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334.閑話 鳳凰学舎にて
しおりを挟む――武客がやってくる。
――ここ十年以上いなかった、武客がやってくる。
どこかから落とされた一滴の噂は、まるで香水のように気高く匂い立ち、また香しく国中に広まった。
そしてその匂いは、武闘家たちを本能でも理性でも惹き寄せる。
武を志す者が多いウーハイトンにおいて、「強い者」とは常に興味と関心と羨望の的である。
武客とは、国の支配者たる皇帝が呼ぶほどの存在である。
一国の主が迎えたいと思うほどの強者である。
実際に記録に残る武客たちは、その時代においてウーハイトンで最強か、それに近い存在だった。
そして、ウーハイトンの武闘家たちを一段も二段も高みに育ててくれた存在でもあった。その価値だけでも、長い目で見れば国一つが買えるほどの財産となったと、国の中枢は確信している。
――とまあ、こんな前情報があるのだ。
この国において、武客を気にしない武闘家など存在しない。
特に、肉体も技も心も未熟であるがゆえに、強さに対する気持ちと想いだけは一際強い若人には、どうしたって無視できない存在である。
鳳凰学舎において、憧れの武客の噂は、本当に一瞬で広まった。
朝誰かが囁いたそれは、午前中の内に学校内の誰しもが知る情報となり、権力者や資産家の子息子女らはすぐに家に真偽の確認と、更なる情報を探すよう命じた。
どうやら武客が来るのは本当のことらしい。
そんな確証に近い情報から、次々に無視できない情報まで入ってくる。
――今度の武客は女。
――無手での戦いを得意とし。
――蒼い炎を繰る、誰も聞いたことがない拳法を使うという。
聞けば聞くほど鳳凰学舎の子供たちは夢中になり、一度でいいから手合わせを願いたいと誰もが思っていた。権力だって金だっていくら積んでも惜しくないと。
そこに、最後にして最大の、子供たちが熱狂に近いレベルで興奮する一報が入る。
――今度の武客は十二歳の少女で、この鳳凰学舎に通う留学生だ、と。
「何!? 八掌拳のグンジがやられただと!?」
そして、生涯でこれほど「夏休みが早く終われ」と思ったことはなかった夏休みが終わり、待ち遠しいにも程があった二学期が始まる。
噂の武客ニア・リストンが、本当に鳳凰学舎へやってきた。
――多くの者が首を傾げた。
白い髪が特徴的な、大人しそうな普通の女の子だった。
取り立てて強そうには見えない。気が強そうにも見えないし、強そうには全然見えない。上背があるわけでもないし、強そうどころかむしろ弱そうという意見さえある。強そうか弱そうか意見を募れば弱そうに傾きそうなほどに強そうには見えない。ただの弱そうな普通の貴族のご息女のようだった。強いことが罪だと言うなら実質無罪と言えるのではないかという佇まいで、本当にただの子供のようだった。
強すぎるがゆえの弊害であった。
あまりにも高度すぎる次元にいるニア・リストンの強さが、まだまだ未熟な学生たちにはまったくわからないのだ。
筋力でも体格でも、体重でも、もしかしたら技でさえ関係ない、武術の極みに近い次元にいるニア・リストンは、もはや見た目だけで推し量れる存在ではないことに気づいていないのである。
その結果――鳳凰学舎の武における上位カーストたちは、「とりあえず様子を見よう」とという方向で意見をまとめた。
前情報が大袈裟すぎた。
「子供にしては強い」という方向での武客だった。
そんな感じで納得し、弱そうにしか見えない女の子に、留学して早々にケンカを吹っ掛けるような真似はやめておこうと。そう決めたのだが――
「バカな……奴は十二歳でありながら八掌拳の師範代代理だぞ!?」
そんな二学期二日目の朝。
朝早くから招集を掛けられた鳳凰学舎生徒会室には、七名の生徒会役員たちがいた。
学級長をまとめている生徒会役員サレンが騒いでいる中、生徒会副会長メランが眠そうな顔で横槍を入れた。
「というか、グンジはなんで仕掛けたの?」
六年生の学級長である八掌拳の使い手グンジは、いずれは生徒会役員になるだろうと誰もが目していた、歳不相応に強い少年だ。十年に一人の天才とさえ言われていた。
生徒会及び学級長……いわゆる鳳凰学舎のカースト勢は、ひとまず様子見ということで、ニア・リストンには触れないよう規制を敷いていた。
それは六年生……ニア・リストンと同学年の学級長であるグンジにも、ちゃんと伝わっていたはずだ。
「あの子は一際武客に期待してましたから……恐らく見てがっかりして、失望が怒りに変わったのでしょう」
と、情報を持ってきた生徒会役員オレスが答える。
強い強いと聞いていたのに、やってきたのは弱そうな女の子だった。
ひたすら純粋に強さを追い求める幼い武闘家として、その期待を裏切ったニア・リストンは、どうしても腹に据えかねたのだ。
勝手に期待して勝手に怒って。
ニア・リストンにとってはただの八つ当たりである。迷惑極まりない。
が――
「で、グンジが返り討ちにあったの?」
「らしいです。ただ、本人から聞いたんですが、はっきりしないみたいで……」
「はっきりしない?」
「はい。気が付いたら意識を失い、保健室にいたと。教師立ち合いで挑んだことまでは覚えているけどそれ以降が思い出せないと。特に怪我もしていないし、やられたのかどうかさえわからないと言っていました。
で、その立ち合った教師にも話を聞いたところ、間違いなく拳一発でやられたそうです」
――なるほど、とこの場の半数が納得した。
弱そうでも武客は武客。
武客としては年相応には強いのだろうと考えた。
「会長、どうします? 正式な立会人がいた上でグンジを倒したのなら、六年生の学級長はニア・リストンになりますが」
学級長は学年一強い者がなるもので、それは生徒会を通じて生徒のまとめ役になることでもある。
正式に学級長になったのであれば、ここに呼んで生徒会と顔を繋いでおく必要がある。
のだが……
「様子を見る」
生徒会長であり、現皇帝の弟の息子であるランジュウは、そう判断を下した。
「まだニア・リストンのことがわからない。追々見えてくることもあるだろう。――そもそもグンジに勝ったのでさえ、まぐれではないかと私は疑っている」
ランジュウの意見は、すんなりと受け入れられた。
――やはりどうしても、生徒会はニア・リストンの少女然とした見た目に影響され、正しい判断がなかなかできないでいたのだ。
唯一正確な情報を知っていそうな、八年生の学級長もいるにはいるが――奴は「立場上知ることができた情報は漏らせない」などと生意気なことを言って口を割らない。
何にせよ、まだ二学期は始まったばかりだ。
急いて次の行動に移る理由はないだろう。
と、思っていたのだが。
「――なんだと! 三十三武将の六脚拳キシュウとバランを倒しただと!?」
「――なっ……十六楽者の戯曲拳ウウェイ兄弟を一撃で倒しただと!?」
「――まさかっ……十一選強のトップ、バーリィ槍術フリーヤを指一本で倒したというのか!?」
「――バカなっ! 七虎穿の武了拳ゼミアをなんだかんだで倒しただと!?」
時が経つにつれ、次々に鳳凰学舎に点在する強いと有名な生徒が、ニア・リストンに挑んでは儚く散っていった。
そして――
「――ちぃっ……いくら四天王の中では最弱とは言え、鳳凰四天王の一人が落ちるなんてっ……!」
正直肩書きが「誰それ?」みたいな者も多いのだが、鳳凰四天王の肩書きはさすがに無視できない。
何しろ、鳳凰四天王の内の二人が、生徒会の人間だからだ。
「――メラン。明日の朝、ニア・リストンに会う」
武客ニア・リストン。
未だに底が見えない強さを誇る逸材。
いよいよ鳳凰学舎トップである、生徒会長ランジュウが動く決意をした。
その翌日の朝。
「よう、生徒会長さん」
ニア・リストンの登校を待つため、校門付近で副会長メランと共に立っていると――
「カイマ……」
ここ鳳凰学舎は、貴族学校とも言える富裕層向けの学校である。
だが、武を尊ぶ傾向が強い学校だからか、いわゆる不良と言われる生徒が存在していた。
このカイマこそ、その不良の筆頭である。
国の要職にある父親と、皇族から降下した母親を持つ、なかなか厄介な立場にいる腐った果実である。
カイマは朝から手下のような取り巻きを引き連れ、自分はこの学校の王だと言わんばかりに、我が物顔で登校する生徒たちを押しのけるようにしてやってきた。
――ただし、この国と学校の流儀として、ちゃんと武闘家として強いのは確かである。
周囲の生徒たちは、軽蔑と畏怖の目でカイマを遠巻きに見ていた。
体格にも才覚にも恵まれたカイマは、生徒会長ランジュウのライバルでもあるのだ。
「朝っぱらからブスつれて何やってんだ?」
「あ?」
カイマの侮辱的な言葉に剣呑な声を漏らしたのは、副会長メランである。
「おまえには関係ない。さっさと行け」
「だな。俺様もてめぇの顔もブスの顔も見たくねえからな――と言いたいところだが」
殺気立っているメランを無視し、カイマはへらへら笑いながら続けた。
「ひさしぶりに朝早くから登校したんだぜ? 生徒会長なら褒めてくれてもいいんじゃねえか? あ?」
「普通のことを威張るな。どうせ留年が怖いだけだろう。邪魔だ、早く行け」
「ハッ。そんなにブスと二人きりになりてぇのか?」
「――殺すぞおい」
すでに普通に殺気を漏らしているメランを、ランジュウが止める。――残念だが、メランよりカイマの方が強い。
「それ以上メランを侮辱するなら、私が相手をするが?」
ランジュウが一歩前に出ると、へらへら笑うカイマも前に出た。
「――早く気づけよ。最初からケンカ売ってんだろ。あ?」
私闘の雰囲気が漂い始めた。
カイマとは関わりたくないが生徒会長との勝負は見たい周囲の生徒たちが、あっという間に渦中の者たちを囲んだ。
比較的なごやかだった朝が、一瞬にして緊張感に包まれ――
「――悪い! 道開けてくれ!」
いつ始まってもおかしくないという、しんと静まり返った校門付近。
そこに、男の声と妙な魔道具の機動音が割り込んできた。
「わっ」
「きゃっ」
ランジュウたちを囲んでいた生徒たちが道を開け――ドッドッドッと鼓動を打つ金属の馬と、それに跨る白髪の少女が無遠慮に入ってきた。
「――あら。もしかして取り込み中でした?」
ニア・リストン、豪快に登場。
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