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371.アルトワールアンテナ島開局セレモニー 10
しおりを挟む「嫌です」
その切れの良い一言、揺るぎない表情。
どこまでも本気である。
「ごめんなさい、ちょっとよく聞こえなかったわ」
ニアは微笑む。
「――もう一度言うわね? カメラを頼みたいの」
「――嫌ですっあっ、ちょっとっ。暴力はっ」
「――これは暴力じゃなくて教育。だって忘れたんでしょ? 色々と。私とあなたの関係を。思い出してもらうための教育よ」
などと、超特大魔晶板が設置された広場の隅でごちゃごちゃやっているのは、ニア・リストンと、ニール専属侍女であるリネットである。
ニアに対するリノキスと同じく、ニールに付きっきりであるリネットとは、職業柄なかなか会う機会がなかった。
――そのおかげで、リネットは少々、己の立場を忘れてしまっていたようだ。
誰が誰の師で、己が誰の弟子なのか。
「手を抜いていなかったのは評価するけど、今の状況で反抗は許さない」
留学だの生活環境の違いなどで、ほとんど基礎だけ教えてほったらかしという体だったリネットだが。
意外や意外、かなり真面目に教えられた「八氣」の修行だけはしていたらしい。
何せサボり気味のリノキスと、ほぼ同格である。
意外なところで意外な人材が育っていたものだ。
「嫌ですっ。私は常にずっとこの先もずっとニール様の傍にいてニール様を絶対守るんですっ」
「守ればいいわ。今は違うことをしろと言っているだけ。時間がないから手短にいきましょう」
「やだっ! やだっ!!」
喚くリネットを、ニアは教育のために人目の付かない場所へ引きずっていく。
体格差は歴然で、リネットは身体を傾け体重を乗せて抵抗しているのに、ニアは意に介さぬ腕力で抵抗感なさそうな速度である。
そんな二人を、なんとも言えない遠い目で見送るのはニールである。
リネットの過保護は常だが、ニールの剣の師匠とも言える強者でもあるのだ。まだまだ彼女の方が強い。
そんなリネットを、平然と引きずっていく妹。
その脅威はいかほどか。
というか、いつも冷静沈着な専属侍女のあの取り乱しっぷりはなんなんだ。
――そんな少々の騒ぎが気にならないほど、ここら一帯は大騒ぎである。
各領の撮影班たちが、大急ぎで撮影の準備をしているのだ。
怒号に似た指示の声に、まだまだ下積みらしき若い連中が右往左往している。
「ニール様」
物陰の方へ向かった二人から視線を移すと、大人たちと一緒にアーレス王太子の指示を聞いてきたヒルデトーラがいた。
「聖女様がここら一帯に結界を張るそうです。あまり大型魔晶板から離れないようにしてください」
「わかりました」
不意に、大騒ぎが一瞬止まった。
気が付けば、全員が空を見上げていた。
そして言葉を失っていた。
――十を超える数の水晶竜が、星空の下で、望遠鏡もなしに肉眼で確認できたからだ。
その少し前。
移動のタイミングが少しずれていたせいで、要人の大人たちと子供たちが別々の場所に集まっていた。
それを好機と、アーレスは今の内に、移動中に考えていた計画を動かすことにした。
まだ子供たちは移動した理由を知らない。
そびえる巨大な魔晶板を前に、自分たちの親がぞろぞろやってきたことで、ただただ楽しいことが起こり、驚かされる期待をしているのみ。
まさか大型魔獣が襲ってくるだなんて、微塵も思っていないのだ。
――その真実は、親から語ってもらうとして、だ。
「聖女殿、この辺一帯だけでいい。結界をお願いできるだろうか」
アーレスはまず、聖王国アスターニャから来ている聖女フィリアリオに交渉を持ち掛けた。
「港にいる船乗りたちには、ここに集まるよう指示を出している。ここが安全なら、人命の被害は最小限となるはずだ」
「そうですね。異論はありません」
フィリアリオとしても、その判断は納得できる。
だが、一つ問題がある。
「寄進は後程させてもらう。今は緊急ゆえ口約束になってしまうが」
聖女の力は、無償ではない。
長年に渡る厳しい修行で、心も身体も魔力も鍛えてきた。その努力の結晶である神聖魔法は、決して安売りはしない。
結論を言うと、聖女を育てるのも金がいる、だから払え、と。
聖王国はそういう主張の下に動いているわけだ。
「いえ、今回は寄進は必要ありません」
フィリアリオのその言葉には、周りで聞いていた各国の要人も、常に傍に控える護衛の聖騎士ライジも驚いた。
聖女の力の安売りは、聖王国アスターニャ全体の問題に関わってくる。
俗な言い方をするなら、値引きには応じないのである。
こういう前例を作ると、今後ずっと値引きを要求され、最悪これからの聖女の力が安くなっていくから。
それがわからないフィリアリオではない。
駆け出しではなく、もう引退寸前のベテランなのだ。
「今ここには大勢の子供たちがいるでしょう? 自然災害に近い魔獣被害に対して、大人の都合を持ち出すのは野暮です。
子供たちを守るついでですから、お気になさらず」
大人の都合を出さない、大人の意見である。
「――よう言うた!」
と、大声を上げて同意したのは、先程見事な飛び蹴りを食らった氷上エスティグリア帝国の元騎士団長ダンダロッサ・グリオンである。
「アスターニャの聖女は金にがめつい女狐ばかりだと思っておったわ! いや見直した!」
「あら? そうですか? ウフフ。ウフフフフフ」
笑顔で応じるフィリアリオだが――目はまったく笑っていない。
「アーレス殿下。わしも討伐に参加していいかの? 水晶竜なら祖国で何度か狩ったことがある」
それに気づいているのかいないのか、ダンダロッサは聖女に構わず、止めても聞かないであろう闘志むき出しでアーレスに詰め寄る。
「あ、そういうことなら私も」
次いで出てきたのは、マーベリアのクランオール姫である。
「私を含め、マーベリアは戦う王族が多いですから。ぜひ参加させてください」
――つい最近まで、あらゆる外国との交流を控えていた機兵王国マーベリアは、今はとにかく諸外国に名前と顔を売ることに力を入れている。
「ここに機兵はないぞ? お嬢さん」
「お気になさらず。最近はあまり機兵に乗っていませんので」
「……」
セレモニー主催側としては、できることなら外国の要人が矢面に立つような真似はしてほしくない。
万が一があれば国際問題だ。
――だが。
「戦力が増えるのは大歓迎です。よろしくお願いします」
その名乗り出た瞬間を、己の意思で志願した姿を証拠として残せるのであれば、話は別だ。
――すでにこの状況は撮影されているのである。
この先何があろうと、すべては自己責任。
映像としての証拠があれば、それで押し通せるだろう。
アンテナ島で最終的な準備が進んでいる頃。
「十、十一、十二……か。なかなか多いな」
少し離れた島の上空に、一隻の中型軍用船が浮かんでいた。
「アーレス殿下の話では、空は安全ということだったが……さすがに気が休まる光景とは言えんな」
最低限の船員と一緒に乗っているのは、ヴァンドルージュの陸軍総大将ガウィン。ガードと、空軍総大将カカナ・レジーシンである。
「奴らが上陸したら話し通り、しなかったら話と違う。見分けがつくんだから大丈夫だよ」
「……貴王国の『神獣召喚』で呼ばれたらしいな?」
「んー、まあ、あんまりそういうの考えないでさ。後始末は全部アルトワールに任せようよ」
「……そうだな。せっかくの記念すべき日を潰されたアルトワールこそが一番怒っていい立場だしな」
――彼らは、いざという時の備えで先行していた。
いざという時は要人たちを乗せて逃げるための救命船であり、また水晶竜が逃げようとした時の牽制射撃を行うための布石だ。
瀕死になった魔獣は、「神獣召喚」の指示を聞かずに本能的に逃げようとする。
アルトワールが秘法「神獣召喚」を知っていたように、彼らもある程度は知っていたのだ。
「……まあリリーがいれば大丈夫だろうけど」
「何か言ったか?」
「カカナちゃん今日も可愛いねって」
「寝言は寝て言え――そろそろだ」
低速で飛んでくる十二体の大型魔獣は、いよいよアンテナ島の上空に差し掛かっていた。
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