狂乱令嬢ニア・リストン

南野海風

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402.ハーバルヘイムと交渉する 最終日 向こう側

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「う……」

 ――胃が痛くなってきた。

 状況を確認していく内に、ハーバルヘイム王国の王妃シャエナは、床に伏していた時より顔色が悪くなっていた。

 青から始まり。
 もう血の気が引きすぎて、白くなってきている。綺麗な蒼白の移り変わりである。

「シャエナ様……」

 専属の侍女が心配そうに声を上げるが、ここでやめるわけにはいかない。耳を塞ぐことはできないし、逃げることもできない。

 王妃として、国母として、どうしたって避けられない問題なのである。
 正直、まだ病気ということにして寝込んでしまいたいくらいだが……きっと、今この辺で手を打たないと、手遅れになると思う。

 何せ本人・・が忠告に来たくらいだ。
 向こう側からしても、色々と想定外のことが多々起こっているのだと思う。

 そもそも――これほど最悪の状況だとは思いも寄らなかったし、これほど最悪の状況でもまだ「交渉」として場が生きていることを、奇跡だと思う。

 いや、奇跡というか。

 向こう側も落とし処・・・・を探しているのだろう。
 だから直接会いに来たのだ。

「……続けなさい」

 離宮に呼んだ文官と暗部から、今城で何が起こっているかの続きを促す。彼らは王妃が個人的に信頼を寄せている者たちである。

 今日は、四日目だそうだ。
 交渉期間は五日を設けられており、毎日なんらかのやり取りをしている、そうだ。

 ……その交渉の詳細がひどいの一言で、戸惑いしかないのだが。

 シャエナは、病に伏せっている間に、ハーバルヘイム城で問題が起こっていたことは知っていた。
 なんでも賊が乗り込んできて居座っているとか、よくわからない報告だけは耳に入っていた。

 さっぱり状況がわからず、夫にして国王であるルジェリオンに事情を尋ねる文を出したのだが……
 返答は「問題ない。こっちは任せてゆっくり病を治せ」とだけ書かれており、結局実情はまったくわからなかった。

 ルジェリオンは、国王としてはそれなりに優秀だ。
 大きく国益を損なうような下手を打つタイプではない。

 そんな夫が問題ないというなら、その程度の問題なのだろうと、そう思っていた。

 その程度の問題?
 そんなわけがあるか。

「だ、大丈夫ですか? 病み上がりなのでしょう?」

 どんどん顔色が悪くなり、表情もどんどん不機嫌になり不安に視線が揺れ動く……報告を聞くにつれ可哀想なくらい動揺している王妃に、文官が一時報告をやめて声を掛けるが。

「いいから続けなさい」

 王妃は報告を続けろと答えた。

 夫を信用しすぎていたということか。
 あるいは、王妃としての責務と義務を怠っていたということか。

 ――知らない間に第七王子が使い捨ての駒にされ、知らない間に他国に迷惑を掛け、知らない間に国交問題が起こっていて。

 ――知らない間に、絶対に怒らせてはいけない者を怒らせた。

 更には、昨日までの三日の交渉で、まあロクな対応をしていない。交渉なんて名ばかりで、露骨に命を狙いに行っているという愚行。

 確かに本人・・が言うように「話にならない」と、シャエナも思う。

 それでも、なんとかすべての報告を呑み込み、重い溜息を吐く。

 気を静めようと窓の外を見る。
 雨が降っている。

 今頃は、四日目の交渉が行われているはずだ。
 なんでも演習場を使って、今動かせる全軍をぶつけるとかなんとかいう、更なる愚行を重ねているのだとか。

 恐らく、それも突破されるだろうなと、シャエナは思う。

「――し、失礼します! 大変です!」

 そんなことを考えている間に、演習場を見に行かせていた侍女が、血相を変えて部屋に駆け込んできた。

 礼儀だなんだと注意する前に、その必死な表情が気になり……聞きたくないが、報告をするよう命じる。

 そして、演習場で起こった一事を聞き――

「……ふう……」

 王妃は、大きく息を吸い、吐いた。

 もういい。
 そう判断せざるを得なくなった今、ようやく気が楽になった。

「あなたたち、再就職先の希望はある? どこがいい?」

「「えっ」」

 王妃は悟った。
 もう国王夫妻の退陣は最低限の決定事項だな、と。 

 あとは、どれだけハーバルヘイムの権利を守れるか……
 それが国母としての最後の仕事となるだろう。




 交渉五日目。

「すまぬ、すまぬ……」

 見るからに憔悴しているルジェリオンは、久しぶりに顔を見せたシャエナに何度も詫びた。

 見たことがない顔だ。
 王と王妃という特殊な形ではあるが、夫婦として長い付き合いになる。それでもルジェリオンのこんな顔は見たことがない。

 色々と報告を聞く――心が完全に折れたのだろう。

「がんばりましたね」

 ルジェリオンもわかっていたようだ。
 これだけの失態が続けば、もはや玉座を追われることは確定だということを。

「一緒に責任を取りましょう。私も一緒に死んで上げますから、王子と王女こどもたちの命だけは助かるよう話を付けましょう」

「……すまぬ」

 王妃の言葉に、少しだけ救われた。
 弱々しい笑顔を浮かべたルジェリオンは、長く連れ添い支え合って来た妻をエスコートし、謁見の間に入る。

 そして――テーブルを担いだニア・リストンがやってきた。




 やはりそう上手くは行かないか。

「……わかりました。書類上は廃嫡と追放はなされていますが、問題を起こした時はまだハーバルヘイムの王子でした。それは認めましょう」

 無理だとは思っていた。
 原因となった事件は、第七王子アルコットの独断で行ったことであり、ハーバルヘイムには関係ない。

 ――自分でも無理があると思ったし、実際それは通らなかった。

 アルコットには悪いが、国を守るために完全に切り捨ててなんとかならないかと思ったが、さすがに甘かった。
 
 側室の子供とは言え、仲が悪かったわけではないし、まだ十歳の子供である。
 ひどいことを言っている自覚はあるが、それでも国を守るためには必要なことだった。

 さすがに通用しなかったが。

「ニア。アルコットが起こした凶行、親として謝罪いたします。あなたとあなたの国、そしてあなたの家族を危険な目に遭わせたこと、申し訳ありませんでした」

 椅子から立ち上がり、しっかりと頭を下げる。

 テーブルと椅子を持ち込んできて座っているニア・リストンの後ろ、まだまだ増え続ける観覧者の前での行動だ。

 もう、取り返しがつかない。

 王妃がここまでやった以上、ハーバルヘイムは己が非を認めたと、誰の目にも明らかになった。

 だが、もういいのだ。
 玉座を降りることが確定している今、そんなことは大した問題ではない。

 そんな王妃に、ニア・リストンは満足げに笑った。

「やっと始められるわね」

 そうだ。
 彼女がしたかった交渉は、ここからがスタートラインである。これまではまだ始まってもいなかったのだ。

「率直に問います。あなたの要求はなんですか?」

 聞くのは怖いが、聞かざるを得ない。
 まさか「国そのもの」だとか「王族全員の命」だとか言わないといいが……

 ニア・リストンは、まず宝物庫を所望したという。
 だが三日目の交渉では、宝物庫の中身に不満があるとして、取引は成立しなかったらしい。それでも宝物庫には五十億クラムにはなろうという財産があったはずだが……

 その辺を踏まえると、目的は金ではなさそうだ。

「まず問題をはっきりさせましょう」

 と、ニア・リストンはテーブル越しにやや前のめりになる。

「王妃は私がここに来た理由、わかる?」

「あなたの家族に対する危険への補償と慰謝料、という話だと伺っています」

「そう。そしてそれをする理由は、二度とあんなことが起こらないようにするため。だから中途半端な慰謝料を貰って遺恨が残るくらいなら、私はこの国を潰してもいいと思っている」

 観覧者たちがざわつくが、王妃たちの方は静かである。

 ――ニア・リストンの言葉は本気であり、またそれを実行する力があることを、ずっと証明してきているからだ。

「あなたには始めて言うわね。――私の家族は、この国より重いのよ」

 そうだろうな、と王妃は思う。
 そうじゃなければ今ここに彼女はいないだろう。

「家族を助けるためなら世界中だって敵に回すし、国だって潰す。家族の危機になると思えば聖職者だって聖女だって無罪の善人だって私は殺せるわ。
 でもね、家族はきっと、そこまでは求めていないのよ。だから私も落とし処・・・・がほしい。
 そのための交渉期間だったんだけど……掛かったわねぇ、時間」

「まだ遅くはないでしょう?」

「そう? 冬休みが終わる前にウーハイトンに帰りたいのよね」

「間に合わせます」

「そう……じゃあ、そうね。――ハーバルヘイムの国土の半分を貰いましょう」

「負けなさいよ」

 即座に返された王妃のらしくない一言に、ニア・リストンはニヤリと笑った。

「あら。王妃の仮面は外れたの?」

「こっちの方があなた好みでしょう? 半分は盗りすぎだわ。負けなさいよ」

「そうね。王妃ではなく、ただの子供の親に言われたなら、多少は聞かないとね」


 

 この四日の難航具合が嘘のように、五日目の交渉は順調に進んだ。
 


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