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「船が海賊に襲われた?」
 侯爵の書斎へ入るや否や聞かされた話に、いつもよりも少し大き目の声をあげてしまったエリックは、小さく謝罪し、トーンを落として言葉を続けた。
「ここ数年はおとなしくなったと思っていましたが――。それで、荷は?」
「幸い、と言っていいのか、襲われたのは、荷はほとんどが堤の芯材に使う粘土だ」
 侯爵は何気なく言ったが、嫌な予感が彼を襲う。
 近年では、長距離航路が発見され、金のあるブルジョアが商船を所有し、高価なものや珍品を輸入している。あのチャップマン男爵も、もともとはそんな商人の一人だ。
 海を根城とする海賊たちが、そのように高価な荷を積んだ船に目をつけるのも無理はない。
 エリックは口元に手を当てて考える。
 だが、果たして、積荷の中身を確認することなく、船を襲撃することなどあるだろうか。どうせ襲うなら、もっと金になりそうなものを狙うのではないだろうか。

「ここだけの話、キナ臭い話も漂ってきている」
 彼の黙考をどうとったのか、侯爵は神妙な面持ちをつくり、言葉を続けた。
「と、仰いますと?」
「海賊には直接関係ないが、――ミエラ王国で不穏な動きがあると耳にした」
 隣国のミエラ王国は、先代までは隆盛を極めていた農業大国だ。聡明な王は国民から愛され、温暖な気候のおかげで広大な農地を保有する国は潤っていた。豪華な宮殿を建設し、毎夜晩餐会が行われていたとも聞く。
 それを当然として育った現王は、十年前の地震以来作高が減って税収が落ち込んでいるにも関わらず、同盟国の要請に応じて戦争援助を行い、財政は逼迫。財政を立て直すために無茶な増税が行われ、王に対する不信感が増しつつあった。
 また一方で、免税されている貴族と増税の波をかぶった平民の間には対立が起こり、今度は、平民の不満を鎮めるためとの名目で貴族に納税義務をかける。
 こんな行き当たりばったりの財政政策に、ミエラ王国民は――貴族も平民も疲弊し、不満を積もらせており――いつ暴動が起きてもおかしくない状態ではあった。
 そんな中、先見の明と資金力のある貴族は裏でブルジョアを囲い始めているとも噂されており――

「内乱が、起こるということですか」
「まだ、わからん。――だが、反王党派は資金力があるし、ブルジョアの後ろに海賊がついているとの噂もある。そのせいもあってか、賊の間にもにわかに緊張感が高まっているのだろう。……気をつけねば、とは考えていた。しかし、まさかこんなに直接的に襲ってくるなど思ってもみなかったがな」
 隣国で反乱となると、この国も――とくに、高い山で隔てられてはいても隣接しているこの地方など例にもれず――傍観はしていられないだろうと侯爵は難しい表情で付け加えた。
「それで、船は?」
「現在のところ、奴らの管理下にある。とはいえ、奪ったところで市場に簡単に転売できるものではないし、奴らには使い道もなかろう。――今の所は、荷を持て余しているのではないかと思われる」
 持て余している、程度で済めばいいが――
 エリックはため息を吐いた。
 ただ単に思いつきで略奪を行ったのなら構わない。だが、万が一そうでなかったら?

「お前の見解を聞かせて欲しい」
 顔の前で両手を組み合わせた侯爵が、上目遣いでエリックを見つめる。
「そうですね。相手は海賊ということですと――奪われた荷は、貴金属などと違ってすぐに捌ける物ではありません。換金あるいは処分までに数ヶ月間は時間の余裕があると思われます。どのみち、追加で取り寄せねばならない部材です。取り戻す方法を考える一方で、こちらに時間と資金に余裕があるのであれば、ここは穏便に別手配するのが良いかと」
「無難な答えだな。お前らしい」
 侯爵は、驚きも納得もした様子ではない。
 おそらく、こんな意見を聞きたいのではないのだろう。
 頭を下げ「すみません」と謝ったエリックの言葉にかぶせるように、彼は口を開いた。
「別に手配はするとしても、俺は、取引を申し出ようと思う」
「海賊と、取引――ですか」
「上手くいけば、そのまま取り戻せるし、その方が早い。それに、別に手配した船がまた襲われない保証もないしな」
 だから、王都へ行くのだと、侯爵は続けた。
 王都にいる方が、急ぎで別の荷を手配するのにも、海賊と交渉するのにも、時間の無駄がなくていいのは分かるが。
「おっしゃる通り、交渉して取り戻せればその方が手っ取り早いですが、相手は海賊。こちらの思惑通りに運ぶかどうか――」
 エリックが、何か策があるのかと問うと、「いや」と侯爵は快活に笑った。
 いずれにしても、エリックは彼の決断を信じて従い、結果を最良に導く手伝いをする以外にない。
「方策はこれからゆっくり考える。幸い、腐るものでもないしな。その時がきたらお前にも動いてもらうつもりだが――」と侯爵はエリックの腕に視線を落とした。「それまではここに残って怪我を治せ」
 すっかり侯爵について王都へ行く気になっていたエリックは、出鼻をくじかれたような気がした。
「ですが――」
「次の積荷の手配はお前に任せる。そのくらいなら、その腕でもできよう。それとも、客人をカペラ一人に任せていくか?」
 確かに、カペラ一人に伯爵夫人の相手を任せてしまうのは、可哀想な気がする。
 エリックを残していくことは、侯爵のカペラへの優しさなのかもしれない。
 半分は、自分が伯爵夫人から逃れるためというのもあるのだろうが。
「わかりました」
 恭しく頭を下げたエリックに、侯爵はなおも指示を続ける。
「ついでに、もつれた糸も解いておけ」
「もつれた、糸、ですか?」
 言葉の意味が理解できず、エリックは顔を上げ、侯爵の机の上に視線を走らせた。
 しかし、絡まった糸などあるはずもなく。
「色恋沙汰のもつれは、あとで拗れやすい」
「色恋――?」
 だが、侯爵にこう言われるほどの心当たりがエリックには思い当たらない。
「とぼけるな。あれだけお膳立てされておいて?」
 ”お膳立て”という言葉で、それがカペラか、ひょっとしたら伯爵夫人との昨夜のことを言っているのかどちらかだろうと見当はついた。
 だが、どちらのことを言っているのかわからない段階で、下手な返事は出来ない。
「……それは……私の問題です」
 はっきりしない返答に咎めを受ける覚悟で視線を落としたエリックを、侯爵は鼻で嗤った。
「俺といくつも変わらんというのに、まるで頭の固い爺さんだな」
「……」

 ぱらぱらと軽いものがいくつも落ちる音がしてエリックが顔を上げると、侯爵が握った拳から茶色の種子を空のグラスに落としているところだった。
「麦……とはちがうようですが、これは?」
「先日、商人が一袋くれた。全部お前にやろう」
 話の展開についていくことが出来ず、きょとんとしているエリックを、侯爵は満足そうに見つめ返す。
「爺むさいお前には女よりも、植物の世話の方が合っている」
「……返す言葉もございません」
「そう真面目に受け取られても、面白くないのだが」
 グレン侯爵は、面白くなさそうに唇を突き出した。
 どうやら求められているのとは違う反応を返してしまったようだと、エリックは内心反省する。
 おそらく彼は、からかったときの素直な反応が見たいのだろう。
 とはいえ、それに気がついてしまったら、余計に素直にはなれない。
「……申し訳ございません」
 エリックは困ったように息を吐いた。
「とにかく――」と侯爵は締める方向に話を向けた。「――恋愛は植物と同じだ。大事に育てて、いい時期に収穫せねば、せっかく実っても腐ってしまう」
「……はぃ」
 エリックの気の抜けたような反応に、侯爵は声を強める。
「腕が治るまでゆっくりしていい。その間に、なんとか目処をつけろ」
「目処、ですか?」
「実らせて収穫しろということだ。時間も資材も、使い方は全部お前に任せる」
 収穫――カペラとのことを言っているのか、ルセイヤン伯爵夫人とのことを言っているのか、まさか本気でこの種を育てろと――?
 判断をつけかねたが、あえて断言しない侯爵の優しさにエリックは甘えることにして「ありがとうございます」と答えておいた。


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