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海の見える駐車場
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***
助手席から流れ去るライトを眺めていた。
夕闇が迫るのに合わせたように、車内は沈黙と重苦しい空気だけが漂っている。
あの後、草壁君は、何も言わずに私を駐車場まで引っ張っていき、止めてあった彼の車に乗せた。
それから、一言も交わさないまま三十分ほど、彼は無言で車を走らせている。
空が闇を装うにつれて、地上が煌々とまばゆいライトを纏っていった。しばらく私は気まずい気持ちで、窓の外を流れて行く明かりを見つめていたけれど、さすがに街灯の感覚が広くなってきて、心細くなり始める。
「どこ、いくの?」
窓の外に視線を向けたまま、私は訊いた。渇いた喉に引っかかって声が掠れたせいで、彼の耳に届かなかったのか、彼からの返事はない。
私が答えを促すかのように彼の様子を窺うと、前を向いたままの草壁君は、私の視線に気付いて小さく息を吐いた。
「……なんで、あんな男なんです?」
続いて漏れた言葉には、機嫌の悪さがありありと込められている。「あんな」というのがどういう意味を指すのか分からないが、やっぱり、怒っているのだろう。
「なんでって……」
「好きなんですか?」
わずかな逡巡のあと、私は、小さく頷いた。けれど、運転中の彼からは見えなかったかもしれない。
「正直に、言ってくださいよ」
その声は、冷たくて鋭くて、そして、私の返答によっては壊れてしまいそうなほど繊細に響いた。たぶん、ここで嘘をついてもきっと彼はそれを感じ取るだろう。
「好き……なのか、確かめたかった」
「なにそれ?」
冷たくて鋭い声は、針を逆立てたハリネズミのようだった。針の奥で守られた柔らかくて脆いものが何であるのか私は、たぶん、知っている。
知っているけど、私はそれに触れてはいけない。――触れる権利など、ない。
「いいよ、軽蔑してくれて」
「……」
草壁君の心の棘を、甘んじて受けるため、私は、身を固くする。
彼は、大上さんに迫られる絵梨花ちゃんではなく、私をあの場から連れ出した。そのことによって、状況はさらに悪化したはずで――私は、もうあの会社にいられないだろう。
それは、仕方ない。
あの行動は、元はと言えば私が原因なのだから。退職を甘受するのは当然。そして、ここで、彼の針を受けるのも。
「もう、私のことなんか、構ってくれなくて良いから」
「なに、それ?」
返ってきた言葉は、先ほどと同じだったが、それ以上に威圧感を含んでいて、私は再び視線を窓の外に向けた。
海沿いを走る車から見えるのは、真っ黒い海。月の光に反射する波の向こうに、小さな島の明かりが見える。
草壁君は、海に面した展望台の駐車場に車を入れた。エンジンをつけたままの車が他にも二台、適度な距離を開けて止まっている。
ギッとサイドブレーキをかけて、溜息をついた彼は、それでもまだハンドルから手を離さずに、まっすぐ前の――海の向こうに小さく見える根の島に視線を向けていた。
「……そんなに、迷惑でした?」
あまりの静けさに、耳の奥のキーンと言う音が気になり始めたころ、草壁君は、独り言のように掠れた声を発した。
「俺……智世子さんにつきまとって、そんなに迷惑だった?」
「そんなんじゃない、けど……」
「じゃ、なんで?」
溶けかけた氷柱のような声だった。冷たさと鋭さが溶けて、涙になっているのではないかと思わせるほどに――その下から現れたのは、切なさだ。
「ごめん……なさい」
たぶん。
私は、ただ、自分が信じられなかっただけだ。彼の好意に甘えると、ずるずると好きになってしまいそうで――好きになっても報われないなら、初めから好きにならない方が良いと、そう思った。
それでも、そばに誰もいないということに気がついて、寂しくて。誰かにそばにいて欲しくて。――大上さんが、一生幸せにしてくれるなんて甘い言葉を吐くから、ついそれに乗ってしまった。
ここまでこじれてしまった原因は、全て、自分にある。
「智世子さんは、悪くないよ」
「……草壁君は、本当の私を知らないからそんなこと言えるのよ」
私のせいで、草壁君も絵梨花ちゃんも傷つけた。
罰を受けるのは、私だ。だから、会社を辞めることになるのも仕方ない。それに、草壁君には本当に悪いことをしてしまったと、心苦しさが残る。
「だったら、教えてくださいよ」
「だから――」
「年上で、誠実じゃないと思いこんでいて、昔の男の言ったことを気にしているというのは分かりました。でも俺が聞きたいのは、そんなことじゃない」
それまで見せたことのない切ない眼差しと、僅かに震える――縋るような声に、胸が締めつけられた。
いつも明るく、誰からも好かれる、素直で成績優秀な営業マンの彼からは想像もつかないその様子に、そうさせたのが私なのだと、ふつふつと罪悪感が積もってくる。
私は――本当は気が強くて、曲がったことができなくて、いつも誰からも煙たがられていて、愛情を欲しているくせに、それを無条件に与えられるのが怖くて――そこまで考えて、それを全部吐き出してしまうのが、怖くなった。
「本当の智世子さんのことを――、知りたいんです」
助手席から流れ去るライトを眺めていた。
夕闇が迫るのに合わせたように、車内は沈黙と重苦しい空気だけが漂っている。
あの後、草壁君は、何も言わずに私を駐車場まで引っ張っていき、止めてあった彼の車に乗せた。
それから、一言も交わさないまま三十分ほど、彼は無言で車を走らせている。
空が闇を装うにつれて、地上が煌々とまばゆいライトを纏っていった。しばらく私は気まずい気持ちで、窓の外を流れて行く明かりを見つめていたけれど、さすがに街灯の感覚が広くなってきて、心細くなり始める。
「どこ、いくの?」
窓の外に視線を向けたまま、私は訊いた。渇いた喉に引っかかって声が掠れたせいで、彼の耳に届かなかったのか、彼からの返事はない。
私が答えを促すかのように彼の様子を窺うと、前を向いたままの草壁君は、私の視線に気付いて小さく息を吐いた。
「……なんで、あんな男なんです?」
続いて漏れた言葉には、機嫌の悪さがありありと込められている。「あんな」というのがどういう意味を指すのか分からないが、やっぱり、怒っているのだろう。
「なんでって……」
「好きなんですか?」
わずかな逡巡のあと、私は、小さく頷いた。けれど、運転中の彼からは見えなかったかもしれない。
「正直に、言ってくださいよ」
その声は、冷たくて鋭くて、そして、私の返答によっては壊れてしまいそうなほど繊細に響いた。たぶん、ここで嘘をついてもきっと彼はそれを感じ取るだろう。
「好き……なのか、確かめたかった」
「なにそれ?」
冷たくて鋭い声は、針を逆立てたハリネズミのようだった。針の奥で守られた柔らかくて脆いものが何であるのか私は、たぶん、知っている。
知っているけど、私はそれに触れてはいけない。――触れる権利など、ない。
「いいよ、軽蔑してくれて」
「……」
草壁君の心の棘を、甘んじて受けるため、私は、身を固くする。
彼は、大上さんに迫られる絵梨花ちゃんではなく、私をあの場から連れ出した。そのことによって、状況はさらに悪化したはずで――私は、もうあの会社にいられないだろう。
それは、仕方ない。
あの行動は、元はと言えば私が原因なのだから。退職を甘受するのは当然。そして、ここで、彼の針を受けるのも。
「もう、私のことなんか、構ってくれなくて良いから」
「なに、それ?」
返ってきた言葉は、先ほどと同じだったが、それ以上に威圧感を含んでいて、私は再び視線を窓の外に向けた。
海沿いを走る車から見えるのは、真っ黒い海。月の光に反射する波の向こうに、小さな島の明かりが見える。
草壁君は、海に面した展望台の駐車場に車を入れた。エンジンをつけたままの車が他にも二台、適度な距離を開けて止まっている。
ギッとサイドブレーキをかけて、溜息をついた彼は、それでもまだハンドルから手を離さずに、まっすぐ前の――海の向こうに小さく見える根の島に視線を向けていた。
「……そんなに、迷惑でした?」
あまりの静けさに、耳の奥のキーンと言う音が気になり始めたころ、草壁君は、独り言のように掠れた声を発した。
「俺……智世子さんにつきまとって、そんなに迷惑だった?」
「そんなんじゃない、けど……」
「じゃ、なんで?」
溶けかけた氷柱のような声だった。冷たさと鋭さが溶けて、涙になっているのではないかと思わせるほどに――その下から現れたのは、切なさだ。
「ごめん……なさい」
たぶん。
私は、ただ、自分が信じられなかっただけだ。彼の好意に甘えると、ずるずると好きになってしまいそうで――好きになっても報われないなら、初めから好きにならない方が良いと、そう思った。
それでも、そばに誰もいないということに気がついて、寂しくて。誰かにそばにいて欲しくて。――大上さんが、一生幸せにしてくれるなんて甘い言葉を吐くから、ついそれに乗ってしまった。
ここまでこじれてしまった原因は、全て、自分にある。
「智世子さんは、悪くないよ」
「……草壁君は、本当の私を知らないからそんなこと言えるのよ」
私のせいで、草壁君も絵梨花ちゃんも傷つけた。
罰を受けるのは、私だ。だから、会社を辞めることになるのも仕方ない。それに、草壁君には本当に悪いことをしてしまったと、心苦しさが残る。
「だったら、教えてくださいよ」
「だから――」
「年上で、誠実じゃないと思いこんでいて、昔の男の言ったことを気にしているというのは分かりました。でも俺が聞きたいのは、そんなことじゃない」
それまで見せたことのない切ない眼差しと、僅かに震える――縋るような声に、胸が締めつけられた。
いつも明るく、誰からも好かれる、素直で成績優秀な営業マンの彼からは想像もつかないその様子に、そうさせたのが私なのだと、ふつふつと罪悪感が積もってくる。
私は――本当は気が強くて、曲がったことができなくて、いつも誰からも煙たがられていて、愛情を欲しているくせに、それを無条件に与えられるのが怖くて――そこまで考えて、それを全部吐き出してしまうのが、怖くなった。
「本当の智世子さんのことを――、知りたいんです」
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