吉は大きく目を剥いて相手を睨みつけた。カモと見なしたが故の振る舞いである。

 こういう如何にも小利口そうな輩は、最初に一発かますと後々やりやすくなるものだ。
 
「おうおう、さんぴんの田舎侍。下郎とは大層な御挨拶じゃねぇか、えぇっ」

「町人風情が逆らうか」

「ヘン、徳川さまの御意向も、すっかり色褪せた時世でござんす。武士ってだけで、俺らがヘイコラすると思ったら大間違いのこんこんちきよ」

 若い侍は怒りで顔を紅潮させた。
 
 だが、刀を抜く様子は無い。
 
 亥吉の睨んだ通り、そろばん勘定は得意でも、腕の方はカラッキシなのであろう。
 
「俺ぁ、この辺りじゃチョイと知られた野槌の亥吉ってぇもんだ」

「つまり、地元の顔役か」

「おう、あんたの名前も聞かせてくんな。訳ありなんだろ。事情によっちゃ、こちとら一肌脱ぐかもしれねぇ」

 侍は躊躇ったが、亥吉が脅しと宥めを程良く交えて尋ねると、重い口を開いた。

「信州・岩須藩、多田省吾と申す」

「へぇ、岩須藩ってぇと、確か、あれだ。異国と生糸の商いをして、近頃、やたら羽振りの良い所でござんしょ」

「良く知っとるな」

「へへっ、何しろ浦賀は、我が縄張りの内でござんすから」

 居丈高な口調から、いきなり遜った態度に戻り、相手を混乱させる。まぁ、手慣れたものだ。世間知らずの若侍など、あしらうのは雑作無い。

「いやぁ、売り言葉に買い言葉とは言え、あっしみてぇな者が、お侍に失礼な口を利いちまった。勘弁しておくんなさい。良かったらお詫びの代りに、酒でも一献差し上げたいんですがね」

 酒と聞いた途端、多田は喉を鳴らした。

 どういう事情を抱えているやら、ろくに飯も食っていない様子で、握り飯を見せると今度は腹が鳴り出した。

 江戸への逃避行を決めていた亥吉は、酒も食料も懐にたんと用意している。
 
 全く、御誂え向きとはこの事よ。
 
 内心ほくそ笑み、亥吉は御堂に入って、多田へありったけの酒を振る舞い、酔いが回った所で博打に誘った。





「旦那、壺、かぶりますぜ」

 手垢で汚れた賽子を、亥吉は鮮やかな手並みで愛用の壺へ放り込む。
 
「さぁ、旦那、丁方ないか、半方ないか。どっちもどっちも」

「お主、うるさい。小細工で謀る気なら、この場で成敗してくれる」

「天地神明に誓い、いかさまは無しでさ」

 明るく囃す亥吉に対し、多田は警戒心丸出しで、銭十文ばかり丁へ張る。

「勝負。ニトオシの丁」

「お、俺の勝ちか」

「いやぁ、恐れ入りやの何とやら。今宵はついていなさるね」

 ささやかな儲けを握りしめ、ぐいっと酒を煽った多田は、次の勝負で銀を三分ほど床の上へ放り投げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

居候同心

紫紺
歴史・時代
臨時廻り同心風見壮真は実家の離れで訳あって居候中。 本日も頭の上がらない、母屋の主、筆頭与力である父親から呼び出された。 実は腕も立ち有能な同心である壮真は、通常の臨時とは違い、重要な案件を上からの密命で動く任務に就いている。 この日もまた、父親からもたらされた案件に、情報屋兼相棒の翔一郎と解決に乗り出した。 ※完結しました。

最終兵器陛下

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
黒く漂う大海原・・・ 世界大戦中の近現代 戦いに次ぐ戦い 赤い血しぶきに 助けを求める悲鳴 一人の大統領の死をきっかけに 今、この戦いは始まらない・・・ 追記追伸 85/01/13,21:30付で解説と銘打った蛇足を追加。特に本文部分に支障の無い方は読まなくても構いません。

局中法度

夢酔藤山
歴史・時代
局中法度は絶対の掟。 士道に叛く行ないの者が負う責め。 鉄の掟も、バレなきゃいいだろうという甘い考えを持つ者には意味を為さない。 新選組は甘えを決して見逃さぬというのに……。

余寒

二色燕𠀋
歴史・時代
時は明治─ 残党は何を思い馳せるのか。 ※改稿したものをKindleする予定ですが、進まないので一時公開中

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

【完結】天下人が愛した名宝

つくも茄子
歴史・時代
知っているだろうか? 歴代の天下人に愛された名宝の存在を。 足利義満、松永秀久、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。 彼らを魅了し続けたのは一つ茶入れ。 本能寺の変で生き残り、大阪城の落城の後に壊れて粉々になりながらも、時の天下人に望まれた茶入。 粉々に割れても修復を望まれた一品。 持った者が天下人の証と謳われた茄子茶入。 伝説の茶入は『九十九髪茄子』といわれた。 歴代の天下人達に愛された『九十九髪茄子』。 長い年月を経た道具には霊魂が宿るといい、人を誑かすとされている。 他サイトにも公開中。

処理中です...