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身分差 2

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 軽く食事を終えた後、エリックは再び侯爵に呼び出された。
 執務室の扉を開けると、肘掛け椅子に難しい表情で座っている侯爵がすぐに目に入る。
「いかが、なさいましたか」
「お前が、グズグズしているから、だぞ」
「失礼ですが、なんのことでございましょう?」
「カペラ、だ。お前の気持ちはわかった。だが、俺の思った以上に拗れているようだ。……さて、どうするのが、良いだろうか」
 後半部分は、侯爵が自分自身に言っているようにも聞こえた。
 原因は自分にあるだけに、エリックはなにも言えない。
 二人ともが黙り込んでしばらくして、ノックの返事も待たずに慌ただしく扉が開いた。
「グレン侯爵、お戻りになっているなら、お声をかけてくださればよかったのに」
 まだ勧めてもいないのに、勝手に侯爵の横の長椅子にかける。
「ルセイヤン伯爵夫人。これは失礼いたしました。なにしろ急に帰郷が決まりましたし、またすぐに王都に戻りますので――」
 侯爵が話している途中、伯爵夫人は豊満な胸の谷間を見せつけるように身を乗り出した。
「責めているわけではございませんのよ。ただ、あたくしは、寂しかっただけですの――」
 そう言って伯爵夫人は、まるで二人の邪魔をするなとばかりに、エリックの方をチラリと見る。
「もう、お話は、お済みなのでしょう?」
 先に牽制され、侯爵もエリックも、否定できない。
 エリックは小さく「それでは私は失礼します」と言い、部屋を出る。
 扉のところで一礼した瞬間、恨めしげな瞳の侯爵と目があったが、自分の立場ではこれ以上なにもできないエリックは、目を伏せてゆっくりと扉を閉めた。


 手持無沙汰になったエリックは、菜薬草園へやってきた。
 このところほぼ毎日通っていて、習慣になっている。
 一角にある区切られた区画は、侯爵からいただいた種のための場所として、自分自身で管理している。
 種を埋めて数日で小さな芽が出て、それから数日かけて芽は手のひらと同じくらいの高さに成長する。それが2倍の高さになったあたりで、いつも葉の先から黄色くなり始め、ついには元気がなくなってダメになる――そんなことをもう3回ほど繰り返していた。
 今目にしているこの草も、すでに葉の先端が少し黄色くなりかけている。
「何が、いけないのか……」
 草の前に座り込み、エリックはひとり呟いた。
 芽が出てしばらくはちゃんと成長するのだから、温度や水は十分なのだろう。場所に関しても、日陰を試してみたこともあるが、日当たりが良いほうがいいことがわかってからは、菜園の中でも一番いい場所を確保してある。肥料も、小麦の栽培以上に与えているはずだ。
「……あと、改善するべきなのは――」
「愛情だろ」
 突然後ろから声をかけられて、振り向くとそこに薄手の外套をまとったレオンがいた。
「……あなたですか」
 溜息と漏れた言葉にレオンは嗤って答える。
「ずいぶんな嫌われようだな」
「嫌いというわけではございませんが、特に好きという感情もございません」
「冷たいな。――だが、俺の経験では、そういう奴に限って、内側にはすげぇ愛情を持っている。ただ上手く、まっすぐそれを出せないだけでな」
「余計なお世話でございます」
 レオンの面白がるような瞳から、エリックは視線をそらせた。
「そうだな。余計なお世話だった。――余計なお世話ついでに言わせてもらうと、全然足りてねえから」
 レオンが指したのは、先ほどまでエリックが見つめていた例の草だ。
「――なにがです?」
「水と肥料が足りてねえ。ついでに、詰まりすぎだ」
「ですが、水は毎日やっておりますし、肥料もちゃんと――」
「それは、お前の判断だろう。その草は、それでも足りない。あとは自分で考えろ」
「……貴方の指示に従ったとして、成功するという保証はございません」
 きっぱりとそう言ったエリックに、レオンは意外そうな表情かおをした。
「何も知らずに育てているのか……?」
「グレン侯爵より預かりました異国の種でございますから」
「そうか……」レオンは不思議そうにエリックを見たが、すぐにその表情を消して言葉を続ける。「――俺は、その草を東の大陸で見かけたことがある。食ったこともな。――その草の実は、食べると驚きだぜ。まあ、せいぜい大事に育てろ」
「貴方に言われずとも、そのつもりです」
 鼻息を荒くしてそう告げるエリックを、レオンは頼もしげに見た。
「――邪魔したな。……ところで、このあと街まで下りたいのだが、城門以外からこっそり抜け出ることができる場所を知らないか?」
 去りかけた足を止めて、レオンが聞く。
「小さな門がこの先の厩舎の近くにございます」
 エリックは菜薬草園の先にある小道を指したが、少し考えて言葉を足した。
「――よろしければ、厩舎の近くまでご案内いたしましょうか」
「そうしてくれると助かる」
 レオンが素直に嬉しそうに答えるのをみて、エリックは、悪い人ではないのかもしれないと、彼を少し見直した。

 菜薬草園を出ると、城の外縁に沿って木の立ち並ぶ道がある。
 連れ立って歩く二人の右手側にはアルダートン地方が広がっていて、右側の野原の向こうには――アルダートンの港も港町も斜面に隠れ見えないが――水平線がわずかに見える。
 その反対――左側の奥には山脈があって、その手前あたりがサーシスだ。
 特に話す話題もなく、景色を楽しむような間柄でもなく、二人はただ黙って肩を並べて歩いた。
 半分ほど来たところで先に口を開いたのはエリックだった。
「……異国の話を、聞かせていただけませんか?」
「異国の話?」
「貴方は、いろいろな国を渡り歩いているとお聞きしました」
 その中に、自分と同じ瞳の色を持つものがいなかったか――聞いてみたかったのだが。
 それを直截彼に聞くことは、記憶をなくしてからの自分を裏切るような気がして、どうしてもその言葉までは言えず。
「……私は、10年前から先の……過去の記憶が、ないのです」
 うつむいたままで、ようやく絞り出せた言葉は、これだけだった。
「ああ、なるほど――」レオンは全く驚くこともなく、それどころか何かを納得したように答える。「自分の出自ルーツを、思い出したいのか?」
 はっきりと問われて、エリックは素直にイエスそうだと答えられない。
 自分が何者であったのか、10年前までどこで何をしていたのか、気にならないわけではない。けれど、それを探し求めている自分が果たして正しいのか、まだわからなくて。
「そういうわけではございませんが――。すみません。先ほどの話は忘れてください」
 再び二人の間に沈黙が訪れる。
 生暖かい風が二人の間を幾度が通り過ぎ、しばらく歩いたところでエリックは足を止めた。
「……あの、左手に見える茶色の屋根が厩舎です。このまままっすぐ行けば、あのあたりの右手に門がございますので――」
 とエリックが前方を指したとき、左から右へ馬が小道を横切るように走って行った。
「……?」
 一瞬でよく見えなかったが、あの馬の駆り方は――、カペラではなかったか。

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