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舞踏会 2
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アルダートン城のホールに案内されると大きな声で到着を告げられ、すぐに主催者のグリブレイユ公爵夫人が歩み寄ってきた。
このたびはお招きいただき――と恭しく膝を折る伯爵夫人につられ、カペラも同じように笑顔で挨拶をする。
「ちょうど良かったわ。ご紹介したい方はもういらしてるの」
そういって、グリブレイユ公爵夫人はあたりを見回し、二人の背後に目を止めると、別室から肉をかぶりつきながら歩いていた小太りの男性を呼び止めた。
男性は、持っていた肉の塊を慌ててポケットに突っ込み、油でギトギトの指をべろりと舐めて、ごてごてと飾りボタンのたくさんついた上着の横で拭いた。
中に着込んでいるベストは流行遅れに丈が長くて、お腹のあたりでは無理やり止めたボタンが両端に引っ張られ、下着が見えている。
これが、旦那様候補――
カペラは顔をそむけたいのを我慢し、なんとか唇の両端を上げるように努力しながら改めて彼を見た。
頭が薄くなりかけているところを見ると、歳は四十近いのかもしれない。その割には肌はぷりぷりしているので、実際は若いのかもしれないが。
さらに、身分も不詳だ。招待されているのだからそれなりの身分のはずだが、サイズの合っていない服に、先ほどの上品とは言えない行動を合わせて考えると、とても貴族とは思えなかった。
選り好みなどできる権利などないが、できることなら、他にも候補がいると信じたい、と彼女は希望を捨てることなく、頬をひくつかせながらも何とか笑顔を作る。
「こちら、ディエゴ・チャップマン男爵。貿易を生業とされていらっしゃるの。このところの王都で流行るもののいくつかは彼が王宮にご紹介くださったものですのよ。その功績が称えられて最近爵位をお受けになって――そちら次第では婿養子としてマイヤーズ家に入るのも厭わないとおっしゃってますの」
グリブレイユ公爵夫人に紹介されながら、右足を引き、かがみこむように不格好な礼をした男爵が、カペラに向かって右手を差し出した。
指の先が、油と唾液でギトギトしているような気がして、その手を、取るべきか否か――彼女は戸惑った。
しかし、隣で伯爵夫人が鋭い視線を投げている。
養子に入ってくれるなら、屋敷も領地も手放す必要はなく――もちろん、嫁ぐわけではないから持参金も必要なくて――私たちはこれまでと同様に暮らしていけると、その瞳が語っていた。
しぶしぶ彼女はその手に右手を重ねる。
そして、すぐにそうしたことをひどく後悔した。
彼は、しっかりとカペラの手を掴み、挨拶というよりは、味見とでも言った方がふさわしいほど舐りあげたのだ。
その気持ちの悪い――独特な挨拶からようやく解放された彼女の手の甲は、しっかりと光を反射していた。手巾で拭きたいが、失礼とかそういう問題以前に、手巾が穢れそうで嫌だ。
その手をどうしようかと考えていた矢先、ちょうど演奏中だった音楽が終わって、曲はワルツに変わった。
「いかがですか?」
「いいわね。お二人で、踊っていらっしゃいよ」
男爵に右手を差し出され、公爵夫人からは明るく促されて、カペラは断り切れずに再び彼に手を差し出した。そのついでにごてごて飾りのついた彼の袖口で、さりげなく手の甲を拭う。
彼女より少し低い背丈でずんぐりとした体形の男爵は、ずっと下を向いてステップを踏んでいて――まるで、子どものダンスの練習に付き合っているかのようだった。
この、まるで楽しくない――むしろ悪夢のような時間が早く過ぎるようにと願いながら、うわのそらでカペラは彼のぎこちないリードに身を任せる。
さりげなく母親とグリブレイユ公爵夫人のほうを見やると、穏やかな笑顔で話し込んでいた。時折こちらに視線を投げているところをから察すると、縁談の話でもしているのだろうか。
いや、それでも候補はチャップマン男爵一人ではないはずだ。
二人の顔を立てるため、カペラはとりあえず笑顔で踊りきる。一曲終われば、離れられる、別の相手を紹介してもらえるだろうと、信じて。
けれど、彼女の思惑は大きく外れた。次の曲が始まっても、その次の曲が始まっても、チャップマン男爵は彼女の滑らかな手を放そうとしない。
三曲目になっても相変わらず足運びを気にして踊っているチャップマン男爵に、気を遣って笑顔でいることをカペラはやめた。
どうせこちらなど見てはいないのだ。
何とかしてこの状況から抜け出られないものかと彼女はさりげなくあたりを伺う。
こういう舞踏会はある種の見合いの場ともなっているのだから、男爵のほかにも独身男性はいるはずだが、さすがに落ちぶれた貴族の娘などには誰も興味がないらしく、残念ながら声をかけてくれそうな様子の人は見つからない。
彼女は、下を向いてぶつぶつ言いながら踊っているチャップマン男爵を見た。
この人以外に、サーシスの救世主となれる人物は、いないのかもしれない。
カペラは内心ため息をつく。選り好みできる事態でないのはわかっているけど――
とその時、使用人の良く通る声が、グレン侯爵の来訪を告げた。
そこにいた全員が、一瞬動きを止めて入口に目を向ける。
皆が視線を彼に注いだので、カペラも気になってそちらに目をやった。
青年――というにはすこし年が上の男性がそこに立ち、人々と挨拶を交わしている。
グレン侯爵と言えばグリブレイユ公爵の甥で、王位継承順位は高くないものの王室の血を引く身分。父親のタナス公爵はいくつかの領地を治めながらも、長年フォンセ王国の財務長官を務めている几帳面な人物だと聞く。
一方、息子のグレン侯爵は、交易に目をつけて数多くの商人や貿易船を雇っては事業に精を出している、貴族にしては変わり者。そろそろ30歳になろうかというのに、身を固める気配などみじんも見せず、忍んで街に出ている遊び人と噂されているのだが。
高貴な血を引く証明でもあるプラチナブロンドの髪とは対照的に、大柄で騎士のような体格が、噂とは違った――どちらかと言えば精悍な印象を与えている。
そこに、折り返したカフスやポケットのフラップに金糸で手の込んだ刺繍の施された濃紺の上着の前を全開にし、下に豪華なシルバーのベストを見せて、白いレースのクラバットを結んだ姿が、あかぬけた華やかさをプラスしていた。
自分の相手となる男爵とはまるで正反対。
その華麗な存在の登場に気を取られたカペラと、グレン侯爵の視線がぶつかり、思わず彼女は足を止めた。
つられて足運びに気を取られていたチャップマン男爵も顔を上げ、たどたどしいステップを踏むのを止めて、彼女の視線の先を辿る。
「嫌味たらしい男だな」
男爵が口の中でそう呟いた時、ちょうどグレン侯爵が歩み寄ってきたので、慌ててカペラは背筋を伸ばした。
このたびはお招きいただき――と恭しく膝を折る伯爵夫人につられ、カペラも同じように笑顔で挨拶をする。
「ちょうど良かったわ。ご紹介したい方はもういらしてるの」
そういって、グリブレイユ公爵夫人はあたりを見回し、二人の背後に目を止めると、別室から肉をかぶりつきながら歩いていた小太りの男性を呼び止めた。
男性は、持っていた肉の塊を慌ててポケットに突っ込み、油でギトギトの指をべろりと舐めて、ごてごてと飾りボタンのたくさんついた上着の横で拭いた。
中に着込んでいるベストは流行遅れに丈が長くて、お腹のあたりでは無理やり止めたボタンが両端に引っ張られ、下着が見えている。
これが、旦那様候補――
カペラは顔をそむけたいのを我慢し、なんとか唇の両端を上げるように努力しながら改めて彼を見た。
頭が薄くなりかけているところを見ると、歳は四十近いのかもしれない。その割には肌はぷりぷりしているので、実際は若いのかもしれないが。
さらに、身分も不詳だ。招待されているのだからそれなりの身分のはずだが、サイズの合っていない服に、先ほどの上品とは言えない行動を合わせて考えると、とても貴族とは思えなかった。
選り好みなどできる権利などないが、できることなら、他にも候補がいると信じたい、と彼女は希望を捨てることなく、頬をひくつかせながらも何とか笑顔を作る。
「こちら、ディエゴ・チャップマン男爵。貿易を生業とされていらっしゃるの。このところの王都で流行るもののいくつかは彼が王宮にご紹介くださったものですのよ。その功績が称えられて最近爵位をお受けになって――そちら次第では婿養子としてマイヤーズ家に入るのも厭わないとおっしゃってますの」
グリブレイユ公爵夫人に紹介されながら、右足を引き、かがみこむように不格好な礼をした男爵が、カペラに向かって右手を差し出した。
指の先が、油と唾液でギトギトしているような気がして、その手を、取るべきか否か――彼女は戸惑った。
しかし、隣で伯爵夫人が鋭い視線を投げている。
養子に入ってくれるなら、屋敷も領地も手放す必要はなく――もちろん、嫁ぐわけではないから持参金も必要なくて――私たちはこれまでと同様に暮らしていけると、その瞳が語っていた。
しぶしぶ彼女はその手に右手を重ねる。
そして、すぐにそうしたことをひどく後悔した。
彼は、しっかりとカペラの手を掴み、挨拶というよりは、味見とでも言った方がふさわしいほど舐りあげたのだ。
その気持ちの悪い――独特な挨拶からようやく解放された彼女の手の甲は、しっかりと光を反射していた。手巾で拭きたいが、失礼とかそういう問題以前に、手巾が穢れそうで嫌だ。
その手をどうしようかと考えていた矢先、ちょうど演奏中だった音楽が終わって、曲はワルツに変わった。
「いかがですか?」
「いいわね。お二人で、踊っていらっしゃいよ」
男爵に右手を差し出され、公爵夫人からは明るく促されて、カペラは断り切れずに再び彼に手を差し出した。そのついでにごてごて飾りのついた彼の袖口で、さりげなく手の甲を拭う。
彼女より少し低い背丈でずんぐりとした体形の男爵は、ずっと下を向いてステップを踏んでいて――まるで、子どものダンスの練習に付き合っているかのようだった。
この、まるで楽しくない――むしろ悪夢のような時間が早く過ぎるようにと願いながら、うわのそらでカペラは彼のぎこちないリードに身を任せる。
さりげなく母親とグリブレイユ公爵夫人のほうを見やると、穏やかな笑顔で話し込んでいた。時折こちらに視線を投げているところをから察すると、縁談の話でもしているのだろうか。
いや、それでも候補はチャップマン男爵一人ではないはずだ。
二人の顔を立てるため、カペラはとりあえず笑顔で踊りきる。一曲終われば、離れられる、別の相手を紹介してもらえるだろうと、信じて。
けれど、彼女の思惑は大きく外れた。次の曲が始まっても、その次の曲が始まっても、チャップマン男爵は彼女の滑らかな手を放そうとしない。
三曲目になっても相変わらず足運びを気にして踊っているチャップマン男爵に、気を遣って笑顔でいることをカペラはやめた。
どうせこちらなど見てはいないのだ。
何とかしてこの状況から抜け出られないものかと彼女はさりげなくあたりを伺う。
こういう舞踏会はある種の見合いの場ともなっているのだから、男爵のほかにも独身男性はいるはずだが、さすがに落ちぶれた貴族の娘などには誰も興味がないらしく、残念ながら声をかけてくれそうな様子の人は見つからない。
彼女は、下を向いてぶつぶつ言いながら踊っているチャップマン男爵を見た。
この人以外に、サーシスの救世主となれる人物は、いないのかもしれない。
カペラは内心ため息をつく。選り好みできる事態でないのはわかっているけど――
とその時、使用人の良く通る声が、グレン侯爵の来訪を告げた。
そこにいた全員が、一瞬動きを止めて入口に目を向ける。
皆が視線を彼に注いだので、カペラも気になってそちらに目をやった。
青年――というにはすこし年が上の男性がそこに立ち、人々と挨拶を交わしている。
グレン侯爵と言えばグリブレイユ公爵の甥で、王位継承順位は高くないものの王室の血を引く身分。父親のタナス公爵はいくつかの領地を治めながらも、長年フォンセ王国の財務長官を務めている几帳面な人物だと聞く。
一方、息子のグレン侯爵は、交易に目をつけて数多くの商人や貿易船を雇っては事業に精を出している、貴族にしては変わり者。そろそろ30歳になろうかというのに、身を固める気配などみじんも見せず、忍んで街に出ている遊び人と噂されているのだが。
高貴な血を引く証明でもあるプラチナブロンドの髪とは対照的に、大柄で騎士のような体格が、噂とは違った――どちらかと言えば精悍な印象を与えている。
そこに、折り返したカフスやポケットのフラップに金糸で手の込んだ刺繍の施された濃紺の上着の前を全開にし、下に豪華なシルバーのベストを見せて、白いレースのクラバットを結んだ姿が、あかぬけた華やかさをプラスしていた。
自分の相手となる男爵とはまるで正反対。
その華麗な存在の登場に気を取られたカペラと、グレン侯爵の視線がぶつかり、思わず彼女は足を止めた。
つられて足運びに気を取られていたチャップマン男爵も顔を上げ、たどたどしいステップを踏むのを止めて、彼女の視線の先を辿る。
「嫌味たらしい男だな」
男爵が口の中でそう呟いた時、ちょうどグレン侯爵が歩み寄ってきたので、慌ててカペラは背筋を伸ばした。
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