257 / 405
256.マーベリア王城、夏の終わりの夜
しおりを挟む「遅くまでご苦労さん」
「え――あっ!? お、お……!」
王宮付きの工房主任は、背後から掛けられた声に振り返り――驚きのあまり心臓が止まりそうになった。
長い顎ヒゲが美しい、柔和で大柄な老人。
祭典や、機兵を東の砦に送る際に必ず見送りに来る、この国の最高責任者。
――マーベリア王国現国王ハザール・シルク・マーベリアである。
「な、なんでこんな……!」
「息子と待ち合わせじゃよ。もうすぐ来るはずじゃ。というわけで、今夜は早めに上がってくれんかね?」
こんなところに単身来るようなことは滅多にないだけに工房主任は戸惑っているままだが、ハザールは構わず「ほれ」とそれなりに重い革袋を差し出す。
「部下を連れて飯と酒でも楽しんでくるといい」
この工房主任は、腕と知識だけでこの役職を勝ち取った庶民上がりだけに、貴族の言動や振る舞いはわからない。
が、今ハザールが人払いをしていることくらいはわかる
「わ、わかりました! 失礼します! ――おーい! 今日は上がるぞ!」
しばらくは金属音や工具が落ちる音がしたり、「もう少しだけ」とか「この子まで見てから」と粘りたい旨の声が飛び交って賑やかだったが。
すぐに、火の消えた鍛冶場となった。
「……」
ハザールはゆっくりと工房に踏み込む。
両壁伝いに、ずらりと機兵が奥まで並んでいる。
整備途中で置いて行かれた機体もあったり、正面装甲がなく内部が丸見えになっていたり、腕が取れていたり、足が外されていたりと、パッと見では壊れているように見える。
――いや、去年の今頃は、本当に壊れた機兵がずらりと並んでいたか。
外国から留学してきた子供が虫ごと破壊したと聞かされて驚き、嘘ではないことを確認し、壊れた機兵が並ぶ姿を見て。
ハザールはここで一人恐怖したことを、よく覚えている。
「……すっかり臆病になったのう」
マーベリアの王族は、戦う王族が多い。
遠い昔から連綿と続く虫との戦いで先陣を切り、身体を張って民を守るためだ。
ハザールもそうだ。
今は背中を丸めて小さくなったが、それでもよく見れば結構な大柄である。
かつては魔犬機士団の隊長を勤めていたりもしたが――さすがに引退して長い時が過ぎ、もう機士の面影はない。
特に、あの頃は勇気と無謀を履き違えているかのごとく、血気盛んに戦いに臨んでいた。
思い返せばそれさえ恐ろしい。
――自分の命令一つ、決断一つで何人もの人が死ぬ。
機兵を降りて政治の世界に根を張って以来、何度もそんな経験をしたせいで、すっかり決断の前に腰が退けるようになってしまった。
ここは一秒を争う戦場じゃない。
ならば多少は時間を掛けてでも、最善を、あるいは被害が少ない選択を探すべきではないか。
そんな自分なりの結論に至って以来、長考のくせをつけるようになった。――要は臆病になった。
「……久しいな、レッドランドよ」
工房の一番奥に立っている、他より少し大きな機体。
誰から見ても一目でわかるように、赤いラインのペイントが入った、指示を発信する隊長機。
ハザールがかつて乗っていた機体でもある。
もちろん、機兵文化も日々進歩しているので、そっくり同じというわけではないが。この機体に限っては、装甲も内部機構も、常に最新かつ最高機能の部品が宛がわれている。
昔はハザール自身も、自分の繰る機体「魔犬レッドランド」は整備・調整に携わっていたが――今の最新機はもうわからない。
だが、それでも、共に戦場を駆けた相棒である。
ハザールも父から受け継ぎ、今はハザールの息子に継がれている。
いつだって王族の剣となり、また盾となり、猟犬のように戦場を駆けてくれた。
――そして、その機体のすぐ隣に立てかけてある、巨大な深紅の剣。歪で不揃いな形こそ掘り出された石のようだが、その輝きと透明度はルビーの原石に似ている。
聖剣ルージュオーダー。
機士たちを「犬」と呼ぶ、魔犬を魔犬たらしめてきた存在。
マーベリアに代々伝わり、代々国を守ってくれた成長する聖剣は、ハザールが戦場で振るっていたあの頃よりも、また少しばかり大きくなっている。
「――父上。お待たせしました」
昔を想いながら魔犬レッドランドと聖剣ルージュオーダーを眺めていると、待ち人がやってきた。
リビセィルである。
さすがに時間も時間なので普段の軍属らしい格好ではなく、フリルの付いたシャツに革のパンツという飾り気の少ないラフな格好である。
「すまんのう。帰ってきたばかりで疲れておるのに呼び出して」
虫が活発になる夏を、東の砦で過ごした現魔犬機士団の隊長は、今日王城に帰ってきたばかりである。
「いえ。クランから貰った蜂蜜割の薬酒のおかげで、疲れが飛びました」
発汗作用がすごいと言っていたので、風呂の前に飲んだ。
だらだら汗を流しながら湯船に浸かり、火照りまくった風呂上りの身体に冷えたエールがたまらなかった。
疲れて帰ってきたが、あれのおかげで気持ちも身体も随分軽くなった。
あとは気兼ねなく、明日の朝起きる予定もなく、睡眠欲の命じるままゆっくり一晩寝れば、夏の遠征の疲れも完全に癒えるだろう。
「おお、あれか。わしも貰ったぞ。一杯飲むごとに三歳は若返っておる気がするよ」
「……実際ちょっと若返ってません?」
照明を少し落としたやや暗がりの工房の中、リビセィルには、見慣れた父ハザールの顔が妙に明るく見える。
「わかる? 最近とみにお肌のハリとツヤがな、違うんじゃよ? おかげで城の女性たちから羨望の眼差しを向けられとるよ?」
自慢げに言われても、息子としては「よかったですね」としか返しようがないが。
「未開の地はどうじゃった?」
「もう報告書は読んでいるとは思いますが、見たことのない虫も、虫以外の獣もたくさんいました。特に蜘蛛がまずいですね」
砦より東にある森の中に生息する、巨大な蜘蛛の群れ。
もしあの時、五機以下の機兵で調査に入っていたら、全滅していたと思う。
数の暴力の脅威は蟻で知っていたが、そこに糸という道具が加わるだけで、絶望的なまでに戦局が悪くなる。
おまけに森という場所も悪い。
小回りの利かない機兵の大きさでは、障害物が多すぎてまともに動けない。
唯一の救いは、蜘蛛は森から出てこないことだ。
数百年もの間、東の砦付近でも見たことがないので、よほどのことがなければこのマーベリア王都まで来ることもないはずだ。
「やはり虫以外もおったか」
「ええ。虫を捕食する生物ですね」
その捕食される虫とさえ何百年も戦い続けてきたマーベリアからすれば、絶望しかねない新情報である。
東の地には、虫を獲物とする虫より強い存在がいた。
長年の宿敵が少し落ち着いたと思えば、違う宿敵が現れたわけだ。
「こう言うと不謹慎ですが――精神を蝕まれながら、いつ来るかわからない虫を待ち構えて砦を守っていた頃より、今の方が気楽ではありますね」
未開の地の調査。
これまでと違い、形としては攻め行っている心情に近いのだ。
特に「いつ来るかわからない敵を待つ」より、自分たちで日時や行動を決めて動くことができるのは、やはり気楽である。
「そうか。それで――機兵より強くなったか?」
ハザールとしては少々馬鹿馬鹿しい質問だ。
金属ごしらえの機兵であり、かつては機兵乗りでもあったのだ。機兵の強さ、力、頑丈さ、全てを知っている。
生身の人間で勝てる道理がないだろう、と思う。
「――力だけなら」
だが、その馬鹿馬鹿しい質問は、紛れもない真実なのである。
ハザール自身はまだ己の目で確かめたことはないが――報告と証人ならいくらでもある。
「量産型と真正面からの力比べなら、同じくらいやれるようになりました」
機兵より強い人間が存在する。
そして息子や娘は、その領域へ踏み込もうとしている。
――ハザールら頭の古い老人には、もう理解が追いつかない世界へ行こうとしている。
「では、もうおまえに機兵はいらんな」
「……父上?」
「マーベリアにな、新しい時代を迎えたいと思っとるんじゃ。おまえの時代じゃよ」
リビセィルは声が出なかった。
あまり考えないようにはしてきたが、父ハザールはもう随分高齢だ。いつ何があっても仕方ないと、心の準備だけはしていた。
だが、いざ玉座を譲る話をされると、やはり驚く。
それも、こんなにも気負いもなく、改まることもなく、さらりと言われるとは思ってもいなかったから。
「次の迎冬祭。魔犬レッドランドと聖剣ルージュオーダーで、ニア・リストンと戦いなさい」
「ニアと……?」
「――それでマーベリアは機兵から卒業じゃ。わしら年寄りも、いつまでもしがみついていた機兵から引退する。国民もな」
レッドランドの前に一歩出る。
ハザールが今どんな表情をしているのか、わからない。
いつも通りの口調ではあるが、しかしきっと、いつも通りの心境ではないはずだ。
「なあリビよ、わしらに現実を見せてくれ。
機兵より強い人間がいることを、そして機兵の本当の強さを。長年聖剣ルージュオーダーが守ってくれていたこの国の意地を。戦い続けた歴史を。
マーベリアは機兵ばかり見すぎていた。
外の世界に、機兵より強い人間がいるなんて考えもせずにな。
無知な年寄りなどいるだけ邪魔じゃろ? あとはおまえら若いもんに任せるよ」
30
お気に入りに追加
521
あなたにおすすめの小説

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

【完結】天下無敵の公爵令嬢は、おせっかいが大好きです
ノデミチ
ファンタジー
ある女医が、天寿を全うした。
女神に頼まれ、知識のみ持って転生。公爵令嬢として生を受ける。父は王国元帥、母は元宮廷魔術師。
前世の知識と父譲りの剣技体力、母譲りの魔法魔力。権力もあって、好き勝手生きられるのに、おせっかいが大好き。幼馴染の二人を巻き込んで、突っ走る!
そんな変わった公爵令嬢の物語。
アルファポリスOnly
2019/4/21 完結しました。
沢山のお気に入り、本当に感謝します。
7月より連載中に戻し、拾異伝スタートします。
2021年9月。
ファンタジー小説大賞投票御礼として外伝スタート。主要キャラから見たリスティア達を描いてます。
10月、再び完結に戻します。
御声援御愛読ありがとうございました。

迷い人と当たり人〜伝説の国の魔道具で気ままに快適冒険者ライフを目指します〜
青空ばらみ
ファンタジー
一歳で両親を亡くし母方の伯父マークがいる辺境伯領に連れて来られたパール。 伯父と一緒に暮らすお許しを辺境伯様に乞うため訪れていた辺境伯邸で、たまたま出くわした侯爵令嬢の無知な善意により 六歳で見習い冒険者になることが決定してしまった! 運良く? 『前世の記憶』を思い出し『スマッホ』のチェリーちゃんにも協力してもらいながら 立派な冒険者になるために 前世使えなかった魔法も喜んで覚え、なんだか百年に一人現れるかどうかの伝説の国に迷いこんだ『迷い人』にもなってしまって、その恩恵を受けようとする『当たり人』と呼ばれる人たちに貢がれたり…… ぜんぜん理想の田舎でまったりスローライフは送れないけど、しょうがないから伝説の国の魔道具を駆使して 気ままに快適冒険者を目指しながら 周りのみんなを無自覚でハッピーライフに巻き込んで? 楽しく生きていこうかな! ゆる〜いスローペースのご都合ファンタジーです。
小説家になろう様でも投稿をしております。

家庭菜園物語
コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。
その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。
異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。


聖女やめます……タダ働きは嫌!友達作ります!冒険者なります!お金稼ぎます!ちゃっかり世界も救います!
さくしゃ
ファンタジー
職業「聖女」としてお勤めに忙殺されるクミ
祈りに始まり、一日中治療、時にはドラゴン討伐……しかし、全てタダ働き!
も……もう嫌だぁ!
半狂乱の最強聖女は冒険者となり、軟禁生活では味わえなかった生活を知りはっちゃける!
時には、不労所得、冒険者業、アルバイトで稼ぐ!
大金持ちにもなっていき、世界も救いまーす。
色んなキャラ出しまくりぃ!
カクヨムでも掲載チュッ
⚠︎この物語は全てフィクションです。
⚠︎現実では絶対にマネはしないでください!


少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる