表と裏と狭間の世界

雫流 漣。

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弱虫ディッパー翁

瓢箪から酒

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洞の内部はことのほか快適だった。
手足を伸ばして横になっても、寝返りを打てる広さがある。
奥行は、まるでカイの身長に合わせてしつらえたようにピッタリだった。
うつ伏せに寝転び、洞の縁から首だけ出して表の様子を伺う。
すっかり陽が落ち、辺りは暗闇に包まれていた。
ケタケタあざけるような嘲笑、首を絞められた鳥の悲鳴にしか聞こえない声など、様々な音色が響いている。

外気は蒸し暑く、リアラルは冬だったのに対してこちらは初夏のような気候だ。少なくとも凍死の心配はない。

「なにをしてるだえ?」
耳元で声がし、耳たぶに生ぬるい吐息がかかる。

「うわあっ!」

気味の悪い感触。
右の耳を激しくこすりながら、頭を引っこめようとする。
と、今度は左の耳元で声がした。

「ここでなにをしてると聞いているんだえ?」

「わあ!!」
両耳をピッタリ塞いで左右を見回すカイ。

正面に顔を戻すと…
暗闇の中、カイの鼻先30センチのところに青白い顔が浮かんでいた。体はなく、首から上だけ。

首はゆっくりと口を開いた。
「ちょいとそこから出てきてくれないかえ?」

長い眉毛が顎の下まで伸び、顎髭あごひげと同化している。
どこまでが眉毛で、どこからが髭か分からない。
垂れ目なせいでなんとも情けない表情に見えた。

「なにって。休憩してるんですよ」
勇気を振り絞って答える。

「オラもその、休憩とやらに混ぜておくれな」

「…………。」

は?

「さっきからオラは、その中へ行こうとしてるんだえ」

暗闇で目を凝らす。
カイは目を見張った。
首だけが浮いているのではなかった。

手足を大の字に広げ、宙ぶらりんのまま固定されている老人。
両手両足に蔦が絡まって身動きが取れないのだ。

「飲んだくれディッパーよ。おまえが受け取れる報酬はない。働け」

蔦が大きくしなり、ディッパーと呼ばれた生き物の体は、トランポリンを踏んだ体操選手のように、ぐわんぐわん上下に跳ねる。
その反動で、握っていた瓢箪ひょうたんが手から離れてすっ飛び、闇の中へ消えていった。

「オラの酒がっ!
大事な大事なオラの酒があぁぁあ!
命の次に大事な…大事な…
あっ…アアアー」

ひょおおお、ふうぅうう、
はァァァァァァ

上下だけでなく左右の動きも加わり、振り回される度に素っ頓狂すっとんきょうな悲鳴をあげるディッパーを見て、込み上げる笑いを必死でこらえる。

「もうそのくらいで。
悪い人ではなさそうだし」

「おまえがそう言うなら」

拘束していた蔦がパッと緩み、ディッパーはドスンと地面に落っこちた。

すごいな、僕以外は誰も洞に入れないんだ…
カイは感心した。
これ以上、安全な住処すみかはないじゃないか。

「痛たたたた、これは痛すぎるだえ」

立ち上がろうとしたディッパーが、自分の髭を踏んづけて転倒した。
さっきはよく見えなかったが、眉毛も髭も、顎下どころか足首の辺りまで伸びている。

迷った末、カイは警戒しながら洞から出てきた。
「こんばんは。ディッパーさん、でいいのかな?」

「いかにも。オラはディッパーだえ。みんなお世辞を言ったりゴマをすっておきなと呼ぶんだけども、おめえは特別サービス!呼び捨てでいい、助けてくれたから」

「ありがとう。ディッパー」
にっこりして答える。

「おめえ、リアラル出身だな?
名前が見えないだえ」

「名前が見えない?」

「そうだえ、イマジェニスタの生き物なら、頭の上に半透明な文字で名前が見える」

!?
名前が見える。
どういうことだろう。
見たところ人間そっくりの姿形だからストレーガなのだろうが、ストレーガはみなそうなのだろうか。
でもパングには名前を聞かれたな…

「腑に落ちない顔してるな?
とにかくおめえはオラの酒を探すのを手伝うだえ。
名前を聞くのはその後な」

「そんな、なんで僕が」
強引すぎる。
人の良さそうな目をしているけど、けっこうわがままだ。

「どうせ休憩で暇なんだえ?
つべこべ言うな。
さっさとしないとオラはおめえを!」

!?

急にどうした!?
気弱で間抜けな顔つきをしてるのに、なんて物騒なセリフを吐くんだ、こいつ。

「おめえ今。オラを、弱虫のくせにと思っただえ?」

ディッパーの青白い顔に赤みが差した。
酔っ払いの赤ら顔とは違う、憤怒の色だ。

「思ったな?なあ、思っただえ?」

様子がおかしい。
垂れ下がっていた目が吊り上がり、口をへの字に曲げて…
玩具をねだる駄々っ子のように地団駄を踏み始めた。

「思っただえぇえええええええ!!!!」

身の危険を感じる。
ディッパーの表情は、般若の面そっくりになっていた。
変貌していくディッパーを震える目で見つめるカイ。

「キェエエエエ!!」
奇声を発して飛びかかってくるディッパー。
指先が、カイの胸ぐらに届く寸前、二人の間にぽとんと落下してきたのは………

瓢箪ひょうたん!?

すると……
ディッパーが瓢箪ひょうたんに飛びついた!
容器の栓を抜き、ごくりごくりと喉を鳴らして酒を煽る。
一口飲むたびに、浮き出した額の血管が消え、怒張が薄れ…
元の青白い肌に変わっていく。

息もつかずに空っぽになるまで飲み干すと、ディッパーはしおらしく地面に座り込んだ。
長い髭を器用に折り畳み、レジャーシートよろしく尻の下に敷いて正座している。
大きなゲップをして、ディッパーが告げた。

「酒が切れると危ない。悪気はなかっただえ」

しょんぼり肩を落とし、反省しているようだ。

「オーナーが見つけてくれたの?この酒瓶」
木々の葉を見上げて、感謝の意を表す。
ざわわ…風もないのに森が答えた。

「はぁ…とりあえず。
落ちついてくれて良かった。
僕の名前はカイ」

「よろしくだえ…人間」
弱々しく、細い指が差し出される。
カイは一瞬、しり込みしたものの…
怒らせないようにそっと手を取り、恐る恐る握手した。
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