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124.ヴァンドルージュの出稼ぎ 二日目の報酬
しおりを挟む風の噂程度には聞こえていた。
アルトワール王国に凄腕の新人冒険家が現れた、と。
耳聡い者、情報の価値を知る者、たまたま縁があって知る機会があった者、知り合いの知り合いから噂として聞いたという者。
経緯は様々だが――ヴァンドルージュ皇国ではっきりと名前が出たのは、この日の朝のことだった。
「――おいおまえら! 蟹が狩られたぞ!」
冒険家組合にもたらされたベテラン冒険家からの一報は、仕事を貰いに来ていた冒険家や賞金稼ぎの耳に確かに入った。
が。
「蟹ってなんだ?」
誰もピンと来ず、ざわつくだけである。蟹ってなんだ、なんの蟹だ、どの蟹だ、と言いながら。
誰もがあの巨大蟹のことは知っている。
少し歳の行った同業者なら、討伐隊に参加していたり、蟹を避けての浮島探索をしたり、皇国の軍が動いた大規模討伐作戦を見ていたりと、大なり小なり関わっているほどだ。
彼らは慣れてしまっていた。
あの巨大蟹が存在していることに。
何者にも狩られることなく、そのうち寿命だかなんだかで消えるだろうから放置しよう、と。
あまりにも強大な存在ゆえに、もはや戦おうなどと考える者はほぼいない。
もしいたとすれば、駆け出しか、奴に大切な人を奪われて復讐に燃える者くらいだ。
誰もがあの蟹の脅威を知っている。
敵わない存在だと認識し、あの島に生きていることに慣れてしまっていた。
だから気付かない。
あれは人がどうにかできる存在ではない。遠い未来では「光を食らう者モーモー・リー」や、「大地を裂く者ヴィケランダ」、名を呼ぶと不吉なことが起こると言われる「夜の支配者」のような特級魔獣に認定されるだろうと言われていた。
「――十文字鮮血蟹だ。あのでかい蟹だよ」
続報をもたらしたのは、組合長だった。
一瞬静まり返るロビーは、次の瞬間には、爆発したかのような大騒ぎとなった。
信じられないと連呼する者、賞金額がいくらだったか誰彼構わず聞く者、個人的な恨みから悪態を吐くもの、または憑き物が落ちたかのように強張ったままだった顔を崩す者。
いろんな反応はあったが、事実は事実である。
組合長は報奨金の支払いもあるので先に呼ばれ、こっそり見分してきたのだ。
あれは間違いなく、誰も狩ることができなかった十文字鮮血蟹だった。
そして、この国に広まることになる。
――十文字鮮血蟹を討伐した冒険家、リーノの名前が。
同刻。
皇国の軍部でも、同じ報告がもたらされていた。
「狩られた!? あの蟹がか!?」
上官詰め所で書類仕事をしていた陸軍総大将ガウィンは、目を剥くほど驚いた。
「……」
同じく上官詰め所で書類を見ていた空軍総大将カカナは、どうしても報告を信じることができず、ただ眉をひそめるのみだった。
――十文字鮮血蟹討伐作戦は、国を挙げて何度かやっているのだ。
かつて仲が悪かった陸軍と空軍は、どちらが先にあの巨大蟹を仕留めるかと睨み合いをして、相手を出し抜いて手柄をあげようと躍起になっていたが。
単独では狩れないことを悟った両軍は、巨大蟹を仕留めるために手を組み、陸軍と空軍で総力戦を仕掛け――それでも討伐に失敗したという苦い歴史がある、憎き魔獣である。
その総力戦の被害や損失が大きかったせいで、国はもうあの蟹に拘わることを禁じた。たくさんある浮島の一つをくれてやるくらい大したことではない、と。
国や軍のメンツより、実害を重視した結果である。
隣国の機兵王国も油断ならないので、あれ以上軍の被害を出すわけにはいかなかった、というのはわかるが……
メンツを潰された軍にとっては、やはり、面白くない存在だった。
――そんな蟹が、狩られたという。
「それは本当なのか? 誰からの情報だ? おまえがその目で確かめたのか?」
カカナが、報告を持ってきた新兵を睨み付ける。
一国の軍が総出で狩ろうとして失敗したのだから、もはや討伐できる者が現れるとは、カカナには思えなかった。
特に、アレとやり合ったことがある身からすれば、その意識は特に強い。
「は……はっ! 確認したのは見回りの兵ですが、冒険家組合の組合長と一緒に確認し、組合長がそうだと判断したそうです!」
カカナの迫力と圧力に若干及び腰になるが、新兵の答えははっきりしたものだった。
「我々の下に報告が来たのだ、嘘ということはあるまい」
「わかっている。ただ信じがたいだけだ」
ガウィンの良い分は、カカナもよくわかっている。頭では「嘘ではないだろう」ということもわかっている。
ただ、信じがたいだけで。
あまりにも実感がなさすぎるだけで。
「――確認してくる。おい、単船の準備をしろ。私が出る」
それこそ自分の目で見ないと信じられない。完全に信じることはできない。
「――はっ!」
敬礼し、新兵が出ていく。
それに、自分の部下を何十人も奪っていった因縁がある、あの蟹である。
どんな屍を晒しているのか、見てやりたい。
そして部下たちの墓に供えてやりたい――おまえたちを討った蟹が仕留められた、と。
自分の手でできなかったのは悔しいが……高望みはするまい。朗報を届けられるだけでも恩の字だ。
「ふむ……よし、私も行くか」
ハンガーラックに掛けていた帽子を被り、コートを羽織るカカナを見て、ガウィンも立ち上がった。
「先に行くぞ、ガウィン。さすがに一緒に行くのは恥ずかしい」
「馬鹿を言うな。行き先が一緒なら、揃って行かないと仲が悪いと思われるだろうが」
陸軍と空軍の不仲は、兵どころか市井にまで影響が出ていた。
あの家の息子は陸軍だ、あの店の子は空軍だ、と妙な派閥ができてしまい、とてもやりづらくなっていたことがある。
「チッ……二人乗りだけはせんからな」
そのせいで、二人一緒に仕事をする部屋「上官詰め所」なる場所ができたのだ。不仲ではないと、総大将自らが証明するために。総大将はこの通り仲良くやっているから一般兵も実家も揉めるなよ、と。
「つれないなぁ、カカナちゃん」
「ちゃん付けで呼ぶな! 私はもう三十一だぞ!」
「俺は三十七だよ? おっさんど真ん中だよ? そろそろ結婚してくれてもいいと思うけどねぇ」
「黙れ! 私は生涯結婚はしない!」
「――同じ家に帰るのに?」
「――先に行く!」
二人きりの時は、若い頃のまま。
幼馴染の腐れ縁は、同棲する恋人同士に発展しようとも、未だに続いている。
そんな彼らは、すでに野次馬が溢れた港で、巨大蟹と再会する。
確かに十文字鮮血蟹である。
ハサミも、足も、すべてがばらばらにされた姿ではあるが、間違いなくあの蟹である。
異様な厚みのある甲羅には、あの日撃った大砲の弾の痕が薄く残っている――まさに個体もあの蟹だ。
見ているとあの日の激戦を思い出し、苦い記憶が蘇るが……それより。
「誰が殺った?」
今最も気になるのは、何者も、一国の軍さえ敵わなかった十文字鮮血蟹を、誰が、どのように仕留めたのかだ。
「……冒険家リーノ……?」
そして、かの名前を知ることになる。
――更にその上、夕方に再びやってきた脅威と知られる魔獣が次々狩られたという続報に、二人はもう一度この港に来ることになる。
本日の戦果。
十文字鮮血蟹、超特大一匹。特大六匹。
超特大は報奨金諸々を含めて二千万クラム。特大六匹は六百万クラム。
災門蜂、百三十三匹と、特大の巣。
千三百三十万クラム。巣は幼虫とまとめて二百万クラム。
禍実老樹、特大一本、果実付き。
五百万クラム。果実は一つにつき三万クラムで、三百六万クラム。
剣客蟷螂、三体。
九百万クラム。
雪虎、二頭。
昨日同様美品につき一頭四百万クラム。
暗殺鷲、六羽と卵二つ。
百八十万クラム。卵は一つ五万クラム。
合計六千九百十六万クラム。
一日目三千四百四十九万クラムと合わせて、一億三百六十五万クラム。
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