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第一章 今どきの話 (まさか、オヤジが恋敵!? 4)

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 積み重ねてきた恋の数は、こんなにも女の唇を甘くするものだろうか?

 警察庁警備局外事情報部・理事官……いや、今や新たな国防組織「レーザーヘッド・ジャパン」の広報部長に就任した柘植統弥は、腕利きの部下を右手に抱き、情事の後の気怠さを噛み締めながら、そう思う。

 ベッドサイドの時計を見ると、既に午後11時を回っていた。

 防衛庁で会議を終えたのは六時前。

 そこそこの味のスペイン料理店でディナーを取り、このシティホテルのスィートルームへチェックインしたのが9時頃だから、2時間ぶっ続けで愛し合っていた事になる。
 
「ん~、もう一回、する?」

 統弥の胸に頬を寄せていた黒岩亜紀が、顔を上げ、上目使いで囁いた。

「冗談だろ? 君に最後まで付き合ったら、俺は干上がってミイラになりそうだ」

「金の棺で永久保存してあげる」

 囁いた唇が上へ移動し、統弥の耳たぶを柔らかく噛んだ。





 俺の愛しい怪物さん。

 やたら内規が厳しく、私生活まで管理・拘束される外事情報部にあって、亜紀は奔放な生き方を貫いてきた。恋多き女と後ろ指さされ、本人もそれを否定しない。

 潜入した敵陣において、キーマンに色仕掛けで接近、「マルトク」と呼ばれる情報提供者に仕立て上げた事も一度や二度ではない。
 
 その実績と、常人の域を超える幾つかの「才能」が、彼女を例外的な存在とし、同時に孤立させても来た。おそらく新たな組織でもスタンスは変わるまい。
 
 使いこなせる男は、自分だけだという自負が統弥にはあった。何しろ二人の縁は深くて長い。統弥が警察庁に入る、ずっと前からの付き合いである。
 
 始めは親同士が知人の幼馴染という形。
 
 そして、亜紀が16才の時、最初の男となったのも又……
 
 
 
 
 
「ねぇ、統弥、榎将補の今日の態度、どう思う?」

 二人きりの時、亜紀はいつもファーストネームで呼び捨てにする。甘いムードからいきなり仕事モードへ変わり、統弥を振り回す気まぐれも毎度の事だ。

「シビアなテーマなのに、何かご機嫌だったよね、あの人」

「インテリジェンス・ビュローを取込んで、情報取集から作戦行動まで自律的に行い得る部隊は、榎の念願だ。無理ないだろう。随分前から公安とウチの上層部に働きかけていたし」

「武装テロリストの脅威を思いっきり誇張した上で、でしょ?」

「現にテロは起きた」

「ん~、そりゃまぁ、そうですけど」

 裸の上半身を起こし、亜紀は部屋の窓から六本木の夜景を見下ろした。あまり高いビルではないが、最上階でそれなりに眺望は良くネオンの瞬きが鮮やかに映える。

「……気になる点があるんだな」

「妹がね、交戦したVCのデータを、事前にシミュレーターで見たって言うのよ。こんなに凄い武器、敵は揃えてますよ~って感じになってたって」

「ほう、何処の部署が入手した情報だ?」

「ウチじゃないよね」

「外事で掴んだなら、俺が知らぬ筈はない」

「公安一課に探りをいれてみたんだけど、そっちのネタでもなかったわ」

「じゃあ、何処の?」

 亜紀は両手を広げ、首を傾げて見せる。

「ねぇ……機甲自衛隊だけじゃなく、最近は陸自や空自の中にも、榎のシンパが急速に増えているそうね」

「そも、統合幕僚長の信認が厚いからな」

「笠井さんの謹慎を機に、榎将補の都合で全て動いているみたい」

 浮かない亜紀の顔を見つめ、統弥は以前から胸で燻る疑念を思い起こした。

 品川テロの際、複数の自衛隊基地にサイバー攻撃が行われ、緊急発進を妨害している。だが、基地の管制用コンピューターはスタンドアロン型で、内部のネットワークにしか接続されていない。

 インターネットからの攻撃は不可能。

 だとすると誰かが潜り込んで仕掛けたとしか考えられないが、それについての捜査は進展していなかった。

 内部の敵を洗い出すのが急務なのに、機密漏洩を避けるという名目で自衛隊犯罪捜査服務規則による警務官、つまり身内の捜査しか行われず、警察は手が出せないのだ。
 
「……俺が獅子身中の虫になる」

 統弥の頬に、傲慢なほど不敵な笑みが浮かんだ。

「榎の経歴を見る限り、染み一つ無い立派な代物だが、面従腹背はキャリア官僚の十八番だ。俺が奴の身近に張り付き、化けの皮をひん剥いてやろう」

「経験から言うと、危ないよ、潜入捜査」

「お、心配してくれるの?」

「フフ、他人の旦那がどうなろうと、私の知ったこっちゃない」

 その冷めた口調から、亜紀の本音は伺えなかった。

 恋多き女ではあっても、これまで彼女が恋に流され、判断を誤った記録は無い。良い仲になった情報提供者を、必要とあらば容赦なく切り捨てる。それが亜紀のスタイル。統弥が知る誰よりシビアな女。
 
 多分、俺とも遊びだろうな?

 その自覚が統弥にはあるが、遊びというなら彼も同じだ。家庭を壊す気は微塵も無く、出世の障害にもしたくない。

 只一つだけ、どうしても払拭したい過去のトラウマが胸の奥で疼いていた。





 もう12年も前の事だ。

 統弥が東京大学法学部の学生で、亜紀はまだ高校生……親に隠れて交際を続けていた頃、それは起きた。
 
 黒岩家の三男坊・真希が何者かに誘拐され、身代金の代りに、ある人物を引き渡せとの要求が届いたのだ。
 
 警察への通報を犯人が禁じた為、黒岩轍次は、旧友である自衛官・笠井宗明と、当時、内閣調査室に席を置いていた統弥の父・柘植壮介に助けを求めた。
 
 引渡し要求の対象「ナナ」なる人物について、統弥は良く知らない。黒岩家と深い因縁を持つ女性らしいが、ずっと行方不明で引き渡す術が無い。
 
 当然、交渉は難航した。
 
 何を血迷ったか、犯人グループは密かに黒岩家の長女、次女への接触を試み、巻き込まれる形で統弥まで拉致されてしまう。
 
 真希を監禁していたビルの廃屋には黒衣の不気味な男が二人いて、仲間に指示を出していた。そこで奇妙な機器を頭に装着し、亜紀と美貴が何らかの処置を受けていた光景が、統弥の記憶に焼き付いている。
 
 その後、三人で力を合わせ、ビルからの脱出を試みた。
 
 まず幼い真希を壊れた壁の隙間から逃がす計画だったが、犯人の一人に気づかれ、そいつが銃の引き金を引くと、他の連中も発砲し始めて……
 
 最初に倒れたのは美貴だった。
 
 続いて妹を抱き起そうとした亜紀も撃たれ、血の泥濘が床へ広がっていく。
 
 もう助からない。
 
 土気色になった亜紀の顔を見下ろし、冷たい体に触れて、統弥はそう実感する。
 
 だが、次の瞬間、状況は一変した。
 
 黒鋼のような鈍い色合いに二人の体が染まり、元の肌色に戻ると同時に、立ち上がった亜紀、美貴の瞳が青い炎を宿している。
 
 激しい、怒りの業火だ。
 
 たじろぐ犯人に襲い掛かった少女達の腕力と反射速度は、完全に人間の限界を超え、情け容赦なく荒れ狂う。
 
 気が付いた時には黒衣の男は逃走し、残りの奴らは一人残らず血の海に沈んでいた。
 
 戦いの最中、真希は気を失っている。悪鬼の如く闘う姉の姿に、誘拐犯人に対する以上の恐怖を覚えたようだ。
 
 事件が解決した後も誘拐について世間に報道される事は無く、黒岩家の家族や事情を知る従業員も轍次の要望で口を閉ざしたから、真希は悪夢の中の幻としか当時の事を覚えていないと言う。
 
 その時の統弥も又、心底怯えていた。
 
 自分の知性や勇気を過信していた分、それが意味をなさない現実に、どう対応すれば良いか見当もつかない。
 
「……来るな、化け物!」

 亜紀が側へ駆け寄ってきた時、統弥は咄嗟に絶叫し、ビルから逃げ出した。

 あの時、何度も彼の名を呼んだ亜紀は、どんな顔をしていたのだろう? 一度だけでも後ろを振り向いておけば良かった。





 以降の記憶は、少々混濁している。

 何一つ危機に対処できなかった無力感、恐れで醜く歪んだ顔を見られた屈辱感が心の傷になり、早く忘れてしまいたかったのだろうと、自分でも思う。
 
 それから8年後、互いに一度も連絡を取らなかった亜紀と、統弥は職場で再会を果たした。

 「化け物」と呼んだ初恋の相手に何の屈託もなく亜紀は接し、男女の関係に戻るのにも大した時間は掛からなかった。

 父と同じ諜報の世界へ身を置くようになって、彼女の持つ「力」は最早、恐怖の対象ではない。むしろ、得難い切り札に思えた。

 人並み外れた統弥の自尊心を満足させ、権力の中枢へ駆け上がる為の道具だ。
 
「俺の可愛い怪物さん」

 そう耳元で囁くと、亜紀は両手を統弥の背中へ回し、豊かな乳房を押し付けてくる。

 今の亜紀が、本音の部分で自分をどう思っているのか、それはわからない。
 
 遊びの相手か、弄ぶ玩具か……?
 
 もしかしたら、家庭を壊して、昔の意趣返しでもしたいのかもしれない。
 
 妻・直美の父親は警察庁の首席監察官という重職についており、もし離婚となれば、統弥の栄達への道は絶たれるだろう。
 
 だからこそ、弄ばれる前に利用する。
 
 無力感も、屈辱も、二度と味わいたくはない。
 
 榎将補も同じだ。陰謀を暴いて手柄になるなら良し。弱みを握っておき、後ろ盾にするのも、それはそれで悪くない。
 
 
 
 
 
 そろそろ家へ帰らなきゃ。息子はとっくに寝ているだろうが……

 蘇る欲望のまま、亜紀を貪る統弥の胸中で昔、彼女の前から逃げ出した時と寸分変わらぬ打算が蠢いていた。
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