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しおりを挟む「利家、少々知恵をつけた程度の猪が、主の心を覗こうとしおるか!」
裂帛の怒気が迸る。
張り詰めた空気の中、二人が対峙する時がどれほど過ぎたのだろうか。
次が流れ、雲の間に隠れた月が再び顔を見せた時、信長は肩から下げている鮮やかな布袋の紐を解いた。彼が酒宴から離れる際、小姓の一人から受け取った一尺弱の長さの袋である。
「俺が何のために、そなたらのみ連れ、ここへ来たと思う」
紐を投げ捨て、取り出したのは銃身の短い火縄銃だった。
信長は常に帯びている火種の壺を開き、火縄の端に着火して、凄みのある笑みを浮かべる。
「面白い品を手に入れてな、試してみたくなったのよ」
火薬と弾を銃の前方から挿入する手並みは慣れたものだ。
戦場において、何度も兵に混じって敵将を狙撃した信長の腕前は戦国武将の中でも際立っているだろう。
その銃口が利家の眉間へ向く。
「ほら、動くなよ、利家」
言い終えるや否や、轟音を上げ、短筒が火を噴く。
利家は、弾丸が頬を掠め、小さな火傷を作るジッという耳障りな音を聞いた。続いて背後の茂みに動きが生じる。
低い呻き声がし、百姓の姿で吹き矢に使うと思しき筒を握った男が一人、茂みから血まみれで現れ、倒れる。
信長、利家らの動きを見張り、襲う機会を見計らっていたのであろう。更に数名が飛び出して来た。
一番後ろにいる初老の百姓風は先程、利家が舞台の傍で話しかけた奴だが、一味の指揮を執っているらしい。
「猿、犬千代、曲者をひっ捕らえい!」
怒鳴る信長の声に、利家も藤吉郎も全く怯まなかった。
即座に現れた四名ほどの襲撃者へ向け、走り出す。
潜む敵の存在を二人は既に気付いていた。
いや、信長が真っ先に悟り、その鋭い視線の動きで知らせていたのだ。若き日、同世代の侍達を集めて、戦場を模す遊びをしていたのと、そっくり同じ呼吸であった。
利家がわざと挑発的な物言いをし、柄にもなく長広舌を披露したのは信長の意を察し、襲撃者を引き付ける為である。
言いにくい本音を主にぶつける好機として利用したきらいも、利家にはあるが、
「織田信長、鬼畜の所業をあの世で悔いるが良い」
増援を信長が呼ばぬと見て、敵も戦う覚悟を固めた様だ。
初老の男が叫ぶのと同時に、百姓姿の襲撃者達は藁のむしろで包んでいた刀を抜き、打ち掛かってきた。
利家からすれば、まさに望む所。
愛用の長槍は無いが、錫杖の先端を穂先に見立て、一振りで先頭にいる二人の太刀をへし折ってしまう。
間合いに入れば逃がしはしない。
後ずさり、背を向けようとした瞬間に又も一振りで二つの頭蓋を砕く。声もなく崩れ落ちる二人を見て、その後、利家はあっと小さく声を上げた。
あぁ、久々の戦いで調子に乗り、つい二人とも討ち取ってしもうた。殿は捕らえよ、と仰せだったのに……。
学業で落ち着いたと思いきや、勇み足の悪い癖が出た利家は、残りの敵を睨みつつ、小さな溜息を漏らす。
一方、藤吉郎の方は今宵、小太刀しか帯びておらず、刀を振り回す敵へ打ち込めずにいるものの、やられる恐れは無さそうだ。
持ち前の敏捷さで初老の男ともう一人の周囲を動き回り、翻弄している。
利家が加勢しようとした時、二発目の銃声が響いた。残った敵の若い方を、信長が狙撃したのだ。
弾は左胸を貫き、即死させた様で、見定めた利家は密かにほっとする。
生け捕りにし損ねたのは主も同じ。振り返ると信長は笑っており、自身が矢面に立つ久々の戦いを楽しんでいるらしい。
劣勢と見た初老の男は逃げ出した。
咄嗟に藤吉郎が足元の石を拾い、狙いすまして投げつける。見事、男の膝の辺りへ命中し、茂みの手前で転倒した。
実は藤吉郎は礫投げの名人で、この手の事をやらせたら、織田家中でも右に出る者はいない。
どうだ、と鼻高々の藤吉郎を横目に、利家は初老の男へ近づき、手首を打って武器を奪った。
これでもう抵抗はできまい。
強く息を吐き、利家が胸の血の滾りを鎮めていると、短筒を片手に信長も歩み寄って来た。
「殿、やつらが潜み折る気配をとうに感じておられましたな」
「ああ、舞台で踊る最中からな」
「そんなに早く」
藤吉郎は唖然とし、握った短筒を弄ぶ信長に利家は更に訊ねた。
「見張りの侍は元より、事を荒立てたくないなら、川並衆に始末させる手もありましたでしょう。何故、ここまで奴等を引き付けたのですか?」
「大軍の将となれば、以前のように戦を味わい、楽しむ事ができん。昔、お前ら悪餓鬼どもを指揮し、いくさ遊びをしたのが懐かしゅうなった」
にやにや笑うその横顔は、その場にいる誰よりも悪童の面影を残している。
「それに、言ったであろう、新たな玩具を試してみたかったのだ、と」
「その短筒でございますな」
「南蛮渡来の品を、清州の商人を介して手に入れたのだが」
「見事、命中したではありませんか」
「いや、児戯の役にも立たぬのう。指の反動が大きすぎるし、銃身が短い文、狙いがつけにくい。おかげで一人、無為に殺してしまったわい」
そう言い、信長は急に興味を失った様子で無造作に短筒を投げ捨てる。
藤吉郎が慌ててそれを拾い、やはり近くに捨てられている絹袋の中へ仕舞い込んだ。
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