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バレンタインデー 甘い夜の始まり
しおりを挟む――ああ、せっかくのデートだというのに、何で私は財布の中身を確認して来なかったんだろう。
せっかく寄ってもらったコンビニのレジで、財布を開けて中を見たとたん、さーっと血の気が引いた。
とてもじゃないけど、バレンタイン用にラッピングされたおしゃれなチョコレートなど買えなくて、私は車に乗り込むや否や、颯太に板チョコを差し出した。
大げさに喜んでくれる颯太を見ていると、うまくできなかった手作りチョコと、お詫びに渡すのが普通の板チョコという二重の意味で心が痛む。
「ごめん、二百円しか財布に入ってなくて――」
「板チョコだって、チョコじゃねえか。……そんな顔、すんなよ。全部ありがたく食うって言ってんだからさ」
ああ、なんだか、自己嫌悪――
「ごめん。……料理は下手だし、お菓子も作れない。その上、財布の中身も確認してこないなんて……」
「――お前な。俺のこと、見くびってもらっちゃ困るよ」
ふわっと、頭のてっぺんが暖かくなった。
颯太の手が、くしゃっと私の髪を撫でる。
「ずっと、そばでお前を見てきたんだぞ。そんなの、最初から全部わかってるって」
「……ありがたいお言葉だけど、馬鹿にされてるような気もしないでもないです」
「しょうがねぇだろ、それがお前なんだから」
頭に乗せた手が肩に降りてきて、くいっと私を引き寄せた。
体全体が颯太の香りで包まれて暖かくなる。
「……それでも、お前じゃないとだめだって思ったんだから、これくらいの軽口には慣れろ」
私の頭上で、たぶん、彼は鼻の横を人差し指で掻いているんだろう。颯太の声は不器用そうに私の耳に響く。
「寒く、なってきたな」
臨海公園とは幹線道路を挟んだところにあるホテル街の一角に迷いもなく颯太は車を入れた。
「良く知ってるのね」
「最初に、そのつもりだって、言っただろ」
茶化したつもりだったのに、真面目な顔で返されて、反対にどう反応していいかわからなくなる。
あの時はまだ明るかったからこういう話題は恥ずかしいと思ったけど、こうやって面と向って明言されると、周りが暗くても恥ずかしい。
部屋に近づくにつれ、私の頬は熱くなっていた。
背後で重いドアが閉まった時には、頬だけでなく頭にも熱が伝わっていて、頭がくらくらしている。
もう十分熱くなった頬を押さえた私の肩を颯太がそっと引き寄せた。
「外、寒かったから、先に温まろう。――一緒に入る?」
「いいいい、一緒に入るって――!?」
「風呂。……俺と一緒じゃ、いや?」
こういうことをさらっと言えちゃうなんて、颯太はどれほど慣れているんだろうと、いらぬ勘繰りをしてしまう。
「い……や、じゃないけど――」と言いかけた私は、慌ててその口を閉じた。
ああ、だめ。こんな言い方したら、絶対、颯太は「いやじゃないなら、いいじゃないか」とか言いそう。
「……でも、お風呂場って、明るいし――やっぱり、まだ、だめ」
「なんだ、それ」
真っ赤になったところを見られたくなくて、うつむいた私を、颯太は怒るでもなく笑う。でも、この様子からすると、無理にそうしたいわけではないみたい。
拍子ぬけした私が思わず「いいの?」と聞いてしまうくらい。
「まだ、ってことは、近いうちに実現はできそうだ」
「そ……そんなの、わかんない、よ」
「俺、千尋としっぽり――」
ばふっ。
颯太の顔にふかふかのクッションがぶつかった。
「なにすんだよっ!?」
「それ以上、いわなくていいから、先、入ってきて!」
颯太の言葉に、いろいろと想像してしまった私は、もう、頬だけじゃなくて、耳の先とか首まで真っ赤になってたと思う。
それを見られないように、颯太の後ろへ回り、その背中を浴室へと押し込んだ。
部屋に一人になって、一息ついてもまだ、かなり上がった心拍数はしばらく収まらない。場所と、シチュエーションのせいってのも、あると思うけど――
まだ、信じられない。――自分が本当に、颯太と付き合ってるんだって。
だから、どんな風に接していいのかわからなくて。だから余計に、申し訳ない気持ちになる。
数分後に颯太が浴室から出てきても、まだ動悸はおさまっておらず、顔を見られないように、すれ違いで私は浴室へ入った。
背後で聞こえたのキィンという軽い金属音で、颯太が煙草に火をつけたことを知る。
怒ってるだろうか。
それとも、呆れてる?
裸なんてもう何度か見せあったくせに、それでも、颯太の前ですべてを曝け出すのは、まだ、恥ずかしい。しかも、それが、明るい照明の下なんて、絶対無理だから。
初めての時みたいに何も知らなかったり、この間みたいに酔っているのならまだしも、今ここにいるのは、「その目的」のためだけなのだと考えると、もう、どうしようもないくらい、どうしていいかわからないのに。
それでも――
ここまで来た以上は、それについては了解しているってことなんだから……と、なんとか私は決心を固めて浴室を出た。
でも。結局、脱衣室でこれまた悩むのだ。――何を着て、何を身につけないかで。
私は、さっきすれ違った、腰にタオル一枚の颯太を思い出す。
颯太が、あんなに軽装(?)なのに、私が全部着こむのも、警戒しているようでなんだか悪い気がする。
とすると、こういう場合って、やっぱり、バスローブ、のみ、が正解?
一枚だけ羽織ってみて、足もとがスースーするのが気になった私は、やっぱり下着だけは身に付けることにして部屋に戻った。
ベッドの端で煙を燻らせていた颯太は、私の手をさっと取って、隣に座らせる。
「体、冷たいな。ちゃんと、温まったのか?」
「うん……」
さすがに、着るもので悩んでいたなどとはいえず、結果歯切れの悪い返事となった。
「――丁度いいや。ちょっと、アレンジしてみたんだ。食う?」
私の一大決心など気がつかない颯太は、テーブルの上から蓋を全開にした500ccの紙パックをタオルにくるんだまま手に取ると、私に差し出した。
「牛乳? どうしたの、それ?」
「さっきのコンビニで買った。――ほら、口、開けろ」
中身をスプーンですくった颯太に「あーん」と促されて、私は、同じように口を開ける。
なぜ牛乳にスプーンなのかという疑問が立つより先に、颯太に向かって無防備に口を開けるという行為に、恥ずかしさのほうが勝った。
スプーンの先でつんと唇をつつかれて、反射的に口を開けてしまったところへ、温かくて甘いものが口の中に入ってくる。
牛乳の優しい味わいに、チョコレートの風味――だけど、ココアよりももっと粘度が高くて、お粥みたいな触感だけど、お粥みたいにあっさりした味ではなくて――
嚥下すると、体の中からほこほこと温まってくるような気がしてくる。
「おいしい! これ、なに?」
私は、颯太の持っている紙パックを見た。
じっくりと確かめてみてもそれは、やっぱり、コンビニでよく見かける牛乳パックだ。
「イケるだろ? とりあえず、お前のフォンダンショコラをさっき買った牛乳でふやかしてみた」
自慢げに颯太が指差した部屋の隅には、備え付けの電子レンジがある。
「へええ、こんなの、全然思いつかなかった。颯太って、意外と料理のセンスあるんだね」
「意外とって、なんだ。少なくとも、お前よりは経験値は高いぞ」
耳が痛い言葉をさらりとかわした私は、颯太からスプーンを奪い、フォンダンショコラミルクをさらに口に運んだ。
私のフォンダンショコラ、初めからもっと柔らかければ、こんなにおいしかったんだ、なんて、ちょっと感動したりして。
「あ、お前、それは、俺のだろ」
「私があげたやつでしょ。ちょっとくらい、いいじゃない」
奪い返そうとする颯太に背中を向けて食べ続ける私の後ろから、颯太が覆いかぶさってきた。
その手は、牛乳パックとスプーンではなく、しっかりと私の腰と首の下あたりに巻きついている。
「んじゃ、俺は、こっちをいただく」
耳元で囁かれて、私は危うく牛乳パックを落としそうになった。
「み、耳はだめだって――」
慌てて牛乳パックとスプーンを安全な位置に置くと、それを確認した颯太は、耳朶に軽く噛みついたまま、後ろからバスローブの重ねた部分から手を入れてきた。
この後起こることの想像と、直接肌に触れる柔らかい感触に、体の奥が疼き始める。
ゆっくりとそのままベッドに押し倒されて、キスされると、ほんのりチョコレートの味がした。
「バレンタインデーに、チョコレートって、考えたやつを尊敬するな」
私の髪を指で梳きながら、颯太がにやりと笑った。
これは、何かよからぬことを考えている、笑い方だ。
「どうして?」
私は、警戒半分、期待半分で颯太を下から見上げた。
颯太の唇が迫ってくる。
「チョコレートに関する、興味深い研究がある」
唇がわずかに触れる距離で颯太は囁いた。唇をそっと掠める感触に、意識をとられた隙に、耳の後ろあたりを撫でられて、体が小さくぴくりと反応した。
「どんな……?」
自分の声が掠れ、妙に熱っぽく響いたことに、自分でも驚いた。
軽く唇を重ねた後、颯太の顔が耳元へ移動する。
「チョコレートは、脳の興奮状態を、激しいキスの、四倍以上……あげるんだってさ」
軽く食まれながらそんなことを言われて、「ん……」と声が漏れた。
颯太の言葉が暗示となっているのか、それともさっき口にしたフォンダンショコラのせいなのか、確かにこうやって押し倒されただけなのに、いつもより興奮しているかもしれない。
「とすると――」と大きな手で頬を包んだまま颯太の親指が、私の唇をゆっくりと撫でる。「――キスが興奮を単純に二倍にするとして、チョコ食べながら激しいキスしたら、どうなるんだろうな?」
「八倍?」
耳の下から首筋あたりを弄っていた颯太は、顔をあげて私を正面からまっすぐ見た。
「この場合、対数じゃないか?」
「わか、んない……よ」
さらに、チョコレートは幸福を感じる物質「エンドルフィン」を放出させる――と言われて、そういえば、チョコレートって、昔から媚薬って言われてたんだっけと思いだした。
「試してみようか」
私がコンビニで買った板チョコを、手を伸ばして取った颯太は、大胆に包みを破り、口でそれを割った。
口からチョコを半分はみ出させたまま颯太が、まっすぐに私の唇へと向かってくる。チョコで唇をつつかれて、条件反射のように私はうっすらと口を開けた。
ブラックチョコレートの苦味と甘味が口の中に広がったと思った瞬間、颯太がチョコレートをぐっと私の口に押し込んだ。
そのあとに続いて、颯太の舌が入ってくる。舌が、私の中でチョコレートを攪拌するように蠢いて、私の舌は、颯太の舌にあちこち追いやられた。
そうこうしているうちに、二人の体温で溶けたチョコレートと唾液が、絡まりあう。チョコレートだと思えば、普通に嚥下できるのが不思議で、チョコと一緒に唾液も飲み込んでいるのだと考えると、余計に興奮が高まってくる。
「確かに……いつもより、積極的だな」
満足そうに颯太が口を放した時には、ただキスをされていただけなのに、私の頭の中は軽く痺れていた。
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