403 / 405
402.ハーバルヘイムと交渉する 最終日 向こう側
しおりを挟む「う……」
――胃が痛くなってきた。
状況を確認していく内に、ハーバルヘイム王国の王妃シャエナは、床に伏していた時より顔色が悪くなっていた。
青から始まり。
もう血の気が引きすぎて、白くなってきている。綺麗な蒼白の移り変わりである。
「シャエナ様……」
専属の侍女が心配そうに声を上げるが、ここでやめるわけにはいかない。耳を塞ぐことはできないし、逃げることもできない。
王妃として、国母として、どうしたって避けられない問題なのである。
正直、まだ病気ということにして寝込んでしまいたいくらいだが……きっと、今この辺で手を打たないと、手遅れになると思う。
何せ本人が忠告に来たくらいだ。
向こう側からしても、色々と想定外のことが多々起こっているのだと思う。
そもそも――これほど最悪の状況だとは思いも寄らなかったし、これほど最悪の状況でもまだ「交渉」として場が生きていることを、奇跡だと思う。
いや、奇跡というか。
向こう側も落とし処を探しているのだろう。
だから直接会いに来たのだ。
「……続けなさい」
離宮に呼んだ文官と暗部から、今城で何が起こっているかの続きを促す。彼らは王妃が個人的に信頼を寄せている者たちである。
今日は、四日目だそうだ。
交渉期間は五日を設けられており、毎日なんらかのやり取りをしている、そうだ。
……その交渉の詳細がひどいの一言で、戸惑いしかないのだが。
シャエナは、病に伏せっている間に、ハーバルヘイム城で問題が起こっていたことは知っていた。
なんでも賊が乗り込んできて居座っているとか、よくわからない報告だけは耳に入っていた。
さっぱり状況がわからず、夫にして国王であるルジェリオンに事情を尋ねる文を出したのだが……
返答は「問題ない。こっちは任せてゆっくり病を治せ」とだけ書かれており、結局実情はまったくわからなかった。
ルジェリオンは、国王としてはそれなりに優秀だ。
大きく国益を損なうような下手を打つタイプではない。
そんな夫が問題ないというなら、その程度の問題なのだろうと、そう思っていた。
その程度の問題?
そんなわけがあるか。
「だ、大丈夫ですか? 病み上がりなのでしょう?」
どんどん顔色が悪くなり、表情もどんどん不機嫌になり不安に視線が揺れ動く……報告を聞くにつれ可哀想なくらい動揺している王妃に、文官が一時報告をやめて声を掛けるが。
「いいから続けなさい」
王妃は報告を続けろと答えた。
夫を信用しすぎていたということか。
あるいは、王妃としての責務と義務を怠っていたということか。
――知らない間に第七王子が使い捨ての駒にされ、知らない間に他国に迷惑を掛け、知らない間に国交問題が起こっていて。
――知らない間に、絶対に怒らせてはいけない者を怒らせた。
更には、昨日までの三日の交渉で、まあロクな対応をしていない。交渉なんて名ばかりで、露骨に命を狙いに行っているという愚行。
確かに本人が言うように「話にならない」と、シャエナも思う。
それでも、なんとかすべての報告を呑み込み、重い溜息を吐く。
気を静めようと窓の外を見る。
雨が降っている。
今頃は、四日目の交渉が行われているはずだ。
なんでも演習場を使って、今動かせる全軍をぶつけるとかなんとかいう、更なる愚行を重ねているのだとか。
恐らく、それも突破されるだろうなと、シャエナは思う。
「――し、失礼します! 大変です!」
そんなことを考えている間に、演習場を見に行かせていた侍女が、血相を変えて部屋に駆け込んできた。
礼儀だなんだと注意する前に、その必死な表情が気になり……聞きたくないが、報告をするよう命じる。
そして、演習場で起こった一事を聞き――
「……ふう……」
王妃は、大きく息を吸い、吐いた。
もういい。
そう判断せざるを得なくなった今、ようやく気が楽になった。
「あなたたち、再就職先の希望はある? どこがいい?」
「「えっ」」
王妃は悟った。
もう国王夫妻の退陣は最低限の決定事項だな、と。
あとは、どれだけハーバルヘイムの権利を守れるか……
それが国母としての最後の仕事となるだろう。
交渉五日目。
「すまぬ、すまぬ……」
見るからに憔悴しているルジェリオンは、久しぶりに顔を見せたシャエナに何度も詫びた。
見たことがない顔だ。
王と王妃という特殊な形ではあるが、夫婦として長い付き合いになる。それでもルジェリオンのこんな顔は見たことがない。
色々と報告を聞く――心が完全に折れたのだろう。
「がんばりましたね」
ルジェリオンもわかっていたようだ。
これだけの失態が続けば、もはや玉座を追われることは確定だということを。
「一緒に責任を取りましょう。私も一緒に死んで上げますから、王子と王女の命だけは助かるよう話を付けましょう」
「……すまぬ」
王妃の言葉に、少しだけ救われた。
弱々しい笑顔を浮かべたルジェリオンは、長く連れ添い支え合って来た妻をエスコートし、謁見の間に入る。
そして――テーブルを担いだニア・リストンがやってきた。
やはりそう上手くは行かないか。
「……わかりました。書類上は廃嫡と追放はなされていますが、問題を起こした時はまだハーバルヘイムの王子でした。それは認めましょう」
無理だとは思っていた。
原因となった事件は、第七王子アルコットの独断で行ったことであり、ハーバルヘイムには関係ない。
――自分でも無理があると思ったし、実際それは通らなかった。
アルコットには悪いが、国を守るために完全に切り捨ててなんとかならないかと思ったが、さすがに甘かった。
側室の子供とは言え、仲が悪かったわけではないし、まだ十歳の子供である。
ひどいことを言っている自覚はあるが、それでも国を守るためには必要なことだった。
さすがに通用しなかったが。
「ニア。アルコットが起こした凶行、親として謝罪いたします。あなたとあなたの国、そしてあなたの家族を危険な目に遭わせたこと、申し訳ありませんでした」
椅子から立ち上がり、しっかりと頭を下げる。
テーブルと椅子を持ち込んできて座っているニア・リストンの後ろ、まだまだ増え続ける観覧者の前での行動だ。
もう、取り返しがつかない。
王妃がここまでやった以上、ハーバルヘイムは己が非を認めたと、誰の目にも明らかになった。
だが、もういいのだ。
玉座を降りることが確定している今、そんなことは大した問題ではない。
そんな王妃に、ニア・リストンは満足げに笑った。
「やっと始められるわね」
そうだ。
彼女がしたかった交渉は、ここからがスタートラインである。これまではまだ始まってもいなかったのだ。
「率直に問います。あなたの要求はなんですか?」
聞くのは怖いが、聞かざるを得ない。
まさか「国そのもの」だとか「王族全員の命」だとか言わないといいが……
ニア・リストンは、まず宝物庫を所望したという。
だが三日目の交渉では、宝物庫の中身に不満があるとして、取引は成立しなかったらしい。それでも宝物庫には五十億クラムにはなろうという財産があったはずだが……
その辺を踏まえると、目的は金ではなさそうだ。
「まず問題をはっきりさせましょう」
と、ニア・リストンはテーブル越しにやや前のめりになる。
「王妃は私がここに来た理由、わかる?」
「あなたの家族に対する危険への補償と慰謝料、という話だと伺っています」
「そう。そしてそれをする理由は、二度とあんなことが起こらないようにするため。だから中途半端な慰謝料を貰って遺恨が残るくらいなら、私はこの国を潰してもいいと思っている」
観覧者たちがざわつくが、王妃たちの方は静かである。
――ニア・リストンの言葉は本気であり、またそれを実行する力があることを、ずっと証明してきているからだ。
「あなたには始めて言うわね。――私の家族は、この国より重いのよ」
そうだろうな、と王妃は思う。
そうじゃなければ今ここに彼女はいないだろう。
「家族を助けるためなら世界中だって敵に回すし、国だって潰す。家族の危機になると思えば聖職者だって聖女だって無罪の善人だって私は殺せるわ。
でもね、家族はきっと、そこまでは求めていないのよ。だから私も落とし処がほしい。
そのための交渉期間だったんだけど……掛かったわねぇ、時間」
「まだ遅くはないでしょう?」
「そう? 冬休みが終わる前にウーハイトンに帰りたいのよね」
「間に合わせます」
「そう……じゃあ、そうね。――ハーバルヘイムの国土の半分を貰いましょう」
「負けなさいよ」
即座に返された王妃のらしくない一言に、ニア・リストンはニヤリと笑った。
「あら。王妃の仮面は外れたの?」
「こっちの方があなた好みでしょう? 半分は盗りすぎだわ。負けなさいよ」
「そうね。王妃ではなく、ただの子供の親に言われたなら、多少は聞かないとね」
この四日の難航具合が嘘のように、五日目の交渉は順調に進んだ。
30
お気に入りに追加
511
あなたにおすすめの小説
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
迷い人と当たり人〜伝説の国の魔道具で気ままに快適冒険者ライフを目指します〜
青空ばらみ
ファンタジー
一歳で両親を亡くし母方の伯父マークがいる辺境伯領に連れて来られたパール。 伯父と一緒に暮らすお許しを辺境伯様に乞うため訪れていた辺境伯邸で、たまたま出くわした侯爵令嬢の無知な善意により 六歳で見習い冒険者になることが決定してしまった! 運良く? 『前世の記憶』を思い出し『スマッホ』のチェリーちゃんにも協力してもらいながら 立派な冒険者になるために 前世使えなかった魔法も喜んで覚え、なんだか百年に一人現れるかどうかの伝説の国に迷いこんだ『迷い人』にもなってしまって、その恩恵を受けようとする『当たり人』と呼ばれる人たちに貢がれたり…… ぜんぜん理想の田舎でまったりスローライフは送れないけど、しょうがないから伝説の国の魔道具を駆使して 気ままに快適冒険者を目指しながら 周りのみんなを無自覚でハッピーライフに巻き込んで? 楽しく生きていこうかな! ゆる〜いスローペースのご都合ファンタジーです。
小説家になろう様でも投稿をしております。
【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。
BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。
辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん??
私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?
【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革
うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。
優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。
家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。
主人公は、魔法・知識チートは持っていません。
加筆修正しました。
お手に取って頂けたら嬉しいです。
【完結】白い結婚で生まれた私は王族にはなりません〜光の精霊王と予言の王女〜
白崎りか
ファンタジー
「悪女オリヴィア! 白い結婚を神官が証明した。婚姻は無効だ! 私は愛するフローラを王妃にする!」
即位したばかりの国王が、宣言した。
真実の愛で結ばれた王とその恋人は、永遠の愛を誓いあう。
だが、そこには大きな秘密があった。
王に命じられた神官は、白い結婚を偽証していた。
この時、悪女オリヴィアは娘を身ごもっていたのだ。
そして、光の精霊王の契約者となる予言の王女を産むことになる。
第一部 貴族学園編
私の名前はレティシア。
政略結婚した王と元王妃の間にできた娘なのだけど、私の存在は、生まれる前に消された。
だから、いとこの双子の姉ってことになってる。
この世界の貴族は、5歳になったら貴族学園に通わないといけない。私と弟は、そこで、契約獣を得るためのハードな訓練をしている。
私の異母弟にも会った。彼は私に、「目玉をよこせ」なんて言う、わがままな王子だった。
第二部 魔法学校編
失ってしまったかけがえのない人。
復讐のために精霊王と契約する。
魔法学校で再会した貴族学園時代の同級生。
毒薬を送った犯人を捜すために、パーティに出席する。
修行を続け、勇者の遺産を手にいれる。
前半は、ほのぼのゆっくり進みます。
後半は、どろどろさくさくです。
小説家になろう様にも投稿してます。
転生したら死んだことにされました〜女神の使徒なんて聞いてないよ!〜
家具屋ふふみに
ファンタジー
大学生として普通の生活を送っていた望水 静香はある日、信号無視したトラックに轢かれてそうになっていた女性を助けたことで死んでしまった。が、なんか助けた人は神だったらしく、異世界転生することに。
そして、転生したら...「女には荷が重い」という父親の一言で死んだことにされました。なので、自由に生きさせてください...なのに職業が女神の使徒?!そんなの聞いてないよ?!
しっかりしているように見えてたまにミスをする女神から面倒なことを度々押し付けられ、それを与えられた力でなんとか解決していくけど、次から次に問題が起きたり、なにか不穏な動きがあったり...?
ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...?
不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。
拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。
小説家になろう様でも公開しております。
異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです
ぐるぐる
ファンタジー
前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。
転生した時に感情を欠落したのか、生まれた時から心が全く動かない。
前世の記憶を頼りに善悪等を判断。
貧民街の狭くて汚くて臭い家……家とはいえないほったて小屋に、生まれた時から住んでいる。
2人の兄と、私と、弟と母。
母親はいつも心ここにあらず、父親は所在不明。
ある日母親が死んで父親のへそくりを発見したことで、兄弟4人引っ越しを決意する。
前世の記憶と知識、魔法を駆使して少しずつでも確実にお金を貯めていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる