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建国~対列強~編

157 魔界の塩

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異世界にも塩はある。ただし…

海水から塩は採れない。

「え?」って思ったでしょ?そんなはずないだろ、って思ったよね?私も子供の頃は、塩は海水から採ったものと思ってたけど。ヴィクターの授業で、
「海の水から塩?また、夢のようなことを」
と呆れられて初めて知ったんだ。異世界の海水に塩分はない、と。…じゃあ海には淡水魚が棲んでいるのか?というとそうではない。アジとかニシンとか、牡蠣とか、フツーに生息している。…なんでや。

まあそれはさておき。

この世界で、塩はもっぱら岩塩だ。ペレアスな代表的な岩塩の産地はガウェイン岩塩坑やアグラヴェイン塩鉱かな。特にガウェイン岩塩坑は規模が大きくて、グワルフとの国境近くにあるから、長年二国間で所有を争ってきた。
当然、塩の採掘権は国が握っていて、塩を買うと漏れなく塩税を取られるのだ。よって、塩は決して安価ではない。白い宝石と呼ばれ、貧しい村――かつてのウィリス村では塩を買うことができず、代替品として香辛料を使う。なんと塩より香辛料の方が安い。びっくりでしょ?

だから――

『塩だ…』
魔界の白骨温泉のすぐ隣に塩湖を見つけた私の衝撃もわかるだろう。塩、それは金貨の山。
『あ~。そこねぇ、死魚湖っていうの』
私に追いついてきたベッキーが言うことには、塩の湖に入りこんだ魚はたちまち死滅すること(浸透圧ってヤツだね)から、その名が付いたのだとか。前世も、外国に行けば『死海』ってあったもんね。それと似たようなものだろう。
ちらりと白骨温泉の湖岸で身を横たえる恋人を見る。どうしよう…
『あ~…。黙ってるのも友達としてどうかと思うから教えるねぇ。あの人間は、妖気に中てられちゃっただけで、ちゃんと意識あるから』
『え?!』
ベッキーの言葉に唖然とする。妖気?中てられた?
『アマストレ様はぁ、魔王様の四天王の一人だからぁ。魅力の妖気が強すぎて、人間は中毒を起こすの。離れたらわりとすぐ治るよ?』
そうなの?!
『念話してみたら?』
『そうするっ!』
バビューン、と効果音がつきそうな勢いで対岸まで泳ぎ――噴水かっちゅうくらいの水飛沫があがった――、人型に戻ってアルの身体をかき抱く。
『アル…アル…大丈夫?大丈夫なの?』
涙ながらに呼びかけると…
『だ…大丈夫、だ。嗚呼…いい景色だ…』
応答があったーっ!!

ムギュ~~

『あ…サアラ、断腸の思いだが…その、服を着ないと、風邪をひく』
オウッ!めっちゃ大胆な格好でした。いそいそとドレスを着て、改めて人形状態のアルに話しかけた。
『私、魔王様と商談したい』

◆◆◆

地上は相変わらず平和だった。
「歓楽街って必要だと思うのォ」
女王の館が一部崩落したので、シェリルの家の一室を借りて、オフィーリア、イヴァンジェリン、フリッツにヴィクター、ジャレッドが会議をしている。議題は、歓楽街設置の是非。
「兵士を駐屯させるって言ったって、もう火竜なんか出ないし?なんの愉しみもないと、鬱憤が溜まるでしょ?」
イヴァンジェリンが言う。
「サイラスは、合同訓練とか避難訓練に使うって言ってたけど。さらに歓楽街も要るの?」
とは、オフィーリア。彼女は歓楽街にあまり肯定的ではないようだ。
「歓楽街……違法薬物とか泥酔者のイメージしかないわ。あと喧嘩?お酒を飲める店なら、既にウィリスにもモルゲンにもあるじゃない?」
「それだけだと物足りないよねぇ?ジャレッドさん?」
イヴァンジェリンに急に話を振られたジャレッドは、「ええっ?!」と鶏冠のようなモヒカンを揺らしたが、ややあって居心地悪そうにこう答えた。
「あー……まあ、『女』は…」
言いにくそうだ。隣にヴィクターがいるもんね。
「ちょっ!娼館を作るって言うの?!」
案の定、オフィーリアが眦を吊り上げた。対するイヴァンジェリンはケロリとして、
「そ。酒と女、この二つがないと」
などと言う。
「リア様よ、こういう需要は無視しちゃいけないんだよ。禁止すりゃ、モグリの店ができる。首輪つけて飼う方がいい」
フリッツがどうどう、とオフィーリアの肩を抱いて座らせ、苦笑した。
「そのために、サイラスは飴と鞭な新制度をゴリ押したんだろ?」
どっからそんなアイデアが出るんだろうな、と。


ペレアスや他国でも、支配者は商人に税を課す。具体的には、店を構える時に所場代を、保有資産に応じて年貢を、行商ならば荷を改めて税を課す。
そして、さらに。
戦争やインフラ整備などの巨額の費用を供出させるのだ。商人に拒否権はない。拒否すれば、反逆罪に問われ、財産を奪われた上で投獄される。拒否しなくても、支配者は商人の財布事情など全く考慮しないのだから、商人としては堪ったものではない。戦費を無心されて潰れた商会など珍しくもない。
特にここ十数年のペレアスとグワルフは、その強制的な供出がしばしば断行され、多くの商会が泣きを見た。
ペレアスの商人たちは、ギルドを組織しギルドの名で供出を受けている。供出額を資産等を勘案して按分することで、身を守ろうとしたのだ。密かに積立金も募り、急な要求への対策もした。

しかしこれでは、支配者の都合で奪われることに変わりはない。商人にとって、支配者はカネを落とす客であると同時に、大きなリスクであった。

サイラスのゴリ押しした新制度…
彼は、まず所場代と年貢を廃止した。その代わり、『テナント料』として毎月定額を納める――通称『貸店舗制』を採ったのだ。これにより、支配者側も商人側も毎年変わる年貢の計算をしなくて済むようになり、大いに手間が省けた。また、この『テナント料』は、中堅商会の経営を圧迫しない金額。しかも、サイラスが用意した店舗は、借主が費用を持つなら改装自由で、店舗としての機能があるなら原状回復は不要。さらに、石造りの耐火性抜群の縦長な倉庫――『蔵』というらしい――付。何より、サイラスは『特約』として、商人を悩ませていた戦時供出を要求しないと約束したのだ。これは、ウィリスにやってきた商人を大いに驚かせた。
「モルゲン・ウィリス王国は、永世中立国。戦争仕掛ける気はないからな!」
とは、サイラス当人の言だ。

一方で、彼は厳しい罰則も設定した。

まず、『道路交通法』を厳守すること。
危険運転をしたり、人身事故や通行妨害など違反行為を働いたら、高額の罰金を科されるか、悪質な場合は財産没収の上投獄。
そして、『テナント契約』で約した事業以外の事業を無断で始めないこと。
酒屋が許可も得ず勝手に売春宿をやっていた場合、罰金の上『テナント契約』は強制解除。商人は末端の従業員まで国外追放処分となる。国に害をなす行為を隠れて行っていた場合も同様。財産没収の上投獄、また、悪質な場合は斬首も選択肢にある…等と、散々脅し文句が連ねてある――

これらを、サイラスは戦後復興の最中、ウィリスに行き来する商人が増えると見るや、やってのけたのだ。制度移行に伴うゴタゴタも最小限だった。


「アンタも大概だよな?王女様」
フリッツは、素知らぬ顔のイヴァンジェリンに目をやった。
何せこの王女、『てなんと』やら『特約』やら、サイラスが聞いたこともない単語を乱発しても、話についてきたどころか「敷金礼金は要求する?」とか、「原状回復どうする?」とか、口を出して彼の知識を埋めていた風があった。
「アンタらが『ウチュウジン』って言われても納得だわ」

◆◆◆

魔界。
サイラスは、恋人をお姫様抱っこして、ようやく魔王様に謁見した。
「塩を売って下さいっ!」
開口一番、要求したサイラスに。
「よかろう!」
魔王様――何というか……厨二病が服着たようなお兄さんだ――は、鷹揚に頷いた。
「なれば、対価として…」
「対価として?」
「人間界に絶望を齎すのだ!ハーッハッハッハ!!!」
「できるかぁ!!」
…と、こんなやり取りが繰り広げられていた。
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