上 下
101 / 205
動乱編

100 少年を欲する者

しおりを挟む
「ギデオン公がウィリスに加勢しました!」
アーロンの執務室に駆けこんだ部下が報告した。
「親書に皇帝から返事は」
「未だ届いてございません!」
部下からあがってくる報告は芳しくない。モルゲンの陣が夜襲を受け、物資が燃やされた。しかも、ギデオン公が参戦とは。調べたところによると、かの武人はかなりの変わり者で知られているらしい。モルゲンを落としてからも、何かと難癖をつけてきたり、侵攻のタイミングと被せて原野で狩りを始めて進軍を妨害したり……。
「メドラウドの動向は?」
アーロンの問いに、部下は「未だ沈黙しておられます」と答えた。つまり、参戦の意向は示していないということだ。そのことに、少なからずアーロンは安堵した。仮にとち狂ってかの公爵がウィリスに与すれば、アーロンたちは窮地に立たされる。いくら、大義名分があるとはいえ、王家という後ろ盾は薄氷のように薄い。
(…どちらが勝つか、高みの見物か)
そう考えるのが妥当だろう。
しかし。気にかかることが一つ。

モルゲンを落として二週間。街道を封鎖したのに。なぜ彼らは混乱一つ起こさず、戦えるのか。

アーロンの予想では、そろそろ糧食不足に悩まされていてもよいはずだ。考えられる可能性はただ一つ。

メドラウドが食糧を提供している。

山岳地帯を飛竜に乗って飛び越えれば、コストはかかるが、小麦の袋を運ぶのは不可能ではない。だが、そこまでカネと手間をかけて援助するくらいなら、外交手段でこの戦を阻止する方が遥かに簡単で、合理的だ。
まさか、モルゲンを併合しようと考えて…?
(いや、それも違う)
併合するなら、食糧だけではなく戦力――軍隊も差し向けるだろう。しかし、その兆候は見られない。
だったら、なぜ…?
思考するアーロンの元にまた別の部下が報告に訪れた。
「申し上げます!モルゲン軍の中に、カリスタに匹敵する雷撃魔法使いがいるとのこと!茶髪に青目のまだ若い少年とのことです!」
…なるほど。悪いことばかりではないらしい。
「その少年は?生け捕りにできそうですか?」
「それが…なにぶん、強力な雷撃魔法を使いますゆえ…」
言い淀む部下にさらにアーロンは、質問を重ねた。
「雷撃魔法以外は?」
「それは…」
どうやら『魔の森』の力はまだ現れていないようだ。しかし、間違いないだろう。かの少年は…
「サイラス・ウィリス…」
ようやく運が向いてきた。
「少年の動向を逐一報告するように。しばらく泳がせましょう」
なに、焦る必要などない。アーロンは唇を湿らせた。まだ序盤だ。将軍に方針転換の旨を伝えよう。一気に攻め落とすのではなく、幾度も最低限の数をぶつけて疲弊させる方向に。必ず、あの少年……いや『少女』を手に入れるべく。

◆◆◆

山岳地帯の向こう、メドラウド領。
公爵家の屋敷に訪れた客人は、とても権力の頂点にいるとは思えないほどの軽装だった。
「儀礼用の服など重くてかなわん」
そなたと余は同じ血族であろう?畏まった格好など不要だ、と、緑玉の瞳を細めてその客人――アルスィル帝国皇帝は不敵に笑った。年の頃は三十に届くか否か。烏の濡れ羽のごとき漆黒の髪をかきあげ、一人掛けの豪奢な椅子で足を組む様は不貞不貞しくも威圧感が滲む。
「アーロンとかいう小者がこんな落書きを送ってきた」
床に落ちた羊皮紙を拾いあげれば、間違いのない書式で帝国に逃亡した反乱分子を引き渡せと書かれている。正式な要請書だ。目の前の若者はそれを鼻で笑い、羊皮紙――アーロンのしたためた親書をあっという間に炎で灰にした。
「おお…我が愛しの花嫁はいずこよ」
詠うように呟き、急峻な岩山の方角へ目をやった。その緑玉の瞳がチラとノーマンを見て、愉しそうに細められた。
「案ずるな」
鷹のような眼差しが、ノーマンを見据えた。
「小麦運びは余の思いつき…単なる気まぐれよ。そなたに責は問わぬ」
メドラウド公ノーマンは、当初ウィリスへ食糧を融通するつもりはなかった。あくまでも、かの戦はベイリンとモルゲンとの争い事だ。メドラウドがウィリス…ひいてはモルゲンを支援するのは内政干渉にあたる。中立を貫く…そのつもりだった。
しかし。
皇帝がそれをねじ曲げた。メドラウドから小麦を買い取り、わざわざ飛竜を雇ってウィリスへ運ばせたのだ。カネを払えばメドラウドの小麦でも俺のモノだろう、と反論を許さず。
(その代わり、直接ウィリスに関わるおつもりだ)
タダで食糧支援を行う皇帝ではない。必ず代価――彼の満足するモノを要求するだろう。例えば、彼の固執する少女とか。
「勘違いするな」
思考を先回りしたかのように皇帝が口を開いた。
「何もそなたらの商取引に横やりを入れるつもりはない。そんなモノに興味などない。余は、遊んでおるのだ。無聊を慰めるに、戦の見物はなかなか悪くない」
支援するのは食糧だけ。武器も兵士も贈らない。
「我が花嫁は魔の森の愛し子…余を愉しませてくれるやも知れぬだろう?」
ああ、この方は待っているのだ。追い詰められた彼女が、魔の森の力を使うのを。
愉しげな、そして残忍な笑みを深めて、皇帝は彼方の戦場に思いを馳せた。

◆◆◆

「おいっ!この先崖だぞギャアアアァァァ!!!」
風光明媚な谷間に、フリッツの絶叫がこだまする。幌馬車にしがみつく自分の前…いや正確には下に、気絶して命綱のロープでぶらんと宙吊りになったオッサンの姿が見える。
今、幌馬車は目も眩むような崖から決死の大ジャンプをしたところだ。
「ヒャッハ~~♪バ~ンジィ~ジャ~ンプ♪」
御者台に乗っているのは、きっとバケモノだ。足の不自由な女の子の皮を被ったバケモノ。
ガシャン、と衝撃の後に幌馬車は着地した。宙に突然現れた分厚い氷の上に。しかし、これはあくまでもワンクッション置いただけで、幌馬車は再び宙を舞う。一拍遅れて、先ほど足場(?)にした巨大氷が地面に叩きつけられて砕け散る音を耳が拾う。そして、また次の巨大氷でワンクッション…。まるで階段を数段飛ばしで駆け下りるように、幌馬車はガシャン、ガシャンとけっこうな高低差を強引に無理矢理進んでいるのだ。
「時短、サイコー!!」
確かに…近道はしている。けど、近道の次元が違った。
「地図上の『道のり』ってなっがいし無駄に時間かかるし動きが外から筒抜けだし、合理的じゃないじゃん?だから『距離』をばく進しようと思って」
つまり、直線距離。道とか関係ない。途中に崖があろうが、濁流があろうが、さらに村があろうがとにかくまっすぐだ。有り得ねぇ。
ようやく本物の大地に着地した幌馬車に、気絶したオッサン――イライジャを引っ張りあげると、王女サマの幌馬車は速度制限を無視した乱暴運転であっという間に走り去った。
しおりを挟む

処理中です...