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呉服屋「帯」
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香織は試着室の前でためらっていた。
やはり値が張る。
成人式は数ヶ月先だから、考え直す猶予は十分ある。
着物は両親が用意してくれた。母親がかつて自分の成人式に来たものだけあって、古臭い柄ではあるが値打ちものらしい。
高卒でアパレル関係の仕事についた香織は、進学した友人に比べ、自由な時間が少ない。その代償に、実家住みで生活費がかからないぶん、二年あまりで学生の身では持てない額の貯金があった。
だが、社会人ではあっても会社の飲み会では常にジュース、上司に可愛がってもらえはしても、どこか子ども扱いされている。そんな気がしていた。
それもこれも香織が未成年であるから。
そんな香織にとって成人式には大きな意味がある。晴れて一人前の立場に立てるのだ。
香織は仕事の覚えが早く、長く職場にいる先輩たちよりよく動く。それでも半人前。頑張っても半人前。
どこまでいっても下に見られる位置からようやく抜け出せる、それが成人するということなのだ、と香織は思う。
香織は考えた。
その意気込みを形にして、自分へのはなむけにしたい。
だったら成人式の帯くらいは、親に頼らず自力で用意しよう。そう決心した。
そんな流れで、彼氏に付き添ってもらい着物の即日展示販売会場まで来たのだった。
持参した着物に合う帯を探している、と告げると、年配の品のある女性が様々な帯をだしてきて次から次へと合わせ始めた。
「種類はたくさんございます。お客様、どんな帯をご所望ですか?」
逆に質問されて、香織は言葉に詰まった。着物には詳しくない。助けを求めるように隣の裕哉を見つめる。
裕哉は親が華道の家本。
日常的に着物に馴染みが深い。この場に裕哉を連れてきて正解だ。
店員と、香織にはよくわからない専門用語で着物について談笑している裕哉。
頼もしく、いつにも増してイケメンに見える。
香織が見とれていると別の店員がやってきた。
若く美しい女性だ。ネームプレートには【桂】と書いてある。
カツラ?それともケイと読むのだろうか。
桂は、裕哉のほうをちらりと見てから香織に向き直り、にっこりして言った。
「素敵な彼氏さんですね」
香織は耳まで赤くなった。無言で頷く。
「彼氏さんに選んでいただいたらいかがでしょう」
「あっ、はい。私もそれがいいかなと思ってました。私詳しくないので、彼にお任せで」
「かしこまりました」
桂が静かに裕哉の脇まで歩いていく。
…と、さっき年配の女性が香織にしたのと同じ質問を裕哉にし、香織を手招きするとその場をあとにした。
最初の年配の店員は別の客についてしまい、その場には裕哉と香織だけになった。
「立体感のある唐織の…この帯が香織に似合うかな。色糸が多くて豪華だし、良い帯だよ」
裕哉が一番値段の高い帯を指さしている。
「でも俺は…香織ならなんでも似合うと思う。例え…こっちの帯でも」
と一番安い帯を指さし…
「香織の可愛さは同じだ」
今度は裕哉が真っ赤になっている。
結局、最初に裕哉が選んだ帯の3ランクほど下の、似たような色味の帯を選ぶことで、なんとか財布との折り合いがついた。
「彼氏さんの望む帯はございましたでしょうか」
桂が近づいてきた。
「はい」
裕哉と香織は同時に頷いた。
「僕の望み通りです」
「手前どもの帯は、長く楽しめる自慢の帯にございます」
桂の声がいつまでも耳に残る…
成人式の夜。
裕哉が車で香織を送ってくれることになっていた。
都心を離れ郊外に。
すると突然、裕哉が車を止める。人気はなく、なんとなくムードのある景色。
車内に沈黙が走る。
「綺麗だ…香織」
見つめ合う裕哉と香織。
二人の影が重なる。口づけを交わした後、照れくさそうに裕哉が笑った。
「香織の着物姿を見たら興奮しちゃった。…いい?」
「一度脱いだら着るのが大変じゃない、だめだよ」
「大丈夫。俺、着付け出来るし問題ないよ。それに俺、こういうシチュエーションに憧れてたんだ」
「ぷっ!時代劇の見すぎだから裕哉~」
悪代官が帯をくるくる回し、町娘が『あ~れ~やめてたも~』と叫んでいる図が頭に浮かび、香織が吹き出した。
「笑うな、男の浪漫なんだぞ」
裕哉が真剣な顔をして、香織の唇をまた塞いだ。
丁寧な愛撫が続くうち、しだいに香織も盛り上がってくる。
荒い呼吸の二人。襟元が着崩れし、裾がはだけてなんとも色気がある。
「裕哉…きて」
「それが…俺もいきたいんだが…」
裕哉の脳裏に凛とした声が蘇ってくる。
(手前どもの帯は…)
脇には十本分はあるかと思われるほど大量の、ほどかれた帯が渦高く積み重なり。
(長く楽しめる自慢の帯にございます…)
「ほどいても、ほどいても」
(長く楽しめる…自慢の…)
「帯が…ほどき終わらな…」
やはり値が張る。
成人式は数ヶ月先だから、考え直す猶予は十分ある。
着物は両親が用意してくれた。母親がかつて自分の成人式に来たものだけあって、古臭い柄ではあるが値打ちものらしい。
高卒でアパレル関係の仕事についた香織は、進学した友人に比べ、自由な時間が少ない。その代償に、実家住みで生活費がかからないぶん、二年あまりで学生の身では持てない額の貯金があった。
だが、社会人ではあっても会社の飲み会では常にジュース、上司に可愛がってもらえはしても、どこか子ども扱いされている。そんな気がしていた。
それもこれも香織が未成年であるから。
そんな香織にとって成人式には大きな意味がある。晴れて一人前の立場に立てるのだ。
香織は仕事の覚えが早く、長く職場にいる先輩たちよりよく動く。それでも半人前。頑張っても半人前。
どこまでいっても下に見られる位置からようやく抜け出せる、それが成人するということなのだ、と香織は思う。
香織は考えた。
その意気込みを形にして、自分へのはなむけにしたい。
だったら成人式の帯くらいは、親に頼らず自力で用意しよう。そう決心した。
そんな流れで、彼氏に付き添ってもらい着物の即日展示販売会場まで来たのだった。
持参した着物に合う帯を探している、と告げると、年配の品のある女性が様々な帯をだしてきて次から次へと合わせ始めた。
「種類はたくさんございます。お客様、どんな帯をご所望ですか?」
逆に質問されて、香織は言葉に詰まった。着物には詳しくない。助けを求めるように隣の裕哉を見つめる。
裕哉は親が華道の家本。
日常的に着物に馴染みが深い。この場に裕哉を連れてきて正解だ。
店員と、香織にはよくわからない専門用語で着物について談笑している裕哉。
頼もしく、いつにも増してイケメンに見える。
香織が見とれていると別の店員がやってきた。
若く美しい女性だ。ネームプレートには【桂】と書いてある。
カツラ?それともケイと読むのだろうか。
桂は、裕哉のほうをちらりと見てから香織に向き直り、にっこりして言った。
「素敵な彼氏さんですね」
香織は耳まで赤くなった。無言で頷く。
「彼氏さんに選んでいただいたらいかがでしょう」
「あっ、はい。私もそれがいいかなと思ってました。私詳しくないので、彼にお任せで」
「かしこまりました」
桂が静かに裕哉の脇まで歩いていく。
…と、さっき年配の女性が香織にしたのと同じ質問を裕哉にし、香織を手招きするとその場をあとにした。
最初の年配の店員は別の客についてしまい、その場には裕哉と香織だけになった。
「立体感のある唐織の…この帯が香織に似合うかな。色糸が多くて豪華だし、良い帯だよ」
裕哉が一番値段の高い帯を指さしている。
「でも俺は…香織ならなんでも似合うと思う。例え…こっちの帯でも」
と一番安い帯を指さし…
「香織の可愛さは同じだ」
今度は裕哉が真っ赤になっている。
結局、最初に裕哉が選んだ帯の3ランクほど下の、似たような色味の帯を選ぶことで、なんとか財布との折り合いがついた。
「彼氏さんの望む帯はございましたでしょうか」
桂が近づいてきた。
「はい」
裕哉と香織は同時に頷いた。
「僕の望み通りです」
「手前どもの帯は、長く楽しめる自慢の帯にございます」
桂の声がいつまでも耳に残る…
成人式の夜。
裕哉が車で香織を送ってくれることになっていた。
都心を離れ郊外に。
すると突然、裕哉が車を止める。人気はなく、なんとなくムードのある景色。
車内に沈黙が走る。
「綺麗だ…香織」
見つめ合う裕哉と香織。
二人の影が重なる。口づけを交わした後、照れくさそうに裕哉が笑った。
「香織の着物姿を見たら興奮しちゃった。…いい?」
「一度脱いだら着るのが大変じゃない、だめだよ」
「大丈夫。俺、着付け出来るし問題ないよ。それに俺、こういうシチュエーションに憧れてたんだ」
「ぷっ!時代劇の見すぎだから裕哉~」
悪代官が帯をくるくる回し、町娘が『あ~れ~やめてたも~』と叫んでいる図が頭に浮かび、香織が吹き出した。
「笑うな、男の浪漫なんだぞ」
裕哉が真剣な顔をして、香織の唇をまた塞いだ。
丁寧な愛撫が続くうち、しだいに香織も盛り上がってくる。
荒い呼吸の二人。襟元が着崩れし、裾がはだけてなんとも色気がある。
「裕哉…きて」
「それが…俺もいきたいんだが…」
裕哉の脳裏に凛とした声が蘇ってくる。
(手前どもの帯は…)
脇には十本分はあるかと思われるほど大量の、ほどかれた帯が渦高く積み重なり。
(長く楽しめる自慢の帯にございます…)
「ほどいても、ほどいても」
(長く楽しめる…自慢の…)
「帯が…ほどき終わらな…」
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