9 / 60
掘り出しもの
幸せな記憶
しおりを挟む
その晩、カイはなかなか眠れなかった。
リックといるときには薄れていた感情が一人の部屋に戻ったとたん、ぶり返してきたのだ。
見たくもない現実を前に、小説家への道を諦めようとしている…
おそらくカイの名前が活字になる日は永久に来ないのだろう。
両親のように不幸な事故にでも合わない限り。
カイは唐突に自分の小説に欠けているものの正体を悟った。
あの事故がカイの未来を丸ごともぎ取ってしまったのだ。
十八年前のあの日。
国道を走るSUVが居眠り運転のあげく車線を大きく飛び出して、巨大な黒い悪魔みたいに一つの幸せな家族を粉々にした。
前半分がひしゃげた状態で弾き飛ばされた車は、二回転半して止まり…
後部座席にいたカイだけが奇跡的に一命をとりとめた。
後から聞かされた話では、頭を強く打ち、搬送先の病院で四十七時間も意識を失っていたという。
病院のベッドでカイが目を覚ましたとき、そこに一人息子の生還を喜んでくれるはずの両親の姿はなく…
それはカイが幼くして天涯孤独になってしまったことを意味していた。
引き取り手のいない哀れな子どもは、退院と同時に孤児院に入所した。
わずか六歳という幼さで、カイを取り巻く周囲の環境はがらりと変化する。
平穏な日々がいとも簡単に壊れてしまう怖さをカイは知った。
波打ち際の…
…砂の城のように。
夢のようにあっけなく、、、
ただ、一瞬で。
そんな激動の中、以前と変わらないものが一つだけあった。
たった一つだけ。
それは幼なじみの、リックとの関係。
事故の翌年、孤児院からリックと同じ地元の小学校へ入学した後も、リックは同情することも態度を変えることもしなかった。
二人は四六時中、悪さをしてはそのたびに見つかって、よく廊下に立たされたものだ。
リックの母親のステラおばさんが我が子のようにカイの世話を焼いてくれたし、ショーンおじさんは釣り堀に行くときは必ずリックと一緒にカイも連れて行きたがった。
二人ともとても親切で、ガードナー一家と過ごす時間だけは、ささやかな幸せを感じとれる。
だからカイは、おばさんが頻繁にカイを夕飯に招待してくれることが原因でやっかまれ、施設の仲間に嫌がらせをされても、その事実を胸の奥にしまいこんで決して口にしなかった。
やがて十六歳で施設を出ると、住み込みつきのレストランで皿洗いや雑用をこなして生活費を稼ぐようになる。
同じ年頃の友人たちのように足しげく映画館に通ったり、遊びに出かけたりする余裕はどこにもなかったが、カイはそれなりに満足していた。
職場の料理長は仕事に厳しく厨房ではいつも険しい表情を見せていたが、カイにはとても親切だった。
去年カイが一人暮らしを始めたいとオーナーに申し出たとき、アパートメントの保証人をかって出てくれたのは料理長だ。
そんなふうに、その日その日を必死に生きるカイにとって、唯一の贅沢は古本市で月に何冊か買う、安いペーパーバック。
カイは物語に没頭した。
読書をしているときだけは、厳しい現実を完全に忘れ去ることができる。
そのうちカイは当然の成り行きで、細切れの時間を利用して自分でも小説を書き始めた。
いつしか、小説家になりたいと強く願い、何度、脳裏にその夢を描いたろう。
だが、カイには余裕がなかった。
明日のパンの心配をし、仕事が終われば家事に終われる。
そして、考える間もなく過ぎていく雑多な暮らしの中に、カイを支えてくれるはずの家族はもう居ない。
結果的にカイは生きていくために膨大なツケを支払った。
感性を育む思春期に、感性を削る日々を重ねたのだ。
希望より先に絶望を知ってしまった。
カイの書く文章にどこか悲痛な翳りがあるのは、少なからずそんな環境が影響している。
いずれにしろ、その作風はカイの夢にとって致命的な痛手といえた。
推理小説や恋愛小説ならともかく、カイが目指しているのは愛と希望に溢れたファンタジー作家なのだから。
こんなに強く喪失を感じたのは久しぶりだった。
当たり前のように一人で生き、一人で暮らし、甘えを受け入れることも知らない。
ぬくぬくと湯水に浸かって甘えながら生きる、そんな選択ができる人種がいることさえ知らずに生きてきたのだ。
淡々と堅実に。
カイは自分を特別不幸だと思ったことはなかった。
自然の流れに身を任せて今があるだけなのだと。
それは寂しさに蓋をした無意識と、無知の賜物なのかもしれない。
カイは体を震わせて泣いた。
殻を脱ぐまえの蛹だ。
蛹のように孤独だ。
外界の光を浴びれば焦げて焼け死んでしまうかもしれない。
胎児のように背中を丸め、
カイはそのまま眠りに落ちた。
リックといるときには薄れていた感情が一人の部屋に戻ったとたん、ぶり返してきたのだ。
見たくもない現実を前に、小説家への道を諦めようとしている…
おそらくカイの名前が活字になる日は永久に来ないのだろう。
両親のように不幸な事故にでも合わない限り。
カイは唐突に自分の小説に欠けているものの正体を悟った。
あの事故がカイの未来を丸ごともぎ取ってしまったのだ。
十八年前のあの日。
国道を走るSUVが居眠り運転のあげく車線を大きく飛び出して、巨大な黒い悪魔みたいに一つの幸せな家族を粉々にした。
前半分がひしゃげた状態で弾き飛ばされた車は、二回転半して止まり…
後部座席にいたカイだけが奇跡的に一命をとりとめた。
後から聞かされた話では、頭を強く打ち、搬送先の病院で四十七時間も意識を失っていたという。
病院のベッドでカイが目を覚ましたとき、そこに一人息子の生還を喜んでくれるはずの両親の姿はなく…
それはカイが幼くして天涯孤独になってしまったことを意味していた。
引き取り手のいない哀れな子どもは、退院と同時に孤児院に入所した。
わずか六歳という幼さで、カイを取り巻く周囲の環境はがらりと変化する。
平穏な日々がいとも簡単に壊れてしまう怖さをカイは知った。
波打ち際の…
…砂の城のように。
夢のようにあっけなく、、、
ただ、一瞬で。
そんな激動の中、以前と変わらないものが一つだけあった。
たった一つだけ。
それは幼なじみの、リックとの関係。
事故の翌年、孤児院からリックと同じ地元の小学校へ入学した後も、リックは同情することも態度を変えることもしなかった。
二人は四六時中、悪さをしてはそのたびに見つかって、よく廊下に立たされたものだ。
リックの母親のステラおばさんが我が子のようにカイの世話を焼いてくれたし、ショーンおじさんは釣り堀に行くときは必ずリックと一緒にカイも連れて行きたがった。
二人ともとても親切で、ガードナー一家と過ごす時間だけは、ささやかな幸せを感じとれる。
だからカイは、おばさんが頻繁にカイを夕飯に招待してくれることが原因でやっかまれ、施設の仲間に嫌がらせをされても、その事実を胸の奥にしまいこんで決して口にしなかった。
やがて十六歳で施設を出ると、住み込みつきのレストランで皿洗いや雑用をこなして生活費を稼ぐようになる。
同じ年頃の友人たちのように足しげく映画館に通ったり、遊びに出かけたりする余裕はどこにもなかったが、カイはそれなりに満足していた。
職場の料理長は仕事に厳しく厨房ではいつも険しい表情を見せていたが、カイにはとても親切だった。
去年カイが一人暮らしを始めたいとオーナーに申し出たとき、アパートメントの保証人をかって出てくれたのは料理長だ。
そんなふうに、その日その日を必死に生きるカイにとって、唯一の贅沢は古本市で月に何冊か買う、安いペーパーバック。
カイは物語に没頭した。
読書をしているときだけは、厳しい現実を完全に忘れ去ることができる。
そのうちカイは当然の成り行きで、細切れの時間を利用して自分でも小説を書き始めた。
いつしか、小説家になりたいと強く願い、何度、脳裏にその夢を描いたろう。
だが、カイには余裕がなかった。
明日のパンの心配をし、仕事が終われば家事に終われる。
そして、考える間もなく過ぎていく雑多な暮らしの中に、カイを支えてくれるはずの家族はもう居ない。
結果的にカイは生きていくために膨大なツケを支払った。
感性を育む思春期に、感性を削る日々を重ねたのだ。
希望より先に絶望を知ってしまった。
カイの書く文章にどこか悲痛な翳りがあるのは、少なからずそんな環境が影響している。
いずれにしろ、その作風はカイの夢にとって致命的な痛手といえた。
推理小説や恋愛小説ならともかく、カイが目指しているのは愛と希望に溢れたファンタジー作家なのだから。
こんなに強く喪失を感じたのは久しぶりだった。
当たり前のように一人で生き、一人で暮らし、甘えを受け入れることも知らない。
ぬくぬくと湯水に浸かって甘えながら生きる、そんな選択ができる人種がいることさえ知らずに生きてきたのだ。
淡々と堅実に。
カイは自分を特別不幸だと思ったことはなかった。
自然の流れに身を任せて今があるだけなのだと。
それは寂しさに蓋をした無意識と、無知の賜物なのかもしれない。
カイは体を震わせて泣いた。
殻を脱ぐまえの蛹だ。
蛹のように孤独だ。
外界の光を浴びれば焦げて焼け死んでしまうかもしれない。
胎児のように背中を丸め、
カイはそのまま眠りに落ちた。
0
お気に入りに追加
4
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる