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騎士学校編

52 男爵令息の苦労

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バッセル侯爵家の夜会。
かの侯爵は、王妃派でも古参派でもない中立派のため、招待客はそれぞれが半々くらいの割合だった。あの男も来ている。後ろに腰巾着と名高いネーザル卿という痩身の男を従え、にこやかに談笑していた。
「リア、今日も気合いを入れたね」
エスコートする妹は、紅いサテンのドレスに身を包んでいる。アシンメトリーなデザインが斬新で、肩を彩る大輪の薔薇が目を引く。上半身から腰まではシンプル且つタイト、そして細く絞った腰からふわりと広がるプリンセスラインのドレスは、スタイルが良くなければ着こなせまい。薄い紗を幾重も重ねているせいか、ボリュームの割に重く見えず、まるで花びらのように可憐なのも、またよい。緩く結い上げたミルクティー色の巻き毛には、ドレスと揃いの薔薇のコサージュを飾り、宝石をゴテゴテつけていないのに華がある。
「ふふ。サイラスがね、私に着て欲しいっていうのよ?」
一瞬無言になったのは仕方がないだろう。庶民とはいえ、男がデザインしたドレス着てるのか、妹よ。いや…確かに妹は性格に目を瞑れば美人の部類に入るけれども!兄としては複雑である。
ちなみに、サイラスは、自分が素敵だと記憶していた現代日本のドレス(主にウェディングドレス)を絵に描いては、オフィーリアに献上していた。あくまでも憧れを形にしたいがために、目の保養のために、何気なく。そして、オフィーリアはオフィーリアで、気に入ったデザインなら仕立てさせて、夜会で着て宣伝して、自分の息のかかった商会経由で販売してリベートを得ていた。堅実である。
「オフィーリア様!まぁなんて美しいドレスですこと!」
早速、ホストである侯爵夫人に声をかけられていた。ドレスは夫人以外にも、主に女性陣からの熱い視線を集めている。いつの間にかブルーノは一人になっていた。
(…うん。まあ、こういうこともあるさ)
気分を切り替えよう。とりあえず妹にドレスプレゼントした男のことは、忘れよう。ブルーノは、気を取り直してバッセル侯爵の元へ向かった。

◆◆◆

一方その頃。騎士学校では。
サイラスは、ブルーノからもらったコテコテの王道恋愛小説をリピート読みしていた。
(ふおおっ!やっぱ純愛は正義っ!)
さすが王道。好みどストライクだった。これだけで、ご飯三杯くらいはイケる。
(この挿絵の女の子だとぉ、マーメイドラインとか絶対似合うと思う!)
そして、アゲアゲな気分で勢いのまま、新たなデザイン画(あくまでも、素人のイラストレベル)を描いてニマニマしていた。
(ブルーノ様ぁ!大好き!マジ感謝!)
…皮肉なものである。

◆◆◆

「…それで、マーガレットがリボンがないわと言って、」
かれこれ三十分以上、同じ話題をリピートしている。しかも、領政とまるで関係のない話を。
「はは。それは面白い」
にこやかに相槌を打ちながら、ブルーノは内心では盛大なため息を吐いていた。その心情はさながら、上客だけどやたら話が長くて面倒くさい客に捕まった営業マンのようであった。
わかっている。自分は田舎の男爵令息で、相手は遥か高みの侯爵。なんとなくだが、この退屈な話題はわざとだなと、ブルーノは気づいていた。若者をからかって試しているのだ。かの侯爵が中立派なのは、この偏屈な性格ゆえ。
(けど、ここで逃げ出したら印象が悪くなる。領もデカいし財力もあるしなー…)
ここは我慢一択だ。仕方ない。これも貴族の仕事なのだ。男社会、それは仁義なき戦い。
「ところで。モルゲン領では水路を建設中だとか。魔物を使い排水を浄化するとはなかなか斬新ですな」
と、ここに来てようやく侯爵が領政の話を振ってきた。
「ええ。今は試運転をしているところです」
ホッと安堵してブルーノは答えた。水路とは、これまたサイラスが工兵団と開発したものだ。今のところ、厠にスライムは逆流していないという、アレだ。
「ダライアス殿が采配を?」
「いいえ。それは私が」
本当はサイラスがやっていたのだが、途中でイントゥリーグ伯爵に拉致られて…とは言えない。まあ、水路はブルーノがその後を引き継いだので、嘘は言っていない。とりあえず、建設計画と予算作ってゴーサインは出してきた。何だかんだ言って、ブルーノは有能なのだ。

ただ……ブルーノは発明者ではない。

微かに表情が翳った。なまじ有能であるだけに、求めるモノも当然レベルが高く、単なる引き継ぎ程度で、手柄と満足できなかったのだ。どうせなら、考案からできていれば…!そう思わずにいられなかった。
「ほほ、そなたが」
何か伝わるものがあったのだろうか。侯爵は、ブルーノの話を嘘と断じたらしい。どこか嘲るような視線でブルーノを見下ろし、他の招待客に話し相手を変えられてしまった。
(何やってるんだ…俺は)
庶民相手に嫉妬して。彼が好きなことをできているのは、庶民だからだ。責任が、領を背負い、守る立場にないからだ。彼を、領民をその腕に守って戦っているのは、貴族たる自分たちだ。こんな年寄りに弄られるのだって仕事だ。気難しい相手との交渉という、立派な。領を発展させるために、民の功績を誇って何が恥ずかしいことがあろうか。
頭ではわかっている。けれど、どうしてもわかりやすい功績を上げるかの庶民が、羨ましく、眩しく見えてしまう。
落ち込むブルーノの肩を、誰かがポンポンと叩いた。
「ま、あの爺さんは性格がクソだ。気にするなよ」
砕けた口調で話しかけてきたのは、ヴィヴィアン男爵嫡男のエリスだった。盟友関係の隣領の貴族で年が近いこともあり、ブルーノの数少ない心許せる友人である。
「ああ…。王都に来ていたんだな。親父さんは息災か?」
ブルーノのまた、砕けた口調になる。
「まあな。今、領の小村が賑々しくしていてさ。そっちにかかりっきり」
「農民の反乱だっけ?またなんで…」
「税が高すぎると。説得しても聞く耳持たないんだよ。軍で鎮圧するとほら、他の集落も無駄に殺気立つじゃん?はあ~。ウチ、そんな酷い税率じゃないんだけどなぁ…」
「世知辛いよなー…」
しばし壁際で酒を飲みながら、互いの近況や雑談に花を咲かせた。
「オフィーリア嬢、今日も気合い入ってるな。ドレス、新調したのか?」
エリスが広間で年配の紳士とワルツを踊るオフィーリアを見て尋ねた。
「わんしょるだー?とか言うらしい。というかさぁー、聞いてくれよ」
ブルーノは、妹のドレスが庶民の男に贈られたものだと親友に愚痴った。
「へぇ…。美人だもんな。しかもあのドレス、色気もあるし」
「だろ?」
肩を竦めるブルーノに、お前もたまにはドレス贈ってやったらいいんじゃないか?、エリスは提案をくれた。
さて。もう一度あの爺さんに揶揄われてくるか。気を取り直したブルーノの肩を、今度は大きな手がむんずと掴んだ。
「!」
引っ張られて体勢を崩しそうになり、ブルーノはなんとか踏ん張った。そして、無礼を働いた奴の顔をとくと見ようと振り返った。
「あ…」
痩身でいかにも甘い汁を吸ってますという風情の男。ゴテゴテしたジャケットに着られている感がハンパない。コイツは…
「ネーザル卿」
アーロン・フォン・ベイリンの腰巾着。かつてネーザル家の分家筋だったこの男は、アーロンの力を借りてネーザル家を乗っ取ったとかなんとか。見返りに、アーロンはネーザル領を自領に併合したとかいう…政敵からの突然の接触に、思わずブルーノは身構えた。
「あ…ああ、ごめんごめん。イイ夜だね」
……あれ?
ちょっと馴れ馴れし過ぎやしないか。ブルーノは眉をひそめた。
「貴方は誰だったかな、おっとっと」
「ッ!大丈夫ですか?!」
よろけた男を慌てて助け起こせば、手を振ってネーザルは大丈夫と伝えてきた。よくよく見れば、目の下が赤い。緩みきったトロンとした目がブルーノを見上げている。
「……。」
……ひょっとして、この人酔ってる?
ほろ酔いご機嫌の政敵が、そこにいた。

◆◆◆

十分後。
ブルーノはなぜか夜会の広間から少し離れた控室にいた。……ほろ酔いネーザルと。
あの後、ほろ酔いの政敵は、ふらふらと立ち上がろうとして、思いっきりコケた。そして床で大の字になり、眉をひそめた高位の女性陣から「アンタ、この酔っ払いゴミ片付けてきて」と、目線でプレッシャーをかけられたのである。下っ端貴族って辛い。なんで酔っ払った政敵オッサン介抱しなきゃいけないんだ。酷いよ。
ヘロヘロのネーザルをヨッコラショとソファに下ろし、顔を横に向け、クラヴァットを弛めてやり、メイドに水とエチケット袋を頼み――やっぱりブルーノは有能なのだ。何でもそつなくこなす――もうよかろうと、ブルーノは広間に戻ろうと立ちあがった。あ~、疲れた。
「あぁ…貴族って世知辛いね~」
政敵が何か言ってる。
「褒めて下さいよ。ダライアスの狸オヤジを出し抜いて、帝国貴族の屋敷に潜入成功…!ハッハッハッ」
「はい?!」
思わず二度見してしまった。コイツ、今なんつった?!
「いやー。苦労しましたよ、身分証から何から…」
仰天するブルーノをよそに、ペラペラと政敵が機密を暴露している。
「いやね、うんたら商会にお金を渡すと簡っっ単に偽造してくれて」
それ、言っちゃダメなヤツ!酒飲んで気分がアゲアゲなんだろうけど!アンタのボスって黒い噂がいっぱいだし、下手したら消されるよ?!…まあ、せっかく暴露してくれたから心のメモ帳には書いとくけど。
「ネーザル殿、ネーザル殿。もうその辺りに致しましょう。酒の席ゆえ、聞かなかったことにしますから…」
ブルーノはとりあえず政敵を窘めた。しっかり全部聞いてからだが。しかし、そんなブルーノの見かけの善意に、ネーザルは感極まったように目を細めた。
「貴方様はお優しいですねぇ…。どなたか知りませんがお若いのに、なんとできた方でしょう」
まっすぐな褒め言葉だった。少しだけ、罪悪感で胸が痛い。けれど、できる男ブルーノはこう言った。
「そんな。若造相手に大げさですよ。ご気分は悪くありませんか?」
あくまでも『ただの酔っ払い』に優しくするだけなら問題ないだろう。腰巾着を甲斐甲斐しく世話して、ブルーノはやってきたメイドに後を頼んで控室を出ていった。

広間に戻り、妹を回収したブルーノは、早速その日の内に父に手紙を書いた。無論、政敵が自らバラしてくれた機密を、である。そして、数日後父から受け取った手紙には、件の商会を出禁にしたことと間諜と思しき男を捕縛したということが書かれていた。
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