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トルネライ 1
しおりを挟む人混みを掻き分けて、無我夢中でカペラは逃げる。本気で怒るあんな大きな男に捕まったら、何をされるかわからない。幸い、もうすぐ日没だ。日が暮れれば、身を隠して逃げやすくなるだろう。
人々の隙間を見つけすり抜けながら、振り返ってみたが、男は――大柄なりに苦労しながらも――まだ執念深く人を押し分けて追いかけてくる。
数メートル続いていた人混みだったが、港の入口を出ると空いてきた。
走りやすくなるが、それは相手も同じこと。
捕まる前に、どこかに隠れなくては――
カペラは頭の中で街の中の地図を広げる。
街の中心部に教会があったはずだ。そこなら、男も荒々しいことはできないだろう。
カペラは、半ば息を切らしながら教会に飛び込んだ。
扉を閉めると一気に静寂が訪れた。カペラの荒い息遣いだけが、薄暗い石造りの建物の中で反響している。
祭壇の前に跪いていた男が静かに振り返った。
彼はカペラの闖入に驚くこともなく、旅行用の外套を翻し、こちらへ悠然と歩を進めてくる。
線は細いが隙のない男だった。椅子の陰にでも隠れるつもりだったカペラは、睨まれているわけでもないのに一歩も動けない。
彼はカペラなど眼中にない様子で身廊を歩いているが、その存在だけで彼女は圧倒させられていた。
すれ違う時、彼が見せたのは、わずかな驚き。
と、同時に、入口の扉の向こうで荒々しい音がした。
その後に起こったことは本当に瞬きほどの時間だった。
すぐ隣にいた男がカペラに自分の着ていた外套をサッと被せ、その二の腕で彼女が、かぶっていた帽子を払い飛ばすと、彼女を腕の中に囲い込んだのだった。その最後の仕上げとばかりに、カペラの長い髪がふわりと肩に落ちる。と同時に勢い良く扉が開いた。
「――おいっ、お前、ここに子供が来なかったかっ!?」
「子供?」
「小汚い坊主だ。15くらいの――」
「知らないな――。すまんが、こっちは取り込み中だ」
「いや、絶対ここに飛び込んだはずだ。庇ってもお前にはなんの得にもならんぜ。探させてもらおう」
カペラを、追って来た大男は、ずんずんと大股で近づいて来て、カペラと男の顔を確認すると、さらに奥へ――祭壇の方へ向かった。
男の腕の中でカペラが小さく安堵の息をつく。
「これでは、雰囲気も何もあったものではないな。我々は場所を変えさせてもらうが?」
「勝手にしろ、お前たちには用はない」
大男は祭壇の後ろを確かめた後、今度は並ぶ椅子の間を調べ始めていた。
「行こう」
男はカペラに小さく言うと、外套の上から肩を抱いて促した。
カペラは、疲れ果てていたのと安堵で一歩も歩けない。それを見てとった男は軽々と、彼女を横抱きにする。
カペラはあげそうになった悲鳴をなんとか抑えこんだ。大男が、ひゅぅっと口笛を吹く。
「見せつけてくれるな。こっちは陸に上がったばかりだってのに」
「なら、早くヤれるところにしけ込むんだな。それとも、お前が探しているのは、そっちの相手か?」
「いや、ただのクソガキだ――」
港でのことを思い出し、怒りが再燃したのか大男は、怒りの形相で椅子の間を再び探し始めた。
その間に、カペラを抱いた男はゆっくりと教会から外に出る。
日没を迎え、街はほんのりと薔薇色に色づいていた。港での仕事がひと段落したのか、教会前の広場は人が増えて来ている。
「歩けるか?」
男は、カペラをそっと石畳の上に下ろした。
「はい」とはいいつつ、あまりの恐怖からか、疲労のせいか、安堵のためかカペラは、腰から下に力が入らず、つい男の腕についすがってしまった。
「……ごめんなさい。少し休めば大丈夫だと思います。助けてくださってありがとうございました」
彼女は男にお礼を言い、外套を返して、すぐ近くにあった噴水の縁に腰掛けた。
「そんな格好で休んでいると、あの大男に気がつかれるかもしれんぞ」
男はカペラの身なりを指す。髪は下ろしてしまっているものの、服装はまるで少年だ。
と、間抜けなタイミングで、カペラのお腹がなった。
男は笑ってカペラに手を差し出す。
「来いよ、何か食わせてやろう。その様子では朝からろくに食べていないのだろう?」
「でも、私、お金が――」
戸惑うカペラを男が笑い飛ばす。
「なにか事情がありそうだ。その面白い話と交換で、どうだ」
男の言うとおり、ここに座っていては、あの大男が戻って来たときに、少年に変装していたのがバレるかもしれない。
そうであれば、街のことがわかる者とどこかの店で食事をとりつつ、馬に乗れるほどに回復するのを待った方がよいかもしれない。
カペラは、男の手を取った。
その細身の体に似合わず、マメのある手だった。外套を持っているところからすると旅人なのだろうか。少し黄ばんだ白いシュミーズの下には、抱き上げられたとき肩に鎖帷子の感触があったから、ただの旅人とは思えないが。
「ここ――」
てっきり食堂に行くのだと思ってついて来たら、案内されたのは服屋であった。
「そんな恰好では、人の目につこう。どれでも好きな――とは言えないが」
男はカペラの戸惑いを無視して、店の扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
「娘の服を、これで見繕ってやってほしい」
男は店番をしていた女店主に、いくらかの金を握らせる。
「こんなに――。ありがとうございます。……では、こちらにどうぞ、お嬢さん」
自分の理解を超えたやり取りに、カペラはどうしていいかわからない。
身分を明かせば、服の代金は後から支払うこともできるだろう。しかし、今はそうすることが得策かどうか――。
「こちらはいかがですか? 今王都で流行りの小花が刺繍されておりまして――」
女店主が出したのは、柔らかい布で裾の部分に刺繍が施されたローブだった。
裾の部分だけとはいえ、刺繍が入っているだけで、町人にとってはそれなりの価格の品物だろう。それだけの金額を躊躇なく出したところを見ると、やはり男はただの旅人ではなさそうだ。
とはいえ、ただで買ってもらうのも気が引ける。
「あの、もう少し、おとなしい感じのものは無いですか? 追われているので、できるだけ目立たないのがいいのですが……。ステイズとスカートがあればそれを。それからできればショールも」
小さく舌打ちをした店主が出してきたのは、深い緑色の前をひも締めするコルセットと共布のスカート、それに薄茶色のショールだった。
今着ているのは男物のシュミーズだがステイズをつけ、ショールを羽織れば違和感はないだろう。
女店主の見繕った衣類を手早く上から身につけたカペラに、男は腕を差し出した。
「では、行きましょうか、お嬢様」
買ってやった服について何のコメントもしないのは、カペラに何の興味もないからだろう。
それでも、気まずくならないようにカペラは当たり障りのないことを話しかける。
その一言一言に男は律儀に、だが非常に短く相槌打つだけだ。
洋服屋から迷わずに連れてこられたのは、細い入り組んだ道の奥にひっそり佇んだカウンターに5席だけの小さな店。
扉の横に店名の札がかかっていなければ、普通の家だと思っただろう。
男がキィと木戸を開けると、カウンターの女性が「いらっしゃい」と妖艶に微笑んだ。
「あら、レオンさん、お久しぶり。今度はこちらでお仕事?」
「どうだろうな、仕事にありつければいいが――」
言いながら男――レオンはカウンターの真ん中に腰をかけた。奥にはすでに二人組の船員が呑んでいて、武勇伝という名の自慢話を繰り広げている。
「いつもの?」
「ああ――」
女性が後ろの棚から酒瓶を取り出す。
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女性に促されてカペラはふらふらとカウンターに歩み寄り、男の隣に座った。
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